わたし的「神界のフィールドワーク」
はじめに
それは一枚のモノクロ写真から始まった。
カトリック系雑誌の一ページだったと思うのだが、修道士のそれと思える「祈りの手」がそこにあった。それは美しくありながらむしろ神々しささえ感じられ、それを生み出す何らかの力がカタチとなってそこにあるように思えた。
この手は一体何を祈っている手なのだろう。素朴にそう思った。あたかも何處へかと放たれているようにも見えるが、その先には何が在るのだろうか、そんな事も同時に思っていた。
その頃のわたしはカトリシズムに強く影響を受けていた。
キリスト・イエスは人類に贈与された救い主であり、聖なる者とされながらも、実に生の人間として聖書の中で息づいていたのだった。そんな背景の中にありながら、わたしの頭の中には常にうごめく課題があった。
「神」とは何を示しているのか。それは存在者を示しているものなのか、そもそも祈りとは何なのか。
祈りとはおそらく与えられたお題目を唱えることとは異なるだろう、それに、何かを手に入れるために願うことでもないだろうということ位は想像できた。
それにしても一体、あの写真の祈り手は、どのような意識に基づき、そしてどのような相手に照射され、そこにどのような体験が伴われていたのだろう。
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