心まで自粛するんじゃない
新型肺炎による緊急事態宣言が発令されて2週間、不急の外出を控える日々の中で、様々な支障が出てくるようになった。
ざっと考えてみても
・3歳長女の遊ぶ場所がほぼ家
・0歳次女が成長して動き出す
・夜勤(真夜中の授乳)があるのに昼寝ができない
・夫の在宅勤務がわりと激務
・自分の時間は無い
・それでも腹は減る
などである。
〜寝てばかりだった次女が、ついに這う姿勢をみせた〜
子どもたちの成長は大変ありがたいのだけど、今はもう少しゆっくりでもいいよ...と思ってしまう。結局、近所に秘境の公園などないのだから。
息抜きは買い物くらいで、無駄に遠回りしてもそんなには時間はつぶせない。長女を連れて出るのも買い物くらいなので、目が離せず、どちらかというと気を使う。
閉塞感に押しつぶされそうになりながらも、考える。そういえば、最近ご褒美のチョコレートを買ってなかったな。もう妊婦でもないのに、なんでこんな状況で、甘いものを我慢していたんだろう。心まで自粛してどうするんだ。そうだ、思い切り好きなものを買って食べてみよう。
「エネルギーチャージします」と夫に告げて、一人で買い物に行った。
いつもの道の、散り際の桜から新緑の葉っぱが出ていた。もうそんな季節なのだ。
チキンとトマトのハンバーガーとフライドポテト、それから炭酸水を買って、三密を避け、吹きさらしのベンチに座る。大好きなチョコレートも買った。野外で換気は問題ないが、新緑の季節の風はまだ冷たくて、長居できそうにない。お尻は冷えたが、エネルギーを溜めるには十分だった。
不安を思うとキリがないけど、わたしは今、生きている。それだけでいいんじゃないか。そう思えるようなことが実は、現実に起きていた。
数日前から、うちのマンションで火事の誤報騒ぎが相次いだ。火災報知器は鳴ってないのに、消防車が集まってくる。誰かがいたずらで通報しているらしい。警官に聞くと「こんなご時世ですから」と苦笑いする。乳幼児を抱えているわたしには心臓に悪いいたずらだ。
二度目の誤報の時は、またか、と頭にきたが、「避難訓練にしよう」と前向きに捉えて、わたしたちだけ避難してみた。火事になって逃げる時はこんな感じ、とリアルにイメージが出来て良かった。何てったって、本物の消防車が来ている。
子連れの避難は時間がかかる。逃げ遅れる人が多いのもそのせいだろう。「急いで靴を履いて!」とふだんより強めに言っても、長女は鼻歌をうたいながら踊っていた。火事のときは抱えて逃げるしかないと悟った。
夫が次女を抱っこ紐で抱き、サイフ以外は何も持たず、わたしは、サイフと次女のミルクとオムツ、2人の着替えの入ったカバンひとつだけしか持てなかったが、長女はちゃっかりとカメラを持って出て、消防車を見て、喜んでシャッターをおしていた。(長女の推しは消防車である)
しかし、これが本当の火事だったら。
そう考えると恐ろしい。失うものが多過ぎる。
今は世界的に緊急事態で、自粛の状況ではあるけど、わたしは何も失っていないことに気づく。たしかに仕事がなくて収入もない名ばかりフォトグラファーだけど、カメラもレンズもライトも使える状態で目の前にある。だとすれば、何を悲観するというのだろう。
今、出来ることに集中しよう、生きているだけでラッキーだ。
生きていれば、またゼロからでもやり直せる。閉塞感に押しつぶされそうになっても、ひとつくらいは面白いことを見つけて、また後でネタにでもすればいい。
わたしは部屋のなかで、Nikon Z6を構えた。レンズは85mm f1.8S。部屋で撮るには画角がせまいが、この組み合わせが好きだ。
目の前にいる次女が、うつぶせの状態で顔を上げられるようになったので、それを撮ろう!
即席ベビーベッドスタジオを用意する。
ベビーベッドの後ろにはタンスがあって背景が暗くなるので、タンスの前に白布を入れた。ライトは半逆光側( profoto A1)と半順光側( profoto C1 plus) の2灯をセット。バウンスさせようにも部屋がせまいので、半逆光ライトは布団でバウンスすることにした。
この撮影の工程で不思議なくらい元気になった。エネルギーチャージは家でも出来たのか!
そして、間違い探しのように連写した。
これでいいのだ。