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1週間の終わりに ボヤキ編
先日、ニューヨークにいる友人が、共通テストに挑戦してみたと連絡をくれた。
今年、寺子屋の受験生で共通テストを受けたのは1人。でも、すでに進路は決まっていて、結果だけ提出という状態だったので、私自身、共通テストが終わったあと、次の私立高校入試と、入学後のテストTOEFLやTEAPの対策準備に移っていた。
でも、私が毎年共通テストから受ける印象と同じような感想をもらって、ちょっとホッとした。
英語に関する限り、私は、センター入試の方が良いテストだったと思っている。そして、大学入試改革の議論に、ずっと首を傾げてきた。
共通テストになってから、大学入学のために必要な基礎知識と、大学入学のために大学が子どもたちに求めているものがわかりにくくなったと感じている。
子どもたちと25年近くも接しているとーというかその前からー子どもたちの中に、自分たちの能力を大きく超えている生徒が周期的に現れる。そんなとき、私たちが彼らに「教えること」ができることはあるのだろうか、と自問する。
でも、大学は、そんな生徒たちの能力を伸ばす場所だと思って、毎年生徒たちを送り出している。
そして、大学という学びの場所の特色を考えて、そんな生徒たちの能力の一部を正しく測るのは、多分、センター入試のような形の標準テストだと私は思う。共通テストは、私自身は、英語しか見てはいないし、他を見て何か言える立場にはないけれど、毎回、解く度、やるせなさが募る。
一方、このところ、TOEFLやTEAPを春からの大学生としながら、英語力だけだけれど、英語以外を母語に持っている人たちが、大学で学ぶにあたり、学術的に必要な能力を確認するための問題たちに、ほっとしている。
生徒たちにも何が求められているのかをきちんと説明できる問題は、取り組んでいて、気持ちが良い。
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