大人ってなんだろう?
三連休の3日目。
バーベキューに誘われたが、日射大敵のSLE患者にはちょっとハードルが高くお断りをした。
行楽日和では、あるがパソコンに向かいnoteと過ごしている大人になった私。
いろいろと挑戦をしているうちに記事を削除してしまった。
そんな訳で、復活させることを試みる。
大人の定義
「十分に成長した人、考え方や態度が老成しているさま、分別あるさま」が生成AIによる「大人」についての意味。9月に50歳を迎えた私は既に中年期。年齢的には十分大人である。しかし、大人らしくない自分になることも多々ある現実。そして、子どもの方が分別あるような言葉を発することがある。
「大人ってなんだろう?」というエッセイを書いたのは2年半くらい前になる。当時小学6年生と4年生だった姪は中学2年生と小学6年生になった。母はアルツハイマー型認知症が進行し、今はグループホームで生活していて、祖母はケアハウスで生活している。
3歳から94歳の家族とのかかわりの中で、子どもに、そして老年期の母や祖母に大人としての私がどうあるべきかを問われているような気もする。一方、家族以外の近しい人に大人でない部分の私をさらけ出し、受け止めてもらうことも多々ある。しかし、「大人だから」という意識をしながら日々生きているというわけでもない。
心の糸が切れることが最近もあり、今日は2021年2月に書いた「大人ってなんだろう?」というエッセイを届けたい。
エッセイ「大人ってなんだろう?」
2021.2.24
糸が切れることが時にある。平日の朝、小学校4年生の姪の何気ない一言がきっかけとなり、私の中の糸がプチっと音を立てて切れた。
「のりちゃん、昨日の夜、ママとみっちゃんがのりちゃんの悪口を言ってたよ」
その時の私は、母(みっちゃん)と祖母の介護で奔走したり、もうすぐ卒業を迎える大学の勉強に躍起になっていたり、とにかくいっぱいいいっぱいだった。普段なら笑って流せる一言だったのに、それを真に受けてしまうくらい憔悴していた。母のために動き回っているのに、なぜ? という思いが、私を憤怒の形相に変えた。
告げ口をした姪は姪でなにか思うところがあって、親切心から伝えてくれたのかもしれない。色々空気を読んで生きている部分がある子なので、きっと理由があったのだろう。あるいは、意味もなく言っただけかもしれない。また、母と妹が話した悪口といっても、恐らく、私が真面目過ぎるゆえに、いろいろやり過ぎることに対する話かなんかであったに違いない。きっと悪口ではなく、私を心配しての話だった可能性が高い。冷静になれば、そう思える。でも、あの時は冷静ではなかった。
大声で泣きじゃくり、暴言を吐き、そんな姿の私を、小学校2年生の姪は、朝食を食べながら、シラ~っと見ていた。逆鱗に触れる一言を放ってしまった姪は、尋常ではない私の様子をしばらく見ていたが、ササッと勉強部屋に行き、手紙を書いて私に渡した。謝罪の内容がそこには綴られていた。号泣している私にそっと義弟はティッシュペーパーを手渡してくれた。責め立てられた母もなきじゃぐる始末。祖母も何事かと驚いた様子。姪たちは小学校に行く前の朝っぱらから、大人の醜態をみたことになる。
帰宅後、ひと言を放った姪には、「のりちゃんは傷つかないと思っていた」と言われた。下の姪には「大人は子どもみたいに泣かないんだよ」とその後、何度も諭された。彼女には、「のりちゃんは、大人なんだから〇〇した方がいいよ」とか「のりちゃんは、病気だから変なの? 」とよく言われる。彼女にとって私は彼女が描く大人像からはみ出しているのだろう。大人ってなんだろう?
大人の定義は人様々であろう。自分の中の大人像に近づけず、思い通りにならないことに苛立ち、結局一番望まない大人の姿を子どもの前で曝してしまったという現実。
なんとちっぽけな人間なんだ。でも、これが私。しかと受け止めなくては。
子どものぬくもりに癒される今
一昨日、真ん中の妹と姪の2人の3人で夕飯を食べに行った。帰宅後小学6年生になった姪に疲れと満腹からもたれかかった。「人肌ってあったかいな」と思った。
姪はユーミンの「恋人はサンタクロース、ほんとうはサンタクロース」をもじり(なぜかこの歌を知っていた)、「恋人はの~りちゃ~ん、ほんとうはき~もい~」と口すさんだ。「きもいんかい!」とは思ったが、肩をかしてくれた。
大人の私は姪たちにずっと育てられ、守られてれてきたんだと実感する今。
ぬくもりをありがとう。