【ヒモ男シリーズ(最終話)】さすらいのヒモ男・後編
おじさんの葬式から2週間経った週末に、東京でのSMクラブのバイトで俺の家に泊まるはずだったユリが、ルリと同じはやり病にかかり、治るまで自宅謹慎との連絡があったぜ。
ユリのいない穴埋めをどうすっかなとため息をついた時、空いてるときにいつでも連絡をくれと言っていた馴染み客のキュウ子のことを思い出し、早速連絡したぜ。
土曜の夜に指定されたホテルのロビーでキュウ子と落ち合い、なぜかいつもより多めの金を渡され、一緒に予約済みの部屋へ行くと、キュウ子の夫もいて、何をされるかと身構えたら、いつもお世話になってますなんてすこぶる丁寧に礼を言われたぜ。目の前で妻を抱いてくれと懇願され、すでに金ももらっている手前、言われるままにキュウ子を満足させると、禿げ頭の下のつやつやした頬をほてらせた夫が、
「妻を寝取られるのが最高の興奮で……いや、まいった。さすがヒモ男さんはプロだなあ、またお願いできますよね?」
などと笑顔で俺を送り出したぜ。その後2人が何をしたかは知らないが、とんだ変態夫婦のダシにされて、俺なにやってんだろと、頭の中で何かがプチッと切れた音がしたぜ。
次の日は快晴で、この季節にしては珍しいほどに涼しい最高の日曜日だぜ。本当ならユリと一緒に目覚めていたはずなんだよな……と、ユリのいるはずだった場所のシーツを撫でたぜ。
昼下がり、俺はバイクにまたがり、行く先を定めずに出発したぜ。バイクでなら、すぐに世界のどこへでも行けるんじゃないかと思うぜ。高校のときは、自転車で日本中どこへでも行ける気がしたぜ。
海に出たぜ。海沿いの高速道路をひたすら走ったぜ。途中パーキングに何度か寄り、夕方には名古屋に着いたぜ。駅に近いカプセルホテルに泊まり、翌日は紀伊半島を南下したぜ。伊勢神宮に参拝後、昼飯を食っている間に、今後の仕事の予定を全てキャンセルしたぜ。電話をかけてくる女たちもいたが、ことごとく無視して走り続けたぜ。
海岸沿いをぐるりと回り、夕景の神島を眺め、和歌山で1泊後、高野山を訪ね、弘法大師との対面を果たしたぜ。北上して神戸のビジネスホテルで体を休め、次の日は淡路島を抜けて讃岐に入り、崇徳院ゆかりの地で、塚に供えてあった花に地元民の愛を知り、龍馬像とともに太平洋を手中におさめ、フェリーで大分へ渡り、湯布院の温泉宿で旅の疲れを癒したぜ。
阿蘇、高千穂で全身の細胞を入れ替え、雲に見紛う桜島の噴煙を浴び、西郷隆盛終焉の地にゴルゴダの丘を重ね、天草から立ちのぼる光の柱を見たぜ。九州を巡っている間、大雨に降られ、2泊の足止めを余儀なくされたが、駆け抜けてきた体にはちょうどいい骨休めになったぜ。
太宰府で菅原道真と無念さを共有し、壇ノ浦で手を合わせると、思いは一気に奥州平泉へ飛んだぜ。厳島神社、出雲大社に参拝、砂丘を横目に、大阪、京都をひた走り、名古屋に戻ると、ダブリュ子から来週の週末に花火大会があるから来ないかと誘いの電話を受けたぜ。旅に出ているから無理と言うと、宿と食う物に困らないようにといつもより多く振り込んでくれたぜ。
北東へ渡り、諏訪大社で古代の気を吹き込まれ、潜在意識が幅を利かせている状態で眠りについたら、斎服姿のユリの父親が現れ、言葉なく俺をどこかへ導いてゆくぜ。その姿を追っていると、目の前に現れた観音開きの赤い扉が開き、中の暗闇の中央には、スポットライトを浴びた女王様姿のユリの母親のナデシコ子がいて、椅子に座って足を組んでいるぜ。
「男は結婚に現状維持を求め、女はより良い変化を望む。でもその反対があってもいいと思わない?」
と、いつもの色っぽい声で俺に語りかけたぜ。隣に並んでいたユリの父親が深く一礼したので俺も従い、顔を上げると、ナデシコ子はユリに変わっていて、ほほ笑みを交わしたところで、何ともふわふわした気分で目が覚めたぜ。寝ぼけ眼で枕元のケータイを確認すると、「治った!」とユリから数分前にメッセージが入っていたぜ。俺はむくっと上体を起こし、発作的にユリに電話をかけていたぜ。
「あ、俺だけど、今電話大丈夫?」
──うん。やっと治ったよ。
「よかった……あのさぁ……結婚しよ」
──えっ!? ヒモ男くん……いいの?
「うん……てか、ユリは俺でいい?」
──……当たり前じゃん。
「今からそっち行くわ。結構近いから」
──そうなの?……うん、待ってるね」
その日の昼前にユリの神社に着き両親に報告、一緒に昼飯を囲み、ユリを連れて俺の実家にも顔を出し、生後半年のイト子のパワーが充満している空間で、母ちゃん、姉ちゃん、ばあちゃんに結婚のことを告げると、母ちゃんはよかったと言いながら涙を流したぜ。バイクは置いておき、ボロい軽自動車に母ちゃんとユリを乗せ、また神社へ戻り、親同士は喜び合い、俺が構わないならすぐにでもということになり、皆で軽く今後のことを話し合ったぜ。
その日の夜は姉ちゃんに言われるままにイト子の面倒を見ながら実家に泊まり、次の日にまたユリを訪ねたぜ。とりあえず古い離れに住み、もし子どもが生まれたらきっと家中めちゃくちゃにされるから、建て替えるなら子どもが大きくなってからの方がいいということになったぜ。
話が済んでからユリをバイクの後ろに乗せ、いろいろ巡ってデートをし、ホテルで休憩の後ユリを送り、俺は深夜に東京へ戻ってきたぜ。
次の日からの引っ越しの準備が順調に進んだので、最後の挨拶をかねて、花火大会の日にダブリュ子の家に行くことにしたぜ。電話で行くことを告げ、ケータイをテーブルに置いた瞬間、デイ子から「土曜日空いてたらまたシッター頼める?」とメッセージが来たぜ。ちょうど花火大会の日だったので「ごめん、先約がある。あと俺結婚するからこの仕事やめる」と返信したら、すかさずデイ子から電話がかかってきたぜ。
──ちょっと、ヒモ男、結婚するの?
「うん、地元の同級生と」
──えー、びっくりなんだけど。付き合ってたの?
「うん、まあ」
──どこに住むの?
「地元だよ。今引っ越しの準備中」
──そうなんだ……私たちももうすぐ日本を離れるの。
「マジで? どこ?」
──シンガポール。夫の転勤でね。子どもたちも大きくなってきたから、もう付いて行っても大丈夫かなって。っていうか、私がやっと東京を離れる決心がついた、の方が正しいかな」
「そっか……楽しんで」
──うん。
「……んでさ、バイクどうする?」
──えっ? 今さら? もうあげたものだと思ってるけど。そのまま使ってよ。結婚祝いってことで。
「ありがと」
──ヒモ男さあ、きっといい父親になるよ。
「そうかな」
──うちの子どもたちで練習済みでしょ?
「はは、確かに」
──元気でね。
「そっちも」
電話を切ると、ふと父ちゃんの顔が浮かんだが、報告したらまたエム美さんに金を使わせるだけだと思い、何かついでがあるときに軽く言い添えればいいやと、特に連絡もしなかったぜ。
花火大会の日、まだ日のあるうちにダブリュ子の家に着くと、ダブリュ子は以前言っていたように、薪で風呂を焚いてくれていたぜ。早速入らせてもらうと、お湯の柔らかさに驚いたぜ。
──禊ぎ
という言葉が全身を洗い流したぜ。
「ほら、これ着な。親方の浴衣をあんたに合うように仕立て直しておいたよ」
薄藍の袖に腕を通し、ベージュの帯を締めると、さらっとして、湯上がりのほてった体を粋に包んでくれるぜ。
ダブリュ子が蕎麦と天ぷらを用意している間、俺は名残惜しい気持ちで夕焼けに身を委ねる庭を眺め、縁側で涼んでいたぜ。
蕎麦を食い始めて間も無く、引き延ばしていてもいずれは言わなくてはならないことなので、
「俺結婚することになった」
と、思い切って切り出したぜ。ダブリュ子は手も口も止め、目をまん丸にして、5秒ほど経ってから口元に笑みを浮かべだぜ。
「そうかい、相手はどんな子だい?」
「地元の神社のひとり娘。婿入りして神社継ぐ」
「ひゃー、たまげた! そうかい、あー、そう! ははは! いやあね、あんたにこれ以上ないくらいのぴったりの仕事だと思ってさ」
「そう?」
「そうだよ、あんたは開かれた男だからさ」
「えっ? 開かれた男?」
「こんな婆さんのもの好きに付き合える若い男なんて、そうはいないからね」
俺は苦笑いしたぜ。
「それにね、なんと言っても軽やかだ。そう、軽やかなんだよ、あんたは。凝り固まった人間が神様からのお役目を担えると思うかい?」
俺は少し笑って首を傾げたぜ。
「いやあ、目出度いじゃないか。今日はお祝いだ。お酒飲むかい?」
「いや、バイク」
「ほら見ろ、電車で来いって言ったのに。じゃあ泊まって行きなよ」
「いや……俺もう人夫になるから、遠慮するわ」
「ははは! 笑わせるねえ! 北極から南極に瞬間移動でもしたような変わりようじゃないか」
談笑していたら、花火の轟きがテーブルの上の食器を震わせたぜ。
「始まったね」
食べ終わったので縁側へ移動し、ダブリュ子は後から冷茶を持ってきて、並んで腰掛けたぜ。近くの河川敷で打ち上がる豪華な花火を見上げながらの話も尽きてきたころ、ひときわ大きな枝垂れ柳のような花火が上がり、長いこと明るいので、チラとダブリュ子の方を見やると、ダブリュ子の頬に涙が伝っていたぜ。俺は心を打たれたぜ。なんとなく見覚えのあるような光景だと思ったが、それが何だったのか、なかなか思い出せねえぜ。そして、盗み見たのを気取られないよう、ゆっくりと目を離したぜ。
花火が終わり、着替えて帰り支度をしていると、
「これはお前さんにやるよ」
とダブリュ子が言い、俺が今着ていた浴衣が入った紙袋を渡してきたぜ。
「えっ……いいの?」
ダブリュ子はうんうんと頷きながら俺を送り出し、ゆっくりと2人で歩きながらバイクのそばまで来て、しばしの間向かい合ったぜ。
「俺なにも返せてない」
「生きてさえいりゃいいんだよ」
その言葉を聞いた直後、俺の体は小柄なダブリュ子を強く抱きしめていたぜ。ダブリュ子が鼻を啜りながら体を震わせているのを愛おしく感じたぜ。
「……じゃあ」
ダブリュ子と見つめ合ってから、俺はバイクにまたがり、すぐに発進させ、サイドミラーの中で小さくなってゆくダブリュ子の姿を、可能な限り目で追っていたぜ。
*
俺が諸用を終えて昼過ぎに神社に帰ってくると、反対側の鳥居の方に、小さな男の子を連れた女が、境内から出て行こうとするのが見えたぜ。その姿に何となく見覚えを感じ、社務所にいるユリに、
「今来てたの誰?」
と尋ねたぜ。
「知らない、多分都会の人。すごく綺麗な人だったよ。2歳くらいの男の子連れて、半年くらいの赤ちゃん抱っこしてた。縁結びのお守り買っていったけど」
「ふうん」
1年で1番長い昼を持て余し気味だったその日の夕方、俺が境内を見回っていると、駐車場にジゴ郎の車が停まったのが見えたぜ。注文した酒はこの前届けてくれたから何の用だろうと思っていたら、昼過ぎに見かけた女とその子どもたちも車から一緒に降りてきて、俺の元へ近づいて来たとき、まさかと目を疑ったぜ。
「えっ? エフ子!? は? ジゴ郎、お前が同棲してた女ってもしかして……」
「そう、私よ」
ジゴ郎もエフ子も俺の反応を面白がりながら目の前で止まったぜ。ジゴ郎は赤ん坊を抱っこし、エフ子は男の子と手を繋いでいるぜ。
「ヒモ男の神主姿、ハマりすぎて笑っちゃう。まさか、さっき偶然寄った神社の神主になってたなんて」
「いやいや、えっ? ちょっ……、待って、前にエフ子が俺にメールくれたよな?『ジゴ郎くんってどうしてる?』って……」
「探りを入れさせてもらったのよ。下の子を妊娠中に。この人、エフ之介が7か月のときに出て行ったきりで、妊娠したことも知らなかったんだから。ヒモ男から実家継いでるって聞いて、やっと今日訪ねてみたの。晴れて父と子のご対面ってわけ」
「マジか……俺って鈍感なのかな」
「おとーたん、ドンカン」
そう言いながら、俺の足に2歳のヒモ壱がまとわりついて来たぜ。ジゴ郎とエフ子は笑っているぜ。
「エフ之介と同じくらいの歳ね」
ヒモ壱とエフ之介が楽しそうに追いかけっこを始めたぜ。
「赤ちゃんのお名前は何て言うんですか?」
ユリも俺の隣にやって来て尋ねたぜ。
「ジゴ之丞よ」
ジゴ郎が弾みをつけてあやすと、ジゴ之丞がキャッキャと喜ぶぜ。
「エフ子たちがこっちに住んで、うちの酒蔵で働くことになった」
とジゴ郎が言うと、
「さっきご両親とお話したの。そうしたら、海外事業を拡大する予定だから、是非とも力になって欲しいって」
「そっか、すげえ、よかったじゃん。エフ子、英語ペラペラだもんな」
「でさあ、ヒモ男、ここで結婚式挙げさせてもらえっかな?」
そうジゴ郎が言い終わらないうちに、エフ子はほほ笑みながら、手に持った縁結びのお守りを自分の頬の横に掲げたぜ。俺とユリは顔を見合わせ、
「もちろん!」
と答えたぜ。
*
ユリに続き、俺も通信教育で神職の資格を無事に取得したので、ユリと母親のナデシ子は久しぶりに東京へ1泊の予定でSMクラブのバイトに出かけたぜ。さっきまで6歳のヒモ壱の上に馬乗りになって遊んでいた3つ下の妹のアヤメは、姉ちゃんがイト子と遊ばせるから借りると言って連れ去るように車に乗せていったぜ。きっと明日、迎えに来るようにと催促の電話が来るはずだぜ。
暇さえあれば虫を獲ったり昆虫図鑑を眺めたりしているヒモ壱は、アヤメがいなくて張り合いがないせいか、本を枕に寝入っちまったぜ。ヒモ壱を子ども部屋へ連れてから戻ってくると、
「ヒモ……寝た……き……い……き……かい?」
と、玄関の引き戸を開けて入って来た斎服姿のお義父さんが、いつものように聞こえるか聞こえないかの声で言ったので、
「はい?」
と聞き返しても繰り返すだけで声のボリュームが大きくなる訳ではないので、急いでそばに寄り、耳を近づけたぜ。
「ヒモ壱くんが寝たら、着替えて一緒に来てくれるかい?」
「あ、はい、今行きます」
何かただならぬことが起こるような予感を抱きながら、お義父さんと同じく上下白に身を包み、冠を被り、後を追ってゆくこの光景は、いつか見た夢と重なったぜ。カンテラを持ったお義父さんは本堂の裏へ回り、今まで入ったことのない蔵の鍵を開けたぜ。扉を開くと、また数歩先に赤い扉があり、手前の台にカンテラを置いてから錠前を外したぜ。お義父さんがゆっくりと開くと、こざっぱりとした小さな木彫りの像が現れたぜ。よく目を凝らすと、女の神が馬に乗り、鞭を頭上に掲げているぜ。その全体を把握した瞬間、体中に電撃が走り、ああ、この神様に仕えるために俺は生まれてきたんだと、突如涙が溢れ出したぜ。はっとして横に並ぶお義父さんに目をやると、お義父さんの頬にも光の筋が流れているぜ。
「この神様は宇真乃利速掛比売命と言ってね、須佐之男命の双子の妹と言われてるんだね。木曽義仲の供をした巴御前が信仰していたため広まったと伝えられていて、大力で有名な高島の大井子の家にも祀られていたと言われているね。武芸に秀でた才色兼備の大田垣蓮月も、子どもや夫が次々と早世して天涯孤独になっても、この神様に深く帰依していたから、80を越えるまで生き永らえたと言われているんだね」
お義父さんの蚊の鳴くような声をひと言も聞き漏らすまいと、気づいたときには、俺の体は数字の7のごとくに曲がり、耳はお義父さんの口元に限りなく近づいていたんだぜ。
(完)