ときどき考えること ⑦
昨日、元寺子屋生の再入塾にあたっての保護者面談をした。
そして、以前書いた記事を思い出した。
関係のある人だけではなくない人にも、じわじわと広がっていき
「みんな」に近い形で1人を無視をするという「いじめ」
理由が理不尽であろうが、なかろうが
それが良いことであろうが、なかろうが
千歩譲って
それが良いことかどうかはおいておいて、
何か嫌なこと言われたり、されたりして、子どもたちの中で
最初の誰かが誰かを無視する気持ちは理解できるのだけれど、
周囲の人まで巻き込む意味も
全然関係のない特に何もされていない人までもが巻き込まれ、
特定の1人を大勢で無視することに加勢する心理が
私には全く理解できない。
自分がターゲットになりたくない
ーという心理があるということは知っていても、やっぱり理解はできない。
私自身は、あまり人とつるむほうではなかった。
もしかすると、自分が無視されていじめられていても
気づいていない人だったかもしれない。
実際に多くの人が嫌っているという人には気づいてはいなかった。
私は中高一貫校に通っていたけれど、高校から入学してくる生徒が若干名いた。
高校から入学してきた生徒に、髪の毛が腰より長く少し風変りな人がいた。
彼女も私も電車通学で、彼女は松阪より南から通っていたので、偶然、駅や車内で会うと、何の抵抗もなくあいさつをし、話をしたし、学校でも同じスタンスだった。取り立てて仲良くもなければ、違う学校の友人たちに聞かれたら、「同級生」とか「学校の友だち」ー知り合いに近いニュアンスで紹介するであろう存在だった。
ある日、彼女と話しているのを見ていた別の友だちが
ーあなた、彼女と仲良いの?
と、驚いたように聞いてきた。聞き方がちょっと不快だと思いながら、「いや、仲良くはないけれど、ときどき一緒に帰ったりはする」と応えたら、「へぇぇ・・・」と妙な応対をされた。
また、一緒に高校留学し留年した友人について、留年したあとの学年の友人に尋ねられた。
ー留学する前、亀井さん、彼女と仲良かったんでしょう。
この返事はYesだった。
1年生のとき同じクラスで仲の良いグループの中にいた。2年生でクラスが変わったので少し疎遠になっていたけれど、同じ留学の制度で1年留学して一緒に留年していたので、彼女のことは多分、「仲良かった」と言うし、「友だち」だと紹介しただろう。
でも、次の質問に・・・苦笑することになった。
ー彼女、留年する前の学年で、学年で一番嫌われていたんでしょう。
・・・たしかに、そんな話を聞いたことはあった。
でも、私自身、嫌なことはされたことはない。少し負けず嫌いで、ちょっとナルシストで、見た目と勉強のことになると鬱陶しいと思ったことがないわけではないけれど、「嫌い」ではなかった。
大学時代ー
兄姉と一緒に住んでいたので、
学校から小一時間くらい離れた所に住んでいた。
ある日、自分のアパートの最寄り駅で電車のドアが開いて、降りようとして、思わず
「あ」と言って、立ち止まったことがある。
高校から入学してきた髪の長い同級生が、そこに立っていた。
彼女もすぐ気が付いて
「あ、亀井さん!」っと笑っていた。
大学で東京に出てきて同じ駅の近くに住んでいるのだと言っていた。その後、何度かばったりあって、いろいろと話をしたけれど、そのまま連絡先を交換することもなかった。
そして、留学を一緒にした友人は地元の国立大学を出て先生をしていると風の噂で聞いた。
学生時代の友人なんて、そんなものだと思っていた。
母がいつも
「嫌い、嫌いも好きのうち」
「嫌いだと思っているうちは、その人のことが気になっているということ」
「気になっているのなら、前向きに解決する方法を考えなさい。」
と、言っていた。
「腹が立つのは、自分も同レベルだから。」
「腹を立てずに、一歩上を目指しなさい。」
とも言っていた。今、つくづく、正しい意見だと思う。
昭和には、通用したこの考え
ー令和にはどうやって伝えれば良いのだろうか。