ときどき考えること ⑥
この仕事を始めて4年目(今年25年目)から現在の校舎を使っているのだけれど、その校舎が完成して間もない頃、子ども会連合会のお偉いさんがいらしてお話をすることがあった。そのとき
中学生になっても九九ができない子がいることをお話しした。
すると、そのお偉いさんが
ー暗記が苦手な子もおるわさ。
と、おっしゃった。
私はこの発言に、違和感を持った、というか、不信感を持った、というか、
ため息をついた。
月曜日にこの記事を読んで↑、そんな昔のことを思い出した。
九九=覚えるものだと思われていることに、そのとき初めて私が実感を持って気が付いたのかもしれない。
私が問題にしていたのは、「中学生になっても」九九が「身についていないこと」だった。
九九が出てくる小学2年生の後半に覚えろと言われて覚えられないと言っているのではないのだ。その後、ずっと計算をいろんな形でしてきたのに、中学生になって九九レベルの計算で躓くことが、そしてそのような生徒が少なくないことが問題だった。
その後、寺子屋では、少しでもそんな躓きを減らしたくて、どんどんと入塾の年齢を下げていくことになる。
そして、気づいたことがあった。
九九が空で言えるのに、計算ができない子たちがいることー
横について「しちし?」と読むと28と答えは出せる。
九九も1の段~9の段まできちんと言える
でも
7×4は一人で答えを導き出せないー
こ、れ、は・・・
も、し、や・・・
彼らの頭の中では・・・「し・ち・し・に・じゅう・はち」であって
7×4=28
ではないのではないか・・・と、また私の中で仮説を立てることとなった。
そして、学校での九九の学習の仕方を聞いていると、まさに「みんなで公立小学校教員になろう!」さんのおっしゃるとおりだ!と思ってしまったのだ。
2の段を20秒以内(10秒だったかもしれない)に言えるようになる
という宿題もあり、「それは全部合格したんやよ」なんて話を聞き、耳を疑った・・・(._.)
とっかかりとして、きちんと覚えることを否定はしない。というか、それは必要だと思う。
けれど、早く言える必要はない。
九九を覚えることは、数の認識を深める第一歩だと思っていた私には衝撃的な宿題だった。
私の母は、小学校の教員と中学・高校で数学と体育の先生になれる人だった。と、言っても、結婚前まで民舞やお琴と個人的に数学を教えて生計を立てていたので、学校で教えたのは産休などの先生のピンチヒッターだけだったようだけれど・・・。
彼女は、3の倍数や素数が好きで、数の話をよくしていた。
生活のいろんなところで、計算をしていた。
私が高校留学後に始めた「松阪木綿」の機織りでは、
自分でデザインする縞の色の配分の計算に嬉々として取り組んでいた。
子どもたちが小さい時から、容赦なく、物を動かすときなどに「そこで45度に傾ける」とか、何かを〇:△に分けて!なんて、そんな指令を年齢に関係なく出す人だった。わからなければ後学のために説明をしてくれた。
おかげで私は学校で算数や数学の学習に苦労しないだけの数の認識を叩き込まれたと思う。
数の認識
ー数のイメージのできない子が増えている。
便利な道具のおかげもあり、日頃の生活の中で数に触れることも減っているせいもあるだろう。
今まで通りの教え方では生活での経験のバックアップもなく、そこに楽しさまで取り入れて授業をしなければならない先生方には同情するけれど・・・
私も九九を暗記させて安心していてはだめだと思う。