いつまでも慣れないこと
令和7年度に改訂される教科書の展示を見に、新しくなった松阪市松阪図書館に初めて足を踏み入れた。
私は、幼い頃から、図書館、図書室が苦手だ。なので、展示だけは、じっくり見て、さっさと帰ってきてしまったけれど・・・。
アンケートがあったので少しだけ意見を書いてきた。
今の教科書は中途半端な大きさで、少し重いだけではなく、カラフルで、挿絵ーイラストもとても柔らかく大衆化されていて、見る度、違和感いっぱいなのだけれど、その方向がますます進んでいる気がして、ため息がでた。
それは私たちがシンプルで、白黒の教科書を常識だと思っているだけで、時代の変化からだと言われるかもしれないが、実際、その時代に育ってきた私たちの方が、教科書をしっかり読んで理解していたり、高校や大学で出合う教科書や本、または社会に進んでから文書をスムーズに受け入れられたりする点を考えたら、教科書をむやみにカラーにすることがそんなに意味があるとは思えない。
勉強は自分で楽しむものであって、楽しませてもらってするものではない。
大人たちの英知でもなく、次世代に対する思いでもなく、思い込みと勘違い、そして子どもたちへの媚びのようなものがいっぱい詰まった教科書だなと思わずにはいられなかった。
一方、じっくりと使ってみなければわからないけれど、中学英語の教科書に関しては、今のものよりは、文法のまとめ方が、あっちこっちせず、まとめられていようで、少しだけ教えやすくなるように感じた。
でも、小学校の英語の教科書がスカスカの内容で、中学校に入って詰め込んでいる状態のギャップの大きさに、やはりまだまだ子どもたちが気の毒だと思わざるを得ない。
これも多分、大人たちの思い込みによるものが大きい気がする。
そして、私たちの時代のような外国の話を読むのではなく、どちらかというと日本紹介がメインの話題になっている点も変わらないようだ。
ただ、私がこの仕事を始めた頃の、中国人とインド人とマラウイ人とオーストラリア人が、何の説明もなく最初から日本の中学校で英語を話しているという違和感いっぱいの教科書よりはかなり改善されていると思った。
いずれにせよ、使ってみなければわからないけれど、ざっと見た感じ楽しみーーーとは、言い難いのが残念だった。