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人生はカレーである①
「人生ってかれいだと思わない?」
息子の言葉である。はて、かれいとは? 加齢? 華麗?
「違うよ。カレーライスだよ。カレーライスって、定義があるようでないでしょ。どんな形状でもどんな具でもカレーでしょ。人生もそうだなあって」
ほーーーー。哲学だねえ。
私も「人生はカレーである」と思う。でも、息子の言うような意味ではなく、単純に子どもの頃から今にいたるまで食べ続けていて、家庭料理であり、レストランで食べるものでもあり、忙しい時に食べるものであり、じっくり食べるものでもあり、みんなで食べるとおいしいけれど、1人の時もついついカレーライスにしてしまう、どんな時も人生と共にあるという意味で、「人生はカレーである」と思う。
カレーライスのことを語り始めたら、きっと何回かは書けるだろうと考え、今回は①とする。
また、今回から見出しを「大見出し」にします。もうnoteを始めて1年たつのに、いまいちよくわかってないです。
片栗粉でとろみをつけたカレー
祖母のカレーといえば、冷凍保存のコーンが入っていた。自家製のとうもろこしが大量に穫れるので、祖母はそれを冷凍保存しておき、ポテサラに、クリームコロッケに、カレーライスにと利用していた。
それとなぜかレーズンが入っていた。あれはなぜだったんだろう。
しょうがとにんにくのみじんぎりをいため、じゃがいもにんじんたまねぎ豚肉をざっといためてから湯を注いで煮る。コーンやレーズンも投入する。
とろみは水溶き片栗粉でつける。SBの赤いカレー缶のカレー粉で味付けをした。しょうゆとソースも隠し味というか、大々的に入っていた。
今考えれば、カレーかなあと思う代物だけど、当時の私は大好きだった。
何でもありのカレー
母のカレーは市販のルーを使う。祖母のカレーに比べると甘くなく、市販のルーってさすがだね、という味がする。しかし、母のカレーの最大の特徴は、その時その時で全然違うカレーになるということだった。
母の友人に仕事で海外に頻繁に行く方がいた。お土産にスパイスを大量にくださった。母はせっかくのお土産を無駄にはできないと言って、カレーライスを作る際に肉にスパイスをもみこんだ。ただし、ルーは使う。こうして作ったカレーライスはスパイシーで奥深い味で美味しかった。
更に、夏になると夏野菜(なす、ピーマン、オクラ)が入り、少し水っぽいカレーになる。冬は冷凍保存しておいたトマトソースを入れる。少し赤い、トマトカレーになる。じゃがいもをおろして加えてとろみをつけることもある。その時あるものを上手に生かして作るから、具も味もとろみも、その時によって全然違う。
今は昼ぐらいから煮込むことが多く、野菜はとけて見えなくなっている。これもおいしい。
定番過ぎるカレー
いつもの書き方だと、ここで私のカレーを書くべきなのだが、今日はやめておこう。我が家のカレーは夫が作る。夫はカレーが大好物であり、自信を持って作れるレパートリーである。
夫のカレーの特徴は「定番」ということである。ルーを買ってきて、ルーの箱の裏側に書いてある分量をきっちり守って作る。だから、「余っちゃった」と言って、野菜や肉の切れ端が放置されている。そういうものを入れるのがカレーライスだと思うんだけど。
余計なものは何もいれない。しょうゆとソースを隠し味にするとか、キャラメルやインスタントコーヒーを少量入れるといいとか、私が試してきた工夫はすべて「余計なもの」である。
真剣に野菜と肉の分量をはかり、丁寧に野菜を切り、丁寧にたまねぎをいため、カレー用の肉をいため、丁寧にルーを溶かして煮込んで作る夫のカレーライスは本当においしい。
(とか言って、辛くなーいとスパイスを足したりもしますが。基本は美味しいカレーです。)
一箱全部使い切る。箱には10皿分と書いてあるが、もっとあるんじゃないかという大量のカレーが鍋いっぱいにできる。でも別に困らない。家族全員カレーライスが好きだから、その日のうちにほぼ食べる。少量残ったカレーを朝食に食べるのも美味しい。ちなみに私は朝食カレーの際に、納豆を入れて納豆カレーにするのが好きなんだが、家族の誰からも支持されない。
人生はカレーだ。とりあえず、家族のカレーの話を書いてみた。
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