見出し画像

「光る君へ」第10回 「月夜の陰謀」 世を憂うまひろと「家」の宿命に追いつめられた道長の哀しい愛

はじめに
 愛の逃避行…誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。そんなタイトルの小説も映画もレコードもある、使い古された古典的な言葉です。
 でありながら、この言葉に惹かれる人もそれなりにいるでしょう。それはこの言葉に辛い現実から逃げたい、あるいは純粋な愛があるかもしれない…という願望を内心抱いているからと思われます。一方で現実から目を背けたその行為には、多くの場合、悲劇が待ち受けています。その悲劇性、そしてそれでも愛に生きる(=死ぬ)というところにロマンがあるのでしょう。

 さて、今回、道長とまひろは、その「愛の逃避行」未遂となりました。未遂とはいえ、その高まりは決して表立っては結ばれぬ者たちの悲哀に満ちたものとなりました。
 二人の気持ちを盛り上げたのが、歌の応答によるやり取りです。歌による恋愛と駆け引きという平安期のロマンスを存分に描きながら、和歌と漢詩という不思議な往還で二人の思考の違いをも炙り出す構成は巧みでしたね。

 まひろは、あの辛い出来事と道長を思い返しながらも、父と側妻を慮り、乳母のいとに気を配り、粛々と日々を生きています。いくつもの辛い体験が、彼女を物事のわかる大人にしているようですね。それは、こうして生きるしかないというある種の諦めもあると察せられます。
 それをかなぐり捨てようとしたのは、道長からの和歌が届いてから…道長の想いが、まひろの胸に燻り続ける恋心に火をつけたのです。つまり、直秀の理不尽な死が二人を強く結びつけたものの、道長が始めなければ、この恋は互いに秘めたままだったでしょう。

 そうなると、道長の情熱の高まりとその性急さは、尋常ではないことが気になりましね。恋に狂うとはこういうことだと言われれば、それまでですが、平常の彼ではまずない行為です。まして、彼には一族の命運をかけた謀略が目の前、それどころではないはずです。

 ですから、何故、道長はここまで恋に狂ったのか、そして、どうしてまひろはそれを望みながら拒絶するに至ったのか、この理由はわかるようで疑問もあります。
 また、この逃避行の未遂という展開は、道長は政治家として、まひろは作家として…それぞれの物語が、まひろと道長の覚悟の確認なくして始まらないことを意味しているでしょう。
 そこで今回は道長が恋路に走る経緯、まひろの葛藤を中心にしながら、二人の志について考えてみましょう。


1.一族の宿命に追いつめられる道長

(1)父:兼隆の期待が道長に示したもの

 これまで藤原北家は、応天門の変では伴氏と紀氏を、昌泰の変では菅原道真をと多くの政変で他氏排斥を行い、その政治的基盤を盤石のものとしてきました。特に源高明を失脚させた安和の変は、他氏排斥が完了し圧倒的支配体制が完成したとされます。承和の変で廃太子の憂き目にあった恒貞親王のように皇族であっても、その猛威は皇族であっても容赦はありません。
 その藤原北家の右大臣家、兼家が遂に帝まで引きずり下ろしたのが、花山帝を出家、譲位させたのが寛和の変です。帝に対する直接的なクーデターという意味では、前の円融帝譲位の一件よりもその手口は力任せのものだと言えるでしょう。円融帝譲位はあくまで兼家と円融帝の政治的な駆け引きと妥協の結果で、円融帝への毒は補助的なものです。


 花山帝退位は、帝への直接的クーデターだけにバレたらおしまいです。言い訳ができません。兼家が準備万端にしたいと思うのは人情、晴明の「決行は6月23日」に「すぐではないか、支度が間に合わぬ」と慌てるのも仕方ありません。しかし、晴明は「歳星が二十八宿の氐宿(ていしゅく)を犯す」と天文の奇跡を理由づけに彼に策の実行を促します。
 高校の教材にもなる『大鏡』の「花山帝の出家」では、晴明は帝の退位を天文を見て予見するという場面が出てきますが、本作ではこれも晴明の策と転じたあたりは興味深いところ。
 「丑の刻から寅の刻までが右大臣さまにとってもっとも隆起運勢の刻!」という具体的な時間指定をして好機と称する晴明の言葉に対して、兼家はその裏を読んで「その日を逃せば、最早、事は成らんのか?」と問い質します。この謀がタイミングであることを兼家も承知しているからこその言葉ですね。


 晴明が事を急がせるのは、花山帝の出家の謀が帝の心を攻めることを要としたものだからです。今、花山帝は、晴明の嘘によって成仏できない忯子の御霊の存在を信じ、憐れみ、その感傷を道兼のおためごかしよって煽られて最高潮に達しています。オープニング後の場面で、義懐ら腹心の臣下の諫言を激高して退ける花山帝の様子からも極めて感情的になっていることが窺えますね。

 まだ改革は始まったばかりと出家を諫める義懐の言葉は、当人らの焦りと権勢欲や無能を考慮しても真っ当なものです。花山帝の気持ちを配慮していない面はありますが、皇子誕生を強く進言するのも、帝の弱い政治的基盤を盤石にすることを第一義にしているからです。ついでに言えば、出家後も浮名を流すことになる花山帝の性格を考えれば、今の忯子への感傷も一時的なものであることも見抜いているかもしれませんね。
 したがって、その忠言の正しさを理解しながらも、自分の感情を優先する今の花山帝は精神的なバランスを崩し、正常な判断ができなくなっていると言えるでしょう。彼を自らの意思で出家させる好機は、今をおいて他にないのです。

 しかし、花山帝は即位当初を見てもわかるように、強引なやり方と理想論に走るきらいはあるもの、本来は頭もよく、気概と果断さに満ちた人物です。また、容易に他人を信じることをしない疑り深い、慎重な面もあります。となると、時間が経てば、狂おしいまでの忯子への感情が落ち着いたとき、忯子のためとはいえ、出家をすることが間違いであることに気づいてしまいます。そうなっては、全ては水の泡です。

 疑り深い人間は、時間が経てば経つほど、あれこれを考え、感情よりも理屈を優先し始めます。大切なことは今、花山帝に考える時間を与えないことです。人の心を巧みに操る術を心得ている晴明は、間髪を入れずに行動を起こすことが大切だと見抜いています。予想以上のスピードで事を進めておいたほうが吉です。

 また、晴明は、今後のためにも陰陽道が役立つことも同時に示し、兼家たちを信用させなければなりません。986年6月23日は、そうしたタイミングと天文の都合とが合致している点で最適な日なのでしょう。それゆえに晴明は、「この日を逃せば、謀は成し遂げられず、右大臣さまには災いが降りかかりましょう。そして帝はこの後もずっと御座に止まることになりましょう」と半ば恫喝するような形で、今しかないのだと兼家に覚悟を促します。どのみち失敗すれば終わりなのですから、躊躇って機を逃してはならないということです。つまり、この予言めいた言葉には、恫喝だけではなく真実も含まれています…だからこそ兼家は真顔で晴明の進言を受け止めるのです。

 巧みに兼家の心理を操り、言葉どおり政を行う人間の命数を操る晴明の本領発揮といったところですね。名参謀というものは、主君の狭い了見や好き嫌いに囚われ、命令に唯々諾々と従うだけでは、主君の大願を成就させられません。時には主君すら駒として使える才がいるのです。


 晴明の思わぬ進言に納得し、頷かざるを得なかった兼家は、この謀が大それた企みであり、大がかりかつ綱渡りであることを自覚したようです。兼家は、息子を一同に集めた念入りな計画の打ち合わせを行いますが、その場に側妻の子である道綱まで動員し、緊張する彼に「命がけで務めを果たせよ」と発破をかける念の入れ方には、覚悟ゆえの慎重さが窺えます。そして、秘密裡に剣爾を東宮殿に移す様子を見た者がいたら、道綱自身に始末するように命じます。
 兼家が道綱を謀に招聘したのは、彼を他の子と等しく扱うというよう情ではなく、信用できる汚れ役が必要という実利に過ぎません。慣れない謀議と思わぬ命令に狼狽える道綱のお人好しぶりがちょっと可哀想ですね。

 最後に兼家は「このことが頓挫すれば我が一族は滅びる。兄弟力を合わせて必ず成し遂げよ!」と力強く励ますと、そのカリスマで一同をまとめます。兼家を真正面からとらえクローズアップされたその表情には、一族の命運の全てをかけることへの並々ならぬ覚悟が表れています。そして、真正面というアングルは彼の迷いの無さを示していますね。
 その直後に挿入される道長のカットは横顔です。映っている側は特に表情がなく従順ですが、反対側はわかりません。覚悟の定まった兼家とは対照的に道長の迷いが見えるカットだと言えるでしょう。



 翌日の夜、月を見上げる道長の姿からは、迷いの原因がまひろであることが察せられます。二人は同じ月を見て、互いのことを想うというのが、本作の定番ですからね。そこへ「よい月じゃのう」と微笑みながら声をかけたのは兼家です。彼がわざわざ道長に声をかけたのは、月を見るその様子に鬱屈を見て取ったからと思われます。道兼、道綱に対して汚れ役を平然と振る兼家ですが、それは「我が家の繁栄」を第一義にする価値観によるものです。
 愛情がない、酷薄とは同義ではありません。彼なりに息子を思いやり、目を配っているのでしょう。もっとも道長の鬱屈の理由を家族の中で軽んじられていることかと察したのは間違いですが。まあ、「我が家の繁栄」を第一義にする価値観ではそれが限界ですし、往々にして父親は息子の気持ちなどわからないものです(笑)


 無論、道長は軽んじられたなどとは思っていませんから、即座に否定しますが、兼家はここで思わぬ発言をします。それは「事をしくじった折りにはお前は何も知らなかったことにして、家を守れ」ということでした。「は?私も内裏に行くのですよ、その夜は」と訝る彼に構わず「父に呼ばれたが一切存ぜぬ。我が身とは関わりなきことと言い張れ。しくじった折りは、父の謀を関白に報せに走るのだ」と裏切るところまで言及します。

 前回、前々回のnote記事でも触れましたが、兼家の「我が家の繁栄」第一主義は徹底されています。駒であるのは、息子たちだけではなく、自分も同様です。自分の命すらもその繁栄の道具とし、あるいは薪として火にくべる…己の宿命を受け入れ、それに殉じられる人間なのです。今回は大がかりな謀だけに人任せにすることはできませんし、一族をかけた策である以上、家長である自分が全責任を負うことも避けられません。


 一方で、「我が家」の存続を図るのも長たる者の役目です。ですから、最初から万が一のことを考えて、道長に類が及ばないよう取り計らっていたのですね。誰かが生き残り、その者が次の世代へつなげられさえすれば、いつか咲く花もある…連綿とつながる「家」というものを信じているからこその生存本能とも言うべき言動ですが、その一方で「さすれば…お前だけは生き残れる」との言葉には、道長に後事を託す万感の思いも垣間見えます。


 道長が「あの…そのお役目は道隆の兄上のお役目なのでは?」と返したのは、「家」の存続のためであれば「家」を受け継ぐ嫡男を守るのが道理だろうと普通に考えたこと、そして、お前は生き残れという言葉に父の真心を感じ訝しんだことがあるでしょう。振り返った兼家は「この謀がなれば手柄は道隆のものとなる。道隆はそちら側だ」と事もなげに応じます。
 道理としては、嫡男とそれ以外は役割が違うということです。家を継ぐ嫡男が正道においては総取りするからこそ、兼家同様、謀の中心にいるのが道隆に課せられた宿命なのです。これは、字面通りに取れば、道長はあくまで後継者のスペアでしかないという意味なのですが、兼家がわざわざこのことを道長だけに秘事として伝えたことには、別の意味が含まれているのではないでしょうか。


 何故、彼だけが何がなんでも「生き残る」側なのか。それは、「事のあらましが見えている」道長の才覚を、兼家が認めているからでしょう。道長は、他の息子たちのように父への敬愛を全面に出し、彼からの愛情を求めようとする子ではありません。反抗的ではないけれど必要以上に父に阿らず、静かに起きていることをよく見ています。つまり、道長本人の自覚はともかく、父への精神的な依存度が低い。こういう彼ならば、例え兼家以下の親族を失うことになっても、一人で様々な状況に臨機応変に対応、切り抜けられる…そういう強さがあると看破しているのです。


 逆に、道隆は敷かれたレールの上を間違いなく、定刻通りに完璧に進むことができます。道隆は、右大臣家の家格に相応しい振る舞い、教養、政を今の道長よりもこなせるよう仕込まれています。しかし、その力を発揮するためには、兼家が揺るぎようのない政治的な基盤を築いておく必要があります。これまでも想定外のことには狼狽える姿が何度か描かれてきましたね。兼家ありきの純粋培養の弱さが道隆の欠点なのです。
 平時の宰相になれても、乱世の奸雄にはなれない彼だからこそ、兼家の傍に置いておく「そちら側」なのです。


 道長だけが、一族の危機でも力を発揮できると見て、兼家は万が一の後事を託す発言をしたのです。つまり、彼の言葉は、道長への遺言的な期待の表われだと言えるでしょう。それは、大きな謀を前にした兼家の不安が言わせたことでもありますが、道長なればそれに気づかれたところで動じない。だから、彼にだけに話したのでしょう。まあ、道兼あたりが聞いたら、あからさまな期待と情ですから、また道長に嫉妬し憎むでしょうね。しかし、兼家にとって、汚れ役の道兼、傍流の道綱は後継者として論外なのです。


 さて、そんな父の思いが道長に伝わったかどうかはわかりません。それでも、彼の右大臣家における宿命を思い知らされたことは間違いありません。第1回でも描かれていましたが、道長は三男という立場もあり、幼い頃から、自分が政治の表舞台に出ることはないと信じていました。その気楽さが、彼の政を避ける性格にも大きく関わっています。

 それはおそらく、彼だけではなく他の兄弟もそう思っていたでしょう。入内前の詮子が道長をかわいがるのも政に遠いからということがありました。また道隆も年齢の近い道兼に関しては、懐柔策を取っていますから政敵にならないよう心を配っていますが、道長に対してはそういう振る舞いはしません。漢学の苦手なかわいい弟ぐらいでしょう。道兼は道長を敵視していますが、政敵として見ているのではなく、皆に無条件に可愛がられることへの嫉妬です。

 ただ、道長は兼家の言葉から、長兄の代わりとはいえ、右大臣家の長になる可能性があることを自覚し、改めて自分もまた政を担う上流貴族の「家」の一員であることを思い知らされたのです。政治に対して蚊帳の外的に呑気に構えていた道長に、急に湧いた父の期待と逃れ得ない一族の宿命がのしかかります。

 直後、直秀の埋葬のカットが短く挿入され、道長の思考に直秀の死がよぎったことが仄めかされます。まず、道長が右大臣家の宿命を自覚したことで、直秀を死なせた自分の罪がフラッシュバックとなって甦ったのでしょう。彼にとっては大きなトラウマとなっていることが窺えます。同時に今もそれを忘れ得ない彼は、直秀を死なせた今の政のありようを変える可能性が自分の手にあることも頭をかすめたでしょう。前回、彼は自分の無力に号泣しましたが、その後悔の償いはできるのです。
 しかし、直秀の死というトラウマは、直秀を死なせた政を変える機会よりも、自分の血の宿命がもたらした罪の意識のが大きいようです。兼家の期待の大きさが、逆に彼を追いつめます。右大臣家の宿命を半端に受け入れたことで親友を失いました…そんな彼が今、恐れるのはその宿命によって、もう一つの大切な人、まひろを失うことなのです。直秀の死によって、強く結ばれた二人の関係には、死がつきまとっています。


 結局、父の心子知らず、兼家の道長への期待は、道長に抱えきれえない「家」の宿命の重さを意識させ、まひろを失う恐れだけが肥大する結果となりました。こうした流れの中、道長はまひろに古今和歌集の和歌に自分の思いを託した手紙を送るのです。
 彼にあるのは、右大臣家という「家」の重さとその罪に耐えきれないという逃避、そしてその「家」のせいでまひろすら失うかもしれないという恐怖に追いつめられてのものだと言えるでしょう。逃避と恐れ、この後ろ向きな感情が、長年秘めてきた彼の恋心を加速するのです。彼は怯え、まひろにすがるのです。それが、彼がまひろに歌を送るに至ったきっかけです。



(2)懲りない詮子の政治センスと道長への期待

 道長に期待を寄せるのは、兼家だけではありません。父を敵視し、政敵にならんとしている姉、詮子も道長に期待を寄せる一人です。彼女は、前回、気を失ったふりをしていた父に心胆寒からしめるほどに驚かされ、放心してしまいましたが、時が過ぎればなんのその、ケロリとしています。なんとも逞しい(笑)

 それどころか、「源など何の役にも立たん」と恫喝されたにもかかわらず、懲りることもなく源一門との関係を深める政治工作に余念がありません。前回note記事で指摘したように、兼家の詮子への恫喝の言葉は半分正しいけれど、半分は政治的な彼女の動きへの牽制です。たしかに野心の薄い源雅信自身には大きな力はないでしょう。
 しかし、第7回で公任が「女こそ家柄が大事だ。そうでなければ意味がない」と豪語したように、貴族の繁栄は血統の結びつきによって家格を上げていくことにあります。兼家にしても、それが無視できないから道長を源雅信の左大臣家に婿入りを考えていたのです。


 ですから、宇多帝の孫である源雅信の娘、倫子、醍醐帝の王子だった源高明の娘、明子女王の二つの結びつきを重視しようとする詮子の目論見は、全く間違っていません。因みに宇多帝も醍醐帝も安定した親政を行った帝ですから、その点でも筋がよいのですね。貴族の政で重要なのは血統と人脈であり、それをつなぐのは女性たちであること詮子は確信しているのでしょう。ある意味、男性陣よりも彼女のほうが、女性たちの政治力を理解していますね。

 また、前回、詮子が兼家からの一喝「源など何の役にも立たん」を無視しなかったことも、侮れませんね。彼女は父の政治力をわかっていますから、その弁を認めた上で「二つの源氏をつかんでおけば安心でしょ?」とより強化するよう修正を加えているのです。短期間で自分の策を修正し、強めていくあたりに彼女の政治的センスと手腕が見えます。懐仁の後ろ盾を作るという彼女の計画は着々と進められているのです。

 いやはや、流石ですね、そのタフさに感心するばかりです(笑)


 そして、「道長が、左大臣雅信殿の一の姫、倫子さまと源高明殿の娘、明子さまと両方を妻とすれば言うことないわ」とあっさり言うように、彼女の計画の要は道長です。初心で真面目な道長は女性を道具とすることをよしとしません。まして、まひろ一人に恋い焦がれて、今まさに純情を燃え上がらせている最中、姉の言葉に「なんということを!」と激高するのは宜なるかな、です。これに「考えておきなさい」と余裕の微笑で返す詮子は、おそらくこういう道長の真面目な返答は予測どおりだったのでしょう。
 寧ろ、こういう人柄だからこそ、彼を信用し、二人を妻にしてほしいと願っているのです。彼女は入内によって、女性たちが単なる政治の道具とされることを目の当たりにし、体感してきた人ですから、進んで苦しめるような男と彼女らを結ばせることはしないでしょう。あくまで道長を信頼すればこその提案なのです。ですから、性急に事を運ぶことはせず、答えは急がないと彼の自覚に委ねます。


 それにしても、道長が来ただけで人払いしなければならない話だと見抜く判断力、自分の策の問題点を早急に修正する臨機応変さ、道長の政略的な重要性を見通す慧眼、あらゆる手段を容赦なく使える辣腕、雅信を味方につける際に見せた駆け引きなど、詮子の政治的な能力は、恐ろしく父、兼家に似ています。右大臣家に育ち、早くに入内という自分の宿命を受け入れていた彼女は、兼家の手腕も傍で見ていたでしょう。また、陰謀や嫉妬の渦巻く宮中で辛い体験もしてきました。
 結果、彼女は、右大臣家の誰よりも兼家の政治的手腕を強く受け継ぎ、開花させたのでしょう。兼家と立場は正反対でも、彼女こそが色濃く右大臣家の人間なのです。


 兼家も詮子も目的のためには冷徹になれる非情さを持ち合わせていますが、詮子が兼家と多少違うのは、味方に引き入れた者に対する情の深さでしょうか。兼家は、相手が誰であれ、基本的に利害によるビジネスパートナーとしての関係です。晴明との関係にしても、互いのことを利益に忠実な人間と信用すればこそです。ただ、蜜月の長さと陰謀家という似た者同士の気質ゆえに、その距離感が生む緊張感と馴れ合いの駆け引きが、二人の楽しみにもなっていますが(笑)
 ともあれ、兼家は、人にも物にも懐疑的で信を置きすぎることはありません。それは、身内であっても例外ではありません。油断が、我が身だけでな一族を滅ぼすと心得ているからです、また、思い入れすぎないからこそ、人様の心を利用した大胆な策も講じられるのです。これは、次兄と骨肉の争いをし、内裏の騙し合いを生き抜いた兼家なりの知恵なのでしょう。


 しかし、詮子は、人の心を弄ぶ父のやり方を嫌います。「寝ずに心配する子どもらさえ偽って気を失ったふりをするなんて恐ろし過ぎない?」との言葉は、円融帝退位において自身の純情を利用された挙句、蔑ろにされた苦い経験によるもの。前回の一件をもって、貴方も父の恐ろしさふぁわかったでしょ?と道長に問いかけているのです。勿論、彼女はより兼家への不信を深めたのでしょう。だからこそ、源との関係をより推し進めているのです。

 逆に彼女は、安和の変によって源高明が失脚したことで苦境にある明子を庇護する形で関係を結んでいます。彼女にとっての人脈づくりと基盤の地ならしは、多少強引な手を使うとしても、相手との信頼関係を構築するという基本があるのでしょう。ですから、道長の信頼できる人柄、父と距離を置く気質を見込んでいるのです。


 因みに二人の兄については、「父上のやり方を疑わない道隆の兄上も、父上の手先になって嬉しそうな道兼の兄上も最悪ね」とバッサリです。結局、兼家への精神的な依存度の高い二人の兄たちは、信用も置けないし、政治的手腕も期待できないと読んでいるのですね。兼家の息子二人に対する評価に近いその慧眼は、皮肉にも彼女が兼家の娘であることを象徴しています。
 実際、彼女はここで述べた道長と二人との源の娘との婚姻を成立させ、道長の政治的な基盤を安定させますし、また懐仁親王が一条帝となって以降は、東三条院という国母として政治に介入していきます。為時は「お前が男であったなら」とまひろに言いましたが、詮子も男子であったなら兼家にとっては全幅の信頼のおける嫡男となったかもしれませんね(笑)


 そういう彼女だからこそ、道長に最終的には「まあよい。いずれわかるであろう。己の宿命が…」と、兼家のような言葉を告げてしまいます。今まさにその宿命に悩まされている道長は、思わず目を剥きます。即座に「なんて父上のような言い方をしてしまったわ(笑)いけないいけない(笑)」と自虐的に忍び笑いをする詮子。彼女の言葉には兼家ほどの重さはなく、あくまで可愛い弟だけが頼みにする気持ちの裏返しだったのでしょう。

 しかし、思わず漏れた言葉には真実があるものです。表面的には父と同じ類になったこの言葉は、道長に差し迫った自身の宿命を突き付けます。詮子の息子の将来を見据えた道長への前向きな信頼は、今の彼にとっては荷が勝ちすぎます。万が一のとき、「家」の全権を任せるとした兼家の期待と同じく、苦痛でしかありません。それによって得られる、世の中の力を変える力よりも、それを手に入れることによって、失われそうなまひろとの恋路のが大切だからです。
 姉の部屋を出た道長は「おのが宿命か…」とまひろの思いが詰まった漢詩を見ながら呟き、自分の逃れられない「家」の宿命を改めて自覚すると、まひろを連れてそこから逃げることを決心するに至ります。

 このように、道長が、和歌に託した恋文を送る決心したのも、まひろと共に遠くの国へ行こうと決心したのも、直秀を死に追いやった自身の「家」の宿命に追いつめられたことが大きなきっかけになっているのです。
 勿論、道長のまひろへの恋心は真実であり、それは「家」の宿命と不可分ですが、どうしてもその言動は、まひろの道長への思いと比べると純粋とは言えず、またその想いの深さも対等のものとは言えないでしょう。二人はすれ違わざるを得ないのですね。



2.まひろと道長、恋路の果てに

(1)まひろが、漢詩で返歌してしまった理由

 まひろは日常を粛々と生きているものの、爪弾く琵琶の音は、乳母のいとにすらわかるほど哀しみに満ちています。彼女は、直秀の死を悼み、母の死と重ね、この世の理不尽な死に対する思いを琵琶の音に乗せているのでしょう。勿論、その思いの中には、共に直秀を埋葬し哀しみを共有した道長への秘めた想いも含まれているはずですが、糸に告げた「生きてることは哀しいことばかり…」という憂いからすれば、世の理不尽な死に対する哀しみと怒りと諦めのほうが彼女の心を占めているのではないでしょうか。

 また彼女は前回、父との会話の中で、自分が男子であったなら「世の中を正したい」と思わず漏らしています。したがって、彼女は琵琶を爪弾き、物思いに耽りながら、どうしたら世の中は変わるのだろうと思索を巡らせてもいたと察せられます。勿論、身分低く、女性である彼女にそんな都合のよい方法などあるはずもありません。思索は堂々巡りを繰り返し、憂いを深めるばかりです。

 為時の側妻である高倉の女が、身寄りもなく死に逝くばかりの女性と知ったことも、まひろは何とも言えない気持ちになったことでしょう。裕福に生きる貴族たちがいる中、貧しさと病から死んでいく…そういう死もまた、直秀とは違いますが、理不尽な死の一つでしょう。この世にはかくも理不尽な死が溢れていることをまひろは実感するのです。
 ですから、「間もなく命も尽きるであろう、一人で逝かせるのは忍びない。見送ってやりたいのだ」と見捨てられない為時の情け深さだけが救いです。まひろは「胸が熱くなりました」と褒めていますが、これは高倉の女への憐憫だけではなく、本心で父を立派と思ったのでしょう。

 彼は嫡妻も決して家柄が高くもなく、裕福ではないちやはを娶りました。また、側妻も同様だったようです。彼は当時では当たり前だった女性との婚姻によって家格を上げることをせず、情を交わした相手とのみ関係を結んでいたのです。そのことは、こうして死に逝くまで面倒を見続けようとする姿からも窺えます。

 また、おそらく…ですが、為時はちやはをああいう形で葬らなければならなかったことを悔いているでしょう。だとすれば、側妻だけでも最期まで看取ってやらねばならないと思っているのではないでしょうか。それで彼の罪滅ぼしになるわけでもなく、男側の勝手な理屈とも言えるでしょう。しかし、それで目の間にいるこの女性の心が救われるということ、そして母を慕うまひろがそれを受け入れ、認めていることでよしとして良いように思われます。

 為時のように、弱いものたちを慈しむ心こそが政には必要です。政治的センスに欠け、世渡り下手な為時ですが、卑しい人間でなかったことは、彼には漢籍で説かれる思想が染みているのかもしれませんね。同じく漢籍の教養があるまひろは、父の性質からそれを感じたのかもしれませんね。


 さて、そのように世の理不尽への憂いを深めるまひろの元へ、道長からの歌が届くのです。それは「古今和歌集」の「恋一」かた取られたものでした。「古今和歌集」における恋歌は、恋の進展に合わせて編纂されているのが特徴で、「恋一」「恋二」は「逢わずして慕う恋」、「恋三」を「契りを結んで後になお慕い思う恋」、「恋四」を「契りを結んで後になお. 慕い思う恋」と「恋五」を「恋」と数字が進むほど、その想いは高まっていくようなっています。更に「恋一」も「ほのかに見て恋う」「ひそかに恋う」「揺れる思い」「寄るべなき恋う」「時のみ過ぎ行く恋」ともっと細分化されています。


 道長は、「恋一」と「恋二」から、チョイスしてまひろに送っていますが、最初が、「恋一」503番、次が「恋二」568番、最後に「恋二 巻末歌」615番と、やはり恋心が盛り上がっていくようになっています。
 内容も「そなたを恋しいと思う気持ちを隠そうとしたが、俺にはできない」→「そなたが逢おうと少しでも言ってくれたのなら生き返るかもしれない」→「そなたに逢うことが出来るのならば、命なんて少しも惜しくはない」ですから、道長の「逢いたい」が「逢いたくてたまらない」へと変化していくのが見えますね。先に述べた道長の追いつめられた心情を合わせて考えると、比例していることも見えてくるでしょう。

 ともあれ、平安期の歌の贈答によるプラトニックな恋の駆け引きを上手く演出していますね(実際は赤染衛門が言うように、自分の歌を詠まなければダメなんですけどね)。


 さて、まひろは最初の一首を見た際に、「なんで、「古今和歌集」」と訝しみます。彼女の思いは、恋を含むものの、憂いのほうが強いのです。ですから、恋の歌が届いたことに戸惑いがありました。しかし、その内容を慮ったとき、彼が今、苦しんでいるということ察知します。原因は一つしかありません。
 だから、直ぐに直秀の遺骸を二人で埋めたことを思い浮かべ「あの人の心はまだあそこに…」と切なくなります…と同時にまだ苦しむ彼が愛おしくなるのです。あのとき、大泣きし、自分を責めた彼の慟哭は彼を抱きすくめた彼女の身体に今なお振動として残っていることでしょう。
 前回、note記事でも触れたまひろと道長の哀しみと罪悪感の共鳴こそが、彼らの心を強く結びつけました。一首目の「隠せない恋心」には、あの出来事を忘れられないのだと、まひろにだけはわかるのですね。「あの人の心はまだあそこに…」の「あそこ」は、直秀の埋められた鳥辺野という以上に、二人の共有された記憶の中の「鳥辺野」であると考えたほうが適切かもしれません。二人は、あの日、あの時の記憶に囚われているのですから。

 

 まひろは日常に追われながらも、あの日からふと思えば、琵琶を弾き、思い悩んで憂いを深めてきました。同じ思いを共有した道長もまた、同じであると知ったことは救いに感じられたことでしょう(実際は二人の思いは微妙にすれ違っているのですが)。憂いが深かった分、反動で彼女も思わず筆を取ります。
 以前、歌を貰った時は喜びで胸に抱え込むだけで応答できませんでしたし、誤解から燃やしてしまいました。このときはまだまひろには心の整理ができていなかったということもありますが、道長と話さなければならないと感じるほどの激情がなかったのです。しかし、今回は違います。


 まひろは和歌で返さず、陶淵明の漢詩「帰去来の辞」で返しました。「帰去来の辞」は、大志を抱き勉学に励み、官位を得たものの、醜い政争と戦争に辟易し、職を辞して故郷へ戻って書いたものです。隠棲する決意を「帰去来の辞」に綴った彼は、二度と仕官しませんでした。そうした漢籍を選んだ意図については後述するとして、まずは二人の応答を劇中の彼らの心の吐露による訳文でみてみましょう。

①  
道長:そなたを恋しいと思う気持ちを隠そうとしたが、俺にはできない
まひろ:これまで心を身体の僕としていたのだから、どうして一人くよくよ嘆き悲しむことがあろうか

②  
道長:そなたが恋しくて死にそうな俺の命。そなたが逢おうと少しでも言ってくれたのなら生き返るかもしれない
まひろ:過ぎ去ったことは悔やんでも仕方がないけれど、これから先はいかようにもなる

③ 
道長:
命とははかない露のようなものだ。そなたに逢うことが出来るのならば、命なんて少しも惜しくはない
まひろ:道に迷っていたとしても、それほど遠くまで来てはいない。今が正しくて昨日までの自分が間違っていたと気づいたのだから


 ①のやり取りでは、あの日のことを思い悩んでいる道長に対して、「一人で思い悩むことはありません、身体は離れていても私も同じです、安心してください」と慰めています。ここは、ズレているのもの上手く対応しているように見えます。

 問題は②のやり取りからです。まひろと両想いだと信じた道長は、ここぞとばかりに自分の恋心の思いの丈をぶつけてきます。しかし、その清々しいまでの彼の激情を、まひろはどうやら「死にそうだけど、君の言葉があれば生きていける」という部分だけを抽出して読み取ったかのような返事になっています。
 だから、彼が抱えた直秀を死なせたという罪の意識を思い、「そのことは悔やみきれないけれど、貴方ならこれから先を変えていける」と右大臣家にいる彼の将来を励ますような物言いになっていると思われます。

 最後に③ですが、こちらはもうダメですね。道長は「もう逢えないことは耐えられない」と叫んでいるのですが、まひろは自分の励ましに応えたものとして返しています。「直秀の死で自分の失敗と間違いに気づけた。今からでも遅くないから頑張って」というところでしょうか…こうして全体に並べてみると、二人のやり取りは、道長のお悩みにまひろが諭すという相談の形になっているのですよね…
 ああ、何やってんだ、二人とも!もどかしい!これだから、自分の手で作った歌に思いを込めなければならないのですね…赤染衛門の言葉が響きますね(苦笑)


 二人は根本的にズレたやり取りをしています。したがって、思いあぐねた道長が行成に相談したのは当然なのです。ただ、内容を教えてもらえないので行成も困ってしまうのですが。

 ただ、ズレているだけならば、最終的には、勘違いを修正するだけの話です。厄介なのは、やり取りはズレていても、二人の恋心はそれぞれにこれ以上ないほど高めていることです。道長は、彼女の想いが同じであると信じるがゆえに盛り上がり、まひろもまた彼を想い続けてきたがゆえに苦しむ彼が愛おしくてたまらなくなっていきます。勘違いで片付けられないんですよね、二人の本心は。
 結局、二人は同じ哀しみと罪を共有するからこそ、その根底にあるお互いを思いやる気持ちと互いを慕う気持ちは通じ合っています。だから、やり取りはズレていても想いは通じ合ってしまう。

 ただ、心情は通じ合っても、思考の面は違います。道長は恋路が全てとまっしぐらですが、世を憂うまひろには恋路にばかり走ってはいけないという悩ましさがあるのです。彼女が何故、和歌ではなく漢詩で返したのか、それは二人のやり取りが基本的に道長の激情をまひろを諭すという形になっていることに表れています。彼女は自分の恋心を押し隠し、今の道長にとって最善のことをしてあげたいと思ったのではないでしょうか。


 奇しくも、道長の相談に乗った行成が「そもそも和歌は人の心を見るもの、聞くものに託して詠みます。翻って漢詩は志を言葉に表しております。つまり漢詩を送った者は何らかの志を詩に託しておるのではないでしょうか」と和歌と漢詩の違いを端的に述べています。平たく言えば、和歌は心情を、漢詩は思考や思想を語る手立てなのですね。たしかに漢詩にも旅情や郷愁、友との別れを詠んだものが多くあります。高校の漢文で習った方もいるでしょう。

 しかし、それだけであれば、貴族が漢詩などの漢籍を学ぶ必要はありません。第6回の漢詩の会で斉信や公任が白楽天の漢詩を使い、自身の政治的な決意を述べたことを覚えているでしょうか。漢籍とは、詩や文学の形態を取りながら、思想や政治理念、哲学、あるいは政治批判を語るものなのです。「諸氏百家」(「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物、「百家」は儒家・道家・墨家・名家・法家など学派を指します)が代表的ですね。漢籍が、政治家や官僚となる貴族たちに必須の教養となっているのは、まさに自分たちの政にかかわるからです。

 「白氏文集」が平安期に重用されたのは、その平易な文体と、社会問題を語った様々な資料価値の高い文書が載っているからです。特に白楽天は、諷諭詩という民衆の生活苦を描いた詩による為政者への諫言を重視していました。
 こうしたものを直接、漢文として直接触れ、自身も書けることによって、古代中国の優れた教養を身体の中に染み込ませ、体得していったのです。こうした漢籍を政治の理念としていくことは、江戸時代の終焉までずっと続きます。

 近現代の日本では文学を始め、音楽、映画、マンガ、アニメなどが時の政権に批判的になることを嫌う傾向がありますが、諸外国ではそうしたカルチャーが世の中で批判的であること、思想を語ることはむしろ当たり前だったのです。したがって、漢詩とは極めて理性的な、理知的なものであり、まひろが自身の気持ちを抑制するために選んだことは妥当な選択と言えるでしょう。


 ただ、まひろが、道具立てとして陶淵明「帰去来の辞」を選んだこと自体に、彼女の心の揺れを汲むことはできそうです。陶淵明は、先にも言ったとおり、政治に失望し隠居した人物です。こうした自分の理想や節義を貫くために、最初から仕官をしない、あるいは君主のもとを去り、山奥などに隠れ住む隠者たちを隠逸、逸民などと呼びます。陶淵明だけでなく竹林の七賢や伯夷などが代表的ですが、その高潔な生き方は理想の一つとされています(隠逸思想と言います)。

 つまり、まひろは道長を現実に生きるように諭しつつ、煩わしい俗世を捨てる陶淵明の思想を語るというダブルバインドを起こしてしまっているのです。こうなったのは、まひろの恋に生きたいという乙女の純情と直秀や母が理不尽に死んだ世を憂う嘆きと本心が分裂してしまっているからでしょう。おそらく、まひろの心は道長から届けられら歌に激しく揺さぶられたのです。彼女の恋心にも火が付いたのです。ただ、その一方で彼の悩みに応えなければという理性も働く…その結果として、自分の矛盾した本心を内包している陶淵明「帰去来の辞」を無意識に選んでしまったのでしょう。


 そのため、道長は行成の「漢詩を送った者は何らかの志を詩に託しておる」とのアドバイスに深くうなずき「少しわかった気がする」と言ったのです。まひろは陶淵明と同じく、自分たちの心や理想を守るため、都を去り、遠くの国へ行きたいというのが本心なのだと、彼は漢籍の知識をもって、ある意味、まひろの本音を正確に読み取ったのです。だから、詮子の期待から右大臣家の宿命にうんざりしたそのとき、彼はまひろへ「我亦欲相見君(我も亦た君と相見えんと欲す)」とちょっとカッコつけて漢文で誘い出すのです。
 ただ、そこにはまひろの秘めたる葛藤がすっぽり抜け落ちています。それが、二人の逢瀬を美しくも哀しいものへと仕立てていくことになります。



(2)一生をかけた恋をしてしまったまひろの悲劇

 道長は、直秀の死によって自身の右大臣家の闇の恐ろしさを知りました。しかし、現実は彼の立ち直りを待つことはなく、兼家、そして詮子と彼の才に期待を寄せます(彼らの期待は真っ当なものですが)。そして、迫る一族の命運をかけた後ろ暗い大がかりな陰謀劇…そのどれもが、道長は右大臣家の宿命から逃れられないという現実を突き付けてきます。追いつめられた彼の心情を、彼の抱えた罪と哀しみを理解してくれるのは、身分を超えた幼馴染のまひろだけです。彼が、彼女への想いを募らせ、密会の場所へ急ぎ、彼女を待ち構えていたことは想像に難くありません。

 一方のまひろも本心は道長に自分の憂いを吐き出し、その気持ちを語らいたいのです。道長の呼び出しに駆けていく彼女(スローなのがよいですね)の想いもまた、「逢いたい」の一心になっています。目指す理想に対する考えはズレていても、哀しいくらいに一つになりたい、寄り添いたいという思いだけは一致しているのです。
 ですから、後ろから抱きすくめられた瞬間、まひろは目を瞑り、その幸せを噛みしめる表情になるのも、「逢いたかった」の道長の声に応えるようにするりと、そして長い口づけをかわすのもごくごく自然に見えますね。その流れるような一連のシーンの滑らかさは、彼らが出会ったあの日から魂の伴侶であったのだと思わせます。


 しかし、二人の想いが完全一致した甘い空気はそこまでです。道長は「一緒に都を出よう。海の見える遠くの国へ行こう。俺たちが寄り添って生きるにはそれしかない」とその性急な申し出を決めつけたように早口で言います。おそらく、彼がずっと言いたくて仕方のなかった台詞なんですね。
 皮肉にも、直秀が以前、言いかけたものの現実を考え直して誤魔化してしまった台詞を言い切ってしまう道長。そこに迷いはありませんが、直秀が何故、その言葉を飲み込んだのかということを考えれば、その迷いの無さ自体が世間知らずで危ういものですし、またまひろの気持ちを慮るものではありません。

 いつになく落ち着きのない道長に戸惑うばかりのまひろに、道長はさらに「藤原を捨てる。お前の母の敵の弟であることも止める。右大臣の息子であることも、東宮さまの叔父であることも止める!」と矢継ぎ早に続けます。貴族という身分を捨て、障害である道兼との因縁を切り、父の期待も、姉の信頼も振り切ると一々言うこの台詞は、第10回で押し寄せた「家」の宿命に道長が、どれだけ苦しめたかが察せられます。

 一方、カメラは道長ではなく、この言葉を受け、驚き、戸惑い、そして息を呑むまひろの表情に焦点を当てているのが興味深いところです。彼女は後に告白しますが、道長のことを三郎の頃からずっと慕っていました。しかし、大人になり、超えられない身分の家格差、貧富の差、そして仇の弟という因縁が、彼女に道長への想いを認めさせない、あるいは秘めたるものにしてきました。

 また、道長は知りませんが、公任らの女性をものとしか思わない公任らの口さがない言葉に道長が曖昧な返事をしたときも、まひろは深く傷つきました。上流貴族たちの理不尽はもとより、自分は見映えも家柄も何もかも道長に相応しくないというコンプレックスが彼女を苦しめたことでしょう。道長はきっと家柄を優先するに違いないという現実を突きつけられたのですから。

 しかし、そのまひろが抱えた諦めの原因の全てを道長は捨て去り、乗り越えようというのです。どこかで抱いていた道長への疑念は消え、彼の真心が信じられ、そして、決して言われることはないと諦めていた「一緒に来てくれ!」の言葉を「あの人」が言ってくれている…その事実にまひろからは笑顔が溢れ、心から「道長さま、嬉しゅうございます…」と返します。待っていた幸せが訪れた実感がそこにありますね。その言葉に力強く抱きしめる道長も同じ気持ちでしょう。

 ただ、賢いまひろは、それに溺れられません。現実を考え「嬉しいけれどどうしていいかわからない」と答えます。それは、彼女が和歌に対して漢詩で応えた理由であり、彼女の理性から来るもう一つの誠意です。気持ちは道長に応えたい、しかしそれは彼にとって最善の選択ではない…このことです。


 道長は、彼女の逡巡を、家族を捨てられないことだと誤解し、それでも今しかない、同じ思いのはずと自分同様に家族を捨てることを要求します。「家に帰れば、まひろはあれこれ考えすぎて、俺とはきっと来ない」というのは、かなりまひろの性格をよくわかっている言葉ですが、彼女の思考や葛藤を理解していません。中途半端にまひろをわかっているのが、見ていてもどかしいところです。

 道長の熱い激情を見つめるまひろの目は、道長の想いに流されてしまいたい気持ちに溢れています(吉高由里子さんの目の演技がよいですね)が、発せられた言葉は別の言葉…「大臣や摂政や関白になる道をほんとに捨てるの?」という彼の将来を案じる言葉でした。自分の幸せについては一言も切り出さないあたりに、彼女の自制心と道長を真に思う気持ちが出ていますね。


 しかし、道長は、自分を疑っているのかとばかりに「捨てる。まひろと生きていくこと、それ以外に望みはない」と即答するだけです。勿論、彼は本気なのですが、真意には気づかないことに焦れたまひろは「でも、あなたが偉くならなければ、直秀のように無惨な死に方をする人は無くならないわ!」と、貴方の役割は私と夫婦になって幸せになることではないと遂に断言してしまいます。
 道長の役割は、この世を正すことだと明言します。「自分と幸せになってはいけない」と暗に示すこの台詞…まひろは一番言いたくなかった台詞でしょう。道長は、彼女にそれを言わせてしまいましたね…ダメだなぁ、道長(苦笑)


 それにしても、まひろはどうしてこうした考えに至ることができたのでしょうか。家柄も女性という立場からしても、彼女は政からは遠い存在です。現実の政治がどんなことをしているのかも、よくはわからないはずです。しかし、最も政に近い家庭にいながらそれを避けている道長よりもずっと政治において大切なことを知っていますね。

 これは、やはりまひろが漢籍に通じているからでしょう。先にも述べた通り、漢籍は政治理念や哲学や思想を学ぶものです。彼女は父から学ぶうちにそれを知識として知っていたはずです。しかし、貧しい生活、理不尽な多くの死を見つめる中で政の重要性が身に染みていったことは、前回の「男だったら勉学に励み、内裏に入って世を正す」との言葉から窺えます。そして、政の根本は「世を経(おさ)め民を済(すく)ふ」(経世済民)ことであることも、彼女ならばよく知っているのではないでしょうか。

 道長の歌への応答に陶淵明「帰去来の辞」を選んだことから、彼女の心には隠棲への憧れ、道長との愛に生きたい気持ちもあったはずですが、それよりも優先すべき思いが…まさに行成の言う「志」が彼女にはあったということでしょう。


 ですから、道長を深く思いながらも、世の中への憂いの解決を優先する彼女の志が語られる以降のシーンでは、カメラはまひろへとズームし道長をフレームアウト気味にした上で左に回り込み、彼女の辛く切ない決心をじっくりと切り取ります。

 一度、大きく息を吸った彼女はまず、道長への溢れるばかりの想いを吐き出します。「鳥辺野で泥まみれで泣いている姿を見て、以前にも増して道長さまのことを好きになった…」とここで一息、切なげな吐息が入るところに彼女の万感があります。そして、「前よりずっとずっとずっとずっと好きになった。だから帰り道…あたしもこのまま遠くに行こうと言いそうになった」と、道長が切り出すよりも前から、同じ想いであったことを告げます。


 にもかかわらず、彼女はその一言が言えなかったのです。そのときは理由がわからなかったのですが、心のどこかにある引っ掛かりが、彼女を激情に走らせることを拒んだのですね。おそらく、彼女は直秀をその手で埋め、その死を嘆く道長を見たとき、「好き」になった思いとない交ぜの形で道長の政治的資質を見てしまったのではないでしょうか。
 下々のために手を汚し、その死を嘆くことができる仁徳。そして、自らの罪と向き合える真摯で謙虚な心。古代中国の伝説上の皇帝、尭と舜は、徳による仁政を敷いたとされますが、その「徳」が道長には備わっていると感じたのでしょう。これは、兼家にも、詮子にも、まして道隆、道兼にもありません。


 だからこそ、言えなかった理由に気づいてしまったまひろはとてもつらいのです。自分の好きで好きでたまらない道長の美徳こそが、今のこの世の中の政を正すのに必要な徳だとわかったからです。好きだからこそ、それがわかるからこそ、まひろは道長を世の中に返さなければならないのですね。ですから、つらそうにしながらも、決意するように思いを振り切ると「二人で都を出ても世の中は変わらないから。道長さまはえらい人になって直秀のような理不尽な殺され方をする人が出ないような…より良き政をすり使命があるのよ」と言い切れるのです。


 この後に付けた「それ、道長さまも本当はどっかで気づいているでしょ?」という言葉が、道長には痛いですね。何故なら、彼は兼家の言葉で自分が家の主として政を成す可能性を自覚した瞬間、直秀埋葬の記憶が蘇りました。これは、彼のトラウマのフラッシュバックであると同時に、それを変えることができる力を得ることが彼の政治の原点になることを暗示しているのです。道長は、まひろの言うとおり「どっかで気づいている」のですね。気づいていながら、恋路に逃げようとしているのです。

 ここまで正確に道長の核心を突けるまひろは、道長が自分への恋心を理由にして、現実から逃げようとしているだけかもしれないと気づいてしまっているかもしれませんね。彼の恋心が真心とわかっているだけに、それを理由にされるのは居たたまれないでしょうね。

 

 しかし、恋路に狂い目が曇っている道長は「俺はまひろと会うために生まれてきたんだ」と開き直り、「この国を変えるために道長さまは高貴な家に生まれてきたのよ。私とひっそり幸せになるためじゃないわ」と天命を伝えても「俺の願いを断るのか」と駄々をこねます。ああ、「俺の願いを断るのか」…これは一番言ってはいけないやつですよね…まひろが可哀想すぎて、だんだん道長に腹が立ってきた方も多かったのではと察しています(苦笑)

 あまりにも駄々をこね、わかっているのにわかろうとしない道長に、まひろはいよいよ「幼い頃から思い続けたあなたと遠くの国でひっそり生きていくのは、あたしは幸せかもしれない」と涙ぐみながらも「けれど!…そんな道長さま、全然思い浮かばない。ひもじい思いをしたこともない、高貴な育ちの貴方が生きていくために魚を取ったり、木を切ったり、畑を耕している姿……全然思い浮かばない!」と、生きる世界が違う、下々の生活では道長に甲斐性はない、現実を見ろとまあ、身も蓋もないことまで言わざるを得なくなります。
   勿論、これは裏を返せば、まひろは政治家としての道長の将来性を観ているということですから、「愛ある突き放し」ですね。

 それでも「まひろと一緒ならばやっていける」と戯言を抜かす道長に、「己の使命を果たしてください。直秀もそれを望んでいるわ!」と、彼が友と思っていた人間の願いを引き合いに出して諭します。

 おそらく、ここでまひろは直秀を引き合いに出すことで、道長が何を恐れて、彼女の逃避行を望んでいるのかにようやく気づいたのかもしれません。それは、右大臣家の宿命に受け入れることで今度はまひろを失うかもしれないということです。まひろにどんなに説得されても、逃避行を諦めないのは、右大臣家の宿命から逃げることとまひろと共に生きることが不可分だからなのでしょう。
 側妻の一人ということであれば、結ばれることはあったかもしれません。しかし、それは彼の願うことではありません。また、いつか右大臣家の宿命によって、まひろを利用し犠牲にしないとも限らない…道長はそのように思い込んでいると思われます。

 それを感じたからか、まひろは「一緒に遠くの国にはいかない」ときっぱり断言しながらも、努めて優しく…そして真心をこめて「でも、私は都で貴方のことを見つめ続けます。片時も目を離さず、誰よりも愛しい道長さまが政によってこの国を変えていくさまを…死ぬまで見つめ続けます」と貴方一人を愛し続ける、貴方から離れはしないという自分の役割を宣言します。

 これ以外に、まひろを失うことに怯える道長を説得する方法はありませんが、一方で道長を心底愛するまひろにとっても、これ以外にその想いを貫く方法は見いだせなかったのではないでしょうか。二人の魂を死ぬまでつなぎとめる哀しき最善の策です。

真の愛を貫くために彼女は、道長から離れた場所から彼の一挙手一投足を可能な限り、見つめ続けるのです。その間、彼は彼女と心から交わる機会はありませんし、その想いが報われることはありません。さらに言えば、彼は自分の家を繁栄させるために、妻を娶り、子を成すはずです。自分にはできない愛する人との子は望めないまま、まひろはそれも見るというのです。
 まひろは道長との純愛のため、全てを「彼を見る」行為に捧げますが、それはあまりにも過酷な選択ですね。彼への愛を実感しながら、哀しみをたたえることになる行為ですから。


 彼女の選択を受け入れるしかなくなった道長ですが、互いの想いの深さは間違いがなく、今、お互いが一番信じられるものです。そのことも確認されてしまいました。婚姻という形で報われることはなくとも、お互いの魂だけは離れない…二人が契りを結んだのには、そんな覚悟と決意があったのではないでしょうか。別れるための哀しい契りを、月の光がちりちりと舞い、二人の切なく哀しい関係を彩っていますね。

 事が済み、哀しそうなまひろの顔を見た道長は、憑き物が落ちた顔で愛おしむように「言ったのはお前だぞ」と軽く責めます。すっかり大人の女性の表情になったまひろの、達観したような「人は幸せでも泣くし、哀しくとも泣くのよ」と言う言葉が、興味深いですね。
 古語で「愛し」は、「かなし」と読みます。「かなし」とは、激しく感情を揺さぶられることを指します。だから「愛し」にも「哀し」にもなるのです。まひろは、道長との多くのやり取りをとおして、愛が哀に通じるのだということが身に染みたのです。こんな深い恋をしてしまい、あまつさえ生涯見続けるとまで言ってしまったまひろは、、道長以上に愛せない呪いを自分にかけましたね。


 しかし、これは、まひろにとって、哀しいことですが、幸せでもあるのです。少なくとも、冒頭でいとに漏らしていた「生きることは哀しいことばかり」ではなくなったのですから。だから、今の涙は「どっちなんだ?」という道長の問いに「どっちも…幸せで哀しい」と答えるのですね。
 未練の残る道長は「送っていこう」「また逢おう」「これで逢えなくなるのは嫌だ」と言いますが、まひろは寂しく笑うだけで返事はしません。結ばれた今、このときを大切にしたいという思い、この一度だけあれば耐えて生きていけるという決意、もう逢えないだろうという諦め、まひろに去来するさまざまな想いを考えると、切ないという単純な言葉ではとても足りませんね。


 ともあれ、遂に結ばれた二人のこれからの道は、ばっくりとわかれることになります。道長は政治家として、世を変えるために生き、それを見続けるまひろはその見たものを元に物語を綴る作家となっていくのです。違えた道はそれでも合わせ鏡のようになっていくわけですが…その二人の魂の結びつきの答え合わせをする再会はいつになるのでしょうか。長い長い旅が始まるような予感がしますね。


おわりに
 終盤、右大臣家一同は緊張感を伴いながらもクーデターを計画どおり進めていきます。この計画の要は、花山帝を内裏から時間どおり連れ出し内裏の全ての門を閉めることにあります。しかし、人心が離れ疑心暗鬼の帝を周りに気づかれることなく連れ出すのは至難の技。それを可能にしたのは、女装をさせるという兼家の奇策とそれを理解して対応できる道兼の臨機応変です。つまり道兼こそが、本計画の一番の立て役者。

 興味深いのは、女御にバレそうになる局面も、花山帝のまえで白々しく涙ぐむときも、どことなく楽しげだということです(玉置玲央さんの妙技)。これは、父の役に立てていることへの喜びだけではなく、緊迫した状況を切り抜けること自体に優越感などの快感を覚えるようになっているのかもしれません。根っから謀が向いているのでしょう。
 ですから、得度した花山帝を置き去りにする際の「お仕えできて楽しゅうございました」は、種明かしで嘲笑うという浅ましいもの皮肉だけでなく、本気で面白かったのだと察せられます。

 全てが終わり、兼家の高笑いと都の全景がオーバーラップするシーンは、兼家が貴族たちの頂点に立ち、権力を掌握したことを象徴しています。もっとも悪の首領度全開のあからさま過ぎな演出は、爆笑ポイントでもあるのですが。まあ、私のnote記事はずっと兼家中心でしたので、今回だけは「おめでとう」と言っておきましょうか(笑)
 さて、この謀での道長の役割は大きくありませんが、それでも粛々と役割を果たしました。その顔つき陰りのないライティングがされており、一見、迷いはなさそうです。完全に宿命を受け入れたわけではないでしょうが、とりあえず成すべきことを成そうというところでしょうか。それも、まひろと身体を重ね、恋慕の情を確認できたことで精神的に安定できたのかもしれません。
 この寛和の変の翌年には、道長は従三位に叙せられ公卿となり、あれだけ「わしを公卿にしておけば」と嘆いた実資は勿論、同僚のライバル公任よりも高位に就きます。いよいよ、道長の政への道、戻ることのできない道が始まるのですね。本作の政に消極的な彼が積極的になる裏側には、自分とまひろの一致した願いがあったからということのようです。

 しかし、まだ具体的な策も経験も持たない道長の前途は多難です。これからしばらくは兼家一家の地位を磐石にするための様々な専横はなされますが、兼家の大願は今回をもってある程度成就されたと言ったでしょう。つまり兼家の謀略は大きな区切りを迎えました。ただ、それは新たなる謀の始まりに過ぎません。
 ライバルになる他氏も帝も廃し、兼家が藤原氏長者になった右大臣家。次は内部の争いが始まるのです。今後、内大臣になる嫡男道隆、国母となった詮子は既に火種があります。そして、蔵人頭として表舞台に出てきた道兼のあの満足気な微笑みには野心が露わになっているように思われます。そして…道長にも世を正すという秘めたる願いがあります。「兄弟一丸となって」と言った兼家の言葉は、皮肉にも寛和の変を最後に骨肉の争いへと切り替わるのです。

 となると、「逢えなくなるのは嫌だ」と未練を残している道長はまだまだ不甲斐ないですね。これから道長にも、まひろにも、数多の艱難辛苦がまっているのですから。まずは、まひろには父、為時の散位(失職)がふりかかり、彼女の婚期が遅れることになりますが…さてどうなるやら。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?