荒海や佐渡によこたふ天河 ―芭蕉の諧謔性―
荒海や佐渡によこたふ天河
この有名な芭蕉の俳句には謎が多い。今回は、その謎を解いてみたい。
まず、季語は天の川である。七夕の句なので季節は秋だ。芭蕉が越後の出雲崎を訪れた際に作ったと、「奥の細道」に書かれている。日本海の荒海を隔てて沖合に佐渡島が見える。その上には天の川が横たわるように輝いている。素直に読めば、このような情景が思い浮かぶ。果たして、そのイメージは正しいか。
佐渡に天の川は横たわるのだろうか
天文ソフトを使えばすぐに答えが出る。出雲崎から見て天の川は佐渡の上空には横たわらない。真上から縦方向に佐渡に向かって天の川は流れる。だから「横たわる」のは現実の情景ではない。
夜に出雲崎から佐渡島の島影は見えるのか
出雲崎から佐渡島は約50kmほど離れている。そんな遠くの島が夜の闇の中で見えるのか。
これを確かめるために出雲崎に向かった。あいにく土砂降りに遭ってしまったので、実際に見て確かめることはできなかった。地元の人に尋ねると、「満月のような月の明るい晩には見える」ということだった。
なるほど、月明かりは意外に明るい。芭蕉が出雲崎にいた日付は、奥の細道に記載されている。記録によれば出雲崎で宿泊したのは7月4日である。旧暦の4日は三日月の翌日なのだから、月はまだ細い。明るくないのである。だとすれば、この日の夜に佐渡島は見えなかった可能性がある。
天気はどうだったのか
これも気になる。奥の細道には、日中には強い雨が降ったが、夜半には雨が上がったと書かれている。雲が切れれば天の川も見えただろう。
この俳句を詠んだ時の芭蕉の心情はどうだろう
天の川の美しさに感動しているのか、荒海の厳しさや悲しさを強く感じているのか。荒海の後に切れ字の「や」が付されており、荒海の方に感動の中心があると考えるのが普通だ。しかし、中七・下五の雄大な取り合わせは、むしろ天の川の美しさを讃えているように思える。
銀河の序
芭蕉は、出雲崎での出来事を「銀河の序」という文章に書いている。この文章からは「奥の細道」には書かれていない芭蕉の心情をうかがい知ることができる。
流人と金山の島
芭蕉は、佐渡島の歴史に思いを馳せた。佐渡は、中世より流人の島であり、歴史上名高い人物が流された。
一方、金山の島でもあり、江戸期には幕府の財政を支えた。対岸の出雲崎は幕府の直轄地で、金の中継地として大いに栄えた。芭蕉は賑わう出雲崎の町で、遠い過去に流された人々に思いを寄せて涙を流しながらこの句を詠んだのである。
ちょうど七夕直前の夜だった。天の川と取り合わせたところが芭蕉の感性の素晴らしさだ。
「銀河の序」の熱量に比して、「奥の細道」の記述はあっさりしている。
芭蕉の諧謔性
特に情緒的な記述は何もない。その代わり、「文月や六日も常の夜には似ず」の句が挿入されている。「明日が七夕の夜だと思うと、六日の夜もいつもの夜ではないような心持ちがする」という意味だろうか。その句に続いて「荒海や」の句が置かれている。
ここに芭蕉の意図を読み取ることができる。「荒海や」の句は表面的には七夕の夜を愛でる歌なのだが、佐渡や出雲崎のことを知っている者にとっては、隠れた悲しい過去を見出すことができるはずだ。「貴方にはそれがわかるか」という芭蕉の問い掛けなのである。こんなところにも芭蕉の諧謔性を読み取ることができる。
芭蕉は、佐渡の上に横たわる天の川を見ていない。荒海だったかどうかも疑わしい。つまり、この句は芭蕉の写生ではなく心象風景なのだ。心象風景の文学へと俳句の世界を広げたのは芭蕉の大きな功績である。
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