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【ネタバレなし】デスストランディング DEATH STRANDING 感想

点と点を繋いで線にする、ごくシンプルに単純化するならそういうゲームだ。

「そう言われてもどんなゲームかわからん!」というのがデス・ストランディングというゲームを説明するときに難儀するところだ。

小島秀夫監督の作品はどれも大好きで、大ファンだけれど、中学(MGS2)、高校(MGS3)、大学(MGS4, MGSPW)、社会人(MGS5)となるにつれてプレイ時間は減っていった。それは自分が大人になったこともあるけれど、一つには、ゲームとして難しくなっていったのだ。

MGS4、ピースウォーカーあたりでネタをふんだんに盛り込むところがピークに達して、「ゲームとして複雑になったなあ」、と単純に思ったのである。それも超大作であるメタルギアソリッドシリーズの看板をしょっていて、過去の作品と矛盾することなく、そしてゲームとして新しくしなければならない成約があったからこそ、物語も長く、ちょっと説明的で、こじつけっぽいところも多々出てきた。それでもファンの期待に答え続けてクオリティの高い作品を作り続けてきた監督には、毎回驚かされ、夢中にさせられ、泣かさされてきた。

ただ、一方で「若手にMGSは任せて、オリジナル作品を作りたい」と確かMGS4の開発が始まる前からおっしゃっていた記憶がある。その後は幾度となく撤回して、大作シリーズを作り続けてきた。

私は「小島秀夫監督のMGSでないオリジナル作品」をずっと心待ちにしていた。MGS1からプレイしだした私は往年からのファンからしたらまだまだペーペーかもしれないが、スナッチャー(PS版だが。。。)、ポリスノーツ(これもPS版だが。。。)、メタルギア、メタルギア2(MGS3サブシスタンスについてきた)とメタルギアソリッドのファンとして、よりも小島秀夫監督その人のファンといったほうが正しい。

前置きが長くなってしまったが、デス・ストランディングは、小島秀夫監督が会社から1から作ったゲームだ。私が何年も心待ちにしていたゲームだ。完全新作オリジナル A HIDEO KOJIMA GAMEだ!

よく小島秀夫監督のゲームに言われるのが「映画的なゲーム」という代名詞だ。私はこれに関して否定的な感情を持っていた。監督のゲームは「映画に裏打ちされた体験をもとに構築された、ゲームというメディアでしか表現できない作品」というのが正しいのではないか、とずっと感じていた。

ところが、デス・ストランディングというゲームは、今までの監督のゲームからするともっとも「映画的」ではないか。一つには、物語とゲーム性がシンプルになったというのが大きいと思う。点と点を繋ぐ、ひたすら右に走ってピーチ姫に会いに行く『スーパーマリオブラザーズ』ほどではないにせよ、主人公のサムは荷物を持って運ぶ、これだけに特化して単純化されている。その単純な作業にもなりがちなゲームを、物語が駆動させる。そのために「映画的」な演出が絶妙なスパイスで効いている。

「あの世」と「この世」を行ったり来たりするストーリーと、「ゲーム」と「映像」を行ったり来たりする体験の設計。かつてないひとつの「体験」

わたしはまだビーチにいる。





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