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動画で考える

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「動画で考える」とは、動画を撮影することを通して目の前の日常空間を観察し、それを手掛かりにものごとを考え、表現する、その手法のことです。
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#動画制作

2-2.動画はどこにもない

『動画で考える』2.とりあえず動画を撮り始めよう 一度も再生されずに保存されている動画データについて考えてみよう。「動画」はどこにあるのだろう? スマホやパソコンの中にある?そこにあるのはデータであって、動くイメージのような実体がそこにあるわけではない。押入の中から両親の若い頃のアルバムが出てきて、何枚もの写真が貼り付けられていて、変色したり折れ曲がったり、何枚かは剥がれてどこかにいってしまって、その跡だけが残っている。そんな風に、気が向いたら見返したり、触れたり出来るよ

2-3.撮影した動画を遅れて見返すこと

『動画で考える』2.とりあえず動画を撮り始めよう 「記録して残す」という動画の機能に注目しよう。 人生のほとんどの出来事は、時間の流れとともに消えていく運命にある。日常生活で目が覚めている間、見たり聞いたりしたことのほとんどが記憶の彼方に消えていく。日記に書き留めるか、日常のあれこれを写真で撮影する習慣がなければ、過去の出来事は何もかたちに残らない。そもそも、そのような「過去」は本当にあったんだろうか? 何人かで共有されている出来事であれば、お互いの記憶をつなぎ合わせて、

3-1.何もない場所にあるもの

『動画で考える』3.何もない、をうつす 「何もない場所」を1時間以上撮影して、同じ時間をかけて視聴してみよう。 「何もない場所」を撮影してみよう。 「何もない場所」を撮影することで、動画がとても多様で豊かな情報に満たされていることを発見しよう。 無造作に置かれたビデオカメラが撮影した動画はとても興味深い。たまたま切り取られた画面には、何も写っていない。きちっと構図を考えてカメラを設置していないので、画面は傾いているし、部屋の壁や片隅が中途半端に映っているだけだ。ほかには

3-3.“もの”を撮る

『動画で考える』3.何もない、をうつす 身の回りの日常雑貨を改めて意識して観察してみよう。あなたの日常生活と共にある、身の回りの“もの”たち。 コーヒーカップや様々な食品、化粧品やアクセサリーや衣類、本や雑誌、自然とたまったチラシやパンフレット。そのような細々とした雑多な“もの”を、普段は特に意識もせず気にも止めない。たいがいはテーブルの上や部屋の隅に無造作に置かれているだけだ。 中には毎日必ず手にして使用する“もの”もある。ヘアブラシやカップのような“もの”、お気に入

4-3.どこからどこまでが自分なの?

『動画で考える』4.自分を撮る どのような自分を他人に見て欲しいかを考えて撮影してみよう。「自分を撮影する」とはどういうことだろう。自分を撮影した動画を他人に見せて、自分を知ってもらう、理解してもらうには、何を、どんな風に撮影したら良いのだろう? ストレートに、自分の「見た目」を撮影するという方法もあるだろう。そうすれば、顔つきや髪型、立ち居振る舞いを動画で記録することが出来るし、それをそのまま他人に見てもらうことも出来るだろう。特に自分の顔つき・表情には誰もがこだわりが

15-1.物語のない動画

『動画で考える』15.物語を作る 動画のどんなところから物語を読み取るのかを意識してみよう。物語のない動画とは、物語に束縛されていない動画だ。 動画の要素として、少しでも物語の手掛かりとなるものが見つかると、視聴者はそれをつないでそこに物語を読み取ろうとする。ただの何気ない街の光景を捉えた動画さえ、そこに2人の人物が通りかかって、ささやかなやりとりが発生すると、そこに物語を読み取ろうとする。道端にスニーカーが片方だけ落ちているのを発見しても、誰が?何が?と自動的に想像力は

15-2.語らなくても伝わること

『動画で考える』15.物語を作る 日常生活の中の、言葉を介さないコミュニケーションを動画で撮影してみよう。日常の中のコミュニケーションは、言葉を必要とするものと、言葉を必要としないものとで成り立っている。 小説のような文章表現であれば、それは全て文章になっていなければ相互理解は成立しないだろうが、動画は、言葉による表現も言葉によらない表現も、どちらも記録し伝達することができる。 日常生活は必ずしも言葉を必要としない。二人暮らしの家でも、一日中無言で過ごしても困ることはな

15-3.小さな物語を見つける

『動画で考える』15.物語を作る 日常生活の中の、ほんのささやかな物語を見つけて動画で記録しよう。小さな物語を発見しよう。または作ってみよう。 小説や映画・演劇のように、作り込まれたプロにしか作れない物語でなくても良い。多くの人びとに共感されたり、感動を与えるようなものではなくても良い。日常の身近な場所で、普段は見過ごされるような、かすかな、ささやかな物語を見つけてみよう。 例えば、誰かがそこにいた痕跡。ほんの少し前までそこに寝ていて、慌てて起き上がって出かけていった後

16-1.ひとに見せない

『動画で考える』16.ひとに見せる 自分のためだけの「ひとに見せない」動画を撮影してみよう。私たちが日常的に接する動画と言えば、かつてはテレビ放送や映画のような限られたものしかなかった。動画とは誰かが作って、それを観賞するだけのものだった。ホームムービー(8mmや16mmフィルムによる撮影)が普及した時代があり、そしてホームビデオが広まって、誰でも家庭用のビデオカメラで撮影して、記録することが出来るようになった。運動会や入学式・卒業式を親が撮影して、あとから家族でそれを観賞

16-2.ひとに見せる

『動画で考える』16.ひとに見せる あなたと友人が同時に撮影した動画を互いに見せ合って、その違いを検証しよう。あなたが撮影した動画を身近な友人に見せようとしたら、デジカメでもスマホでも撮影した動画を同じ機器のモニターで再生して、その場で相手に差し出すだけで良い。友人と旅行に出かけ、お互いを動画で撮影して、その場ですぐに動画を見せ合ったり、SNSで共有したりすることもあるだろう。それにしても、その場で同じ体験をした者どうしが、お互いに撮影した動画を、その場に居ながらにして見せ

16-3.人間以外の視点で撮影する

『動画で考える』16.ひとに見せる 昆虫になって撮影する動画とはどんなものか想像してみよう。ある日あなたは、自宅のバスタブにゆっくりとつかりながら、浴室の窓の枠をゆっくりと伝って登っていく小さな羽虫を見ている。どこから入ってきて、どこへ行こうとしているのか、何か意思を持って行動しているのかさえもわからない。同じ空間を共有して、自律的に生命活動を行っていても、それぞれのサイズや機構があまりにも違い過ぎて、お互いを理解することが出来ない。 あなたは羽虫のように動画を撮影するこ