「ストレス耐性」は万能の強み?
この記事は、「HRラボほくりく&金沢の人事部 Advent Calendar 2022」(https://adventar.org/calendars/7976)に寄稿するために書いた。
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ストレス社会といわれるけれど……
ストレスチェック。ストレスマネジメント。ストレスを感じやすい。ストレスをため込む。ストレスからのうつ病。ストレスからのイライラ。ストレス対処法。ストレスに打ち勝つ。ストレスとうまくつきあう。ストレス社会を生き残る。
とかく悪者にされる「ストレス」。
社会人にとってどころか、すべての人にとって「ストレス耐性」は備えているべきとされているようだ。
採用を行うにあたって、採用基準に「ストレス耐性」を第一に挙げている企業も、たぶん少なくないだろう。
そもそもストレスとは?
ストレスとはなんだろうか。
ご存じの方も多いと思うが、「ストレス(stress)」という言葉それ自体には、良い意味もないが悪い意味もない。
ストレスはいろいろな意味がいろいろな文脈で語られるために、定義が混乱していることがままあるが、わりと乱暴にひとくくりにしてしまえば、「圧」である。
「圧が強い」という言葉は、わりとよくストレスの本質を衝いている。圧が強い存在と相対したり、圧が強い状況に出くわしたりすると、人はそれに対抗しようとして、心身を身構え、起こるべきことに備えるのである。
そして、その圧に対処することは、成長の糧になる。
たとえ話で書いてみる。
コンビニまで5分の道を歩いていたときに、水たまりがあったとする。
この場合、当然ながら、通常であれば水たまりを踏んでしまわないように、避けて通るか飛び越えるだろう。
(歩きスマホか何かで気づかず水たまりを踏んでしまう人もいるかもしれないが、今回そこは措いておく)
これが、ストレスとその対処の本質である。
水たまりの存在が「圧」、つまり「ストレス」であり、水たまりを発見したときに心に生じているのが「ストレス反応」、とった行動が「ストレス対処」である。
もちろんこの程度の「圧」では、コンビニに行くのを諦めて家に帰ったり、もはや打つ手なしとその場に泣き崩れたりする人はいないであろう。
では、これが水たまりでなく、道幅一杯に広がっていて、かつ15センチの冠水(くるぶし程度)という「圧」であったら、どうだろうか。
そのとき、人は当然、水たまりのときとは違う行動をとるだろう。
「家に戻り、長靴に履き替える」「家に戻り、車で通ろうとする」「別の道へ行ってみる」「コンビニに行くことを諦めて帰る」「コンビニに行くどころではないと、自宅に戻って災害対策や避難準備を行う」「かまわずそのまま歩いて通る」など、そのときの心身の状態やモチベーションと、執るべき手段との手間を総合的に判断して、行動を決定するわけだ。
当然、状況が違えば、ストレスに対して導かれる判断も違ってくる。
濡れてもかまわない服と靴だったら?
水が澄んでいて足もとがよくわかる状態だったら?
仕事を終え、スーツ姿で家に帰る途中だったら?
初めて通る道だったら?
猛烈な風が吹いていたら?
真夜中だったら?
トイレロールを切らしていて、どうしても買いに行く必要があったら?
あなたはどう判断し、行動するだろうか。
判断を間違うことも当然ある。
ミスをしたときにすぐ立ち直れる人もいれば、なかにはいつまでも選択の失敗を悔いて、いつまでも立ち直れず、心身の状態をなかなか回復できない人もいるだろう。
でも、命さえ落とさなければ、その失敗は、次に似たようなことがあったときに、経験として活かすことができる。
かくも、外形的には同じ「圧」のある状況が、人によって、状況によって、違う形をもって立ち現れてくるのが、ストレスという存在の、わかりにくくも興味深いところである。
強くストレスを感じる人、そうでもない人。強いストレスでも対処できる人、弱いストレスでも対処できない人。
ストレスに弱くても、ある限定された情況下ならば誰よりも上手に立ち回ることができる人もいる。
ともかく、「圧」に上手に対処できる人が、ストレス耐性が高いとか、ストレスと上手につきあっている、と周囲から思われ、言われるのである。
ストレス耐性が高い学生を採用したらこうなった
高齢者福祉の人事の仕事をしていたとき、ある男子大学生を、新卒で採用した。
県内にも福祉を学べる大学がいくつかあるが、彼は県外の私立大学に進学し、福祉を学んでいた。その大学の科目を履修すると、社会福祉士と介護福祉士のダブルライセンスを取れるからだという。
そこそこタフな面接にも緊張の色を見せることはなく、私との面談においても、答えにくそうなことを聞いても始終穏やかでお茶目、それなのに礼儀正しさもにじみ出ており、誰もを安心させるような笑顔が印象的だった。
そして内定出しの一番の決め手になったのは、面接官と人事の全員が確信した、多少のことには動じない「ストレス耐性の高さ」だった。
1月末に介護福祉士国家試験、2月上旬に社会福祉士国家試験が行われるので、社会福祉士試験が終わった頃、面談の機会を持った。
「国試、どうでしたか?難しかったでしょう」
彼はいつも通りにこやかに、
「ええ、社会福祉士の対策をしていたら両方落ちるかもしれないと思って、介護福祉士の試験に専念しました。難しかったです。」
……何ですと?
「社会福祉士の国試は?」
「出願しませんでした。対策もしなかったので、受けなくてもいいや、と。」
相変わらずにこやかである。
えーっと。社会福祉士と介護福祉士を両方取るという話は。
「両方取れればよかったですけど、僕には無理だと考えました。」
相変わらずにこやかである。
……そうですか。それはそれは。
いや、ふつう、嘘でも「受けましたけど、たぶん落ちたと思います。」とか言わないか?そこは、正直でなくてもいいと思うんだけど……?
というわけで、彼は介護福祉士の資格を持って入職してきた。
誰もが嫌だなと思う仕事も進んで引き受け、物覚えもよく、サービス利用者である高齢者の皆さんや、面会に来るご家族からの評判も上々。
ところが彼は、新人研修の提出物の〆切を全く守らない。
法人の誰からも怖れられ敬遠されている人材教育担当者が何度叱っても、次回以降も平気で遅れて出してくるどころか、「まだ書いていません。」と、正直に、いつもと同じように、にこやかに答えてしまう。
そして、仕事はきっちりやるのに、また〆切に遅れる。
仕事でも、記録や日報を書くのを怠ったり、忘れたりすることがときどきあった。
やはりフロアリーダーや指導役の先輩に叱られるのだが、彼はどれだけ叱られても、にこやかである。
そして他のことはきっちりとやるのに、また記録を忘れる。
ここでようやくわかった。
彼はストレス耐性が高いのではなく、ストレスをストレスとして認識していないのである。
このようなタイプは、ある意味、向かうところ敵なしである。なにしろ、「ストレスがない」のだから。
先の水たまりの例で言えば、「水たまりがあることがわかっていても、かまわずバシャッと足を踏み入れ、15センチどころか1メートルの冠水であろうと、特に普段と変わらずにそのままいつもの道を歩いて行く人」だったのである。
もしかすると、「水たまりや冠水の存在にすら気がつかない人」なのかもしれない。
いや、「水たまりや冠水の存在をまったく意に介さない人」という、ちょっと想像を超えた範疇にある人かもしれない。
私と人事部長との嘆きの会話。
「ストレス耐性って、あればあるほどいいものなんだと思っていましたけれども、違うんですね。」
「うん、俺も今までそう思っていた。」
彼の名誉のために書いておくと、もとからの人当たりが良くて体力もあり、お年寄りや先輩職員への接し方も上手で、イライラしたそぶりすら見せない(本当にイライラしていないのかもしれない)。
指導方法を転換した結果、彼はあっという間に一人前になり、欠かせない戦力となった。
「ストレス耐性」の高さにも、種類がある
さて、ストレス耐性とは、いったい何なのか。
おそらく多くの人が想像するストレス耐性が高い人とは、時々刻々の状況やストレス源である「圧」を正確に把握して適切な方法を採る(何もしないでやりすごす、あえて我慢してため込むという選択も含めて)。
この人はきっと、災害や事故などの不測の事態であっても、あるいはどのような叱責や非難を受けようとも、たまには気分的に落ち込むことがあっても、ストレスを適切にさばき、これと信じた成功率の高そうなストレス対処行動をとるだろう。
つまり、ストレス耐性が高い、とは、「圧」に対して能動的に行動を選択できる能力のことである。社会人として求められている人材は、こういうタイプのストレス耐性が高い人なのだろうと思う。
もしも、自分がストレス耐性が弱いと思うなら、このタイプを見習い、目指すべきである。
ところがこのタイプは、しばしば、非常に強いストレスがかかっている状態が当たり前になってしまっていて、それにまったく気づいていないことがある。
つい、自分がどこまで、心に抱えた荷物の重さに耐えられるのかを、忘れてしまうのである。そしてあるとき、突然ポキリと折れてしまう。
なまじっかストレス耐性が高いがために、誰にも不可能なことにさえ能動的に取り組もうとして、結果壮絶な敗北を喫して心を病むことがあるのだ。
それに対して、同じストレス耐性が高くても、「ストレスを感じないタイプ」は、何ごとも怖れずひるまず、いつも平常心で能力を存分に発揮でき、どんな困難があってもストレスに悩まされることがないという、上記のストレス耐性の高い人にはない大きな長所がある。
そして、大きな弱点がある。周囲からの刺激やストレス、つまり「圧」がかかっても成長しにくい、悪い言い方をすれば、失敗しても関係ないし、誰の目も気にしない、要は無神経で面の皮が厚い。
こういう人の教育を担当することになると、通常であればまず通用する教育が全く通用せず、ひたすら戸惑い、呆れ、振り回され、疲れる羽目になる。
このタイプを高みに登らせるよう教育するには、大多数の人を教育するメソッドとは違う、なにか別の手を考えなければならない。教育する側の手腕が問われるとも言える。
それでも「ストレス耐性」は、得がたい資質
しかしながら、一般論で言うと、ストレス耐性があることそれ自体は、どちらのタイプであれ、いいことなのだと思う。
このストレス社会を、
「ストレスをさばいて上手に生き延びていける」
「ストレスをストレスと感じずに生き延びていける」
どちらも得がたい資質だ。
特に後者は、頑張ってなろうとしてもまずなれるものではない、ある種の「天才」である。
どちらのタイプであれ、ストレス耐性の高い人は、いずれ社会を牽引する大物になり得る。
そうなるように、職場も、家庭も、社会も、この人たちを社会の宝として大切に育て、前者にはその強さに甘えたりせずにきめの細かいサポートを、後者にはかなり強めの「圧」と咤激励とを与えていくのは、私たち、社会の先輩の役目だと思う。
両者を取り違えてはならない。そこは、絶対に気をつけながら。
(BGM: "after that" by ぼくのりりっくのぼうよみ)