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実家から届いたみかんを見て幼少期の思い出が蘇った話

10月24日。
19時45分にピラティスを予約していたので、スタジオに出かけた。21時終わりと思っていたら、まさかの20時半で終わってしまい、あっけに取られながらスタジオを出た。
帰り道、交差点の対角に小さな人だかりができており、近くにはロケバスらしきものが止まっていた。何かの撮影だろうか。こういう時、道端の野次馬の方々がいたら「これ、何の集まりなんですかね」なんて聞いてみようと思うが、人だかりはどうやら関係者しかいなそうだったので、尋ねる勇気も出ず、諦めて真っ直ぐ帰宅した。

帰宅すると段ボールが届いていた。日時指定で届いた、母からの荷物だった。

開封すると、まず目に飛び込んできたのはジッパーに詰められた銘菓かまどの焼き菓子だ。芋とりんごのマドレーヌ、マロンパイ、あともう一種類の焼き菓子が、隙間なく敷き詰められている。私と夫用に丁度二個ずつ詰められている。
母の段ボールにものを詰める技には毎回脱帽する。少しでも隙間があれば、そこにぴったりはまる何かしらのものをはめこむ。世の中で一番送料を無駄にしない人といっても過言ではない。

次に目に飛び込んできたのは、母、姉、父の3人それぞれからの手紙だ。手紙といっても、可愛らしい絵柄のメモ帳に、メッセージを書いているだけのものだ。手紙には、包括するとお誕生日おめでとう、といった内容が記載されている。そうか、この仕送りはお誕生日プレゼントを兼ねているんだ。常日頃母には、「物はいらないので、消え物をください」と口酸っぱく伝えてあるので、意向をちゃんと汲んで消え物を送ってくれたようだ。母は昔から仕送りのたびに消えない物を送ってくる修正があった。例えばポーチ、エコバッグ、食器、メモ帳などなど。ありがたいが、必要充分な数は揃っているので、ここ近年は固くお断りしている。それにも関わらず、何か買って送ってきたり、私もこんなこと言いながらもお下がりのものをゲットしたりしていたので、消え物しかない仕送りは、今回久しぶりに受け取ることとなった。
また、これまで毎年母と姉は手紙を添えてくれていたのだが、父から手紙が来たのは記憶している限り初めてのことだった。父に似合わない可愛らしいメモ帳に、「誕生日おめでとう」とだけ書いてある。ここで普通なら、手紙なんてくれたことないのに…とジーンと感動するのかもしれない。しかし捻くれ者の私は、どうせ母と姉に頼まれて書いたのだろうと想像がつくことと、一言だけ書くことで、これに全ての気持ちが詰まっているんだぞと主張してこられた感じもして鼻につくな、なんて思った。と同時に、心の中では嬉しい気持ちを抱えていた。

さて、最後に目に飛び込んできたのは大量のみかんだ。祖母の家で育てていて毎年大量にみかんが取れるのだが、それを送るのは恒例行事となりつつある。
今年のみかんは少々青々しいが、食べてみると安定の美味しさ。市販で売っているみかんはだいたい甘いが、祖母のみかんは甘さはなくすっぱいのが特徴的だ。小さい頃からこのみかんを食べて育ってきたので、初めて全面オレンジに染まった、迷いなく育っただろうみかんを口にした時、世の中にはこんな甘いみかんがあるのかと衝撃を受けた。と同時に、どれだけ農薬撒いたり怪しい薬を入れているのだろうとも不安を覚えた。

幼少期は毎年寒くなると、祖母の家の近くの山にみかんちぎりに出かけた。祖父がいた頃は、トラックの荷台に私と姉とみかんを入れるケースを積み重ねて山を行き来していた。道路がガタガタしているところでは、積み重ねたみかんケースもガタガタ動くため、両手でしっかり支えながら外の風を感じていた。例えるなら、となりのトトロの冒頭でめいとさつきが車の後ろに乗って引越ししているシーンとほぼ同じである。
手袋をはめたいほどの寒さの中、祖父から風通しの良い軍手と鋏を渡される。山に到着すると、荷台からみかんの木のそばへせっせとみかんケースをおろし、みかんちぎりを開始する。身長が低かったので、めいいっぱい背伸びをして、手をのばしてちぎった。手が悴んで鋏をうっかり落としたりするので、気をつけながら作業した。祖父からは、無理して高いところのみかんを取ろうとして枝を湾曲させたり、鋏を入れる位置はみかんのへた上ギリギリのところできる(枝を長く切りすぎない)ことをアドバイスされたような気がする。
手が届かなくなると、諦めてみかんケースをひっくり返し、踏み台にして、木の上の方になっているみかんをちぎった。
みかんケースがいっぱいになると、二人がかりでトラックの荷台まで積みに行く。一人だと重すぎて持てないのだ。
木から木へ移動しながら、せっせとみかんちぎりを繰り返した。疲れたら休憩にちぎりたてのみかんを頬張った。
ケースがいっぱいになったら再びトラックの荷台に乗って祖父の家まで戻った。ケースに入りきらなかったみかんは、ジャンパーのポケットに突っ込んだり、両手いっぱいに持って帰った。

昔は、秋や冬に祖父の家に帰ると、必ずといって良いほどみかんちぎりが予定に食い込んできた。
寒い中単純作業を繰り返すため、当時はそんなに好きな作業ではなかったが、大人になってみるとみかんちぎりをやりたいという気持ちがむしろ湧き上がってくる。都会でパソコンをカタカタする日々を過ごしていると、自然に自然を求めるのが人間なのだろうか。

ここ数年は祖母、母、父でみかんちぎりを行っている。なかなか実家に帰るタイミングでみかんちぎりの手伝いをするタイミングないが、今年こそは数年ぶりにお手伝いできたらと思っている。というか俄然したい。
仕送りの段ボールにめいいっぱい詰まったみかんを手に取りながら、こんなことを考えるのであった。


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