小説探訪記10:年末特番~ツイートするように書く
今回はツイートのような短文で本の感想や所見を述べていく。メモ代わりに。
01.トルストイ『戦争と平和』
新潮文庫版を読んでいる最中。今は第2巻まで。12月24日から読み始めて、1月7日には全4巻を読み終えるつもり。西欧のクリスマスからロシアのクリスマスまでに。
藤田嗣治の『アッツ島玉砕』を鑑賞した後に、この小説を読むと気が引き締まる。
再読するときは、クラウゼヴィッツの『戦争論』を片手に読み直そうかしら。あとはスタンダールの『パルムの僧院』も。
02.斜線堂有紀『恋に至る病』
お察しの通り、タイトルはキェルケゴール『死に至る病』のパロディ。
若い作家の「余生」という言い回しは、19世紀ロシア文学の「余計者」とどこかニュアンスが近いのではないか。宇佐見りん『推し、燃ゆ』でも「余生」という言い回しが印象的に使われていた。
詳細は伏せる。が、『青い蝶』の仕組みは、ロシアで実際にあったサイトに関する事件をモデルにしているかと思われる。
03.アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』
上位存在の異星人に監視され、導かれる人類。この発想はある意味で、落合陽一が描いているような「計算機自然」の世界と似ているのかもしれない。「上位存在の異星人」を「AI」に置き換えれば、まさしく。
本作では世界連邦が構想されている点が画期的に思える。ジョージ・オーウェル『1984』、小松左京『復活の日』などは、作者が抱いている冷戦の構図がしっかりと反映されている。また、最近の作品である劉慈欣『三体』やアンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でも、無意識的に作者のナショナリズムのようなものが透けて見える所がある。田中芳樹『銀河英雄伝説』も明らかに冷戦構造を下敷きにした面があるだろう。
しかし『幼年期の終り』は人類を普遍的に考察している気がする。
04.保坂和志『小説の誕生』
保坂和志の純文学的な小説論。物語ではなく小説を書きたい人のための本かもしれない。小説世界を構成するうえでの疑問について次々と語られていく。
”筋”ではない”何か”で小説に統一性をもたせる。ガルシア=マルケスは、筋ではなく場で『百年の孤独』を小説としてまとめている。セルバンデスは筋ではなく人物で『ドン・キホーテ』をまとめている。
どこに書いてあったのかをパッと発見できなかったのだが、”三島由紀夫や大江健三郎、村上春樹といった作家の小説を、メタファーを意識しながら読解していくというのは、論理的なゲームであり、文学的な読み方とはいえないのではないか?”(意訳)と問われたことにハッとした。自分もそういう知的発見に快楽を感じてきたのかもしれない。
この本を読んでいると小島信夫の小説を読みたくなる。『小銃』の引用箇所は特に面白かった。コアなファンが多いのも納得。
05.グレッグ・イーガンの小説
最近はグレッグ・イーガンの小説を買い込んでいる。読んできたSF小説の中では最もハードかもしれない。
特に『シルトの梯子』はすごい。量子ループ重力理論の先駆けとなるような概念を2002年時点で持ち出して、SF小説に落とし込んでいる。これはまさに天才の仕事。
そうでありながらストーリー展開もしっかりとしているのだから凄まじい。
06.移りゆくサイバーパンクの舞台
最近はサイバーパンクの舞台が、アメリカや日本+香港から、台湾や中国大陸やモンゴル、東南アジアの諸都市に移り変わっている気がする。
パオロ・バチカルビ『ねじまき少女』の舞台もバンコクだし、最近読んでいる日本人作家のSFアンソロジーでも天津やモンゴル、台湾を舞台にしているものもあったし。(これは柴田勝家のSF短編集『アメリカン・ブッダ』などを読むとわかりやすいかも。)
07.科学の知識はSF小説のどこで活きるのか?
SF小説を書く上でどんなニュースが大事になるのか? 設定という面では医療や生命科学、宇宙物理学のニュースが大事になるのだろうと思う。日々の学術的な蓄積では物理学全般や化学全般の知識をまとめて学習する方が、効率よく小説のアイディアを拾っていけるだろう。
一方で、マテリアル・サイエンスを学んだり、ニュースを追いかけたりしたところで、SF小説のアイディアには結びつかなそうである。つまり、それをテーマに小説自体を書けるようにはならなさそうだ。しかしながら、細部に神を宿すには、これらの知識が必要になるだろう。
特に小松左京の『虚無回廊』や劉慈欣の作品群、グレッグ・イーガンの小説では、ガジェットの描写が、材料科学の知識に裏打ちされているように感じるのだ。
そういうわけで、材料科学の知識をSF小説のメインのネタとして用いるのは難しいかと思われる。しかし、細部の描写の精度を決めるのは、こうした分野の知識なのかもしれない。
08.熊本県という文学的な場所
熊本県が舞台になっている小説・ノンフィクションを挙げてみる。
三島由紀夫『奔馬』
森鷗外『阿部一族』
夏目漱石『草枕』
司馬遼太郎『翔ぶが如く』
石牟礼道子『苦界浄土』
村上春樹『騎士団長殺し』
これ以外にももっとあるかもしれない。が、これだけの大作家が熊本に注目したのは何かがあるのかもしれない。(石牟礼道子の場合は、水俣病の告発という目的があったわけだが。)
09.中上健次の面白さ
中上健次はどうしても『岬』や『枯木灘』といった紀州サーガ入門的な小説か、あるいは『十九歳の地図』のような都市の青年を描いた小説が薦められることが多い。
が、個人的には中上健次の対談集やルポの方がけっこうおもしろいのではないか。そう思っている。特に『紀州』と『アメリカ・アメリカ』は本当に面白かった。中上健次のことを知らなくても、内容が面白い。
『紀州』は中上健次が紀伊半島を伊勢から新宮、古座、熊野……さらには色んな場所を旅していくルポルタージュである。ルポである分、小説よりの人々の生活感が直接的に伝わってくる気がする。
『アメリカ・アメリカ』は、前半が中上健次のアメリカ南部紀行となっており、後半は海外の作家との対談集になっている。有名処では、ボブ・マーリーやボルヘスと。また、冷戦時代に埋もれてしまった小説家や詩人とも多く交流している。忘れられた作家を思い出すための不可欠な手掛かりになりそうだ。