寺子屋の日々 ~Days in Terakoya~ (2024年6月号)
てらこや新聞2024年6月号は、2024年6月10日に発行されています。upが遅くなったので、今回は無料で掲載することにしました。
~ Make hay while the sun shines.~
日が照っている間に、干し草を作りなさい。―「好機を逃すな」ということわざだ。
昨年度末、面談で寺子屋卒業生と現寺子屋生のお母様とお会いしたとき
「うちの娘たちは『カメイズム』の信者です。」
と、言われて、面食らって思わず笑ってしまったけれど、嬉しかったと同時に身が引き締まった。
それから、「カメイズム」について考えている。
年長の秋の体験講座から寺子屋に通ってくれている小学生くんが、この春2年生になった。
「亀井先生怖い」とか、寺子屋で講師をする彼のお母さんが「亀井先生と同じことを言う」なんて不平を言っていたのに、2年生になって、担任の先生が「やばい」を使ったとき、「それは、警察に捕まりそうなことですか。」などと言いながら、「やばい」を使うことをたしなめたという。
また、今、学校の先生も積極的に使っている「略語」について「おかしい」と、お母さんがお家で言っているのを聞いて、そのおかしさも先生に伝えたとか・・・
これもうわさのカメイズムか。
なんて笑ってしまったけれど、地道に言い続けること、し続けることの大切さを改めて感じると同時に、子どもたちへの影響の大きさをきちんと考えての言動を心しないといけないと思った。
一方、今年度も始まって1か月が経ったけれど、特にコロナ禍が始まったときからずっと塾の在り方や存在意義を考え続けている私には、まだまだ悪戦苦闘が続いている。
昨年、いろいろ問いかけをしてみた松阪地区の公立中学校の2学期制―
子どもたちの学びは、机上ばかりでするものではなく、義務教育で学ぶべきことは、学習態度、学習姿勢なのに、夏休みまで定期試験の勉強で縛ることの子どもたちへの負担や悪影響を大人たちが気付かないー
夏休み明けにテストがあると、夏休み中にしっかり勉強できて良いー
という保護者の意見を新聞で読んで、私はぞっとした。
こういう意見を聞くにつけ、見るにつけ、
―僕は子どもを持ったことはないですが、子どもだったことはあります。親になると忘れてしまうのかもしれませんが、僕は今子どもの立場でものを言っています。―
という「ミステリと言う勿れ」の久能整くんのセリフを思い出す。
私は、この先もいつまでも「子どもの立場」でしかものを言えない者だ。
大人としてなさねばならないことをし、言わねばならないことを子どもたちにも言うけれど、大人たちにも言い続けたいと思っている。
同時に、そうするとき、子どもたちに与える影響は、ときに、私たちの想像を超えるインパクトを持つことを肝に銘じることを忘れないでいたいと思っている。
寺子屋の子どもたちが、私たちの思っている以上に「カメイズム」に影響を受けているように、子どもたちのことを二の次にし、子どもたちの心と体の健全な居場所を確保しないままの学校の働き方改革も、英語教育も、教育改革も少しずつ子どもたちの心と体を蝕んでいることを心して、子どもたちには今まで以上に丁寧に接したいと思う。
目の前に現れた効果も、悪影響も真摯に受け止め、対応できる環境づくりを改めて進めたいと思っている。
折しも、今年は寺子屋開設から25年目の節目の年、「子どもたちの健全な居場所」としての寺子屋を死守するために、「思い立ったが吉日」、「チャンスを逃すな」をモットーにいつも以上にすばやく行動を起こす1年にしたいと思っている。
(Y.K)