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「光る君へ」第22回 「越前の出会い」 内憂外患に悩む為政者の孤独と重圧

はじめに

 政治は妥協の産物…と言う言葉を聞いたことがある人は多いと思います。例えば、2021年に惜しまれながら政界を引退したことも記憶に新しいドイツのアンゲラ・メルケル元首相。彼女は自身の政治手法について、「“もうたくさん”という投げやりな態度は、私の手法ではありません。協議し、熟考し、そして決断する、が私の原則です」と述べています。こうした議論、交渉を重視する彼女のやり方を、人々は敬意をもって「妥協の芸術」と呼ぶのだそうです。

 人が集まれば、その数だけ思惑があるものです。そして、そのすべてを叶えることが不可能である以上、政治はその思惑同士がぶつかり合うものであり、妥協点を探ることになります。当然、自分が優位になるよう事を運びたい。となると、足元を見られないためにも、自分の本当の思惑は隠しながらの駆け引き、腹芸、権謀術策を繰り広げることになります。したがって、政においては、誰がどんな思惑でいるのか、あるいはその思惑の背景や事情など、見えないものをいかに見極めるかということが鍵になります。


 道長はそれをわかっています。だから、彼は右大臣就任に際して、帝に対して「意見を述べる者の顔を見、声を聞き、共に考えとうございます。彼らの思い、彼らの思惑を見抜くことができねば、お上の補佐役は務まりませぬ」との所信を述べたのです。そうして始まった道長政権、さまざまな決断をしてきましたが、それが正しいか否かは結果が出てみなければわかりません。結局、道長の政は政変を生み、道長が望まぬ形で政敵は排斥され、完全なトップに躍り出ることになってしまいましたね。

 その妥協の功罪として今回、絡んでくるのが、渡来した宋人という外交問題です。これまでの道長の政は内政に限られていました。また、その政治判断が急激な反応を見せるのは、都の中だけ、つまり自分の把握できる範囲内でした。しかし、今回ばかりはそうはいかず、道長は為政者の責任と孤独に悩まされます。
 その重圧の中、さらに自分が思惑を読み切れなかったばかりに別の問題も起きます。内憂外患で道長政権は早くも岐路に立たされそうです。


 一方、初めて国守になり、地方の政の頂点に立ったのが、為時です。彼もまた、言葉と文化の違う宋人、都の威光の通じない地方役人たちの思惑がつかめないまま、翻弄されていきます。まひろという味方はいますが、政治的な味方を得ることがないまま、孤独な闘いを強いられます。また、彼の判断もまた外交と直結しています。その意味では、今回の道長と為時は相似の関係だと言えるでしょう。

 そこで、道長と為時の二人それぞれが、人々の思惑に翻弄される様子を見ながら、為政者の孤独、政治的妥協の難しさについて考えてみましょう。



1.誰が味方かわからない越前の不穏

(1)悪気はなさそうだが、腹の読めない宋人たち

 道長から宋人の扱いの密命を受けた為時は、その使命の重さに気負うところがあります。ですから、国府到着よりも宋人の実態のほうが気になります。そこで、現状把握のため、真っ先に松原客館に寄ることにしました。百聞は一見に如かず。その目で確かめようという為時の気概は、間違っていないでしょう。

 とはいえ、実際にあれだけ多くの宋人と会えば、圧倒されてしまいます。一端は宋の言葉で静まらせたものの、矢継ぎ早に話す彼らに戸惑うばかりです。現れた彼らの長である朱仁聡と客館の通詞、三国若麻呂のおかげで救われます。流石に長たる朱仁聡は落ち着いた様子で、到着した為時に「皆が大変お世話になっておりますと礼を申しております」と若麻呂を通じて、礼を尽くすと温かく迎えます。その人となりをじっと観察していたまひろも「堂々となさっていて礼儀正しく、よい御方に見えました」と好印象です。

 もっともまひろの印象は、一面的なものです。礼儀正しさも堂々とした振る舞いも、相手が自分たちにとって大切な相手となる国守だからです。危険な思いをして海を渡ってきた彼らは、何らかの野心や強い思いを抱いてやってきています。山師とも言える人々です。また、厳しいなかを生き抜いてきた彼らは、まひろには想像もつかない背景や事情を持っているでしょう。人生経験が都に限られているまひろでは見抜けないと思われます。


 道長より密命を受け、宋人に身ぐるみ剥がされた経験のある為時は、まひろほど単純ではありません。まひろの朱仁聡評を「長となる者のは、そういうものだ」と肯定しつつも、「ただわからぬところもあるな、何故帰国せぬのだろうか」と疑問を抱きます。朱によれば、「乗ってきた船が壊れてしまって帰れません。船の修理を前の国守に頼んだのですがいまだに出来上がらないのです」とのこと。
 彼の言うとおりであれば、まひろの言うとおり「先の国守さまは何をしておられたのでしょう」なのですが、宋人らが嘘をついている可能性もあります。ですから、まずは「国府に入ったら早々調べる」ことにします。

 ただ、為時は、到着早々に直面した宋人同士の喧嘩を、帰りたい者とそうでない者の争いに聞こえたと直感し、彼らの中にも様々な事情があるのだろうとは思ってはいるようです。


 その後、朱仁聡は、宋人たちの主だった者を集め、為時の国守就任を祝う歓迎会を開きます。朱の「我らの国の料理です。国司さまのために作らせました。国司さま前途を寿いで」という挨拶、「宋の国では最高のもてなし」とされる羊を丸一匹つぶした羊料理など心づくしの様子が見て取れます。慣れぬ肉とその匂いに為時が躊躇するなか、まひろが気を利かせてかぶりつき、微妙な一拍を置いた後、「まあ、美味しい」と笑います。まあ、笑顔はやや微妙、美味しいの言葉は棒読みでしたが、そんな彼女に「食べてくれてありがとう」と破顔する宋人たちに悪意はあまり見えません。

 また、酒宴も酣(たけなわ)になると、為時は漢詩を披露し、その学才をもって彼らと交流を深めます。彼の漢詩を激賞したのは、宋人のなかで漢詩の交流を為時としたと言われる羌世昌(周世昌)でしょうか。為時ももう飲めないまで酒を過ごし、彼らに好意を抱いたようです。
   為時にせよ、まひろにせよ、この宴が上手く運べたのは、郷に入れば郷に従え、彼らの中に飛び込んだからです。


 ただ、その一方で為時は国に帰らぬ理由は船以外にもあるのではないかという疑念が払えません。言語の違い、文化の違いが、どうしても理解を阻むのです。ですから、時系列は前後しますが、とにかく、宋人らの真の目的を知ろうと、通詞の若麻呂から宋人たちの人となりの概要を尋ねています。若麻呂は「得体の知れないところはありますが、悪い者たちではありません。宋人は戦を嫌いますゆえ」と教えてくれます。戦を嫌うという点に為時は、驚きますが「唐の世とは違います。戦で領地を広げることはしないと聞きました」と重ねて彼らが害のない人物であることを若麻呂は強調します。信じたいところですが、確証はありません。


 為時は確かめるように「彼らは真に商人なのであろうか」と疑り深い質問をせざるを得ません。呆気に取られた若麻呂は「船の漕ぎ手以外は、商人です」と注意深く答えますが、一寸、その表情が困ったようになり、目が泳いだように見えなくもありません。真意はわかりません。為時が直感したように、宋人同士にも思惑には違いがあるようですから、そうした一枚岩でない事情に一寸、顔を曇らせたのかもしれません。ただ、この点は、宋人たちの内部が描かれていませんので、今後関わるのかどうかもわかりません。


 ただ、そもそも、この若麻呂という通詞も信用していい人間か、どうかわからないのですよね。結局、彼の訳次第で物事はどうにでも転がることを考えると、彼は絶対的に優位な立場にあるのです。そんな、彼が宋に通じていないとは限りません。ですから、為時は宋語が話せる理由を敢えて聞いています。
 もっとも、信用に一抹の不安があるにしても、彼が日本側にとって最大限の情報源なのも間違いなく、彼に頼るしかありません。為時は、今後も「あれこれ教えてくれ」と頼み込みます。「恐れ多いお言葉でございます。なんなりと」と快諾するときの若麻呂には、邪念はなさそうですが。それを確かめる前に彼は殺害されてしまいます。その死の真相に、彼の真実があるかもしれません。


 そして、怪しげと言えば、まひろが、浜辺で出会った周明も得体が知れませんね。ふらふら浜辺に現れ、浜辺の遠くを見る眼差しは、どこを見るのか。海の先にある故郷か、思う家族か、登場したときから、彼の感情は意味深なだけでわかりません。
 宋人と知り合い、いろいろ知りたい。好奇心旺盛なまひろは、物怖じせず「ごきげんよろしゅう。あたしの名前はまひろ、ま・ひ・ろ」と自ら話しかけました。周明は、そんなまひろを不思議そうに見ましたが、砂文字で名を教え、「再見」(また会おう)と去っていきます。

 その後、彼は、その後の為時歓迎会では、為時やまひろを品定めをするような目つきを見せ、一方で礼儀正しくもあり、またあるときは鍼医療ができる薬師として登場します。多くの面を持つ彼の様子はつかみどころがありません。そして、実は日本語が話せることが終盤に知れます。まひろの前では何故か日本語がわからないふりをしていたのです。その理由も含めて、正体不明の人物と言わざるを得ないでしょう。

 その割に、まひろとの出会いは、砂に文字を書くというまひろと三郎の出会いを意識した作りになっていて、新しいロマンスが仄めかされてもいるのですが、どうなるのでしょう。直秀みたいに死ぬ展開は勘弁してほしいですね。


(2)地方に馴染むことの必要性

 越前国府に着くと、早速、越前介の源光雅、大掾(だいじょう)の大野国勝ら役人一同の出迎えを受けます。現地役人の実質的リーダーである介(すけ)の光雅は「京の都と違い、初めは何かとご不便がおありでしょう。我らになんなりと尋ね、お申しつけくださいませ」と慇懃に挨拶をしますが、この言葉には含みがあります。都とはルールが違うから、何事も自分たちに任せよというのは、余計なことをするなということですね。

 しかし、道長から直々の命を受けている為時は、この言葉を字面通りに国守への協力と受け取り「身に余る大任であるが、誠心誠意務める所存、諸事、よしなに頼むぞ」と気概に満ちた就任挨拶をすると、早速、松原客館滞在時から気になっていた、船の修理について事情を問い質します。この言葉に国勝はやや狼狽えると、光雅の顔色を窺います。小悪党っぽさを見せる国勝に対して、光雅のほうは平然とした様子で「予定より遅れておりますが、粛々と進めております」と答えるあたり、かなり神経の図太い人間のようです。


 光雅の言葉を単なる報告として聞く為時は「事の子細を早速に知らせよ」と言うと、さも当然のように「いずれはこの目で船の様子も見たい」と視察を仄めかします。為時は、朱の心づくしの歓待を受け、その心意気には感心しています。また、漢詩を通じたやり取りで、どことなく通じ合ったという感覚もあります。道長の命のこともありますが、船がなくて動けなくていうのであれば、誠意をもってそれに応える必要があります。それが、我が国の威信を保つことにもなるからです。外交の基本は誠意であるというのが、為時にはあるのでしょう。
 無論、船を修理して、なおも動かなければ、彼らの訪日の目的は明確化するというものです。どちらにせよ、是が非でも船の修理は進める必要があるのが、為時の国守としての立場です。


 しかし、中央の意向も我が国の威信も知ったことではない、光雅ら地元役人には迷惑な話のようです。この一件には裏があるようですが、それが彼らの利益であるのは間違いないでしょう。土地の事情も知らず、余計なことをされては困るのです。ただ、困ったものだということはおくびにも出さず、光雅は「ご着任早々、そのような。宋人のことはこちらでよしなにやっておきますので」とあくまで、国守を気遣う体で、言外に余計なことをしないよう釘を刺します。
 しかし「いや、左大臣さまより宋人の扱いを任されて私は越前に参った。我が国が信用を落とすようなことは出来ぬ」と、彼らの真意に気づかない為時はその気遣いを要らぬものとして突っぱねます。


 意固地な為時に光雅「は、船の子細は後ほど」と返すものの国勝と二人して妙な顔をしながら顔を見合わせ、他の役人たちは目を逸らすようにして渋い顔です。厄介な国守が来たという態度がありありと窺え、初日から国府の空気は居心地の悪いものです。

 その微妙な雰囲気はまひろも感じたのでしょう。不愛想な女官らに自室に案内されたまひろは、越前和紙に興味を持ちながらも、書きつけた和歌は「かきくもり夕立つ波の荒ければ 浮きたる舟ぞ静心なき(歌意:空が一面に曇り、夕立が来そうになって立つ波が荒いので、浮いている舟が落ちつかないようすであることだ)」と、先々の不安を予感するものになっています。
   旅の不安を詠んだとされる紫式部の和歌に政治的背景を織り込むなは、政に関心の高い「光る君へ」のまひろならではの解釈ですね。


 その後、為時の執務室を訪れた光雅は、ズシリとした袱紗(ふくさ)を為時の机上に置くと、跪き、「どうぞ、越前のことは越前の者にお任せくださいませ。国守さまはそれをただお認めいただければ…懐をお肥やしになって都にお戻りになれましょう」と進言します。光雅ら地元役人からするとどうも頭が固く、物分かりの悪いようにしか見えない為時に対し、今度はあからさまに、中央の者が地方行政に口を出すなと賄賂も渡しに来たのですね。また、彼らからすると都から来た受領国守は、基本的に私腹を肥やすだけの輩で、扱いやすい人間だったのでしょう。為時の本質も変わらないと見ての、対応なのですね。

 慌てて袱紗の中が豆金と確認した為時は、心外なその遣り口に「そなたはわたしを愚弄する気か」と呆れ果て、怒りを滲ませます。意外な展開に「滅相もないことにございます」と平謝りする光雅に袱紗を突き返す為時は冷淡に「さがれ」とだけ告げます。去り際にバカにしたような顔を薄く見せたのは、自分たちを敵に回して行政が立ち行くものかと思うからです。


 光雅は、早速、為時に根を上げさせるため、いつもより遥かに多い数の上申を民に促します。勿論、民と彼らが結託しているのではなく、「新しい国守は話をよく聞いてくれるらしい」ぐらいの噂を流したのでしょう。民たちは新しい国守を信じて、次々訴えにやってきますが、秘書を担当する役人は居眠り、どれだけを呼びつけても補佐役である介の光雅は現れません。物陰から国勝と、目を白黒させながら、民の訴えを聞く為時をせせら笑うように観察しています。
 民の訴えは様々です。「吉野瀬川の橋が軋む」は公共事業、「芹川と船津の者たちが田の水で大喧嘩」は民事訴訟、「米が不作、他の品で納めてよいか」は税務…「妻が狐に化かされて、毎晩いなくなるのです」に至っては、それは役所のすることなのかといったところです。なんとなく妻に不倫されているだけにも見えますが(苦笑)結局、雀の泣く朝に始まった仕事は、夕方までかかってしまいます。


 息も絶え絶えの為時を支えるまひろ、さすがに、これが光雅による嫌がらせであることは、二人にもわかります。「これからはあの光雅は厄介だのう」と国府に獅子身中の虫がいることを嘆く為時に、まひろは「恐れることはありませぬ。父上は父上のお考えどおりの政をなさいませ。私がお側におりますゆえ」と正道を貫くよう助言します。しかし、まひろのこの理想主義が過ぎる、強情な励ましは、褒められたものではないでしょう。

 志を持ち、公正な政を行うことは基本的には大切です。ですから、今回の民の訴えを滞りなく、すべて処理できれば民の信頼は得られるでしょう。ただ、それは延々と続けられるものではありません。たった一日であの様なのですから。このように理想は、現実に当てはめられるものではありません。


 ここで、前回の宣孝の話した「土地の者どもと仲よくやれば、懐も膨らむ一方だ」国司の心得を思い出しましょう。勿論、賄賂を取る、私腹を肥やすことに終始することは、避けねばなりません。しかし、どのような方針であっても、「土地の者どもと仲よく」することは大切です。
 宣孝のこの言葉は、その土地の土地柄(風土、風習など)をよく知ること、その土地に生きる人が望むことは何かをつかむとことの重要性を示しています。また、行政の実務は一人ではやれません。国守の強権だけでは進められません。となれば、国府の役人たちの間に味方を作らねばなりません。郷に入れば郷に従え、このことです。
 それにしても、地方で生き抜く秘訣が込められた宣孝の達観した物言いは、物事の真芯を捉えていて侮れませんね(笑)


 為時が民の訴えに目を白黒せざるを得なかった原因は、光雅らの嫌がらせだけでなく、為時自身がその土地と民の現状をあまりにも知らなさ過ぎたことにも原因があります。
 また、光雅の賄賂に組みしたくないのであれば、その下の下級役人たちの話を聞き、土地ならではの事情を知り、彼らを懐柔するような手間暇も必要になるでしょう。そもそも、宋人の問題を解決するには、宋人のことだけでなく、現地の情報が不可欠です。味方になる土地の者を作らなければならないのです。

 そのためには、杓子定規なやり方だけでなく、彼らの望みや事情をよく知り、それに配慮するような妥協も必要になってくると思われます。しかし、為時は下級役人に対しても、文書の不備を指摘し直すよう命じるだけです。右も左もわからぬまま、主義主張の正しさだけで、トップダウンを繰り返しても、道長の命を果たすことはおろか、越前の内政すらままならないのでしょう。
   地方の者たちに阿るのではなく、折り合いをつける…その匙加減は難しいですか、求められていることは宋人対策と同じと言えるでしょう。


 結局、為時は、朱仁聡の知遇を得ながらも、真意がつかめないため、朝廷に品物を献上したいという彼らの申し出にも理由なく渋るという妙な対応をしてしまい、その重圧と溜まった仕事の疲れから、腹痛を起こし倒れてしまいます。

 朱仁聡の厚意により、周明の鍼を用いた施術によって為時は、激痛を味わうもその進んだ医学に感心します。問診、舌を見る、脈を取るといった行為すら意外なものとして描かれていますが。朱仁聡が惜しげもなく、自身の健康の秘訣を提供してくれた心遣いに結局、為時は朱の申し出どおり貢ぎ物を送る許可を出してしまいます。

 つまり、為時は、その真意もつかめないまま朱仁聡らの思惑に押され、一方では、部下である光雅らの思惑の裏もわからぬままそれに翻弄され、事態を何一つ進められていないのです。


 結局、為時が、宋人と部下の思惑をつかみきれないままでいる中で、松原客館の通詞、若麻呂が殺害されるという事件が起きます。為時と朱仁聡の会談中に現れた国勝は、その殺害犯として朱を捕縛してしまいます。国勝曰く「あやつが咎人にございます。今朝、二人が口論していたことなどあらゆる証拠が揃っております」と言うのですが、画面に映った遺体には、うっすら霜がかかっていて、殺害は早朝ではなく、深夜に見えますが、気のせいでしょうか。

 この突然の事態に為時は「あの者の話は私が聞く」と言い、通詞がいなければ筆談で話すとまで言うのですが、「国守さまは咎人などにお近づきになってはなりません。こちらで調べますゆえ」と国勝は突っぱねます。一応、貴族は触穢の問題がありますから、国勝の言い分にも理があり、固い為時は、なし崩し的に国勝の取り調べを認めさせられてしまいます。


 しかし、「もし間違いであれば、国の信用にかかわる一大事」…それゆえ、まひろは「異国人のことですゆえ裁きは難しゅうございます。このことは左大臣さまにお伝えになったほうがよろしいのではないでしょうか」と進言します。しかし、この難事に再び体調を崩した為時は、まひろに代筆を頼むより他なくなります。

 この事件はおそらくは、為時赴任前からの様々な出来事や諍いなどがあって、起きたことなのでしょう。ですから、直接的には為時の責任はありません。しかし、為時がもっとうまく宋人らの思惑をつかみ、国府の人望を掌握していたら、未然に防げた可能性はあるように思われます。


2.内憂外患に苦悩する道長の孤独

(1)外交問題への重責

 松原客館の通詞を殺害した容疑で宋人の長が逮捕された事件は、まひろの代筆により左大臣道長に伝えられました。早速、陣定を開き、事態の対応策の協議を諮る道長ですが、その表情は悩んでいるようでもあり、心ここにあらずのようにも見えます。とにかく最初から覇気がなく、浮かない顔つきです。これは二つのことが心を悩ますからと思われます。


 一番は、左大臣としての苦悩と葛藤でしょう。道長にとって初めての対外政策の難事に直面したことでしょう。しかも、この一件は扱いを間違えれば重篤な国際問題に発展しかねません。「宋人は戦を嫌う」という情報が道長まで上がっているかはわかりません。よしんば、知っていても国家の威信を損ねたと宋国が受け取れば、個人の気質は関係ありません。内覧左大臣道長としては、戦が起こる可能性まで視野に入れる必要があります。

 当然、戦となれば、内政にも甚大な支障が生じます。一部の国の減免を命じ、ようやく疫病からの復興に着手し始めた矢先に戦を起こしては元の木阿弥。帝と目指す「民を救う」政は、遠のくどころか空中分解でしょう。そもそも、国力の低下した国は戦をすべきではありません。
 となると、極力、戦を避ける外交しかないわけですが、相手のあることです。しかし、相手の出方を探るにも、事件の背景もわからず、越前の宋人らの思惑もわからないでは手の打ちようがない。そういう中で道長は、国の舵取りを任されています。しかも彼次第でこの国は最悪の地獄になるのですね。

 国の命運が双肩にかけられた道長の心中余りあります。若くして、父兼家も兄たちも直面していない問題に当たる羽目になっているのですから、実は道長はよくよく運のない男かもしれません。
 道長が立場上、こうした外交という遠近法で事件を見なければならない一方で、事件は今のところ、地方で起きた外国人による官僚殺害容疑というミニマムなものでしかありません。この時点で大上段に振りかぶって大袈裟に議論をするのも得策ではないでしょう。ですから、道長は、身に余る難事に直面した為政者の懊悩を公卿らと共有することなく、一人抱えるしかありません。


そして、浮かない表情の原因のもう一つは、道長の個人的な事情です。前回、「お前の字は…わかる」と明言した道長。今回の左大臣宛の越前守の書簡が、まひろの手に寄るものであることも一目で気づいたはずです。しかし、いつもなら、その文字を見ただけで心踊る道長も、今回ばかりはそこまで単純ではなかったのではないでしょうか?

 この書簡は正式な国司の文です。除目の申し文のような勝手に書いて送る代物ではありません。その国司の書簡をまひろが代筆しているとなれば、現状、為時が文を書けないほどの苦境にあると訴えたも同然なのですね。事態は文に書いてある以上に不味いのかもしれない…と道長「だけ」はわかってしまいます。

 前回、まひろの思いに応じて、その恋心に一区切りつけたとはいえ、道長にとってまひろが「いつの日も、いつの日も」想う思い人であることに変わりはありません。思い人とその父が遠方で、予想以上の苦難にあっていると知れば、道長の心は千々に乱れていることでしょう。本音は今すぐ、越前に駆けつけたいと察せられます。都のようにいかないことに焦れているでしょう。
 当然、こんな個人的な思いは、なおのこと、陣定には持ち込めません。ひたすら暗い顔になるしかない道長なのですね。


 さて、道長の懊悩はよそに陣定では公卿らが忌憚のない意見をかわし、活発な雰囲気です。道長の目指した政の一端ですが、ここでは、各人の意見の内容を整理しておきましょう。

 まず、実資は「この件、我が国の法で異国の者が裁けるのであろうか」と、法令上の問題のあるなしを問います。先例、慣習を重んじ、それによる朝廷の権威を維持を重んじる実資らしい意見です。法律の運用は現在でも判例を重視しますが、それは先人が様々な困難に対して熟慮を重ねた、知的体系であり知恵の集積です。未知の困難に対しても参考になる部分はあるはずでしょう。

 献上されたオウムに思わず「不可解不可解」と仕込んでしまう実資の本心は、宋人の思惑がわからぬ以上、先例を参考に慎重に振る舞うべきだということだと思われます。実資の意見の妥当性は、陣定の取りまとめの際の道長の言葉、「(律令にくわしい)明法博士に調べさせ」との判断に影響を与えています。とはいえ、過去にこだわることは、臨機応変さ、柔軟な対応という点に不安が残ります。


 次に公任が「これを機に宋国に追い返すのがよいかと存じます」と進言します。公任の意見は、朝廷の方針「宋人らに博多以外の交易は認めず、帰国させる」にもっとも準じた意見です。
 しかも、前の貢ぎ物について、公任は、見返りを一切求めない様子に「ただ置いて帰るとは不可解でありますな」とかえって宋人への不審を高めています。そもそも、利益もないのであれば、海を越える危険を冒して異国の地に来る必要はありません。彼らの言動には必ず利害が絡むと考えるのは自然でしょう。その自然な見返りがまるで見えないため、彼らの意図を計りかねているのです。

 ですから、トラブルを理由にした正統性で危険の芽を一気に排除しようと言うわけです。とにかく越前から去って欲しいという道長とすれば、この公任案に乗りたいのが本音でしょう。
 しかし、外交はデリケートです。しかも未だ相手の本意は見えていない中でスムーズな退去ができるかは難しいところ。万が一、帰国させることに成功したとして、宋人らが日本に粗略に扱われたと騒げば、話はこじれ、最悪の事態を招きかねません。だからこそ、道長が為時に言い含めた密命には「穏やかに」進めよとの文言があったのです。したがって、公任の進言は、飛びつきたくても諸刃の剣なのですね。


 三人目は公卿になったばかりの斉信です。彼は「藤原為時は優秀だから越前守に変わったのでしょう。為時に任せておけばよいのではありませんか」と、現場へ差し戻し、朝廷は関わらずともよいとします。日和見の斉信ですから、おそらくは高度な政治判断ではなく、単に面倒事は他に任せておけばよいという安易なところが本音でしょう。
 しかし、彼の発言内容そのものがなかなか侮れないのは、結局、道長はこの斉信案を採用し、為時に返答しているからです。大局的な見方による判断を求めて、為時は道長に伺いを立てましたが、残念ながらその判断ができるだけの材料を朝廷も持ち合わせていない。道長の苦悩もそこにあります。となると、もっとも事態を把握している現場の為時に全権を委ねて、任せるのも一つの手と言えるでしょう。

 また、斉信のこの発言の際、カメラは斉信よりもそれを耐えるようにして聞く道長のリアクションを捉えているところも注目したいところです。斉信の指摘は為時の責任を問うだけでなく、為時を国替えに決めた道長の任命責任も問うことになるからです。
 赴任予定だった源国盛は問題外ですから国替えは当然にしても、果たしてその代わりの人事は、為時が最適解であったかはわかりません。実直な性格と漢籍に優れている点は信用に足るものですが、内裏内ですら持て余すこの難題に対応できる才覚は未知数。更に書簡をまひろに代筆させている状況からして、彼自身に何かが起きています。自分の判断が正しかったのか否か、問わずにはいられない心中でしょう。
 その上、まひろがその苦境に巻き込まれているとなれば、尚更、行かせて良かったのかという後悔も湧くでしょう。

 一方で、道長は、為時を信じて密命を明かして赴任させたのです。トラブル一つで動揺するようではいけません。為時を信じ、まひろのフォローを信じる…つまり、自身の人事を信じることも実は大切な素養でしょう。部下を信じ、手を尽くして後、それでも駄目な時は、結果に対して、道長が出張る、責任を取るだけです。
 最終的に為時に投げる判断した裏には、彼を信用するしかない道長の覚悟も含まれているのではないでしょうか。

 さて、斉信の為時委任論の問題点を冷静に指摘したのが、俊賢です。俊賢は「式部省に属していた男が殺人の裁きが出来るとも思えませぬ」と述べ、その経験の浅さを問題視します。式部省はものすごくざっくりした説明をすれば、今の文科省か一番近いでしょうか。つまり、文科省の役人がいきなり地方検事と地方裁判官の兼任をやらされているというのが、為時の現状というところでしょうか。
 道綱の「だよね」という相槌には構わず、俊賢は「されど、殺人を見逃すのもどうでありましょうか。殺されたのは我が国の者にございます」と続けます。現状の問題点を明らかにした上で、方針について語る俊賢は、分析的かつ現実主義の面が強みのようですね。これがあるから、調略にも向いているのかもしれませんね。

 さて、俊賢は、我が国の者を害した者を放置することは、民の信用を失うことになり、治安維持の観点から無視できないとします。俊賢は、外交問題にはせず、国内の治安問題として処理すべきだと言うのです。俊賢の意見を採用するには、やはり先例が重要で実資の意見もまた、明法博士の調べを要請しています。加えて、為時が治安に不馴れゆえに、補佐の派遣、道長の陣頭指揮が必要ということも言外にあると思われます。
 だからこそ、俊賢の言葉を引き受けるように「左大臣どのはいかがお考えか」と、意見は出揃ったと道長に伺いを立てるのでしょうね。道長政権を支える有能な公卿が揃いつつある今の陣定、意見はバラバラですが、それなりに阿吽の呼吸にはなっているようですね。


 因みにこの有能な人材たちが、それぞれの立場で完全ではないにせよ、忌憚なく知恵を出し合う中で、道綱だけが「だよね」と相槌だけで、加わっている雰囲気だけ作っているのが、なにげに笑えますね。彼は自分の無能を知っていますから、足を引っ張らないよう空気を読み、存在感0にならないよう、彼なりに工夫しているのでしょうね。まあ、こういう人はある種の緩衝材。ほっこり癒しとして必要かもしれませんね(笑)
 因みに道長が退出する際も皆が一礼する中、一人だけ頭をあげたまま少し笑って道長を見送っています。かわいい奴(爆笑)


 公任に話を振られた道長は「明法博士に調べさせた上でお上にお伺いいたす。陣定で諮れと仰せになれば、今一度議論いたそう」と、彼らの意見と必要な先例を上奏すると伝えます。
 無難な判断ですが、席次の問題とはいえ、話し合う公卿らと道長の座る位置に距離があることを強調する奥行のカメラワークが気になりますね。人に苦悩を明かせず、一人葛藤せざるを得ない道長の為政者としての孤独が、そこにあるように思われます。

 果たして道長は一人、執務室に戻ると太いため息を吐き、不安と苦悩の本音を見せます。その目先にはあるのは、越前守から左大臣宛の書簡。道長には、代筆したまひろの文字には、困難な現状と道長がなんとかしてくれるという期待が読み取れたでしょう。
 しかし、陣定を見てのとおり妙案はなく、道長自身にも打開策はありません。さらにこの国難への自身の判断が、国の命運を決めるという重責が彼の心をさらに暗くします。まひろの期待に応えたくても、応えられるような心境にありません。

 まひろの期待に応えられない不甲斐なさと重圧に、道長は文の封にある「左府殿」というまひろの文字をなぞりながらも、再度、深いため息をつき、自身の懊悩を深め、鬱々としていきます。「左府殿」の文字をなぞるのは、まひろが「左大臣さま」と呼んでいるように感じていとおしくなるからでしょうが、それでもそのまひろの期待が今は重く重く感じられる…逃げ出したい気分なのです。ですから、そのまま明子女王の元へと行き、場面もそこに切り替わります。

 孤独に苦悩を深める今の道長には、癒しが必要なのでしょうが、そういう理由で女性に逃げ込んだのであれば、まひろは傷つくでしょうし、倫子もよい気分ではないでしょうね(苦笑)まあ、これだから男は…!と道長に落胆する方々がいても、仕方がないと思います。完全に男の都合と言えますから。


(2)明子女王の情念

 「お前の父も左大臣であったな」とまるで相談をするかのように明子の元に現れた道長ですが、その言葉は口実に過ぎません。政と外交の重圧と孤独に耐えかね、まひろの期待すらも重たい今の道長にとっての逃げ場所は、政治的に力を持たない明子女王になります。詮子をも笑顔で牽制できる倫子は、頼りになりますし、道長を守ってくれる女性ですが、道長にとってはビジネスパートナーとしての安心感のが強いでしょう。彼の想い人はまひろですが、さまざまな意味で今は遠い人です。
 消去法で、たまらず明子女王の元へ駆け込んだというのが正直なところでしょう。ですから、道長の訪問に零れるような笑みを浮かべる明子が「父が左大臣であった頃のことは、私は幼くて覚えておりませぬ」と、道長の質問にとりあえず答えても関心は薄く、無表情のまま庭を眺めています。


 しかし、「ただ、父が失脚しなければ、兄が左大臣になったやも知れぬと思ったことはございます」とのかつての野心を仄めかす言葉には、道長も思わず振り向きます。おそらく当初から貞淑を演じていた明子は、道長に野心の芽を見せることは避けていたのでしょう。無論、彼女は途中から本気で道長を慕うようになりますから、それ以降はますますかつての野心の話は話題にすらしなかったと思われます。

 それでも、この話題を振ったのは、道長の関心を引き、次の一言「されど、この頃思います。兄には左大臣は務まるまいと」が本音だからです。それまで優しげだった口調が「兄には左大臣は務まるまいと」だけ語気強めなんですよね(笑)明子は、道長が心弱らせて、ここへ逃げ込んできたことをとうにお見通しなのでしょう。だから、敢えて危険なことを話してまで励まそうとしたのでしょう。まあ、こんなところで出汁にされた兄俊賢は気の毒ですが(笑)
 それにしても、女性の直感ほど恐ろしいものはありません。まして、惚れた男の一挙手一投足はよくよく観察しているでしょう…というか、道長、ポーカーフェイスの割に無防備すぎというか間抜けというか。倫子には嘘を見抜かれ、まひろにも本音を見透かされ、今、明子にも弱気に感づかれていますよ(苦笑)


 明子の慰めにも「俺とて、務まってはおらん」と明子の脇に座り込むと、ようやく正直に「俺の決断が、国の決断と思うと…」と本音を漏らし、瞑目、渋面となります。そして、おそらくつむった目の裏にまひろからの文と本日の陣定が思い浮かんだのでしょう。「ち…」とつぶやくと頭が痛いとがっくりします。

 そんな道長を艶然と微笑で見た明子は、急に毅然とした雰囲気をまとうと、再び語気を強めて「殿に務まらねば…誰も務まりませぬ!」とキッパリ言い放ちます。その強い叱咤に、半ば感心したような表情の道長は「近頃、口が上手くなったな」と冗談めかしてからかいます。かつて、能面のように笑うこともせず、固く心を閉ざしていて彼女から、このように道長の心に寄り添い、励まそうとする言葉が出るようになった。このことに改めて驚く気持ちがあるのでしょう。道長の微かな笑みには、感慨が窺えます。この二人も三人の子を成すほどに長いのです。それなりに通い合うものが出てくるのは、自然でしょう。


 道長の感慨に明子は「私は変わったのでございます。仇である藤原の殿を心からお慕いしてしまった…それが私の唯一つの目論見違いでございました」と正直な気持ちを面白おかしく、そして、相手が道長だから自分は変われたのだと、夫を誉めそやします。明子の言葉に納得するものがあったのか、道長は「ほ~う、目論見どおりであれば、俺は生きてはいなかったのだな?」と真顔で問いかけます。確認だけではありません。今、それを言ってくる彼女を面白く思い始めたのでしょう。不思議と道長は、自分を対等とみて真意をぶつけてくる人間に対しては興味を持ちます。まひろも直秀もそういう人たちでしたね。

 道長の真顔の問いに改めて妖艶に微笑むと「されど、殿は生きておいでです。こうなったら殿のお悩みも、お苦しみもすべて私が忘れさせて差し上げます」と伝えます。やはり、彼女は道長の弱気を見抜いていますよね。そして、そういうときに彼が彼女にすがるのだと、その弱みも十二分に分かった上で、その台詞を言っていると思われます。
 後ろ盾や資産的裕福さで倫子に勝つことはできません、彼女にあるのはこの身一つ。そのすべてを投げ打ち、彼の心を虜にする覚悟を決めたのでしょう。「こうなったら」という言葉には、後戻りできない明子の情念の強さがあるのではないでしょうか。明子には、道長しかいないということですね。


 そして、道長に注いだ杯を取り上げます。「え?」となった道長…その構図はいつの間にか、明子が上に道長が下になっています。明子に主導権が移っているのです。そして、「私がすべて…」とその杯の酒を自分が飲み、道長を押し倒します。呆気に取られる道長に「殿にもいつか明子なしには生きられぬと言わせて見せます」と狂気と執念が入り混じったがゆえの美しい笑顔を見せると道長に覆いかぶさります。それは、毒牙にかかるようにも見えますが、今の鬱々として孤独な道長にはそれこそが救いです。すがるように抱きかえす道長の様子が印象的ですね。

 第13回のnote記事「その2」で、明子の本質は思い込みの激しさであり、激しい恋慕はいつでも激しい憎悪にも変わる諸刃の剣だと評しました。それゆえに彼女の存在は、吉のも凶にも転ぶジョーカーであるとしましたが、悩みと孤独の中にいる道長は、もしかすると今まさに、明子という諸刃の剣を抜いてしまったかもしれません。二人の関係は今後、道長に…あるいはまひろにも影を落とすかもしれません。



(3)道長の政の犠牲となった定子のお腹の御子

 宋人問題に頭を悩ます道長の元へ、実資から検非違使別当を引き継いだ公任が、その出で立ちのまま「道長ー!」と慌てた様子で土御門殿へやってきます。検非違使姿で物々しい様子の公任にも「ん?」といつもどおりの反応を見せた道長ですが、「大宰府に向かっているはずの伊周が都に戻ったらしい」との報せには「なんだとーッ!」と驚きのあまり声が裏返っていまいました。

 伊周と引き離された傷心からか既に母、貴子は病臥にあります。伊周は、そのことに居ても立ってもいられず、ワガママを発動、逃げ出したのでしょう。自分の感情に走り、またも朝廷の威信を傷つけたとなれば大問題。今度こそ、彼を死罪にせざるを得なくなります。だから、公任はとりあえず、検非違使の出で立ちをしながらも、公的に動く前に道長の元へ「どうする?」と聞きに来たのです。
 普段、公式の場では必ず、道長を「左大臣」と呼ぶ公任が、このときだけは「道長―!」と呼んだのも象徴的ですね。若い頃は呑気な道長をどこかで一段低く見ているところのあった公任でしたが、野心の殻が取れたとき、本来の友達思いのお人好しのほうが前面に出てくるようになってしまったようです。

 公任の「どうする?」の問いかけに「あー」と思い悩み、やがて額をトントン叩きながら「んー」と思いあぐね、止まってしまいます。宋人問題にかぎらず、内政において様々な問題を抱える道長は、ある意味で容量限界です。その上でのとんでもない厄介ごとです。しかも事が公になれば伊周に厳しい処断をくださなければならないのが左大臣の立場です。しかし、それをしたくないのは、伊周と貴子の哀しい別れを自分の政の結果として受け止め、心を痛めているからです、何とか助けたいものの、今の道長はもう頭が回りません。

 その様子に、「しょうがないな」という表情をする公任がよいですね。道長の心中を察した公任は「左大臣に聞くなどせずに、とっと高階明順の屋敷を改めればよいのだが、俺って優しいからな~」と、俺は左大臣としての意見ではなく、道長個人の意見を聞きに来たんだよと説明してあげます。その気遣いに申し訳なさげな道長を見れば、自分に一存されたのだとわかってしまう公任は「お前は行かないな?」と確認を取ると、「苦手だな…こういうの」とやれやれといった表情で、貧乏くじを自ら引いてくれます。公任…株が爆上がりですね。そして、出世レースのライバル関係だった者同士だけが通じ合うやり取りが、実に心憎いですね(笑)


 ふらふらと高階邸にたどり着き、母の元へ向かう伊周を、公任は「ここからは先に通れぬ、速やかに大宰府へ向かえ」とは言うものの、かつての貴公子がボロ雑巾のようにやつれ、心病み切った様子を見ては、居たたまれずすぐに横を向きます。「苦手だな…こういうの」というのは、どういう裁定をしようと、心が痛むからです。つくづく、いい奴ですね、公任。
 「せめて、顔だけでも見させてくれ。母は俺に会いたがっておる」と懇願する伊周を一度は拒否するものの、迷った末、「別れを告げて参れ」と許します。単に同情しただけではないでしょう。公任は、検非違使としてきていますが、左大臣の代わりではなく、道長の代わりに来ているのです。道長ならばそうするだろう、またそうしたことを責めはすまいと信じて、許したのでしょう。


 しかし、公任が許した直後、清少納言から「只今、御母君がお隠れになりました」と貴子の死を告げる言葉。「光る君へ」では、中関白家の柱石として扱われた貴子ですから、その死まできっちり描かれましたね。その死を見守る定子の表情は放心状態です。前回の哀しい別れからすると、遠い息子たち、特に伊周を思って亡くなったであろう貴子は、少しは看取ってくれる定子にも思いを残したのでしょうか。
 もし、そうでなかったとすれば、死を看取った定子はどこまでも嫡男を優先する貴子に哀しい思いをしているかもしれません。しかし、その一方で自ら髪を下ろし、母の想いと苦労を無にして、母を先に捨てたのは、定子です。その点では、定子は母を責められません。だから、身重の自分よりも伊周と共に太宰府へ行くことを選択した母には、何も言えなかったでしょうね。母と娘がどう最期のやり取りをしたのかはわかりません。

 ただ、定子の放心は、母や自分の運命の流転という無常観だけではなく、お腹の御子について途方に暮れていることが含まれています。このことは、後の道長の対面ではっきりします。
 因みに伊周は、ただただむせび泣くのみです。その顔に滲む口惜しさと無念の情はどこへ向くのか。道長への恨みとなるか否かはまだわかりません。


 その後、道長は「なんとお悔やみ申してよいやら。言の葉も浮かびません」と定子のもとを訪れます。「喪に服しておるこの身を厭わず、左大臣どの御自らお越しとは痛み入ります」と応じる定子と清少納言は、墨染の衣を喪服としてまとっていますね。おそらく、この装いが描かれたことは初めてかもしれませんね。奈良期の養老喪葬令以来、使われるようになった装いは、「枕草子」や「源氏物語」でも馴染みのあるものです。

 定子の挨拶は慣例どおりですが、道長の「亡き姉上には幼き頃からお世話になりましたゆえ」と故人への情をもって応じます。定子が信じようと信じまいと、この言葉に偽りはありません。貴子も呑気で鷹揚な義弟を好ましく見ていたのですから。定子は、その道長の厚意に「帝の御心に背き続けた兄の所業許してください」と頼むと道長は首肯します。

ここで、定子はようやく道長に悪意がないと察したのでしょう。「道長どの、近くに来ていただけませぬか」と話しかけます。「左大臣」と呼びかけます。「道長どの」と呼びかけたところに、定子が、穢れを恐れぬ叔父の情にすがろうとしていることがわかります。

 定子の求めに否応の無い道長は、定子と面と向かいます。しかし、「帝の御子を身籠っております」との言葉には、さすがに驚きます。道長の驚愕の表情に重なるように雷の轟きが静かに迫ってきます。この後、出家した定子を巡る内裏の混乱の予兆でしょう。

  勿論、定子は、帝の心を惑わすつもりも、内裏を乱すつもりはありません。「父も母も逝き、兄も弟も遠く、高階に力はなく、帝の御子をこの先、どうやって産み育てていけばよいのか…途方に暮れております」とただただ、母としての想いでしょう。「左大臣どの…どうか…どうかこの子を…」というところで屏風をナメるレイアウトで定子の表情を強調していますが、その目には力が宿っていることが確認できます。そして、ここで「道長」ではなく「左大臣」なのは「貴方の力で守ってください」と頼むためです。


 うつむきながら聞いていた道長ですが、一拍置いたところで目をカッと見開き、その表情は狼狽えたものになります。その道長の表情は見えていないのでしょう、定子はなりふり構わず「私はどうなってもよいのです!」と力を込め、自身は中宮として再び内裏にあがり、権勢を戻したいのではないのだと強調します。そんなことは、定子はもうこりごりなのです。その結果が、今の中関白家の様子なのですから。その定子の覚悟に悲壮な顔で定子を見ます。その目に定子は「されど、この子だけは!」と強く、懇願します。定子にしてみれば、我が子にしてやれることは、これだけですから必死です。


 その言葉にうつむいた道長は、苦り切った顔になります。この表情は、定子の懐妊を読み切れなかった自身への怒りでしょう。道長は、伊周と貴子が引き離される様を見て、自身の政の負を受け止めたつもりでいました。しかし、実はそれは終わりではなかったのです。出家した中宮とその御子をどうするのか、その問題への対処こそ、道長が自身の政の反動として受け止めなければならない現実問題だったのです。

 前々回、道長は、帝の伊周配流の処分は妥当だったのか、呪詛を伊周と決めつけてよかったのかと晴明に問いかけていますが、まさにこのことです。このとき、身体を張って異論を唱えるべきだったのではないのかと思うのですね。そうすれば、定子は髪を下ろさなかったでしょう。帝も苦しまずに済みました。伊周もこれ以上の失態をせずに済んだかもしれません。貴子もまだ生きていたかもしれません。避け得た悲劇があったと改めて、思い至ります。

 万が一、彼らすべてに罪があったとしても、これから生まれてくる御子は、その罪とは無縁です。その御子に生まれる前から苦難を与えたのが、道長の政治判断だったことを突きつけられたのです。政変化を止められなかったこと、帝と貴子との関係ならば懐妊の可能性も考慮すべきだったこと、政にかかわる者たちの多くの思惑、その事情や背景、それを読み切れなかったことが、こうして道長に返ってきたのです。道長が、自分の無能に怒り、これから起きる苦難に苦り切った顔になるのは仕方ないでしょう。

 因みに「光る君へ」本編では描かれませんでしたが、長徳の変で罰せられたのは伊周兄弟だけではありません。結果的に彼らに連座する形で、多くの者が追放の憂き目にあったのです。まさしく、定子の御子の面倒を見る有力者は、道長の政敵として葬られているのです。ですから、その問題の処理が自分に返ってきたのは自業自得とも言えます。

 それにしても、あれほど無気力だった定子が、お腹の御子に思いが向かうようになったのは、清少納言の献身であるのは、前回描かれたことですね。まさか、この精神的快復が、結果的に道長に突き付ける刃としてささやかに働いたとは皮肉ですね。



おわりに

 定子の申し出を受けた道長は、まずは帝に事実を報告することにします。努めて淡々と定子懐妊の事実を告げる道長の姿は、一条帝を刺激しないようにしようとする気持ちの表われでしょう。しかし、定子を深く愛し、彼女を出家させたことを深く後悔している一条帝の気持ちは穏やかではいられません。
 「今から高階の屋敷にいく」といきり立ちます。即座に「お上!なりません、勅命に背き、自ら髪を下ろされた中宮さまをお上がお訪ねになれば…」と口を挟む道長に御簾越しにも、葛藤と怒りの様子を見せる帝。それをわかった上で「朝廷のけじめはつきませぬ」と苦言を呈せざるを得ないのが道長の立場です。

 「ならば、中宮を内裏に呼び戻す!」となおも無茶を言い出す若き帝に「朝廷の安定を…第一にお考えくださいませ」と諭そうとする道長の言葉に被せるように、「我が子まで宿している中宮に朕は生涯、会えぬのか…」と悲痛を訴えます。重ねて「生涯…会えぬのか…」弱々しくすがる帝に心を痛める道長の表情は沈鬱ですが、意を決すると「遠くからお見守りいただくことしかできません」と明言し、帝を落胆させます。道長としては、彼に寄り添いたくても、左大臣としては、社稷を守ることを優先すべきです。帝の不興を被ろうと、心を鬼にして、自分が悪にならなければなりません。

 前回も描かれたことですが、若い帝の激情も計算に入れたうえで政は運営しなければなりません。一条帝は、理知的で思慮深く、徳のある若者ですが、こと愛する定子のことについては感情を爆発させます。帝の気持ちを優先すれば、慣例による秩序を大切にする公卿の不興を被り、陣定の運営はままならなくなるでしょう。一方で、帝の気持ちをないがしろにすれば、彼の信頼を失い、彼との軋轢が、政をやりづらくすることでしょう。

 とりあえず、この場は一端、収めましたかが、この問題が早々に内裏をかき乱すことは間違いないでしょう。道長は自分と帝と公卿ら、三方の妥協点を探り政治判断をすることになりますが、不幸なのはその最適解すら双方の不興を被るだろうということです。道長は苦難の道が続きそうです。

 中央がこうした状況にある中、越前に伝えられた道長の判断は「越前のことは越前で何とかせよ」ということ。つまり、為時の裁量にすべて任せるという、一見すると無責任なものでした。まひろは、道長の文字を眺めながら「左大臣としたことがずいぶん頼りのないものでございますね」と失望の色を隠せません。
 この道長の判断は、先にも述べたように、自らが任じた以上、任命した者を信頼するしかないという事情もありますが、現場で悩む者にとっては救いではありません。結果、道長は、自身の政の負の部分に失望し、その重圧の孤独に耐える中、まひろの信頼まで少し損ねてしまったようです。
 道長の苦境を慮り、「そのようなことを申すな」と庇う為時ですが、彼もまた目の前の難事の解決策を見出せまないままです。


 道長は非常に難しい舵取りの中にあり、とりあえず越前のことは為時に任せる形で、内政の難事に立ち向かいます。救いがあるとすれば、公任のような友人がいることですが、政における様々な人々の思惑の対立は紛糾しそうです。

 一方、為時はあまりにも事情に不案内で味方の見極めもできていません。果たして日本語が使える周明が救いとなるのかというところですが、為時自身の問題も多くあることは、今回見てきたとおり。この部分を解決し、味方を増やしていかねばなりません。そのためには、宋人らの思惑、地方役人との思惑と自分の志との落としどころ、妥協点を探らねばなりません。

 問題点ばかり浮き彫りになった第22回、解決の糸口はどこにあるのか、次回以降が楽しみですね。

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