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15-3.小さな物語を見つける

『動画で考える』15.物語を作る

日常生活の中の、ほんのささやかな物語を見つけて動画で記録しよう。

小さな物語を発見しよう。または作ってみよう。

小説や映画・演劇のように、作り込まれたプロにしか作れない物語でなくても良い。多くの人びとに共感されたり、感動を与えるようなものではなくても良い。日常の身近な場所で、普段は見過ごされるような、かすかな、ささやかな物語を見つけてみよう。

例えば、誰かがそこにいた痕跡。ほんの少し前までそこに寝ていて、慌てて起き上がって出かけていった後の、シーツや上掛けが乱れてそのままになっているベット。部屋の中には何着もの上着やズボンやセータがかけられている。そのサイズや素材・色彩には一定の傾向があって、この部屋の持ち主の好みがうかがわれる。枕元に置かれた家族の記念写真には、10人ほどの人物が写っているが、そのうちの誰かが、この部屋の持ち主だろう。

部屋をぐるっと見回して、特に興味のある場所は近寄ってみたり、部屋の隅の方へ衣類を押し分けて踏み込んでみたり、しかし置かれているものには何も触れずに、3分ほど動画を撮影して終わり。

ある人物は、いつかこの部屋にやってきて、住み始め、そしてどこかへ去って行く。また別の部屋へと移っていったのかも知れないし、他界してもうこの世にいないのかも知れない。2人暮らしの部屋の場合には、もう一人の人物もまたどこからかやってきて、2人は一緒に住むようになって、また別々の場所へと移っていく。

部屋の中の「家具」や「本」がどのような物語に繋がっているのかを調べてみよう。

そこに住む人物だけでなく、家具はやはりどこか別の場所で作られて、この部屋に運び込まれて、そしていずれまた持ち出されて、他の部屋に移されるかも知れないし、廃棄されて燃やされてしまうかも知れない。

本はどうだろう。製紙工場で紙が生産され、印刷所で印刷され、製本され、書店に並べられたものがその個人の部屋に運び込まれて、また移動したり破棄されたりする。本に記された小説はどうだろう。作家の頭の中で発想され、それが文字になり、作品としてまとめられ、出版社によって店舗やオンラインを通して流通する。

日常空間にある全てのものは、どこかで生み出されて、こうした経路を辿って時間を経て場所を変えて、そして消えていく。このような経路の一つ一つにすべて物語がある。そしてある部屋に立ったとき、そこは無数の経路が交差したある特異な一点であると考えるべきだろう。そこでどの経路に注目しても良い。交差した場所からほんの少しの線分を切り出すこと、それが物語の発見だ。

駅の構内で、人通りの激しい通路のある特定の場所に注目してみよう。

毎日数万人の利用者が通過する駅の構内の床は、何年も経つうちにすり減って表面が削れたり、湾曲したり、かけたりしている。通路の片側には売店の在庫がはみ出た状態で置かれているため、床には直線ではなく、少し迂回した曲線が痕跡として描かれている。

歴史的な建造物を動画で撮影して、そこに歴史や文化を読み取るのと同じ意味で、いつも通勤で通過する駅構内を動画で撮影することでも、そこに物語を発見することはできる。

あるいは、動画を撮影しながら友人と話をしていて、相手の発言に対してちょっとした反発を感じる。そこで、語気を荒げて言い返すと、さらに友人はそれに対して強い反論を返してくる。そんなやりとりが繰り返されて、やがて二人は黙り込んでしまう。日常的な、ささやかな、よくあるやりとりだ。その記録が動画として残される。この出来事には、その後の展開も結末もなく、そのまま忘れ去られて、翌日にはまた今まで通りの付き合いが続くのかも知れない。それもまた一つの物語であり、単純であると同時に古い時代から同様のやりとりが繰り返されてきた普遍性も持っている。

そのような「小さな物語」を見つけよう。

あなたが発見した「小さな物語」をオンラインにアップして反応をみよう。

あなただけが知っている、しかも記録しておかなければ忘れてしまうようなかすかな手がかりを辿って、そのほんの一部を切り出してみよう。そしてオンラインのどこかにそれを置いて反応を見よう。大抵は誰にも気付かれずに、無数の動画の集合体の中に埋もれて忘れられてしまうだろう。

誰もが「大きな物語」について語りたがる。それは誰もが知っているし、それについて語っていれば、誰かが反応してくれる。自分もその「大きな物語」に係わっているという、同時代性や共同体の一員としての充足感が得られるからだ。

「小さな物語」は、いま・すぐに、多くに人からは共感を得られないかも知れない。しかし、遠く離れた場所にいる、たったひとりの誰かがそれに共感してくれる可能性がある。そしてインターネット時代の動画の共有技術はそれを可能にしてくれる。

あるいは、何年も経ってから、その時代の誰かが、その「小さな物語」に気付いてくれて、共感してくれるかも知れない。あなたがいなくなった場所で、あなたが知らない誰かが共感してくれる可能性。

インターネットの時代は、個人が気軽に世界的な広がりで動画を共有することを可能にしてくれた。それは無数の「小さな物語」を地球規模で共有することの実験だ。いままで遠く離れた点と点でしかなかった発見が、それをつなぐと一本の線が見えてくる。そしてそれは面としての広がりを持つかも知れない。

最初から「大きな物語」という面の上で充足するよりは、まだ見えていない手がかりを発見するために「小さな物語」を作り続けよう。

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