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【日記】 「テイスティング」の「テ」の字も知りませぬ故、いちご畑でいちごを拾い集める

大体、20歳〜21歳くらいだったと思う。大学生だった当時、周りは生でと注文する中、私はハイボールで。と注文する人間だった。その影響だろう、次第にウィスキーをストレート、あるいはオンザロックで飲み始め、いつしか好きになり、あれから約7年が経つ。懐かしいものだ。経済的にも体力的にも毎日は難しいため、たまの贅沢として飲み屋で飲むことがほとんど。

飲み重ねていくと「これは甘い」「これはピート強い」等々、素人ながらにも何となく分かってはくる。毎回思うのだが、その時間がとてつもなく芳醇な時間である。ウィスキーのテイスティング、とまで言うには技量があまりにも足りなさすぎるが、感想を自分なりに話すこと自体、ものすごく楽しい。

鈴木ジェロニモさんの「説明」に近い楽しさがあり、まだ右も左もわからない状態なのは確かだが、とにかく自分のボキャブラリーで放たれる香りの言葉は新たな言葉の表現として毎回毎回新鮮味がある。

これを実現するには最低条件として、まずウィスキーを好きになること。次に、自分のペースで飲める環境であること。ひとまず、この条件を揃えた方が良いと思う。その上で、博識かつ良識あるマスターと出会うと尚良し。これでようやく話は始まるのだと思う。

直近だと、マスターのおすすめでCARDHUをやらせていただいた際「むかし公園を駆け回った後に食べた焼き芋の甘さ」なんて口走ったら、「ほぅ、なるほど、なるほど。いいですねぇ。」とマスターがポツリ。

豊かな時間だ。内側の鳥肌が外側に出たくてしょうがないくらい温かく豊かな時間だ。

さいわい、私がよくお邪魔するお店のマスターは文学好きでもある。そういう詩的な表現を大いに面白がってくれる。あるいは、時々「何を言ってんだ」と優しくいなしてくれたり、飲む側としては気持ち良く飲める懐の大きい、そして、ウィスキーを愛する人柄が滲み出たお店である。


とある日、ウィスキー専門誌の特集で各モルトのテイスティングと評して、それぞれプロの感想が記載されていた。徐ろに渡していただき読んでいると、私の中で衝撃が落ちた。

プロの感想というものは思わず脱帽するほど詩人なのだ。ポエマー。しかも、笑いを取ろうなんて気持ちもないだろうし、純粋無垢に溢れ出た言葉なのだろうと思わせる自然なお言葉。その衝撃たるや、マスターと思わず大笑いしてしまった。こんな最高の土曜日があってもよいのか。

内容の一部としては、安積のサクラカスクを飲んだ感想ということで、感想の一部分に「いちご畑のようなメルヘンチックな甘さ」と評されていた。

私の頭に松田聖子の「Strawberry Time」が流れた。

確かに、私がいま片手に持ち上げている安積のサクラカスクは口に含む瞬間の生葉の香り、55度のアルコールを感じた後、一瞬香る甘い香り。この甘さはサクラなのかだろう、と先入観で決めつけていたところ、まさかのまさか、「いちご畑」と表現するなんて。

なんて素敵な詩なんだ。私もこんな人間になりたい。強くそう思った。

ありがとうございます、いちご畑へ連れて行ってくれて。


このウィスキーに対する自分の思いを表現することは、実は人として、社会人として、男として、いろんなことに応用できる術なのではないかと考えている。

ウィスキーとは、マスター曰く「人それぞれ感じ方が異なるから面白いのです。」と教えていただいた。

たしかに、ピートの種類、樽の材質、麦、水、熟成期間、、、いろいろな要素があるみたいだが、それだけ複合的に作られているお酒の一種であることに誇りを持っている存在である。だからこそ、様々な香りが口を滑り、鼻を抜けて、体中を駆け巡る。どの香りにヒットするかはその人次第。

つまり、ウィスキーを奥の奥まで知り尽くすことができる人はありとあらゆる視点でウィスキーを飲む。複眼的に物事を捉えられるのだ。ウィスキーの飲み方ひとつでその人の器の大きさが垣間見れるのかもしれない。

ウィスキー以外の森羅万象でも、その物事を目の前にした時に複眼的に考える術をつけておけば、「あの人は最初アルコール感が強い感じだったけど、ずっと飲んでいくと自分が慣れて、飲み干した口はフローラルな甘さ。」みたいな、自分なりの捉え方ができる。

さらには、「言葉」に対して様々なアプローチで考えるため、勝手にボキャブラリーが増え、自分なりの言い回しが生まれてくるので、短歌作り、あるいは普段のコミュニケーションにも大いに活きてくる。


人生において、大事なことがこれでもかと詰まっているウィスキー。これって何かに似てるなと思ったら、ビジネス研修みたいなものと似てるかもなって。(ほとんど受けたことはないけども)

あらゆる視点から本質的に捉え、それを感じ、自分の血肉にする。

ビジネス研修と重ねるにはウィスキー研修があまりにも良すぎて、質そのものに雲泥の差がありすぎるのだが、私なりのビジネスがそこにはあるんじゃなかろうか。

なぜ?なぜ?なぜ?どんどん深堀りしたくなるウィスキーを飲む時間が私にとってのセミナー。自己啓発とまで言ってしまおう。これだけは断言できる。どんなビジネス書よりも酒場のウィスキー1杯には敵わない。

そうすると、ということは、「ウィスキー=森羅万象」を飲んでいると言っても過言ではないのだろうか。そもそもウィスキーを前にして過言なことがあるのか?あるとしたら、相当良くない飲み方をしているに違いないのでは。ウィスキーの前では皆平等だから、マナーと礼儀、筋を通してこれからもお付き合いしていきたいもの。

これからまだまだ30代、40代と訪れてくるいちご畑に時間をかけて今感じているさまざまなテイストに対して答えを導き出していきたい。今後の楽しみがまた増えて嬉しい。

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