うさや

都内で働くご飯好き。食べ物を通じて感じた気持ち、それに付随する記憶をたどったりする、記録的な日記。香川県が好きです。

うさや

都内で働くご飯好き。食べ物を通じて感じた気持ち、それに付随する記憶をたどったりする、記録的な日記。香川県が好きです。

最近の記事

人を狂わせる丸亀製麺のタル鶏天うどん

10月19日土曜日。取り急ぎこの気持ちを書き記さないと気が済まないため、今日のお昼に食べた、丸亀製麺(以下、丸亀)のタル鶏天うどん(以下、タル鶏)への思いを語らせて欲しい。 天高く馬肥ゆる秋になると登場する丸亀の風物詩、タル鶏天うどん。鶏自体は季節ものではないはずなのに、なぜ毎年秋限定なのか。開発担当者の方、是非教えてください。 夫曰く、丸亀ファンたちは、この秋の風物詩が到来すると一目散にお店にかけつけ、すぐさま読了ならぬ食了の感想をSNSにあげる人がたくさんいると言う。

    • 野菜不足を解消しながら残り僅かな20代を振り返る

      10月初旬。 明日は誰と会う予定もないので、きっと予定がないであろう夫と何しようかなと考えていたところ、珍しく夫は予定があるとのことだった。 なるほど。つまり久しぶりに自分だけのために時間を使える日が誕生するということか。 予定が空いたとわかると、速攻であらゆる予定を入れ始めた。ヨガ、ネイル、よもぎ蒸し、などなど。いわゆるメンテナンスデーだ。自分のためにお金を使って、気ままに過ごしてやろうじゃないか。しめしめ。 思えば、20代の頃、何も予定がない日は、こうやって美容の予定を

      • 心のふるさと、大戸屋

        5月25日土曜日。 NOTEを始めた初期には毎週更新を掲げていた目標もわずか数か月で途絶え、ならば毎月更新だ、と掲げた目標も半年で崩れてしまった。まあ人間ってこんなもんだよな、と自分で自分を慰める。 先月更新ができなかった理由はいろいろとある。5月中旬に自身の結婚式というイベントが控えていたため、その準備に追われていたためだ。幸いなことに、結婚式前にゴールデンウィークが存在していたため、世の中の挙式をひかえる皆さまに比べるとだいぶ余裕があったのかもしれない。しかし、時間があ

        • 念願のハノイのほいさんよりも感動が強かった大判焼き屋

          3月3日ひな祭りの日。何をするわけでもないが、そういえば昔は祖母の家でひな人形をフルで並べていた。 ふとひな祭りの歌が頭を流れる。数年ぶりに思い出したが、幼少期から実は歌詞が曖昧な部分があったのだが、大人になってもググるでもなくひたすら曖昧にしていた箇所があった。それは一番の歌詞の3行目、「五人ばやし」だ。 あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひなまつり 「ごにんばやし」だったか、「ぎょうにんばやし」だったか。幼

          丸ビルのフードコート、マルチカの門戸は広かった。

          2月29日(木)。4年に一度のうるう年。 朝からなんとなくこの日が存在していること自体が嘘なんじゃないか、さらにこの日に起きること全てが嘘なのではないかと、そんな思いに苛まれていた。結果、すべてが思い通りや予想通りにならない、不思議な日だった。 お昼頃に出社をした。最寄りの駅で降りて歩いて会社に向かっていると、元上司が目の前を歩いていることに気づいた。歩き方でわかった。 しかし気づいたのは、珍しくスーツではなく、デニムのパンツをはいている、ということである。コロナ以降、服装

          丸ビルのフードコート、マルチカの門戸は広かった。

          神保町の蕎麦屋たかやで、赤ふんについて知った日

          2月某日。職場の人とランチをする予定があった。場所は神保町の蕎麦屋、たかや。大きすぎず小さすぎない店内は居心地が良い。夜利用はしたことがあったが昼に利用するのは初めてだった。前日に食べログを確認すると、現在昼営業は予約のみ受け付けているとのこと。恐る恐る電話をし、「明日のお昼4名でお願いしたいのですが」と伝えると、すんなり良いですよ、とのこと。良かった。 実際当日は我々4名で貸し切り状態だった。他にお客さんがいなくてもお店を開けてくれるなんて、ありがたい限りである。店員さん一

          神保町の蕎麦屋たかやで、赤ふんについて知った日

          意図せずに食い倒れてしまう、それが大阪

          2月12日、月曜日。 新幹線で新大阪から東京に戻る道中に、この3日間の食い倒れ日誌を忘れないうちに急ぎ記すことにする。 三連休初日の土曜日は、友人の家へ、生まれて数ヶ月の赤ん坊に会いに行く予定があった。お昼前に新大阪に到着し、ひとまず目先にあった551に向かう。チルド専門店とのことで、肉まんと焼売を購入。他に何を買おうかとうろうろしていたら、りくろーおじさんの店を発見。夫はしきりに「りくおじのチーズケーキ」と口にしていたが、行列がすごかったことと、手土産にバームクーヘンを買

          意図せずに食い倒れてしまう、それが大阪

          記憶を呼び起こす、叙々苑のアイスクリーム

          1月末のことだが、叙々苑初デビューを飾った。 叙々苑は地元香川県にはなかったので、存在を知ったのは大学で上京した18歳の時だった。 憧れのキャンパスライフに浮足出す女子大学生たちと、彼氏または付き合う前段階の異性とのデートで、どこに行きたいか、という話をしていた際に、「叙々苑で焼き肉を食べたい」と話す女子が多かった事が記憶に色濃く残っている。それなりの額なので、相手のおごりで、という注釈付きだった。叙々苑で焼き肉を食べる、という行為は一種のステータスのようなものなのだ。当時

          記憶を呼び起こす、叙々苑のアイスクリーム

          空きっ腹にラーメンを食べてはいけない

          昔から空きっ腹の胃にいきなり炭水化物、つまりご飯やパンを入れると胃の調子を崩してしまうという特性を持つ私。 そのためできる限り、野菜や果物、難しければ乳製品を先に摂取してから、炭水化物を食べるようにしている。 この日は朝から用事があり、カフェでさくさくのクロワッサン、おそらく砂糖がたっぷり使われていたのだろう、とっても甘くて美味しいレーズンロールパン、そしてカフェラテにビターチョコレートが入った飲み物を頼んでしまった。パンは夫と半分こしたものの、炭水化物と糖分という負担が胃

          空きっ腹にラーメンを食べてはいけない

          10年近くぶりにびっくりドンキーへ行った話

          1月16日火曜日。大安、そして一粒万倍日。年明けてから何度この一粒万倍日を迎えたのだろうか。そして今年はあと何度この日がくるのだろうか。 この日は10年近くぶりにびっくりドンキーへ行った。午前中に池袋で用事があり、11時半頃解放された。人生のなかでもかなり大きな出来事を終えた後だったため、おいしいものでも食べて帰ろうと思い、駅方面へ向かいながらお店を探した。しかし池袋はどうも雑多な街で、おいしそうなお店!という感じの店構えをしたお店が、駅周辺でぱっと見つからない。午後に予定

          10年近くぶりにびっくりドンキーへ行った話

          成城学園前ではしご食べの日。お寿司屋、和菓子屋、洋菓子屋。

          1月14日日曜日。今日は午後に小田急線の成城学園前駅で予定があった。家でお昼ご飯を食べるか、外でお昼ご飯を食べるかギリギリまで迷っていたが、お米を炊く時間がかかることにふと気づき、というよりお昼ごはんを作ることが面倒くさくなり、早めに成城学園前駅まで移動して、お昼ご飯を食べることにした。 食べログで「お寿司あおい」というお店を見つけて一瞬で気持ちは寿司に傾倒する。がしかし、到着してから他に美味しそうなお店を発見したらどうしようという意気地なさがひょこひょこ芽を出し始めたので、

          成城学園前ではしご食べの日。お寿司屋、和菓子屋、洋菓子屋。

          南船橋の洗礼を受けた日

          1月7日日曜日。三連休の真ん中の日。 朝10時前から千葉県の南船橋に行った。午前中に所用があったためだ。 これまで、西船橋は耳にすることがあったが、南船橋は耳にしたことがなかったので、とにかくどういう街かわからなかった。そこで昨晩、南船橋についてに調べてみたところ、ららぽーとがあるということがわかった。さらに昨年11月29日の「いい肉(1129)の日」には、ララテラスという複合施設も、ららぽーととは駅を挟んで反対側にオープンしたというニュースも見つけた。なるほど、人がたくさん

          南船橋の洗礼を受けた日

          りんごと亀にヨーグルトのお布団を

          2023年12月31日、日曜日。大晦日。今日をもって兎年が終了する。 12月は怒涛の日々を送っていた。具体的には、平日週三回は飲み会があり、飲み会のない平日の夜はヨガに通ったりして、毎夜何かしらの予定が詰め込まれていた。土日もなんだかんだで予定が詰まっていた。「師走って感じだなあ」なんて口ずさみながら日々過ごしていたら、12月22日には悪寒とともに高熱が出てしまい、しっかりと風邪を引いた。しかしながら数か月前から予定していた台湾旅行が翌日から控えていたので、なんとしも出かけ

          りんごと亀にヨーグルトのお布団を

          武相荘ってなんだ。

          12月某日。待ちにまった、武相荘へ行く日。 初めてこの場所の存在を知ったのは、数か月前の茶道の先生と生徒達の会話でだった。「ぶあいそう、いいですよねえ」なんて会話をしていたので、うまく頭で変換されず、「不愛想なのはよくないだろう」と心の中で冷静に突っ込みをしていたところ、「武相荘」という場所があるのだと教えてくれた。 公式HPによると、白洲次郎は、昭和十八年(1943)に鶴川に引越してきて、当時から住まいに「武相荘」と名付け悦にいっていたそうだ。武蔵と相模の境にあるこの地に

          武相荘ってなんだ。

          続・資生堂パーラーでバイトしていた夫

          なんで結婚という流れになったの? 昨日ふとこのような質問を受けた。流れですかねえ、と有耶無耶に説明するが、人はその流れの詳細が知りたいのだ。 流れ、という回答以上の詳細が知りたいと聞かれたら、答えることもできるが、話そうとするとなんともいえない気持ちに苛まれる。 人生の詳細を人につまびらかにするのは、自分の気持ちに反する行動に値するからだ。 また、夫のことを説明するときに、相手に気を使って自分の夫を下げた言い方をしてしまうことがある。「いやあまだ子供なんですよ」みたいな。

          続・資生堂パーラーでバイトしていた夫

          表参道に行く度に通うと決めたタイ料理屋「チャオバンブー」

          2023年10月某所。この日は夕方から結婚式で着るドレスの試着があった。場所は表参道であった。 表参道といえば、大学4年生の頃に最も足繫く通った場所である。バイト先があったのだ。大学生というのに、イかれた勢いで、ランチタイムはバイト先周辺の気になるご飯屋さんを片っ端から制覇していく、そんな時期だった。途中で自分が大学生の身分であること、また卒業旅行に向けてお金を貯める必要があることを思い出し、人が変わったかのように手作りお弁当を作って持っていくようになったのだが。 よくあ

          表参道に行く度に通うと決めたタイ料理屋「チャオバンブー」