小林秀雄『近代絵画』をどう読むか?
『近代絵画』は、小林秀雄の著作の中でも、飛びぬけて評論らしくないと思った。難解ではあったが、読んでいて楽しかった。推理小説で探偵役の解説を聴いて、感心するような面白さだろうか。評論として読もうとすると、掴みどころがないために、困惑する。しかし、推理ショーだと思えば、面白く読めるだろう。
「ゴーガン」という評論について
特に「ゴーガン」という評論は面白かった。ゴーガンとは、ゴーギャンのことである。最も有名なのは《我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか》であろう。
さて、小林秀雄はこのタイトルに注目した。そして、このタイトルを「ファウスト的」だと評した。
彼の絶作には「私達は何処から来たか、私達は何か、私達は何処に行くか」というファウスト的な題がついている。
――小林秀雄『近代絵画』新潮文庫 p.122
どうしてそういう発想に至ったのだろう? 常人には突飛とも思えるような発想をサラッと書いてしまう。しかも、「そこが気になる!」と感じた箇所は掘り下げられることはない。気づいたときには次の話題に移っている。評論としては読みづらい。この上なく読みづらいが、評論ではないと考えてみれば……?
今更になって言う話でもないだろうが、小林秀雄の評論は何か評論ではないものとして読んだ方が楽しめそうだ。直感の推理ショーだと見なして読んでしまった方が、面白く感じられるに違いない。あれは、小林秀雄の直感の鋭さを楽しむために読むものである。雑技団のパフォーマンスやマジックショーのような楽しみ。そういう風に味わってみるべきだろう。
余談
『近代絵画』に収録されている「ピカソ」は難解だった。読んではみたものの、まだ内容をまとめられる気がしない。
画像について
(1)《我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_-_D%27ou_venons-nous.jpg
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