母親が脚を切断することになった
過去記事で何度か書いたことがあるが、私の母は昨年(2023年)6月に自殺未遂をした。
現在70代の母は、50代の時に脳梗塞を患った。
糖尿病との合併症だった。
倒れる前日の朝、「気持ち悪い」と言っていた。
そしてその日の夜は枕元に洗面器を置き、夜通し吐いていた。
本人は風邪だと言い張った。
翌朝、トイレに行こうとしても立ち上がることができない。
私は母に肩を貸してトイレに連れていった。
病院に行こうと何度伝えても、絶対に行かないと言い張る。
救急車を呼ぼうとしたら「余計なことするな!」と叫ぶような声で怒鳴られた。
どうしようもなくなった私は、近所のおばさんに助けを求めた。
おばさんは母を説得して救急車を呼んでくれた。
身体を動かすこともできなくなった母は、救急隊員2人の手によって担架に乗せられ病院に運ばれた。
その日から母は大きな障害を負うこととなった。
脳梗塞による半身麻痺。
糖尿病によって目もよく見えなくなった。
左耳も全く聞こえなくなった。
半年もの入院期間とリハビリを経て、なんとか杖をついて500メーター程度なら歩けるまでに回復した。
それ以上の距離を歩く時はカートもしくは車椅子を使うようになった。
目は手術をしてある程度の視力を取り戻したが、手術の後遺症で視界が暗くなり、あまりよく見えないままだった。
最初の数年は杖をついて歩けていたが、そのうち壁を伝い歩きするのがギリギリになっていった。
家の中でも転ぶことが増え、手元もおぼつかなく、だんだん生活が不自由になっていった。
私はその間に結婚をし、家を出た。
2人きりになった両親は、いつか殺し合いになるのではないかと思い、私は離れていても恐怖に震える日々を過ごしていた。
両親は私が生まれる前から不仲だった。
父から母に対しては、DVに該当するかどうかは不明だがそれに相当するものがあった。
経済的な締め付けのほか、侮辱的な暴言を浴びせたり、大声で怒鳴ったりすることが多かった。
ケンカをすると机を叩き、お皿を投げ、真っ赤な顔をして怒鳴っていた。
母は母で、父がお金をくれないからと父の定期預金や生命保険を勝手に解約したり、消費者金融からの借金を繰り返した。
その尻拭いを毎回父がして、そのたびに家庭内は大荒れに荒れた。
お金がない母は、早朝の新聞配達を含めてパートを3つも4つも掛け持ちしていた。
私の誕生日にはプレゼントもケーキも何もなく、年に一度くらい外食する時は「1人千円まで」と父から制限をつけられた。
生活必需品を買ってもらう時でも罪悪感を植え付けられた。
私はひどく貧乏な家に生まれたのだと思っていた。
大人になってから、一流企業に勤める父の年収が1000万円を超えていたことを知った。
物心がついた頃から父の悪口を母から吹き込まれてきた。
あんなのは人間じゃない、本当は結婚したくなかった、定年したら絶対に離婚してやる、金の切れ目が縁の切れ目だ、結婚当時にあんなことされた、こんなことされた、うんぬん。
毎日毎日、何時間も悪口を聞かされた。
だけどあなたがいるから離婚しない。
結婚してこんなにつらいのに、子供が生まれたから別れられない、と。
自分は苦労しているから絶対に早死にする、と。
その言葉は、幼い私にとっては恐ろしい脅迫だった。
父親のせいで母親が死ぬ。
私が生まれたから、母は父と別れられずに死んでしまう。
母は障害者になってからも、相変わらず父に家政婦のように扱われていた。
私が結婚をして家を出たあとも、母は何度となく「死にたい」と言ってきた。
父の悪口を電話で何時間も聞かされた。
あなたしか私のことを分かってくれる人はいない、あなたにしか話せない、私にはもうあなたしかいない、と呪いのように何度も言われてきた。
父は父で、母の悪口を私に一生懸命伝えてくる。
借金を繰り返されてどれだけひどい目に遭ったか、病気になったのはバチが当たったのだ、そんなやつの面倒を見なきゃいけない俺が被害者だ、本当は捨ててやりたいけど一度結婚したからには最後まで仕方なく面倒見るしかない、と。
そんなに死にたいなら死ね、と。
両親のことを救いたくて、行政に駆け込んだこともある。
だけどうまくいかなかった。
両親を助けたくてありとあらゆる手を尽くしてきたけど、無力な私には何も解決できなかった。
私は自分が不甲斐ないせいで両親を救えなかったと思っているが、そういうことではないと頭では分かっている。
認知が歪んでいることは、自分でもよく分かっている。
育った環境が原因で、自己肯定感が著しく低いのだ。
自分は無価値で、愛されるに値しない人間だと思っている。
だから人の何十倍も努力して生きてきた。
立派な人間にならないと存在価値がないからだ。
おかげで多くの成果や実績を残してきた。
複数の言語を習得し、一流企業へ就職、最速での昇進、海外出張、退職後は本を出版、ラジオや講演会への出演、イベント主催、ヒット商品の開発、フリーランスにして年収2000万円。
だけど私は相変わらず自分には価値がないと思っていて、多くの人から愛されていることを実感するたびに、居心地が悪く感じている。
夫も友人も親戚の叔母も皆、私のことを愛してくれている。
いつも心配してくれて、私が一番欲しい言葉をくれる。
私のために何でもやると言ってくれて、実際に口だけじゃなくてそれを実行してくれる。
私が出版した本をプレゼントした時、とっとと他人に売ってお金にした母。
プレゼントしたイヤリングもすぐに近所の友だちにあげていた。
私が載っている雑誌は周囲の人たちに自慢するだけ自慢したらゴミ箱へ。
その雑誌を渡そうとしても見向きもしない父。
私が乳がんになっても、1円も出そうとしない父。
貯金はたくさんあるのに。
義母(夫の母親)でさえ、私に対して「お金のこととか何でも困ったらいつでも言ってね」と言ってくれるのに。
そういう扱いを受けることがデフォルトなので、夫や友人や叔母たちが私のことをすごく大切に扱ってくれて、温かい愛をたくさんくれることが心地悪くて仕方ない。
同時に、ありがたくて、ありがたくて、申し訳なさと嬉しさで胸がいっぱいになる。
私は乳がんになっても明るく前向きに生きている。
仕事も生き生きとバリバリとやってきた。
だから自己肯定感が高い人間だと思われる。
実際は、自己肯定感は最低レベルだ。
前向きに生きている理由は、そのほうが楽だからだ。
愚痴ばかり言い続けている両親を見て、その醜悪さや不幸さが身に沁みている。
ああはなりたくない。
私は自分なりの幸せを感じて生きていくのだ。
そして仕事にかまけて両親から距離を置くようになった。
特に2020年からの3年間は忙しさが異常だったので、それを理由に実家に寄りつかなくなった。
母から電話がきても忙しいからと言ってすぐに切った。
そして2023年の6月、私がパワハラで適応障害になって仕事を辞めることになったのと同じ時期、母は自殺未遂をした。
母は精神科に入院し、医者からは二度と父の元に戻してはならないと言われた。
父の元に戻ったら、また同じことを繰り返すからだ。
父は面会も禁止され、今後母に関わることもやめるように医者から言われた。
母の入院中の対応や施設探し、入居手続きなどは私が全部担った。
父は「俺にやらせろ」と私に何度も怒鳴ってきて、手がつけれらなかった。
同じ時期に自分の乳がんが発覚したため、完全に参ってしまった私は父から完全に距離を置くことにした。
母は施設での生活が幸せそうで、人が変わったように穏やかになった。
私も乳がんの手術と抗がん剤治療を終え、いろいろ落ち着いてきた。
そんな矢先、母が全く歩けなくなった。
これまでは歩行器を使えば10メートル程度まで歩けていたが、それもできなくなった。
立つこともできなくなった。
右足のかかとに褥瘡(床ずれ)ができたとのことで、施設の訪問医が治療をしてくれていた。
しかし状態は悪化する一方。
糖尿病であることから、これは皮膚ではなく血管の問題だろうと判断され、循環器内科に連れていった。
検査の結果、両脚の血流がほとんどないとのことだった。
そこでカテーテル処置をしてもらったが、血流は回復しなかった。
外科的手術が必要だということになり、心臓血管外科に診てもらった。
病名は「閉塞性動脈硬化症」。
糖尿病に起因する。
そして昨日の昼から入院。
来週にはバイパス手術を控えていた。
しかし昨日の夜、担当医から電話が掛かってきた。
検査の結果、思ったよりも状態が良くないと。
血管が動脈硬化でガチガチで、手術で繋ぐところがない。
そしてかかとの褥瘡と思われた部分は壊疽になっている。
腐ってきていて、バイキンが骨のところまで来ている。
このまま手術をすると敗血症になって死に至る。
非常に残念だが、脚を切断するしかないと。
母にはまだそのことを伝えていない。
医者には「母に伝える際は私が立ち会ったほうがいいと思う」と言った。
母の性格上、動転して逆上して大騒ぎになることが予想されるからだ。
過去に何かしら病状が悪化するたび、そうだったのだから。
脚を切断するということになれば、誰でも相当なショックを受けることだろう。
母は今、来週手術をしたらまた歩けるようになると期待している。
それなのに切断と言われたら、どれだけ絶望するのだろうか。
母が可哀想で仕方ない。
私が代わってあげたい。
父とは関わりたくない。
だけど母のことは伝えないと。
っていうか、独り暮らしになった父のことも実は心配している。
どんな親でも、親なのだ。
愛しているのだ。
大嫌いで、ずっと縁を切りたくて、死んでほしいと思ったことも何度もあって、憎くて憎くて仕方ないけど、情が捨てられない。
私には年の離れた兄が1人いるが、私以上に両親のことを憎んでいて、何ひとつ力を貸してくれない。
だから私はまるで一人っ子のように、すべてを一人で抱えて両親の問題を背負ってきている。
本当に一人っ子だったら納得もいくのだが、実は兄がいると思うとやるせない。
ちなみに兄は実家の近くに住んでいる。
義姉(兄の奥さん)は、兄にいつも説教をしてくれている。
妹にすべてを背負わせるな、妹のためにもっと動けと何度も言ってくれている。
だけど全く動いてくれないと嘆いている。
代わりに自分にできることは何でも言ってほしいと言われているが、私としては義姉をあまり巻き込みたくない。
兄は私の病気のことを心配してくれているが、親と関わりたくないという感情がどうしても勝ってしまうのだろう。
その気持ちは理解できるから、私も強く出られない。
なんであれ、私には夫や友人がいる。
夫は私の母を病院に連れて行くために何度も仕事を休んでくれるし、母を抱きかかえて車に乗せてもくれる。
私の入院中は、母の施設への移動も代わりにやってくれた。
友人は母の生活用品を買うために車を出してくれたし、施設への見学も付き添ってくれたし、父と会いたくないという私に同席を申し出てくれた。
つらくなった時はいつも電話で話を聞いてくれる。
血が繋がってなくても家族だと思ってるとまで言ってくれた。
昨日母が脚を切断することになって、母の施設の施設長、友人、兄の奥さん、叔母など多くの人に電話をして、みんな私を慰めてくれた。
みんな私の身体を一番に考えるように言ってくれる。
私が自分のことそっちのけでお母さんのことで苦しんでるから、みんなは私のことを心配してくれる。
本当にみんな優しくて、温かくて、ありがたい人たちだ。
感謝なんて言葉では足りないくらい。
だけど、私に注がれるこれらの愛を、私ではなく両親に譲りたいと思ってしまう。
そんな私は本当に認知が歪んでると思うが、私はそのようにしか生きられないのだ。
母が可哀想で仕方ない。
どれだけ絶望するのだろう。
どれだけ痛い思いをするのだろう。