てらこやのひび ㉗
クラウドファンディングも行いながら
夏休み 子どもの居場所 プロジェクト 2024の準備が続いているので
プロジェクトの話ばかりになっているけれど・・・
定期試験の結果を受けての正規授業や夏期講習の受講生も受け入れ中だ。
また、このところ小学生講座の問い合わせは「算数」講座が多い。
寺子屋は、今も昔も、一応英語塾。
英語のみの受講はできるけれど、作文講座以外の算数、国語などの講座は英語受講者対象で、それのみの受講は原則としてできない。
それは
私たちは「英語」自体を「教材」として、学び方全般を身につけてほしいと願っているからだ。
外国語を学ぶことは、モノの見方、思考力に影響を与える。
一方で、母語でできること以上のことを外国語ですることはできない。
母語という土台が大切になる。
そのため、英語習得ーとともに学びの姿勢の定着ーを阻むものを知るためにも、他の科目の講座も提供している。
ここ十数年、インターナショナルスクールに通っていた、または通っている生徒、帰国子女、ルーツが様々な生徒さんからのお問合せをいただくことが増えている。
その中で本人や保護者の方々の「英語はできる」というセリフを聞く度、私は鼻白む。
子どもたちが英語「は」できるというのはどういう状況を言うのだろうか。
と、思うからだ。
中学生、高校生の「英語はできる」というのはおそらく、英語の成績は問題がないという意味なのだけれど、まだ小学生で「英語はできる」というのは、どういう意味なのか。そして、英語ができるのに、算数ができないーというのは、どういう状態から起こるのか。
数学ではなくー算数ができないといわれると・・・本当に英語もできているのか・・・と疑問を持つ。
「英語ができる」というのは、私の中では、英語で自立して日常生活を行うことができることをいうものだ。英検〇級取得でもなければ、ましてや発音よく日常会話程度の英語が話せることでもない。
「英語はできる」けれど、算数ができないとすれば、問題は母語の軸足が定まっていないことだと思う。そして、多分、母語でも、外国語でも「反応できる」だけではなく、読み書きの習慣づけときちんと理解して答える姿勢が必要なのではないだろうかと思う。
外国で生活し、外国人たちとも渡り合うのに一番大切なのは、人となりだ。人となりは、外国語ではなく母語で育むものだ。大人の思い込みで子どもたちを天狗にしない英語塾を目指している。