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佐々木敦『ニッポンの文学』読書メモ02

本シリーズは続きものです。前回はコチラ ▼

第二章 「八〇年代」と作家たち

 第二章では、80年代を代表する純文学作家が取り上げられる。具体的には、村上龍・高橋源一郎・島田雅彦・吉本ばなな(よしもとばなな)・田中康夫の5名である。自分にとっては「代表作しか読んでいない作家」であり、「デビューの経緯は聞き馴染んでいるのだけれども、語れるほどには読んでいない作家」でもある。私が第二章を語るのはとても気まずい。

ちょっとした年表(第二章)

 ということで、最初に第二章に登場する5人の作品(+村上春樹)の年表をまとめてみた。

1976 村上龍「限りなく透明に近いブルー」(『群像』6月号)
1977 村上龍『海の向こうで戦争が始まる』講談社(6月)
1979 村上春樹「風の歌を聴け」(『群像』7月号)
1980 村上春樹「1973年のピンボール」(『群像』3月号)
   村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』上下巻 講談社(10月)
   田中康夫「なんとなく、クリスタル」(『文藝』12月号)
1981 高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」(『群像』12月号)
1982 田中康夫『ブリリアントな午後』河出書房新社(5月)
   村上春樹「羊をめぐる冒険」(『群像』8月号)
1983 島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」(『海燕』6月号)
   島田雅彦「亡命旅行者は叫び呟く」(『海燕』10月号)
1984 田中康夫『たまらなく、アーベイン』中央公論社(4月)
   島田雅彦「夢遊王国のための音楽」(『海燕』6月号)
1985 高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』角川書店(1月)
   島田雅彦「僕は模造人間」(『新潮』2月号)
   村上龍『テニスボーイの憂鬱』集英社(3月)
   村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社(6月)
1986 島田雅彦「ドンナ・アンナ」(『新潮』4月号)
   田中康夫『ファディッシュ考現学』朝日新聞社(6月)
   島田雅彦「未確認飛行物体」(『文學界』11月号)
1987 村上龍『愛と幻想のファシズム』上下巻 講談社(8月)
   村上春樹『ノルウェイの森』上下巻 講談社(9月)
   吉本ばなな「キッチン」(『海燕』11月号)
1989 吉本ばなな『TUGUMI』中央公論社(3月)

『海燕』という文芸誌

 年表を眺めていると、『群像』と『海燕かいえん』が目立つ。『群像』は講談社が発刊している、伝統のある文芸誌(1946~)であり、現在も発行され続けている。

 一方『海燕』は福武書店(現・ベネッセホールディングス)が発刊していた文芸誌で、1982年1月から1996年11月号まで発行されていた。特に、海燕新人文学賞は、吉本ばなな(1987)や小川洋子(1988)、角田光代(1990)といった、現在でも一線級の作家を輩出してきた。また、島田雅彦も『海燕』からデビューしている。80年代の(純)文学シーンを語るうえで、絶対に見逃せない文芸誌であるように思う。

……あのベネッセが小説を発行していたことは、(そのことを知った)今でも意外に感じられる。知識として理解していても、自分にとっては想像もつかない話である。(次回触れることになると思うが)実は、サンリオも海外SF小説を出していた時期がある。本当に出版業界が豊かだった頃は、思いもよらない企業が小説出版に携わっていたのだなあ、というソファーに沈みたくなるような感慨を抱いてしまう。

第三章 「英語」から遠く離れて

「風の歌を聴け」の執筆にあたり、村上春樹は英語で原稿を書き上げたあとに日本語で書き直した、という逸話は有名である。また、村上春樹は多くの作品の翻訳も手掛けている。が、文体に英語の構造やアメリカ文学の雰囲気を取り入れたのは、村上春樹が初めてではない。(と、著者は言う。)

 村上春樹がはからずも挑むことになったのは、いうなれば、「日本語でどうやってアメリカ文学を書くのか?」という難題でした。『風の歌を聴け』は日本語で書かれていましたが、実はアメリカ文学だったのです。そしてその誕生と、その後の春樹の「日本/語」の小説家としての歩みは、英語を日本語に「翻訳」するということに深く結びついていた。このような「英語⇄日本語」による「小説家=翻訳家」というあり方は特殊なものかもしれませんが、村上春樹以前にもいなかったわけではありません。本章の残りを使って、二人の先達を紹介しておきたいと思います。

p.118 筆者太字

 著者はその例として田中小実昌と片岡義男を挙げる。どちらの作家もハードボイルド小説の翻訳を手掛けており、当時の日本の小説には見られなかった独特の文体を翻訳によって獲得したのではないか、ということを指摘する。しかしながら、水石はどちらとも未読であるために、確信をもってその妙味を説明することはできない。多分、本書で直接お確かめいただくのが早いだろう。(何が有名作なのかも知らない。)

余談:冒険小説というジャンル

 今は下火になってしまったが、70年代後半~80年代には冒険小説が流行ったらしい。英米の作品が積極的に翻訳され、日本人作家も冒険小説を精力的に書いていた、というのだ。(第二章・第三章のテーマと重なる。)2024年現在からみれば、にわかには信じがたい。私も船戸与一の作品を何作か読んだ程度で、ほぼ素人同然である。

……と、不用意に「冒険小説」という単語を発してしまったが、自分の中では定義も定かではない。

 冒険小説は、紀行小説でもなければ、ロード・ノベルでもない。冒険小説というのは、『トム・ソーヤーの冒険』や『十五少年漂流記』などを言うのであって、沢木耕太郎の『深夜特急』やジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード(路上)』を冒険小説とは言わないのだろう。どちらかといえば、紀行小説よりもスパイ小説やサスペンスとの親和性が高いジャンルかもしれない。……という感覚まではわかるのだが、これ以上の言語化は難しい。

 純文学でいえば、池澤夏樹の諸作品にも冒険小説的な傾向がみられるように思う(デビューは1984年)。大江健三郎の『キルプの軍団』(1988)も冒険小説的な要素を取り入れているように感じる(が、冒険小説の愛読者は認めないだろうとも思う)。2024年現在ではあまり語られていないが、冒険小説の流行が他ジャンルにどう影響を与えてきたのかを整理するのは面白い試みかもしれない。

 次回は、第四章と第五章、本格・新本格ミステリとSFの歴史について、記していきたい。

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水石鉄二(みずいし)
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