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イップス克服に向けて016:ジストニアの方ではないか?

(※プライバシーに関わるため一部省略)
また、試合の時にフォアが暴発するのではなく、練習の時からフォアに不調が出るため、ジストニアの方ではないかと思いました。
これは、イップスの一種なのでしょうか?

また、薬機法の関係があり答えられないかもしれませんが、仮に薬剤性ジストニアで上手くテニスが打てなくても、テニスは楽しむことはできるでしょうか?
知人から「テニス、楽しい?」と聞かれ、即答できなかったので、今はテニスが楽しくないのかもしれません。「体は苦しんでも心まで苦しむ必要はない」という言葉も最近知り、上手く打てなくてもテニスは楽しめるのではないかと思い、メールさせてもらいました。(※一部省略)ミスに嫌悪するのが続いてしまうときもあります。

ちなみに、今は吉田さんと近いセミウエスタンとイースタンの中間くらいのグリップで打っています。まだ、タイミングがちゃんとつかめないのですが、前のグリップよりはましになってきました。

答えられる範囲で構わないですので、アドバイス頂けないでしょうか?

回答


▶テニスは、上手くないと楽しくない

 
薬剤性ジストニアについては詳しくありませんので、お応えできません。
 
確かにジストニアは、イップスを患う原因の槍玉に上げられがちですよね。
 
しかし、考えなくてよいでしょう。
 
脳といっても、結局それも「体」の一部であり、イニシアチブを掌握するのは「心」ですからね。
 
テニスは、勝てなくても楽しめます。
 
汗を流すエクササイズとしての爽快感
 
スイートスポットで打ったときの芯を食った突き抜けるような気持ちよさ
 
あるいはテニスゼロのユーザーにはラケットとボールを「楽器」にたとえ、サウンドを楽しむという方もいらっしゃいます。
 
勝敗は別にして、全力を出し尽くせさえすれば、充実感すら、負けてもみなぎります。
 
だけどこちらで述べましたとおり、全力すら出せずに終わるのがテニスの試合です。

それが口惜しい。
 
それは、揶揄する意味では決してなく、「下手」だとそうなります。
 
テニスは勝てなくても楽しめますが、下手なままだと、どうしても楽しめません
 
顔では笑っていても、下手だと、充実感などあるはずがないのです。
 
ですから今後もテニスを継続していくならば、「上手くならなければならない」のです。
 

▶プロが「テニスエルボー」にならないのはなぜ?

 勝てなくてもテニスは十分楽しめますが、下手なままだと楽しめません。
 
なぜなら「痛い」からです。
 
ケガするからです。
 
テニスというのは、「下手=痛い」のです
 
スイートスポットを外して打つと、手のひらのなかでグリップが回って血豆ができてヒリヒリします。

こうなるともう、グリップを握るのも苦痛です。

テニスエルボーなどもそう。
 
テニスが下手だから発症します。
 
「たくさん打つから患う」などと勘違いされがちですけれども、もしそうだとしたら週末しかプレーしないウィークエンドプレーヤーに比べて、毎日のようにプレーするプロは、真っ先にエルボーになりそうですが、決してそうはなりません
 
下手だから、バイメカ的に体にとって弱い状態のタイミングで打球し、ヒジに衝撃を受けてしまうのです。
 
上手ければ、どんなにたくさん打っても、テニスエルボーにはなりません

先述したように、打球感は「手応え」というよりも、「突き抜ける」ような気持ちよさだからです。

テニスエルボーになると、ペットボトルのフタさえ開けるのにさえ、苦しみを覚えます。
 
ですから下手なままだと、楽しめないのです
 

▶痛いのが気持ちいい!?

 
「体は苦しんでも心まで苦しむ必要はない」というよりも、体も心も苦しむ必要なんてありません
 
ですが下手なままだと、ツイッターのイントロダクションなどでも述べている通り、テニスが「苦行」になってしまいます。

しかし苦行をいくら強いても、心身は、強くなったり浄化されたりしませんから、結局苦しみます。
 
(鞭で打たれるとか?)痛いのが気持ちいいという奇異な人もたまにいますけれども(笑)、それはこちらで述べた、「ありもしない快楽」を求めすぎた顛末です。

村の少女スジャータからミルク粥をもらった釈迦は、修行仲間から散々ののしられましたけれども、こちらで述べましたとおり、「苦行」をやめて悟った経緯と同じです。

膿んで、ただれてかゆくなった皮膚に、焼けた炭を押しつけると、ジュワッとなって気持ちいい。
 
だけど「正常」な状態の皮膚に、そんなことをして気持ちいいのか、という話と同じです。
 
快楽は「異常」だから、感じられます。
  

▶自己肯定感が低いから、自分を傷つける

 
また痛みについて付言しておきますと、自己肯定感が低いと、自分の心身を傷めつけてしまいがちです。
 
「私なんて大切じゃない」という感じ方が強まるから、粗末に扱う自傷行為に及ぶのです。
 
精神的には自分にダメ出しして、自らを傷つけます。
 
肉体的にはリストカットや抜毛、皮膚むしり、摂食障害を繰り返すなどして、自らを傷つけます。
 
自ら望んで、苦しい選択をしてしまいたくなる。
 
自己肯定感が低いと、人生ハードモードなのです。
 

▶「楽しみ至上主義」だと、勝ちやすい!

下手なままだと楽しめない。
 
これは大袈裟でもなく、生きる法則とまったく同じです。
 
上手く生きないと、人生はまったく楽しくありません。
 
ツライ思いをするばかりです。
 
原則は、なるべく善を為して、悪を遠ざける
 
もともと善には「上手」、悪には「下手」という意味があります。
 
悪の象徴である犯罪行為は、割に合わず、生き方が「下手すぎ」なのは火を見るより明らかです。

すなわち、なるべく上手を為して、下手を遠ざけるのが、苦しまない生き方。
 
なので下手なままでも楽しめればいいという捉え方は、矛盾を孕みます
 
また、「勝てなくても楽しめる」とは申しましたが、「勝ち負け」に対する囚われが消えたとき、自然と勝つ機会も多くなります
 
「勝利至上主義」だと、楽しくありません。
 
「楽しみ至上主義」だと、勝ちやすくなります。
 
そのためには、下手なままだといけない。
 
下手だと、顔では笑っていても、テニスは楽しくない(痛い)からです。

▶「100発100中」スイートスポットで捕えられたら


「勝ち・負け」「上手・下手」「楽しみ・苦しみ」の関係性は、下記のとおりです。

たとえ相手が弱すぎて自分が勝ったとしても、自分の打つショットが全部フレームショットだったとしたら、その試合は、さっぱり楽しくないでしょう。

楽しくないどころか、打球衝撃がガツガツと腕に響いて、苦しいはずです。
 
たとえ相手が強すぎて自分が負けたとしても、自分の打つショットが100発100中スイートスポットで捕えられたとしたら、その試合は、まぁ楽しいでしょう。
 
そして、100発100中スイートスポットで捕えられたら、自然と勝つ機会も多くなる道理です。
 
最近のスポーツ界では経験則から「楽しむことが大事」などと言われますが、上記のような理由によるのです。
 
何も苦労したり、痛い思いをしたりすれば、勝てるわけではありません。

つらい思いをしたから、幸せになるわけでもない。

「イージーモード」でいいんです

▶テニスは「上手くならなければならない」


前にも申し上げましたが、ミスを嫌悪するのも「自我」という錯覚に由来。
 
試合相手のミスを見て、嫌悪しますか?
 
逆に「嬉しい」かもしれませんね。
 
結局のところ、ミスに「良い」も「悪い」もない
 
捉え方、解釈しだいです。
 
だったら自分のミスも他人事のように客観視して、囚われずにやり過ごす・受け流すというのが、上手(善)なプレー・生き方です。

テニスは下手なままだと、心身ともに「痛い」のです。

長々と述べてまいりましたが上記の理由により、今後もテニスを継続していくならば、「上手くならなければならない」のです。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO(テニスゼロ)
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