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梅の花が咲く。幸福に向かい力を尽くす。

庭の紅梅が見事に咲き誇っている。


苦しみの先にあるもの

立春頃から風邪を引き、まだ治りきっていない。高熱も出て、かなり苦しんだ。その間、紅梅は少しずつ開花に近づいていた。

20年前、仕事もプライベートも大きな変化の中にいた。2004年の夏、29歳だった私は自己免疫疾患であるSLE(全身性エリテマトーデス)の精神症状を出し、躁になって3カ月間精神科病棟に入院した。30歳の誕生日も病院で迎えた。長い入院を経て、退院後、心に何かを抱えながらも前を向いてい生きようとしていた。そして、50歳の今も大きな変化を迎えている。

誰もが、日々変化の中にいて、きっとそこには大きな苦しみや悲しみも伴う。だからこそ、ちゃんとしあわせに向かって生きていく未来を描くことも大事。今日は、20年前の私が葛藤しながらも、自分なりに前を向こうとして書いたエッセイ「梅」を届けたい。


2005年2月 エッセイ「梅」

庭の紅梅の蕾がかわいらしく開き、あまい香りを放っている。今年の梅は例年になく美しく咲き乱れている。梅は桜とよく比較されるが、梅の方が桜よりもエネルギッシュだと耳にした。梅は芳香を放ち、実もつける。確かに、桜ははかないことの象徴であるが、梅は息が長い。梅の木にはたくさんのエネルギーが蓄えられているのだろう。

退院して2カ月半余り。ダラダラと一日を過ごすことが多くなりつつある。なんだかやる気が起きないし、将来に対する漠然とした不安が襲ってくる。今年の目標は、「感謝をすることを忘れない」と「一瞬一瞬を楽しむ」であったにも関わらず、どちらも実行できてないように思われる。家族には不安をぶつけてばかりだ。結局いつも自己中心的な自分がいる。

昨年の夏は暑かった。私は精神症状を起こし、躁になった。原因はSLEという膠原病。苦しかったけれど楽しかった。毎日毎日がまるで覚醒しているような日々だった。今を生きることの意味がわかったような気がした。私は、絵を描き、言葉を紡ぎ、歌を歌い、饒舌になった。自分を救世主だと本気で思っていた。あんな風に生きていることが楽しかったことはなかったように思う。けれども今は少し鬱のような状態になっている。無気力でやる気が起きない。その結果ダラダラと一日を過ごすことになってしまっているのだ。でも、もしかしたら梅のようにエネルギーを蓄える時期なのかもしれない。

今日私は当たり前のことに気がついた。それは、弱音を吐ける環境があるということだ。不安を口にできる人がいることに感謝しなくてはならない。「幸せなんて 感じたもん勝ち 感じるということ 感じるということ、それこそが生きているということそのものだ。」
入院中に西の一公園で出会った女性が送ってくれたカードの言葉が頭を過ぎる。幸せを感じる心があるということ。幸せと感謝は似ているかもしれない。

岡部伊都子は「人間の幸福とは、人間全体を幸福にする方向にむかって、自分の力を尽くすことにあるのではないか」と述べている。自己満足の幸福を超えた幸福が本当の幸福なのかもしれない。
(おわり)


痛みも慈しみ幸福に向かう

「幸せなんて 感じたもん勝ち 感じるということ 感じるということ、それこそが生きているということそのものだ。」というカードを送ってくれた女性は癌を患っていた。退院後に彼女が住んでいた秩父にも遊びに行った。しかし、その後旅立っていった。だからこそ、彼女からのメッセージはとても重い。

岡部伊都子は戦争に行くことを嫌がる婚約者を鼓舞し、送り出したことを後悔し続けた。だからこそ、幸福の意味をずっと問い続けていたのではないか。

寒い冬を越して咲いた梅の花だからこそ、美しく、語りかけるものがあるのだと思う。ちゃんと痛みも抱えつつ、それさえも慈しみながら幸福に向かい自分の力を尽くすことを大事に生きたい。

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