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#268 カメラにハマった瞬間。

 買ったは良いものの仕事で全く使い物にならなかった僕のプロジェクターがホームシアター用として火を吹きそうです。

 撮って出し。

撮って出しよ。

 正直撮って出しを甘くみていた。Luminar Neoを購入して現像を手に入れた僕は、編集できるからとりあえず撮っとけば大丈夫精神だった。

 気づいた。

 撮って出しの素材が良ければもっといい写真になる。

 ごりごりに編集をかけると素材がざらついたり、頑張っても色味が表現できなかったりする。今のところ独学で感覚任せにやっているから、もしかしたらもっと良いやり方があって解決できるのかもしれないけど。

 でも撮るタイミングで設定をしっかり決めておいた方が、色編集も負荷かけずにできるし、なにより手軽。

 視えているもの。

 あっち向きの逆光がいいと言われて撮った。

僕が撮ったもの。

 確かにと思ってすぐシャッターを切ったものがこちら。人影がシルエットになっていい感じだと思った。

 自分では撮ったこともないようなエモい写真が撮れてホクホクしながら先生に見せた。

 先生も自分が撮ったものを見せてくれた。


先生が撮ったものを真似て撮ったもの。

 驚いた。

 そっちか。

 逆光がいいと言われて、すぐ目についたのは被写体のシルエットだったが先生は違かった。影が伸びているところに逆光の光が差し込んでいることにフォーカスしていた。

 これだから表現は面白い。

 人によって全然見ているところが違うのだ。これはどちらが正しいということではなく、視えているものの違い。正直、表現の世界に正解なんてものはないと思う。あるのは自分が表現したいことを出力する熱狂だ。

 先生のこの写真を見た時のインパクトは忘れられない。

 僕が写真にハマった瞬間だった。

 技術がそこまで重要にならなくなった時代。

 スマホでもカメラでもなんでもいいが、昨今シャッターを切ってうつらないことが多発したことはあるだろうか。

 多くの方がないと答えるであろう。

 製造技術の進歩によって、カメラの性能が上がってきて、誰でもシャッターを切れば大抵のものは写る時代になっている。

 フィルムカメラのような写すことに対する難しさは減っていると思う。

 ある意味、技術が重要にならなくなっている。

 でも上手な写真と下手な写真ってあるよね。

 撮れた写真を見て「なんか違うなぁ」って思ったことがある人は多いと思う。「写真撮るの下手なんだよね」って言う人もいると思う。

 前まで写るだけですごかったのに。

 やっぱり技術は必要。自分が感じたように表現を出力する技術が必要になったんだ。

 写すための苦労を排除してくれたカメラのメーカーさんには本当に感謝だ。僕たちは写らないことに悩むことなく表現に仕方で悩めるのだから。

 つまり僕はこの世界をこうキリトルって表現できるのだ。

 めちゃめちゃいい時代だ。

 だから視えているもの。

 改めて先生と僕のフォーカスの違いの話。

 極論、僕は今からでもカメラマンになれる。(カメラに写真を写す技術を持っている人をカメラマンと呼ぶなら。)

 今までは確実に写すという技術が絶対条件だった。今はそれをカメラが担ってくれる。

 これからはカメラで写真が写るのは大前提。
 何をキリトルか、いつキリトルか、どうやってキリトルかが問われていくんだろう。いわば写真家だ。

 そうなるとあとは僕がキリトリたい世界を表現するための技術を身につければいい。それを追求した先にファンがつく。

 これが面白くないわけない。 

 1番ワクワクしている。やっぱり僕はついている。カメラをじいちゃんから譲ってもらって、写真がこんなにハマれるって気づけたのだから。たまらん。

 言語化できなくていい。なんとなくでいい。

 なんか良いよね。

 そう言われる写真家になる。

 おしまい。

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