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思考の断片集

 エッセイにもならない思考の断片。それを何個か集めて記事にしてみたいと思う。パン屋でもらえるパンの耳のような記事である。油で揚げて砂糖をまぶしてつまんでいってほしい。

最近読んで良かった小説

 安岡章太郎の『宿題』という短編が、ひと昔前の映画(例えば『二十四の瞳』とか)を見ているようで、良かった。主人公が、戦前の小学五年生の頃、夏休みの宿題が終わらなかったことを淡々と振り返る。大まかに言えば(大まかすぎるけれども)そんな話である。

 詳細は別の日に記事にするとして、私はこの主人公にひどく共感した。夏休みの宿題を忘れた(何も手をつけていない)ことを切っ掛けに、(心理の紆余曲折はあれど)主人公は不登校になってしまう。

 私が記事を書く時の気分と同じである。平日に書くnote記事は大体そんな風にして逃げたくなる(笑)。しかし、この少年と違って、私はnoteを書くことを強制されているわけではない。それでも私は、この少年と同じような強迫観念を持ってしまう。

 間があくと忘れられる――気楽にやっているつもりだったが、意外とそのような強迫観念にとらわれている。何だか、そう思ってしまった。

 そういうことだから、この『宿題』という短編はnoteを書く人にとっては、必見の小説であるように思う。

大学の話

 大学の学費は図書館のために払っている――今でも私はそのように信じている。少なくとも、講義に関して、ウン十万、ウン百万も払う価値はない。なぜなら、講義に対してそれほどまでのクオリティを感じないからである。であれば、大学から要求される高い学費は、図書館のために払っている。そんな主張をするためのエッセイを書こうと思っていた。

 もちろん、この主張には根拠がある。

 読書家の皆様は、本の置き場にはよく難儀していることだろう。時に、部屋にスペースがないために、本を泣く泣く売りに出すこともある。と、ここで察しがついた方も多かろう。

 大学の図書館は一種の貸し倉庫(管理付)なのだ。埃をかぶった全集も、ありがたい専門書も、ボッタクリ同然の教科書もみんな収納できる貸し倉庫なのだ。その賃料だと思えば、確かに年間数十万、数百万の賃料が安く思えてくる。そうは思わないだろうか。

 そんな話を延々と続けていこうと思ったのが、下らなく思えてきたのでやめた。ともあれ、大学の図書館は、利用方法が煩雑にならないうちに、しゃぶりつくすように利用しておくべきである。

その内やろうかと思っている三重の小説特集

 三重県は小説にも恵まれている土地である。ちょっとリストにしてみると、これがよくわかる。

泉鏡花『歌行燈』(桑名)
三島由紀夫『潮騒』(神島・鳥羽市)
梶井基次郎『城のある町にて』(松阪)
坂口安吾『桜の森の満開の下』(鈴鹿)
江戸川乱歩『パノラマ島奇譚』(鳥羽)
※作者不詳『伊勢物語』(伊勢)等々

 第一級の文豪たちが三重のことを書いている。こうなる前に、もっと三重を巡っておけば良かった。


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