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聴く力に支えられる書くという行為
記事を書くという仕事をするようになって感じることの1つは、ヒヤリング能力の重要性だ。他者がいて成立する取材は、聴く力がないと核心に迫る言葉を拾えない。そんなことを感じることが多い。
聴く力に支えられる書くという行為
書くという行為の前に自他の心の声を聴く、という作業があるように思える。または、聴きながら書くということもあるから、どちらが先とも言えない。私はメモ魔で、常にアンテナに引っかかる言葉があると、メモに取る。聴くということと書くということは密接につながりをもつ。書くという行為は聴く力に支えているのだと思う。
聴くよりしゃべるからこそ
日常生活の中で「しゃべりすぎたな」と思うことが多い。そして、きっと多くの人が自分の話を聴いてほしいと思っている。聴きたい人より話したい人の方が自分も含め多いのではないだろうか。だからこそ、聴くことができるようになりたい。また、noteを読むことができる人はきっと聴ける人なのだと思う。
「聴く」と「聞く」の違い
「聴く」ということをずっと考えてきた。きっかけは大学の授業だった。「聞く」と「聴く」の違いについての話は、学生だった私にとても響いた。その後も折に触れ問い続けた聴くということ。今日は15年前に書いたエッセイ「聴く力」をお届けしたい。
2009年
エッセイ「聴く力」
大学時代から書き溜めている言葉ノートの中に、「聴く」ことに触れている文章がいくつかある。その中に鷲田清一「聴くに聴けないこと」という新聞の記事が掲載された文章の一部を抜粋したものがあった。それを、彼の著書『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』を読んでいて思い出した。そして、その抜粋した文章を見つけ出した。
聴くというのはほんとうにむずかしい。聴きすぎてもいけないし、聞き流してもいけない。ひとはほんとうに苦しいことは口にしないものだし、自分にとってほんとうに大事なことを語る前には深く黙り込むものだ。つまり、辛抱強く待つ耳があってはじめて、言葉が生まれるのである。迎え入れられるという、あらかじめの確信がないところでは、ひとは言葉を相手にあずけないものだからだ。それでも聴くことが大切なのは、人が苦しみについて語りだすとき、その人は自分の苦しみにこれまでとは違った仕方でかかわろうとしているからだ。それを脇から支えるのが聴くという仕事だ
この言葉は、教師をしていた当時、私にとって、ずっしりと重いものであった。子どもは大人がどんな姿勢で自分の声を聞いているか敏感に感じ取っているものだと日々痛感していたからだ。教師を志していた頃、教育とは魂と魂の触れ合いだ、と考えていた。それは、互いに「聴く」という行為なしは生じないドラマであると信じていた。
私は、大学に入り、ある先生の授業を受け、魂を揺さぶられるような経験をし、教師を志した。そして、夢が叶い、教師という職に就くことができた。教員生活の中で、生徒に「伝える」こと以上に、生徒の声を「聴く」ことに努めてきたつもりであった。しかし、それは、想像以上に難しかった。生徒が心の内を語りだすとき、私にとってずっしりと重いものになることが多々あったからだ。彼らの中には、私の想像をはるかに越える心の闇を持っている生徒がいた。そして、「聴く」ということに疲労困憊してしまう自分の拙さを痛感した。
ところで、よく”Hear”と”Listen”の違いについて耳にするが、アメリカ人の教師は話をする前に、必ず”Listen”を口にしていた。「聞いて」ではなく、「聴いて」と言っていたのだ。「聞く」は、自然に耳に聞えてくる音声を耳に感じる意で、「聴く」は、意志をもって念入りに聞く意だと辞書にはある。この「聞く」と「聴く」との違いについては、大学時代、教育課程の授業の中で、当時日本聾話学校の校長をされていた安積力也先生が語ってくださった機会があった。その安積先生は、NHKラジオ深夜便「心の時代」の中の「難聴児に教えられて」というテーマで、次のようなことを語っていらした。
音というのは不思議なもので、聞こうとしなければ、その人にとっての音は存在しません。つまり〈聞こえて〉はいても〈聴く〉ことができず、聞き流してしまうのです。〈聴く〉ためには、“自分にとって大切な音源”がなければなりません。これを人とのかかわりで言うと、本当に大切と思える他者関係がなければ、私たちにとって声も言葉も“大切な音”とはならないということです。つまり、大切な他者との関係がなければ、聴く力は育ってこないのです。
また、主に知的障害を持つ特別支援学校でのボランティアでは、こちらが、子どもたちの伝えたいことをどれだけ「聴く」ことができるかが、問われているような気がする。そして、伝えるべきことを、どのように「伝える」かというのも、試行錯誤の繰り返しである。特別支援学校の先生たちは流石にその道のプロで、感心させられることが多い。彼らは、子どもたちの声の調子を、よく聴き分けて、指導している。そして、臨機応変に声を変え、すべきことを伝えている。
私は、病を得てから、多くの人たちに話を「聴く」という行為をしてもらってきた。自分のありのままを語ることで、どれだけ癒されたことか。自分を曝け出すことにより、自分の苦しみを昇華することができたように思う。それは、話を聴いてくれる誰かなしにはなされなかったことだ。また、自己を他者に語ることを通して、他者が私に心を開き、語リ始め、それを「聴く」という経験もした。歳を重ね、様々な体験をすることで、「聴く力」が少しはついてきたような気がする。
「聴く力」は研ぎ澄まされた耳を持ない限り、手に入れることはできない。そして、茨木のり子の「聴く力」という詩を目にする度に背筋が伸びる。
「聴く力」 茨木のり子
ひとのこころの湖水
その深浅に
立ちどまり耳澄ます
ということがない
風の音に驚いたり
鳥の声に惚けたり
ひとり耳そばだてる
そんなしぐさからも遠ざかるばかり
小鳥の会話がわかったせいで
振るい樹木の難儀を救い
きれいな娘の病気まで直した民話
「聴耳頭巾」を持っていた うからやから
その末裔は我がことのみに我我夢中
舌ばかりほの赤くくるくる空転し
どう言いくるめようか
どう圧倒してやろうか
だが
どうして言葉たり得よう
他のものを じっと
受けとめる力がなければ
「聴く力」を養っていくためにも、きちんとアンテナを張って、一瞬一瞬を大切にしていきたいと思う。
聴く力を養ってきたからこそ書けることがある
9月で50歳になったが、20代で教員をやっていた頃の私は「他のものをじっと受けとめる力」が乏しく、聴くということに憔悴してしまったことも多かった。今も、十分に聴けているかといえば、まだまだ。ただ、書くという仕事をするうえで、ずっと聴くことについて掘り下げて考えてきたからこそ、聴いて、書ける今がある。過去の私が大事にしていたことの延長線上に今があることに気づかされる。これからも自他の声を聴くことを通し、このnoteに書くことを続けていきたい。