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わたしのレッスンノート*自分のつかい方*

・今日のおはなし

わたしの中心から〜
“今ここ”を活きる。

アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。

“自分のつかい方”って何ぞや
とお思いかと察します。

アレクサンダー・テクニークの創始者、
F.M.アレクサンダー氏(1869〜1955)は、シェイクスピア劇を朗誦する仕事をしていました。ところが、舞台でのどが枯れて声がかすれ、ほとんど話せなくなってしまいました。
原因を突き止めるため、自分自身を観察すると、「セリフを言おう」(doing)した瞬間に力が入り、首や背骨が縮まり、声帯を圧迫していることに気づきました。

「セリフを言おう」(doing)という「思い」(mind)がキッカケとなって、力が入ってしまうことに気づいたアレクサンダー氏は、その「思い」(mind)からいったんハナれることにしました。(un-doing)

「思い」(mind)にジャマされず、本来の自然な動きをとり戻したアレクサンダー氏は、練習を重ね、のどを枯らさずに、セリフを言えるようになってきました。(non-doing)

こうして、アレクサンダー氏が
自分自身を観察しつづけて
発見した過程を自ら描いています。

その発見とは
プライマリー・コントロール
(初源的協調作用・統合機能)です。

これこそが、私がテクニークを自分自身で学ぶ際に、最重要項として強調しているものななのです。〜中略〜

私が受ける感覚による、自動的な案内に頼る代わりに、意識的なプライマリー・コントロールによる案内を使えば、
無事に「理想主義的な理論から実践・実用への道」へ行けるのが分かるでしょう。

「自分のつかい方」F.M.アレクサンダー
より引用

わたしは、アレクサンダー・テクニークが
決して「からだのつかい方」ではなく、
「自分のつかい方」にあるのは

プライマリー・コントロールによるものと
レッスンやトレーニングから
実践しつづけて、体感することによって
腑に落ちたことです。

それまでは、人へ伝えるときにも
「からだのつかい方」と混同するような伝え方もしたし、その頃は自身も混同していたように思います。^^;

わたしの“部分”を意識し過ごすのではなく、
わたしの“全体”プライマリー・コントロールから、過ごすことによって〜

わたしの刺激に対しての
反応・習慣・思い込み…がみえてきます。

それらをよしあしで判断(ジャッジ)することなく、または自動的に反応し続けるでもなく〜

ああ、こう反応しちゃうんだなあ

と気づいては、やめていく〜

そしてまた、プライマリー・コントロール
で在り続ける。

この行ったり来たりのくり返し〜

ただ、実践をくり返していくことなのだけど、わたしは反応・習慣や思い込みを
知らずしらずに否定していて、葛藤したり、しんどくなったりと紆余曲折でした〜。。。


しかし、気づきがふえることで、
プライマリー・コントロールで在り続けることで、自身を俯瞰してみられるようになります。

そこには、ジャッジや否定も反省もない。

ただ、事実があるだけ。


恩師のユズルさんのいう

・自分で自分のジャマをしない
・自分で自分のめんどうをみる

という“ことば”が
やっっっとこ、からだを通して(腑に落ちて)分かってきたように思います。

ただ、それを選ぶだけ。

もちろん、選ばなくてもよくて
自由なんだけど、そうしたくなる。

行ったり来たりから〜

在り続けるように。


2022/7/18,mayumi@kyoto

ひつようなひとにもとどきますように :)





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