「運命」 交響曲と宇宙とヌーソロジー(ペンターブシステム)または燃える炎と焼き肉の話。
11月月末より忙しなく働いているが、数年ぶりにぼくが住む町の市民オースケストラの公演が開催されたので気分転換に行ってきた。
(勿論、今回のバックグラウンドミュージックはこちらで💫♪)
曲目はヴェートーベン交響曲第5番『運命』、メンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲、エルガーの『ニムロッド』だ。
前日、仕事が終わってから家の掃除を済ませ、休みの日曜日は家事を何もしなくていいようにした。午前中はヨガをしたりだらだらと寝っ転がって過ごす。
近くのスーパーでマグロ丼とネギトロ巻きを買って昼飯を済ませ、いざ、出陣だ。
メンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲、ヴェートーベン交響曲第5番『運命』、この構成は2021年の冬に鹿児島市宝山ホールで鑑賞した日本フィルのコンサートと同じではないか!
ぼくはふと気づきブルブルッと震えた。
この時の日本フィルのサブタイトルが《ともし続けよう音楽の灯火》だったからだ。
鹿屋市民オーケストラはコロナ禍に入った年、メンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲とヴェートーベン交響曲第3番『英雄』でコンサートを企画していたが延期延期中止となって漸くの開催なのだ。
英雄から運命に変えてこの時の日本フィルと同じ構成にするということは、このともし続けよう音楽の灯火という気持に対するレスポンスなのだろうか?意図したものなのか偶然なのかはぼくにはわからなかったが、ぼくの気持ちは否応なしに昂っていった。
(↓日本フィルを見た時の記事♪)
演奏が始まり身を委ねる。
厳かな雰囲気のエニグマ。
この曲のソリストがわが町に居るのかと誇りに思えるメンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲が終わりジャジャジャジャーンと運命が幕を開ける。
市民オーケストラは漸くほぐれてきたのか演奏により纏まりが出てくる。
第三楽章、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの中低音弦楽器とヴァイオリンの高音が見事な対比を生み出す。
第四楽章、音の強弱がハッキリとしてくる。
音は自我と他我の壁を超えて次元の壁も超えていく。
拡大と収縮、巻き込みと噴き出し。
音は無意識の世界から吹き出してきて
また、無意識の世界へと巻き込まれて戻っていく。
そして、その後やってくる壮大なメロディ。
個としての人間を超えたとてつもなく大きな存在。交響曲には宇宙が、宇宙の生成と営みが表現されていた。
ふと、ぼくの頭に今学び中のヌーソロジーの図像が浮かんてくる。
重心から負荷がかかり
負荷から反映が生まれ
負荷と反映は対化となり
対化が回転して等化
等化が中和されて
また新たな対化を生み出し
球空間を創り出す。
🌟 🌟 🌟 🌟 🌟
もっと宇宙的なやつも🌟
💫 💫 💫 💫 💫 💫 💫
音とともにエレメントは空間を駆け抜ける。
空間はわたし自身だ。幾何学形となったわたし自身。
そして周りの聴衆、演者たちも同様に空間なのだ。空間と空間が音によって境を無くしていく。
興奮と絶頂の最中、万雷の拍手。
指揮者の礼によって公演は終了した。
また音が結んだ空間同士は分離してそれぞれの帰途へと戻る。
それぞれの家路。
それぞれの家族。生活。
人類の1年の対化を終えて今年もまもなく終わろうとしている。
芸術、アート、殊に音楽というものは宇宙の生成を限定的ではあるが一体感を味わいやすい。
しかし、ぼく自身もあなたもそれを取り囲む多数の物質も音楽がなくとも宇宙の生成や一体感を感じられるものなんだよなと、思いつつ家の扉を開けた。
番外編🐷🐮
勤め先の慰労会で焼き肉を食べた。
燃え盛る炎。
次から次へと来る皿に乗った肉と野菜。
豚肉も牛肉も素粒子から生成されて
この物質世界へと誕生する。
複数の他者が炭火焼の焜炉を囲み
矢継ぎ早次に運ばれてくる食材を必死に食べる。
火力がとても強いのだ。
火がとても強すぎて素粒子だ、自己と他者、
複数の他者だと考えてる暇もない。
2時間のコースがアイスクリームを食べ終わるまで賞味1時間ほど。
肉は良質だがテーブルに置ききれないのに次から次へと皿を持ってくるサービスがおかしい。。。
と、クレームはおいておいて
大変美味しゅうございました✨
生命に感謝!
あと今年も2週間ほど!
地獄の連続6連勤も来週まで!!
目を閉じると昼間でも意識が飛びそう〜😪
フンガー!と、頑張るしかない〜!!(*´Д`)
音楽と宇宙と焼き肉な休日でした♪♪
ご一読ありがとうございました🐷🐮
ナマステ✨( ˘ω˘)クソネミ