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労働学生生活(2学期後半3週目)ふんばりどきとトルティージャララ

くやしさがじりじりと迫ってきた一週間だった。

同時に、アンダルシアで経験したくやしさは、アンダルシアで上書きすればよいことを学んだ週でもあった。

以下は自分が振り返るためだけに一週間を記録したものである。


月曜日

修論アドバイザーのK先生から返事があった。

修論を英語で書いてもいいか聞いていたのだ。

修論はスペイン語という決まりがあるの。
英語では受け付けてもらえないのよ、ごめんね。

K先生からのメール

残念だが、まあそういうものかと気持ちを切り替えることにした。

読みたいからせめて英語で書いてくれと言ってくださる酔狂な仕事関係の人たちには、スペイン語を覚えてもらうことにしよう。


Chupa Chupsがこんな風に売られていた。
おひとついかがですか。

火曜日と水曜日

火曜日、授業中に先生が論文を配った。

その場で読み、今日のクラスで学んだ理論をどう当てはめるかを話し合うという。

当然だが、論文はスペイン語だった。

配られたものを見て、5秒ほど叫びたくなったが、ここでくじけてどうする。

気を取り直して、読み始めた。

このクラスは選択科目で、8人しか学生がいない。
スペイン語を母国語としないのは私だけだ。
論文の内容はとてもおもしろい。
ただ、読むのに時間がかかる。

案の定、ディベートが始まったときには、私はまだ最後のパラグラフを読んでいた。

ちょっと待ってくれ!


ディベートに参加できないまま終わってしまった。


まあそんな日もあるか。

そう思っていたら、先生はその後立て続けにニュースや論文を3つ配った。

読んではディベート、読んではディベートの繰り返しだ。

これでは永遠にディベートに参加できないじゃないか。

別に参加しなくてもよいのだが、大学院ではクラスへの積極的な参加が成績に反映される。よい成績がもらえたら嬉しいのはもちろんだが、それとは別にせっかくなので自分の意見も言いたい。

しかし、その場で読むとなると、圧倒的に不利だ。
読むスピードがほかの人より遅いだけでなく、さっと読んだところで内容を十分に消化できていない。

そんなとき、気が付いた。
これらは全て英語圏の人が書いたものだ。
そして、私たちに配られたものはスペイン語翻訳版だ。

「先生!、これオリジナル版はありますか?」

「もちろん!後でネットで探してみてね。ダウンロードできると思うから!」

きらきらの笑顔で答えてくれたA先生に、そういうことではないのだと説明しなおす。

「いえ!そういう意味ではなくて、今あったらなあと思ったんです。私の読むスピードが遅いのと、内容理解に時間がかかっていまして、さっきからひとつもディベートに参加できていません」

「ごめん!それは計算に入れていなかったわ。唐草!言ってくれてありがとう。そうか、今後考慮するわ。ところで唐草、ペン貸してもらってもいい?」

先生にペンを渡しつつ、ちょっとほっとした私は論文に向き合いなおす。

よし、今度こそ私もディベートに参加するのだ。

勢いで手を挙げた。
例によってめちゃくちゃながらもひととおり話し終えると、先生が言った。

「面白いわ。でも、今の論文と直接的な関係はあるかしら」

「え?!直接的な関係があるかと言われればまあないかもしれないんですけど、ちょっと言っておきかったんです」

ほかの学生がどっと笑う。

休み時間のときに食べたクッキーはいつもよりおいしくなかった。


こんな展開もあるようです。


翌日は別の授業があった。

宿題として読んだ2本の論文について、ディベートをした。

明らかに読んでいないだろうという人が多かったので、私は自分の意見を話してみることにした。

ただ、私が話そうとしたのは、とてもマイナーな部分だった。
説明が難しく、文法が途中で自分でもめちゃくちゃになったなと思ったが、話し続けた。

途中で、先生が私を止めた。

「ちょっと待って、それどこの話?そんなこと書いてたっけ」

「はい、ここに書いてあります。著者はこんな風に述べているんですけれども、私は」

「申し訳ないが、君が言っていることが私は理解できない」

もう一度私は同じことを繰り返した。しかし、先生はわからないと言った。

最終的に先生は私の持っているテキストを取り上げ、自分で読み始めた。

時間をかけて準備した内容が伝わらなかったことのくやしさだろうか。
うつむいた顔が赤くなるのが自分でもわかった。

休み時間、廊下を全速力で走りたくなった。
しかし、廊下を走ってはいけないと小学校のときに教わった私は、競歩で腕をぶんぶん振り回しながらトイレに行った。

トイレはちょうど掃除中で、遠い方のトイレまで行ってねとお姉さんに言われたので、腕を振り回したまま向こうのトイレまで行った。

その日、ディベートには参加しなかった。

小石を蹴りたいような気分になりながら、帰り路を背中を丸めて歩いた。

ハンバーガーもやってます。

木曜日

朝起きても気持ちがまだどんよりしていたが、インターン先に行かねばならないし、やらなければいけない仕事もある。修論に使う予定の論文も読まなければならない。くさくさしていられない。

そう思いながらも、なんとなく気分が晴れないまま木曜日が通り過ぎていった。

この日はポテトチップスをたくさん食べた。

金曜日

市役所に着いた。

「行くわよ、唐草!」

かばんを置こうとすると、松さんが言う。

今からバルで朝ごはんを食べるようだ。

7時半に朝ごはんをしっかり食べた私は、9時になったところでまだお腹は空いていない。
じゃあ、コーヒーだけでも飲もうかな。

そう思って、松さんと一緒に階段を降りる。

どうやら、市役所の隣にあるバルに行くらしい。

松さんが私を店員さんたちに紹介してくれる。

「かわいいな、君!」

ぎゃはは!

松さんが笑う。

前日遅くまで起きていたせいか目が据わっていたが、お世辞であってもかわいいと言われたことをこの日の私は喜んだ。

牛乳90%の牛乳コーヒーをくださいとカウンターで叫ぶ。
松さんが頼んだ大きなトルティージャが乗ったパンを見て、こんなことなら朝ごはんを食べてこなければよかったと思った。

次は絶対あれを食べよう。

松さんが食べるトルティージャから目が離せない私は、自分にそう誓った。

山さんもやってきて、来週に控えたイベントの確認をしながら朝のひとときを楽しんだ。

途中、ひょんなことから死生観の話になった。その後、車で別の場所に移動したが、車の中でもずっと死についての話が続き、そこから宗教の話になり、最後は私に講演をさせようという話で終わり、私はこの人たちと数週間後に離れるのをとてもさみしく思った。

夫が学生さんたちからもらったチョコレート。
休暇中に旅行した人たちがお土産にと買ってきてくれたらしい。

夜の日本語のクラスでは、学生さんとトルティージャの話になった。

大学生の男の子は、自分の作るトルティージャはとっても変なんだと言う。

ニンニクパウダーとピーマンを入れるの。そしてね、うすくうすく巻くんだよ。変だから、トルティージャ ララ(変なトルティージャ)って呼んでるの。毎晩食べてるよ。

巻く?うすく?

そうそう、数年前にそのレシピを知ってね。

それ以来、毎晩食べているんだ。

どこで知ったのそのレシピ。

日本のアニメですよ。

ちょっと待って、それってトルティージャじゃなくて卵焼き?

たまごやき?

卵焼きの画像を見せると、わっと喜んだ。

そうそう!その写真と同じだよ。お箸を使って巻いているよ!

あなたの食べているのは、卵焼きですよ!

変なトルティージャじゃないの?!

世界の卵料理が全部トルティージャじゃないぞと思いながら、うすく巻くというのと日本のレシピを参考にしているところで、卵焼きの可能性が高いと話した。

今度会うときに、持ってきてくれると言う。

アンダルシアの男の子が卵焼きを変なトルティージャだと思って毎日食べている話に笑っていたら、顔の筋肉までふわっと柔らかくなった気がした。

こんなところから花が。
淡いピンクに春を感じる。


土曜日

夫がイチゴを買ってきた。

1.3キロが2.96ユーロだったんです!

そう言いながら、30個ぐらい入ったイチゴの箱を両手に持ち踊っている。

イチゴを箱買いできるアンダルシアでは、毎年春になると王様みたいな気分にさせてもらえる。

一緒になって踊っていたら、ロシオからメッセージが届いた。

今学期は取っているクラスが違うため、彼女と顔を合わせるのは水曜日だけだ。

こないだはスペイン語が通じなくて落ち込んだと言うと、ロシオが言った。

あれ、私はあなたの言ってることわかったわよ。あの先生、耳が少し遠いんだと思う。スペイン人が話しても聞き返すでしょ。だから、あなたのせいじゃないわ。

ロシオは優しい。

その後、ロシオは、アンダルシアは世界一の街だという話を始めた。最初は冗談かと思って聞いていたが、ロシオは大まじめで、いかにアンダルシアが素晴らしいかについて、やたら長いメッセージを送ってくる。

マドリードやバルセロナの人たちだってね、アンダルシアのことはうらやましく思っているんだから!有名な哲学者も言っているでしょう、アンダルシアのすばらしさについて。
だってほら、アンダルシアには何もかもあるんだから!こんな素晴らしい街は世界のどこを探してもないわ。

唐草、あなたの話すスペイン語はアンダルシア弁。だからね、誇りを持って。あなたのアクセントは世界一美しいの!いい?


夕方、水曜日の先生からメールが届いた。

クラスの課題で提出しなければならないエッセイについて、質問をしていたのだ。

K先生とたまたま君の修論について話していたんだが、君の修論のテーマ、あれを僕のクラスの課題でも応用してみたらどうだい。K先生も賛成だ。君のテーマと僕のクラスの内容は全然違うが、おもしろいかもしれない。よかったらK先生にも聞いてみなさい。

このクラスの課題には京都のある話をテーマにしようと考えていた私は、先生のメールに面食らった。しかし、修論に関係する話で何か書くことができたらそれが一番だ。

君が何言ってるかわからない、と言った先生から届いたメールと先生たちの思いやりに感謝した。


火曜日と水曜日に感じたもやもやは、このころにはどこかに吹き飛んでしまっていた。

日曜日

スペイン語で書かなければならなくなった修論を進める。
やっと50枚を超えた。

先日、K先生のチュートリアルで、大きな発見があった。
修論のレイアウトや書き方は私が決めていいと言われたことだ。

昨年のミニ修論で書いたスタイルと枠組みにがんじがらめになっていた私は、その後もミニ修論のフォーマットをベースにし、自分の研究をその枠組みに当てはめて何とか形にしようとしていた。スペインではこの枠組みが一般的なものだと思っていたからだ。

しかし、無理やり枠組みに当てはめて書いているため、書いても書いても自分の論文だという気はしなかった。


ミニ修論は忘れていい。フィールドワークの展開の仕方もあなた次第。

そんな風にK先生に言ってもらったことで、私はずいぶんと自由になった。

修論の枠組みを最初から全部変更することにし、スタイルもこれまで書いてきたものから大きく変えた。

そうしたら、この3日で20枚書くことができた。
やっと私が私の言葉で話し始めたからだ。

相変わらずスペイン語はめちゃくちゃだが、優しいK先生は私のスペイン語もさりげなくチェックしてくれている。返ってくるファイルには、ここは女性名詞だよ、この冠詞は違うよ、これあなた何言ってるかわからないじゃないのやり直し、といった風にコメントがついている。

どさくさにまぎれることが得意な私は、先生来年やってみたいことがあるんです!とチュートリアルの終わりに話し出した。

心の底から呆れているようなため息をK先生はついたが、しょうがないわね私が付き合ってあげるわと言った。

それに加えて、来年は学部の授業を聴講させてもらおうと思っている。少なくともK先生が担当しているいくつかの講義を。K先生に聞くと、ちょうど自分も提案しようと思っていたのだと言った。人類学の基礎が足りない私は、特にK先生の専門とする分野についてもっと学んでみたいと思っている。


修論、インターン、仕事と抱え込みすぎてしんどかった今週前半だった。

後半は、いろいろな人とのふれあいを通じて、床ばかり見ていた顔がようやく起き上がった。


今がふんばりどき。

明日からまた闘いが続くのだろうが、アンダルシアでのもやもやはアンダルシアの笑いと愛で吹き飛ばすに限る。
雨続きの後、からっと晴れた空を見ていたら背筋がやっとのびた。


空振りが続いてもバットを振り続ければボールに当たる日がくるはず。

スペイン語が通じなければ何度でも言いなおせばいい。

だって、いつの間にか私にも身に着いたアンダルシア弁はロシオに言わせると世界一なんだから。

あとはときどきさぼること!

にゃー!!

いちご1.3キロで王様気分。
そのままを楽しんだ後、残りをいちごジャムにした私は天才だと思う。



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