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*解釈する*

・以前のnoteつづき

今、通っている
アレクサンダー・テクニークの
トレーニングクラスにて

中尾ハジメさん(片桐ユズル弟、元・京都精華大学学長)と対話するクラスに出席しました。

英語の単語それぞれの意味がわかっていても、ひとつの文章という「全体」あるいは「まとまり」が提示されるか、想定されるかしなければ、単語の組み合わせによって生成する意味には到達できません。やはり、その全体像が提示される、あるいは想定されるステップが不可欠でしょう。つまり、ここには「全体はたんなる部分の合計ではない」という原理が働いています。

中尾ハジメさんのお話より

ああ、そうゆうことかあ!

わたしは「解釈」など(習慣や思い込み)は
自動的に入っちゃうものだから、
なるべく「意味づけ」しないで

「ありのままを受けとる」(事実をみる)

というのを意識的にしてきました。なので、
ハジメさんが「解釈をする」と言うことに
対して、初めは抵抗があったのだけれど、、、。

部分は部分であって
全体ではない。
部分は全体の一部。

片桐ユズル語録

ハジメさんのいう「解釈する」とは
こういうことかあ。と辿り着いたのでした。

意味がわかるというのは、Gestalt心理学に従って、何らかの「まとまり」を認識することを指していることもできるでしょう。
「全体像」あるいは「有意性」という図式です。そしてまた、所与の事象にどういう意味があるかを“想定する”思考過程を指して、
「解釈」という言葉を使うことにします。もちろん”想定“はいつも適切であるとはかぎりません。適切でないことがわかる場合には、ただちに再「解釈」の過程がはじまるでしょう。そして、もちろん、その再解釈も通用しないという場合もあり、自分にはわからないと断念することもあるはずです。

人が話すことは、時間軸に沿って展開されることなので、聞き手はつねに何らかの意味を聞きとろうとする状態にあると考えられないでしょうか。つまり「解釈へのReadiness」と言うべきものがあり、話の進行にしたがって、ひとつの解釈からまた別の解釈へ、あるいはより広く深い解釈へなどと、意識は自在に動き続けるという考えです。想定通りの話の展開にある種の居心地のよさを感じることもあれば、意外な展開に面白さを感じたりすることもあるので、やはり自分が話を聞きながら、常時、解釈を繰り返していることを仮定できると思います。解釈の生成(修正改定を含む)の過程を言語化することは容易ではありませんが、話すことが何語で行われる場合でも、解釈の生成過程には、ひとつの言語から別の言語への、一般に「翻訳」呼ばれるものに類似する側面があるようにも考えられます。

中尾ハジメさんのお話より

そこで気をつけたいのは

初めから「解釈」を加えないようにしたい。モノゴトを歪めたまま進んでしまうから。

ありのままを受けとる(事実をみる)

ことから「解釈をする」ことで、初めて
「全体像」が浮かび上がってきます。🍃

英語でいうと「直訳」を「解釈」しながら
よみとっていく感じです。

2024/9/12/mayumi@kyoto




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