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学習塾で目指すもの

私は、17歳で最初のアメリカ留学から帰国後、本当に父の塾を継ぎたいと考えたとき、どんな塾にしたいかというイメージとして、2つの軸を考えた。

自分のように、1度は松阪を離れ、学びや経験を積んだあと戻ってきてくれる若者が育つ塾

そして、老若男女が学ぶコミュニティセンターのような塾だった。

ー松阪に帰ってきたら、塾ぐらいしか英語使ってする仕事ないですよね。

と、ある方ー地元では名士の1人に入る人ーに、塾を始めた当初言われたことがある。

私は、父の塾を継ぐことを目標に

東京外国語大学に行き、
2度目のアメリカ留学で修士課程まで修了しているのに。

この考えを変えたいと改めて思った瞬間だった。

私は、アメリカの2,400人の村で高校の1年間を過ごしている。

そのとき、この村の人たちの自分たちが国を支えているという自負と誇りに圧倒された。そして、それがかっこいいと思った。

私もそうなりたいと思った。

父は、塾を経営し、自ら教える傍ら、日本に来る外国人の方たちや外国とやり取りをしたい地元の人たちに、頼まれれば手を貸していた(それに、中学生、高校生の私はわけのわからないまま協力をさせられていた 笑)。

また、私は、大学院留学中、インターンとして飯南町役場で働き、松阪が私が思っているほど田舎ではなく、私は「街っ子」であることに気づかされ、都会が地方に支えられているように、松阪も支えてくれている郊外の田園地域や山地があってこそであることを実感を持って理解した。

そこでも、自分たちの住む地域、生活の在り方に誇りを持つ人々に出会い、私も誇らしく思った。その誇りを守り、受け継ぎたいー

そんな思いで24年あまり走り続けている。

先週末、東京に行って、改めて田舎で頑張ろうと思いを新たにした。

35年以上前にアメリカで出会った人々のように、
田舎で自分たちが、国を支えているという誇りを持つ人が

30年ほど前から私の心の支えである、松阪を支える地域の方々のように
自分たちの住む地域や生活の在り方を大切に思う人が

一人でも増えてくれたら、

と、今週も子どもたちとたくさん話をしながら、自分の信じる道を進みたいと思っている。


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Terakoya Kamei
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