映画『未来世紀ブラジル』 私の中に潜むブラジル
学生時代にT先輩と一緒に見た映画。なかなか才気がある人で遊びでイラストを描いたりドラマの脚本を書いたりしてた。三つほど年上だったが、良く飲んで喋った。ビデオの機材を借りて、馬鹿げたドラマを一緒に作ったのも懐かしい思い出。タイトルは『マニラ二号』。如何わしさが満載だわ。彼の影響でモンティ・パイソンも観るようになって、ナンセンスなユーモアに笑い転げていた。
思えば、我々の若かりし頃は全共闘のような熱い政治の時は去り(まだタテカンあったけど)しらけ世代、新人類と呼ばれたころだった。ネクラ青年の私は、同世代で括られるのも鬱陶しかったので映画と読書に明け暮れていた。『1984年』『すばらしい新世界』などディストピア小説を好んで読み世界を斜めに見て悦に入っていた。
若者であり馬鹿者。フラフラしながら、時に悲壮な世界への恨みを語ったと思えば、未来に期待を寄せていたところもあったように思う。その日その日をただ彷徨って生きていた。35年が経過して『未来世紀ブラジル』を再見。
いつの間にか未来世紀に生きてるけれど、架空の国『BRAZIL』は二十世紀の何処かの国のことで、それほど未来ではなく我々が生きた時代のパラレルワールドらしい。
今回再見したが懐かしくも面白い。パラレルワールドは今ここと重なる部分が透けて見えてこその世界。そこに面白さがある。テリー・ギリアムは、そんな気などなかっただろうが、政府で働く人達の姿がコンピューターを人間が演じてるように見えたり、ぶっとい配管がパソコンのケーブルに見えたり、デニーロ演じるテロリストがハッカーの送る電子信号に見えたりするから楽しげ。久しぶりに斜めに世界を感じて少しだけカタルシスを感じた。けれど、決して救われるわけではない。
魔神と戦うものは、戦っている間はいっときのヒロイズムに浸れるけれど、その実態はドン・キホーテ。システムの壁はいつも高く聳え立っている。誰かがいなくなってもすぐに誰かが補充されているのがその世界の仕組み。
いまも人間はユートピアを作ることはできず、せっせとディストピアを作り続けてる。
ユートピアがあるとすれば、ひとり一人の脳の中だけ。誰にも侵すことはできない。
テリー・ギリアムは、やっぱり確信犯的なペシミスト。
ブラジル …
私のブラジル
あなたとさまよったブラジル
想像の中に真実のあるブラジル
情熱的なその調べ。
微笑みを曲にのせ
芸術的なキスを。
もう、あなたはブラジルに夢中!
そして、私は夢見てる。あの遥か昔のブラジルの夢をね!
一緒に映画見た後、しばらく何かあるとチャッチャッチャッ♬チャッチャッチャッチャッチャッ♬タ〜ラ〜ラララララララ〜♬と手を波のように泳がせて歌いだして私の前に現れたT先輩。
後年、大学の教員になり、仕事を紹介してくれたりしたあの方は今でも楽天家だろうな。