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0時を過ぎました。
わたくし、今日から禁酒を始めたいと思います。
大腸カメラで異常なしだったのは、神様のおかげだと思います。
やっぱり、ああいう検査はめちゃくちゃ緊張します。
ああいうのはもう勘弁。なのでちょっと健康に気をつけてみます。
まあ、日頃からゲノム編集食品やらに文句を言いまくっているのに、酒をがぶ飲みしてること自体が矛盾しているので、気をつけてゆきたいと思います。

それで、わたしはhow to本は読みません。自己啓発的なのも含めて。おそらく最後に読んだその手の本は姜尚中の「悩む力」だと思います。かなり前の話です。
こう考えてみると、私はそもそも、朝鮮人やらに同情的なスタンスだったんだなと思います。
同情的というのは語弊がありますね。
社会をマクロで捉えたときに、虐げられる人々を存在をどう考えてゆくか、という問題は必然として浮かび上がってきます。

この辺りを経済学的に考えたのがアマルティア・センで、資本主義というシステムの中で必然的に失敗する市場が発生してしまうことを説明しました。エリック・ウィリアムズも同じ論点。インドもカリブ諸国も英国の奴隷貿易によって搾取されてきた国。

なので、差別とかそういうのではなくて、ある種のシステムの失敗によって生まれた部分について、それをどう解消していくか、という問題に興味があるんです。
このような観点を持っているのは、結局、他人が悲しんだり辛い思いをすることを、自分の痛みのように感じるからです。同情ではなく、自分の痛みのように感じる。
だから、興味がある。

それだけの話です。

もう、この辺りは理屈じゃないですね。
なので、大人になってから哲学を勉強したり自然と戯れだす人は、本当にもう遅いと思います。そういう人はもう他人に共感する部分の臓器を削り取られていて、売りさばかれてしまっています。
だから社会からとっとと退場して、引きこもっていてほしい。
でも、他人に共感できない人ほど今の社会では強くて、どんどん、社会の中で虐げられる部分を広げている。コンクリートジャングルの中で精神改変された人々が社会のマジョリティになってしまっている。

そしてこの先にある未来はおそらく自滅です。

わたしは、実は、ファンタジーやSFが好きです。
哲学の基本的なエッセンスはある程度学んできて、次の観点、次の解決策を無意識に探しているからではないかな、と思います。
ようするに、これからどんな社会がやってきて、それにどう抗ってゆけばいいのか、そんな視点で考えてるので、未来を描いた本が好きです。
だから、アニメや漫画も、比較的見る方の大人だと思います。

それで、何度も言うように、オッサンになってから哲学や自然の大切さに気づく人は可哀そうな人で、もう遅いんです。そういう興味すら、社会から植えつけられた見せかけの欲求でしかない可能性が高い。
社会の犠牲者には同情はします。

前に、奥穂高に登れと書きました。
まずは登ってください。
キャンプから入って、そして奥穂高を目指して、戻ってこれたらラッキー牧場ですが、おそらく、戻ってこれない人ばかりでしょう。

そんなニワトリばかりの鶏舎のなかで、たまたま柵を飛び越えることができた、ある意味で哀れなニワトリが自分だと思います。
でも私はまだ見たことのない青い光を目指して全力で走りだす。
コケッコーコー(行くな!)、コケッコッコー(そっちは危険だ)と囁く邪悪な黒いニワトリの隙間を潜り抜け、私はついに巨大な扉の隙間を抜けた。

淡く青い光の中で私はたじろぐ。almost blue。
頭がくらくらする。
私は、もしかしたらもう、澄んだ光の中では生きていけないかもしれない。
でも、それでもなお、私は淡い光の中心を目指して全力で走る。
それが正しいと思うから。

風の谷のニワトリに私はなった。

おわり



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