秋分の朝にみた夢「目には目を」
秋分の日の朝、変わった夢をみた。
夢の中で別の時代と思われるような場所で、
ひとりの男性が立っている。
身なりはわるくないような、黒を基調とした服装だったかもしれない。
男性は宣告される。『目には目を。』
どうやら男性は何かを起こしたようで、その贖罪のため自分を傷つけなくてはならなくなり「そ、そんな…」と戸惑った表情でいる。
それ以降、彼は何かしたとなると、自分自身を傷つけ責めるようになったようだ。ということが伝わってきた。
最後には「目には目を 古代バビロニア王国」というフレーズが響いてきて、夢は終わった。
((目には目を…ってハンムラビ法典だっけ?
学生時代に習った気がする。))
そう思いながら朝、目覚めました。
どんな秋分だ。笑
調べてみると、たしかに「目には目を 歯には歯を」で有名なハンムラビ法典は、現イラク南部にあたる古バビロニア王国で合っているらしい。
ある男性が、自分を傷つけ責めるようになったきっかけのストーリーの夢。
彼は報復のため、罰を受けることになったのだろうか。その罰を、自ら行わなければならなかったのだろうか。
私は最近、自分責めを卒業します宣言noteをアップした。
その数日後に今回の夢。もし仮に集合意識的な見地から、あの男性と今世での私が自分を責める習慣を長くしていたことに関わりがあるとするなら、まー古バビロニアのことなんて普段わかるはずない。笑
普段考えもしない内容が出てきたのは謎だけど、何かのメタファーかモチーフなのかもしれない。もちろん、ただ脳が何故かわからんけどバビロニアの夢を見ました、以上。とすることもできる。
この夢を見て感じたことは、もしかしたら思いもよらないことが今世での習慣に関わっているのかもしれないということ。
思考や自我で考えても、わからないことはわからないということ。
ただ、それが起きました以上。でもあるということ。
私はわかるまで考えたくなる時があって、時に苦しいほど考えてしまう。でも、物事に理解の範疇を越えた見地がある場合もあるし、考えすぎても無駄なときは無駄だよ、ということでもあるだろう。わかる必要がある際は、サインが与えられる。
そして何より今回の夢を見て、何かが終わってスッキリした気がする。一番強く感じたのは、何かが終わったサインだということ。
責めや自分を傷つけることなのか、それ以外のことも含まれているかまではわからないけれど。
エキセントリックな内容そのものよりも、どう感じたかを一番大事に大切にしたい。
「何かが終わった。」
そして、わからないことは
わからないままでもいい。
ひとつ解放が起きた気持ちになった秋分の朝でした。
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