子どもの頃のあり方は、人生を決めるのか?(3

何歳までが子どもだろうか?

子どもの頃に植え付けられた、大人や子どもという区別。

確かな指針がないままに、年齢だけで区別をしている気がする。

大人になっても精神年齢の低い人間を嫌というほど見てきたが、そんな大人はかえってたちが悪い。

子どもには、ちゃんとした大人と、そうではない大人がいることは分からない。
子どもには、大人などという概念はあまり意味が無いことを知らしめるべきだと思う。しかし、そういったことができる成熟した大人が少ないことに、そもそもの問題があるのだろう。

今回は、成人するまでを子供時代として書いていきます。

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高校卒業前、まだ17歳の終わりに教習所に通い始めて、18歳になってすぐに自動車免許を取った。

費用は、子供の頃からお年玉などをコツコツと貯めたお金を使った。もちろん親からの援助もあったが、できれば頼りたくなかったのだ。
なぜなら、うちにはお金がないという思いを常に持っていたからだ。
大人というものは、子供を子供扱いするものだが、大人が思っているより多くのことを感じ取っているものだ。

高校卒業後は浪人したが、受験勉強はほとんどしなかった。図書館に籠もっては、哲学や心理学、様々な本を読み漁っていた。
自分自身がわからない、社会の営みもわからない。分からないことだらけだった。
こういった形のない焦りのようなものが、大学に行かずに就職を決めさせた動機の一つだろうと思う。

19歳のときに、英会話の教材を売る会社に就職した。
大学受験はしたが、結果を待たずに自分で探してきたのだ。

今で言うブラック企業であったが、その頃はそんな概念などなかったし、もちろん仕事や会社に対する知識など無かったので仕方がなかった。

その会社は外資系で見映えも良かったので、大学新卒もかなりいた。
今思えば、大学卒とは言っても世間を知らないのは自分と大して変わらなかったのだろう。見映えだけで選んでしまっていたのかもしれない。

給料も最初は出ていたものの、すぐに歩合制にさせられた。
商品を売れない人間はどんどん辞めていった。
数ヶ月で、半数以上辞めたと思う。

しかし自分の中では、お金を稼ぐ以外にも目的があったので続けられた。

一つの目標が、営業成績で入賞し海外に行くことであった。
この頃はまだまだ円は安かったし、飛行機代は庶民には高かったからだ。

ちなみに1971年まで1ドル360円の固定であったのが、1973年に変動相場制になって、この頃1980年前後は1ドル200円から250円だった。

同時に営業に出ると自分と同じような年齢の人たちと直接会って、話をすることができることも面白かった。
とにかく仕事であるから、見知らぬ人と会うことも気が楽だ。
見込み客に会ってからは営業トークもしたが、すぐに今考えていること、思っていることを色々話しあった。
殆どは雑談と言ってもいい。

中には朝から喫茶店に入って、終わるまで長時間話した人もいる。

自分にとっては、同世代の他人と話ができる願ってもない状況だった。

なにを話したかは具体的には覚えていないが、他愛もない人生などについて他者と話をすることが楽しかった。

同時に、哲学や心理学、人間について本で読んだだけの知識を実地に検証する機会でもあった。

同僚たちとも話をした。

当時は年上の大人たちだと思っていたが、彼らも20代の若者だった。自分探しが必要だったのだろうと思う。

人と話をするにつけ、人間とは何かという興味が強くなってきた。

大卒の人たちから、色々考えているなら、大学に行ったほうが良いと言われた。

そのときに、ある精神分析学者の本を紹介された。
精神分析という考え方は自分の世界観に衝撃を与えた。
人の中核をなしている「心」を精神として分解して考えることで見えてくる世界像が新鮮だったのだ。

また一方では、既に社会人だった人に連れられて、会社以外の人達に会う機会にも恵まれた。

当時はバブル絶頂期で、東京の若者の遊び方もバブルだった。
若者たちは六本木のディスコやパブに入り浸ったり、夜の街ではすぐに知り合いに出会う社交の場だった。

中には東大出身者などのグループもあって、知り合った人の家に泊まったりしたこともあった。彼らの家は医者や弁護士など裕福な家が大部分だった。
彼らと外国人の運転するベンツで、夜の六本木に繰り出したりしたこともあった。

しかし自分には、遊びの世界に入り浸りたいというより、世界が違う人がいる、かなわない人達がいる、というのが素直な感想だった。

営業の賞で海外にも行けた。
フィリピンだったが、目的地だったリゾートよりもその途中で見た貧しいが活気のある庶民の暮らしが印象的だった。

19歳の一年足らずで、自分の社会はものすごく広がった。
このことで同世代とは格段に違う世界を知っているという自信を得た。

しかも知識だけではなく、実際の社会を肌で感じられたことが大きかった。

その後も自分の世界を広げて行く動機になったのは、この時期の出会いが大きいと思う。
実際見たり、体験することでしか納得が得られないものがある、ということ。
それが今でも生き方の指針になっている。

この時が、大人になったとはいえないまでも、大人になるための入り口に立ったと思えた時であった。


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