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意味の深みへ③ 井筒俊彦

第3回目は文化と言語アラヤ識(2)です。ここではソシュールの記号学的文化論が出てきます。

前回、レヴィ=ストロースは「自然」と「文化」の境界線は言語であると言いました。
これは、他の動物と人間の境界線もまた言語であると言えそうです。

ソシュールは文化を恣意性ということで根本的に規定しようとした。自然的必然性をもたない言語記号によって、人為的に有意味性を賦与された事物・事象の第二次的存在文節体系を、彼は「文化」とする。

意味の深みへp55

何を言っているのかよくわからないのは「恣意性」という言語学の用語があるためです。

ソシュールは文化を、言語記号の音声面とそれが指示する意味面との結びつきは必然的なものではなくて、社会慣習的な約束事として規定しようとしました。自然的必然性をもたない言語記号によって、人為的に意味を与えられたものごとの世界を、彼は「文化」としています。

動物の自然的な環境世界が第一次的存在文節体系とすれば、人間がつくる人為的な世界は文化という第二次的存在文節体系ということです。

言語は、意味論的には、一つの「現実」文節システムである。生の存在カオスの上に投げ掛けられた言語記号の網状の枠組み。

意味の深みへp55

こういう第二次的存在文節体系の中に生きる人間は、第一次的存在文節体系から隔絶されることになるため、生の自然から疎外されることになります。
言語の発達によって人間は自然から次第に遠ざかっていったということです。

異文化間の対話

言語というものが「現実」文節システムということであれば、言語が異なればそれぞれ違った世界が現れます。

地球上に存在する諸言語の一つ一つがそれぞれ独自の「現実」文節機構を内蔵していて、それが原始的不文節(未文節)のの存在を様々の単位に分節し、それらを人間的経験のいろいろな次元において整合し、そこに、一つの多層的意味構造を作り出すのである。

意味の深みへp56

言語にはそれぞれ多層的意味構造があるため、表面的・マクロ的に理解することでは真に理解し得たとは言えません。

要するに異文化間の対話は可能か、いかにして可能か、どこまで可能か、という問題は、結局、文化の深層、言語の意味的深層、ということに帰着する。

意味の深みへp60

文化の深層を理解するためには、言語の意味的深層を考える必要があり、本題の「意味の深み」へとつながってゆきます。

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