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2024年度の始まりに ②

先週末、苦情の電話を一本入れた。

その対応に、今でも思い出すとふつふつと不快になる感情にさせられた。それは、係の方の態度が「苦情」を聞くという態度ではなく、私の意見をはなっから「クレーム」とする態度だったからだ。いろいろと突っ込みどころがあるのに、自分たちの非は絶対に認めない言葉と態度に、私は、そのことに関してのその団体との取引を辞めることにした。

苦情は、改善を求めて、害や不利益などの苦しい事情を相手に示し、説明や改善を求める行為だけれど、claimという英語のもともとの意味を考えたら、クレームは自分の正しさや権利の主張のことだと私は思っている。

私が正しいかどうかはわからないー

でも、相手の言動で、不快に感じたり、不利益を被ったことを伝え、相手に改善の努力を求めるのが苦情である。その苦情を受けてもその努力ができない正当な理由があるなら、それを聞きたいと思う。

一方、クレームは、自分たちの権利主張だから、言われた側が折れるしかないと思っている人のすることだ。

世の中、クレーマーが増えているかもしれないけれど、相手のいうことをはなから「クレーム」として対応する、そういう態度が、相手を硬化させてしまうのではないかと思う場面に出くわすことも増えている。

私は、とりあえず、苦情を伝えて、その後は相手に任せるつもりで電話をかける。でも、その対応により、自分がそこから去る、もう利用しないなどの決断をすることもあるから、泣き寝入りもしない。苦情ではなく、クレームと受け取られたときは、その決断のときだと思っている。

世知辛い世の中だから自分を守る一方で、私は、自分の仕事では、とりあえず、苦情は聞くようにしたい。改善の努力ができる話かどうかは、ゆっくりと考える。

もちろん、そのとき、心の中で毒づくこともある。
「それは無理だろう」と苦笑するしかないこともある。

でも、多くのことが後から考えると、自分の未熟さゆえに「無理」だったり、次に何かをするときのヒントになったりすることをこの24年あまりで学んできた。

世の中、変えられることと変えられないこと、そして、変わらないものも自然に変わっていくものもある。

人間は万能ではないから、努力をし、世の中に、全員がいつも満足することなんてほぼないから、話し合いをする。

ときどき深呼吸をして、心を落ち着かせて物事を見る姿勢、今年度も続けたいと改めて思う週末だった。

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