お坊さんのキャリアを考える「TERA WORK SCHOOL」。立ち上げから1年、その原点について/水野綾子×田中勲
はじめまして。
今回から「TERA WORK SCHOOL」に関わる人々へのインタビューを通して、取材記事を制作することになりました、林と申します。
お寺生まれだけれど後継ではない。
ですが私自身、お寺に関わる者として「お寺」の可能性を感じているので、当事者視点と第三者視点を織り交ぜて、さまざまな記事をお届けしようと思います。
今回は、TERA WORK SCHOOLを立ち上げた水野綾子さんと田中勲さんの対談から、改めて「TERA WORK SCHOOLの原点」を探っていきます。
「お坊さんも、自分と向き合うことから始まる」に辿り着いた
──今回は、改めて「TERA WORK SCHOOLの原点」を探っていきたいのですが、そもそもの経緯を教えてください。
水野綾子(以下、綾子):2020年6月に「TERA WORK」を立ち上げた時に、勲さんから連絡をもらって。そこから定期的に他のメンバーも交えて、TERA WORKとして目指したいことを共有したり、ブレストをしたりしてきました。
田中勲(以下、勲):最初は誤解していたんですよ。「TERA WORK」をコワーキングスペースとして拡大していきたいのかと思っていたら、綾子さんと話しているうちに、そうではないことが分かって。
綾子:TERA WORKの「WORK」を広義にしたい、というのは最初からありました。
TERA WORKでは、結果的にはお寺という場の開放をしているのですが、それは表層的な意味ではなく、「お寺」という場所に身を置くことで自分自身や自身の生き方に立ち戻れるような感覚を提供したかった。だから仕事をしてもいいし、瞑想をしても絵を描いてもいいし、手段はなんでもいいと思っていました。
勲:最初はTERA WORKをどう広げていくか、どう展開していくかという話をしていましたが、綾子さんから”お坊さんのキャリア”についての話が出てきて。それなら、自分が今までやってきた取り組みや中小企業の事業支援と相関性があるな、と。そこから1年くらいかけて内容を作ったり、いろんな方にヒアリングをしたり、準備をしました。
綾子:僧侶のキャリアは“自分事”だからこそ、とても興味がありました。お寺という場所が人の生き方に寄り添う場所という反面、そもそも内側にいる僧侶の生き方ってどうなっているんだろう、と。
昨今のお寺のあり方は世襲制が多く、後継として生まれた人は「将来はお坊さん」というのが既定路線にある。それ自体は悪いことではないですが、これからのお寺の経営やあり方を考えていく時に、従来と同じ方法では立ち行かない時代に来ています。正解がないことを考え続けるって苦しいじゃないですか。だからこそ「なんとなくお坊さんになった」で、僧侶自身が“踏ん張れるのだろうか”と思っていました。
勲:「地域企業の2〜3代目」と「お寺の跡継ぎのお坊さん」は、立場は違えど、持っている悩みは同じものがあります。ですが、お寺の場合は会社を畳んで終わり、とはならないんですよね。家族でお寺を出て行かなきゃいけないし、仕事も住む場所も無くなってしまう。ひとりの問題ではない。
綾子:「お寺」が無意識に自分のアイデンティティに入り込んでますよね。
勲:そうそう。いろんなことを背負っているからこそ、お坊さんが自分に立ち戻れたらいいな、という話になったんです。
「今までの経営」ではお寺の存続が難しくなっているのは事実で、これからのあり方を考えていかなきゃいけない。その上で「お坊さんが自分に立ち戻る」ことが、多様なお寺のあり方を作っていくための重要なポイントにもなるよね、と。
綾子:大事なのは軸の部分。自分の中での自信や見えているものがないと、どんなソリューションを出しても結局は疲弊するし、継続しないと思うんです。
実際に私も、お寺を継ごうと家族でUターンしてからお寺でワークショップやヨガなどを企画してきましたが、積み上がらない・先に繋がらない感覚があって疲弊してしまった。だからこそ、お坊さん自身がまずは自分と向き合う、生き方を見つめるというところに辿り着きました。
「I」と「We」と「Social」。仏教的な「自我」と「I」について
──構想期間の約1年は、そういったことをじっくりと話していた期間だったんですね。そこから実際に開講までは、どのように歩んでいったのでしょうか?
綾子:僧侶の方はソーシャルマインドが高い方が多いですし、背負っているものも色々あるからこそ、「お寺が〜」や「仏教は〜」と主語が広くなる傾向があります。
それ自体は悪いことではありませんが、私たちはそれぞれが「I(自分)」と「We(お寺)」と「Social(社会・地域)」のバランスを見つけていくのが重要だよね、と話しています。この言葉は勲さんが出してくれました。
勲:中小企業でもよくあることですが、「I」から始まって「We」「Social」まで一本線が通っていないと、経営に悩んだ時にブレるんです。流行りものに手を出して疲弊してしまうことも少なくない。逆に「I」がちゃんとあると、何をやっても立ち返って進めます。ソリューションは究極、何でもいいんです。
ですが、ベテランの僧侶の方にその話をした時に「皆、“I (自分)”をなくすために修行しているんだ」と言われて。お互い「これでいいのか」と迷った時期があったよね(笑)。
綾子:得度はしたので一応“僧侶”ではあるものの、圧倒的に経験も知識も足りません。仏教の教義や正論で諭されると、何も言えなくなってしまう。正直かなり凹みましたね。
勲:その方は「I」に立ち戻ること=我を持ち続けることにならないようにと言ってくださったんですが、マーケットに受け入れられないんじゃないか、など悩みました。
でも、また二人でそのことについてじっくり話をして、「我」と「個性」や「特性」はそもそも違うものだよね、と。その上で「見つけた自分に固執しない」ということが一番重要という話に着地しました。
綾子:このスクールでは講師の力を借りて自分と向き合う時間をじっくり取るし、自分という輪郭を見つけていくのですが、「自分はこういう人間だ」と執着せず手放し続けることが大事だと整理できました。
出会う人や他者との関わりによって、私たちは日々変わっていきます。見つけては手放す、生きるってその繰り返しですし、それをこの場で共有していけたら嬉しいですね。実際にスクール内で起こった変化もそうですし、スクールが終わってからも各々の変化を共有できる場になっているように感じます。
綾子:もちろん僧侶である以上、仏教の教義は大切ですが、同時に自分がどう感じたのか?どう思ったのか?どうありたいか?は大事にしていきたいです。
勲:これは仏教を二の次にとかではなく、主体的にお寺に関わるためにもまず「I(自分)」と向き合うということです。
よく綾子さんと話をしているのは、この場は「正解を提供するところではないよね」ということ。そもそも「これをすれば正解、安泰だよ」というものはないと思うんですよね。
綾子:先ほど「TERA WORK」のWORKを広義にしたいという話をしましたが、WORKって仕事という意味だけじゃない。というより、人生100年時代、仕事や働くことは“生きること”と同義だと言っていい。このスクールの場を、参加者も私たち運営も講師も、関わる一人ひとりがそれぞれの「生き方」や「あり方」を考えて、変わり続けていける場にしたいです。
半分公共でみんなのもの。自然と人が集まってくる、これからのお寺の可能性
──私もお寺で生まれ育ったこともあり興味があるのですが、改めて、なぜ「お寺」なのでしょうか?
勲:僕はお寺生まれでもお坊さんでもないのですが、中小企業の採用サポートから始まって、事業推進や経営など組織全体のお手伝いに発展していくことが多くて。
中小企業へ向けてアドバイスもするけれど、経営について突き詰めて話をしていくと、結局は哲学的なところや「経営者自身が、何のために経営をするのか」という根本に話しが及ぶんです。経営論にとどまらずもう少し上流域での思考が必要だとなった時に、仏教に興味を持ち始めて。そんな状況だったこともあり、綾子さんがTERA WORKを立ち上げた時に連絡をしました。
綾子:私は熱海のお寺の長女として生まれました。お寺を継ぐ気はなかったし、お寺について考えることもなかったのですが、父が体調を崩したことをきっかけに「お寺」と真剣に向き合って。改めてお寺の豊かさや可能性を感じました。
私の場合は自分が僧侶となって後を継ぐことを決めましたが、「お寺」は単独で成り立つものではないからこそ、まずは「地域」がどうなっているのかを知らないと何もできない、と地域に関わろうと思ったんですよね。
勲:誤解を恐れずに言うと、お寺は「地域にとっての最適なツール」だと思うんです。ずっと地域の仕事をしてきて、半分公共のものでありながら民間のもの、そしてその周辺の地域みんなのものという形がこれからの時代に必要だと感じています。
でも、それを新しく作っても地域に馴染むのには時間がかかるし、外から一方的に一生懸命地域のことをやろうとするのはどこか不自然さがある。そう考えると、長い歴史のなかでそうした役割を担ってきた「お寺」という形が、一番自然だと思いました。
綾子:お寺って「今生きている人がどう生きるか」に寄り添うものだと思っていて。でも寄り添い方、あり方は時間と共に変わるし、地域によっても違います。だからこそ、地域に関わる中で「人の生き方に寄り添うお寺」が地域ごとに機能していくと、もう少しみんな生きやすくなって、地域の風景も変わるんじゃないかな、と考えるようになりました。
勲:地域には拠点が必要なんですよね。色々な地域を見てきて思うのは、コミュニティを作ろうとしたり、イノベーションを起こそうとしたり、それ自体を目的にしてしまうと、うまくいかないということ。「自然と集まってきたら、それでイノベーションが自然と発生してくる」という状態がいい。お寺はそういう可能性を秘めていると思います。
綾子:自分のお寺だけが一人勝ちすればいいわけでもないし、お寺だけで完結していては究極は何も変わらない。でも「一緒に風景を変えていく人たち」がつながっていくと、ローカルの風景がどんどん変わっていくはず。
それにフラットに見てもお寺の空間は、今の社会において豊かだと感じます。だからこそ、みんなと共有できるといいですよね。
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