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追悼デビッド・リンチ監督 カーテンコールで逢いましょう
年明けにデビッド・リンチが亡くなった。
ツインピークス リミテッドのクーパー(マクラクラン)とゴードン(リンチ)のお別れのシーンが頭に蘇った。最後の台詞は「カーテンコールで逢いましょう」。ツインピークスは、永遠の輪の中に閉じ込められてる。きっとカーテンコールの機会は訪れないのだが、その世界の扉を開ければ必ずやリンチの世界とゴードンに会える。なんか遺言のように思えてきた。
昨年(2024)はデビッド・リンチがマイブームだった。久しぶりにツインピークス、ツインピークス・リターン、ブルーベルベット、ローラ・パーマの7日間を立て続けに見た。やはり、いい。
高校時代、エキセントリックな同級生が『エレファントマン』が傑作であることを授業中に叫ぶように語っていたのを思い出した。あの山内くんも悲しんでると思う。今頃、献杯してるかな。
彼の作品に惹かれるのは、夢魔に襲われやすいわたくしの性質に関連してるのだろうと思う。三本ほど繰り返し見る悪夢がある。ほぼシチュエーションが一緒なので一話完結のショートドラマの連作と言っていい。悪夢ではあるが、同じ夢を見る(つくり続ける)のも目覚めてから冷静になればなかなか面白いことなので、これは夢なんだと気づいたときは、なんとか夢の展開をコントロールしようともがいている。なにせ、コンプライアンスはない、お金もかからない、誰でも出演させられる世界なのだ。生きている限り、眠りながらもその夢を完成させたい?願望がある。
わたしくしと比べるのはなんだが、リンチは自分の夢(心の深いところにある正負の願望)を映像に落とし込み、時空を超え、マジシャンのような手管で緻密な妄想世界を出現させる。
この機会に彼の自伝『夢見る部屋』を手に入れて読んでみようと思う。
デビッド・リンチをググってたからかAmazonプライムが『マルホンド・ドライブ』を推してきた。初見は物語の構造をうっすらとしか掴めなかった(心はガッチリと掴まれた)ので今度二度目を見ようと思う。
ネタバレなしの感想を綴ればダイアン(=ベティ)の理想の物語は、哀しく切ない狂気に溢れ、破綻している。そして彼女の現実の世界は、誰も救われない無残な様相を呈している。
よくぞこんな物語をフィルムに焼き付けたものだと思う。善と悪の世界、理想と現実の世界、無垢と煩悩の世界、二つの世界がはっきりと分かれ、パラレルになってるようでいて混じり合ってるようでもある。
奇しくも本日トランプ政権が発足した。その映像を見ていると突っ走る欲望を制御せずに生存競争が人間の本質であると言われてるようでゾッとする。搾取される側の世界を気にかけることもなく強くなれ!と鼓舞する世界が本当の現実であれば、いずれその世界もダイアンのように無惨な様を呈してしまうだろう。何が良いかはわたくしのような粗末な頭では分からないが、中庸、バランスの取れた世界こそが皆が生き延びられる最善の策のように思う。
現実に悪夢を見ているような厳しい世界が待っているのであれば、つつましくも優しい世界の方に移動しておいたほうが世界のバランスを保つささやかな力になるのではないかと思う。時折は、リンチの無限ループの世界に浸りながら。
ここまで書いたら、カーテンコールが世界の終わりを示唆しているような気もしてさらにゾッとした。
リンチ逝き夢魔がこぞってカーニバル カーテンコールで逢いましょう