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【ショートショート】冷たい現実

 老婆が死んだ。戦争で早くに夫を失い、辺鄙な田舎ゆえに、子どもも1人、2人と去って行った。完全なる孤独の中の死──。車椅子に座ったまま、テーブルに伏して亡くなった彼女の手元には、いつ書かれたとも知れない手紙のような1枚の紙が置かれていた。

『待ちくたびれて、何を待っているのかさえ忘れてしまった。待つということが生きる糧になっていた。それは瞬間瞬間で変わった。私はつねに幻影の中に遊んでいた。あるときは恋人を待つ若い娘に、またあるときは成功を夢見る野心家の若者に……。待つという共通点を持つさまざまなものに精神をダイブさせていた。そうしているときは、私は退屈を感じなかった。 
 私が待っているものは死かもしれないと思ったこともある。常になにかの到来を待ち望んでいる焦燥の状態から抜け出す唯一の解決の道なのではないだろうか、と。しかしあるとき、それは違うとふと気がついた。死してなお、その状態は変わらないのだろう、と。生死にかかわらず、あらゆる存在が待ち望んでいるもの……それをただ神という言葉で片付けていいものかどうか、私は確信が持てない。』

 誰にも発見されることなく体は腐ってゆき、あふれ出た体液により手記のインクはにじみ、死に迎えられる前の老婆の冴えた精神の変遷の記録さえ、跡形もなく消えた。

(了)

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