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退屈な毎日を充実させる★生活を語る

見てくださってありがとうございます!さーやです。わたしはコロナ後遺症で2022年5月から休職しています。

後遺症を通して、学んだ生き方や考えたことなど、誰もが共感できる記事づくりを目指しています。

今日は、療養生活について、書いてみました。

わたしはコロナ後遺症で、起き上がれないようなひどい倦怠感や9ヶ月続く微熱、脳の違和感、痛みなどの症状と付き合いながら生活しています。いまは、調子がよければ1日10000歩歩けるようになりましたが、だれかの手助けなしには生活できません。


1.なにもできない日々が教えてくれたこと

コロナ後遺症になった当初は、余裕もなかったし、毎日がストレスの連続でした。

今でも、不安はつきないし、誰かの助けがないと生活もままならないし、やりたいことはできないし、悩みは山のようにあります。どうやって生きていけるのかも不透明です。

けれど、ままならない身体で毎日を過ごすうちに、「生まれてはじめて、ここまで自分のこころと身体に向き合っている」と感じるようになり、変わり映えのしない療養生活に充実感をもてるようになってきました。

いろんな葛藤から逃げずに向き合う中で、新しい気づきを得たり、いままでなかった視点をもてたり、考え方の変化があったり。

進んでいないように感じる退屈な日々が、動けずにベッドで固まっている時間が、確実にわたしを成長させてくれる。そして、新しい生活や未来に繋がっていく。病気でも人生を前に進めることができる。いまはそんな風に考えられるようになりました。


2.治るとか治らないとか

コロナ後遺症になって、治る人もいれば、治らない人もいます。

自分はどっちだろう?

そんな、治る、治らないの二元論の生活は、くるしい。評価対象が自分の努力だけではコントロールできない。評価軸がひとつしかないから気持ちの逃げ場がない。精神的な余裕を失いやすい考え方だと思うのです。

不安になったり、考えても仕方ない。治る、治らないは結果論であり、いま悩むべきことではないと考えています。

症状によって諦めなければいけないことはあるので、症状にあわせて生活することにはなるのですが、毎日の症状に一喜一憂して、こころまで病気の症状に縛られないようにしています。

人生の中心は病気ではなく、自分。それがわたしのモットーです。



3.悲観するのは、できることがなくなってから

いろんな課題がありながらも、わたしはいま、生きています。

わたしが生きていられるのは、社会制度のおかげであり、家族のおかげであり、病院などの支援者のおかげであり、友達のおかげであり。

それらすべての支えは当たり前ではなく、全部大切にしたいわたしの財産です。

将来を悲観するより、いま絶望せずに生活できているという事実を大切にしたい。そして、今関わってくれている人への感謝を忘れず、できるだけ笑顔で過ごしたい。悲観するのは、できることがなくなってからでいいと思っています。

たとえ、病気が治らなくても、自分が気づいていないだけで、生き方っていろいろあるんだと思います。

自分の人生や未来、社会を肯定的にとらえ、いろいろな可能性を信じることが、寛解への近道だと考えています。


4.病気であっても、病気でなくても

病気であってもなくても、努力でなんとかできることと、どうにもできないことがあるのは同じです。

それでも、できることを続けることでしか、未来はひらけません。

「治らないんじゃないか?」と不安に押しつぶされそうな時こそ、治るためにできることを淡々とやる。できないことは、できる工夫がないか考える。どうしてもできないことは、潔く諦める。そして、なんとか凌いで、日々を繋げる。

前向きに過ごしていれば、必ず道は拓けるはずだと信じています。


5.退屈な療養生活を充実させたい!決意表明。

こんな風に思って、日々、過ごすようになって、すこし、少しずつ、生活を充実してきたように思います。

これからも、がんばりたいです。


見てくださって、ありがとうございます。

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