「光る君へ」第27回 「宿縁の命」 一方通行の愛の身勝手が招く人間模様
はじめに
「愛し合う」…この言葉にどんなイメージを持つでしょうか。そこに理想を見る人は、美しいものを感じ取るでしょう。出来ればそういう相手と出会いたいものだと思うのも自然なことです。あるいは、今まさに愛し合っていると実感している人は、この言葉に自分たちを重ねて満足を覚えるのではないでしょうか。あるいは、この言葉が含んでいる性的なニュアンスに思い当たってしまった人は、なんだか気恥ずかしい気持ちになってしまっているかもしれませんね(笑)
しかし、そもそも人は「愛し合う」ことが、出来るのでしょうか。というのも、人は他人の頭の中を覗くことができない、つまり完全にわかることはないからです。普段の人間関係にしても、長年の経験と普段の観察から、たぶん相手はこう思っているのではないかと察しているに過ぎません。恋愛も同様です。ただ、自分が相手のことをより深く考えようとしているから、他の人よりも理解できているような気がするだけでしょう。
パートナーであっても、性格や生きてきた人生が違う以上、その愛する思いは質も方向性もまったく違います。ですから、自分と同じように、あるいは相手と同じように愛することは不可能です。相手の気持ちを察して、寄せ合う努力はできたとしても、です。そうなると「愛し合う」とは、単なる錯覚に近いものとなってしまいますね。しかし、互いがわからず思い悩んでいる、世の愛し合っている恋人や夫婦に、そもそも「愛し合う」は錯覚だから、などと言っても何の救いにもなりませんね。
見方を変えましょう。相手をものすごく思い遣ってした行動が、相手にまったく通じていない、誤解される、怒られるということを経験したことはありませんか。自分の言動が未熟なだけの場合もありますが、多くは互いの気持ちや価値観を十二分に理解できていないことによる齟齬から生じるものです。でも、相手のことを愛しているのは、自分にとって紛れもない事実。だからこそ、もっと相手の気持ちがわかればよいのに…あるいはもっと相手が自分のことを理解してくれていたらよいのに…そう考えてしまうのでしょう。
しかし、わからないからこそ、相手のことを真剣に考えられるのだということを忘れてはいけないでしょう。もし、相手を完全にわかるのであれば、人は怠惰になるでしょう。つまり、思い遣りとは、そもそも努力の産物なのです。相手が喜ぶ、安堵する、楽しそうにするそのときに、想いが通じ合う瞬間と可能性を人は感じるのかもしれません。そもそも、誕生日のプレゼントなど、相手が何を喜ぶだろうと考えることは楽しくありませんか。相手の心が丸見えだったら、存在しない楽しみなのですね。
このように考えていくと、「愛し合う」とは、相手を一方的に愛するからこそ、思い遣り、寄せ合おうと努力し続けること、その結果、わずかに交錯する、通じ合ったと感じられる瞬間の幸せだと言えるかもしれません。
ただ、人の想いがそもそも一方通行である以上、「愛し合う」という実感に至るまでの道は困難です。「光る君へ」の登場人物たちは、愛に彷徨していると言えるでしょう。どんなに相手を想い、魂が通じ合っていても結ばれないまひろと道長は典型的です。不実で結ばれたまひろ×宣孝夫妻、二人は互いに夫婦としての情があります。しかし価値観の違いから仲違いを起こします。あるいは一条帝と定子、彼らが不幸な夫婦なのは、政治的な状況だけではないように思われます。
親子もまた同様です。血縁であれば愛し合えるなどというのは、愚かな家父長制の名残に過ぎません。互いの気持ちを理解し合おうとすることが欠かせません。今回、一条帝と詮子、明子と道長×倫子夫妻という二組の親子がでてきますが、彼らはわかりあっているでしょうか。
そこで、今回は、まひろを巡る二人の男の愛し方の違い、詮子と一条帝などすれ違う親子関係から、本作における愛する行為の難しさについて考えてみましょう。
1.二人の男の愛を受け入れるまひろのずるさ
(1)道長の優しさと弱さ
石山寺での衝撃の再会から放映休止を挟み二週間待たされましたが、大水と地震の被災を見舞う言葉に応じる返事と二人の会話はその驚きを押し隠した穏やかものでした。ただ、「あの辺りは痛手が多かったゆえ案じておった」との言葉には、さりげなく道長の常にまひろを思う気持ちが滲んでいますね。ですから、変わらぬ彼の優しさを後ろから見つめるまひろの視線も心なしか熱があるように思われます。
目線の先にあるのは、わずか1年あまりの間にやつれてしまった姿です。それを言おうか言うまいか、まひろが逡巡してしまうのは、最早、人妻となった自分にはそれを聞く資格がないように思われるからでしょうか。こうした事情は、彼のプライベートにも踏み込むことです。また、事情が政であれば、あの日の約束に連なるものになり、深い話にならざるを得ません。昔の二人へと踏み込む危険があります。そもそも、ややよそよそしい会話であるのは、互いにまひろの婚姻が頭にあるからでしょう。
結局、まひろは、そのやつれから見える苦労が察せられ、心配から「お痩せになりましたわね」と踏み込みます。まひろを振り返ることなく「やらねばならぬことが山積みゆえ」と背中で答える道長も踏み込むことに躊躇いがあるのかもしれません。ただ、同じ気遣いをした倫子には、彰子の件があったとはいえ、答えてすらいませんから、やはりまひろは特別と言えるでしょう。
「それでお参りに?」と問い返すまひろに「手に余ることばかり次々と起こって、その度に…」とここで一度切ると、ふんふんと納得するように聞き油断しきっているまひろに「まひろに試されているのやも…と」と突きつけるような言葉を発します。要は、二人が契り合ったあの日(第10回)まひろとかわした「民を救う政をする」という約束に今も縛られ、追い詰められていると責めるのです。
因みにあの日のまひろの言葉は、正確には「私は都で貴方のことを見つめ続けます。片時も目を離さず、誰よりも愛しい道長さまが政によってこの国を変えていくさまを…死ぬまで見つめ続けます」です。道長のまひろへの熱情を思うと、これを完璧に覚えているのではないでしょうか(正直、面倒くさい奴←)。ですから、「まひろに試されているのやも…と」には、多少は「片時も目を離さず、誰よりも愛しい道長さま(中略)を…死ぬまで見つめ続けます」と言いながら、他の男と夫婦になってしまったことへの哀しみの揶揄が混ざっているかもしれません。乙女心が複雑なことはよく知られたことですが、女々しい男心も厄介に複雑なものです(笑←
道長の思わぬ言葉に目を剥いたまひろは、思わず身を乗り出し「私は道長さまを試したことなぞございません!」と超反応で抗議します。すると、道長、「ほ~う、すぐ怒るのは相変わらずだな…」といたずらっぽく返すと、ここでようやく振り返り、まひろを見つめます。その目は、まったくまひろを責めるものではなく真摯なものです。まひろとの約束を果たす決心をしたのは、道長自身のまひろへの愛情からです。ですから、その辛さを愛する人のせいにすることは、自分自身の思いを裏切ることになります。まひろに対しては誠実な彼には、それだけはできません。
彼がまひろに顔を見せずに責めるような言葉を発したのは、この一年余りに間に宣孝と夫婦になってしまったまひろが、変わってしまったのではないかと恐れがあったのではないでしょうか。そして、すぐ怒るまひろの反応に、昔と変わっていないことを感じほっと安堵、ようやく振り返られたのだと思われます。だから、「ほ~う」と冗談めかしたにもかかわらず、振り返った顔が真顔なのですね。
さて、道長の自分を揶揄する言葉が冗談とわかったまひろは、道長が本心でそういうことを言う人ではないことをよくわかっています。そして、道長の真摯の眼差しから、今なお、あの約束をただ守ろうとしている想い人の気持ちも察したでしょう。ですから、思わず、子どもじみた反応で怒りを滲ませたことを「お許しください」と謝ります。ちょっと恥ずかしくなったのではないでしょうか。そこに逆に心の緩みが生まれたようにも思われます。
ですから、「謝るな、それしきのことで腹は立てぬ」との返答に、まひろは「そう言えば、三郎の頃も俺は怒るのが嫌いだと仰せでございました」と忍び笑いを漏らし、すぐに物思いに目が宙を泳いでしまいます。まったくもって駄目な子ですね、まひろは(苦笑)わずかなきっかけと少しの油断で、今、一番避けていたはずの道長への熱い愛情と日々に思いを馳せてしまうのですから。
ただ、「ああ」と返した道長もそれは同じです。一寸、物思いに耽る表情をしたまひろを見て「一度だけお前に腹を立てたことがあったな」と切り出し、目を丸くするまひろに「今、そのことを考えたであろう?」と真顔で突っ込みます。彼ら二人の純愛は、「嬉しくて、哀しい」ものです。その思い出も必然的に愛おしむと同時に痛みが伴うものになります。道長は、それをよくわかっているから指摘できるのです。
自分の心を言い当てられ驚くまひろは「偉くおなりになって、人の心を読めるようになられたのですね」とその成長に感心しますが、道長は「偉くなったからではない」と言下に否定します。彼が、まひろの心情に気づくのは、離れてしまったからこそ余計にまひろへの思いが募るからでしょう。謂わば、彼の中のまひろへの情はより深まっているのです。だから、道長の目はまっすぐじっとまひろを見つめます。まひろは、そんな自分を見つめる道長を見つめながら、道長の表情からその真意を読み取ろうとしているように見えますね。
しばし、見つめ合い無言になった二人ですが、間が持たなくなったか、先に目を逸らした道長は「越前はよきとこであったか」と話題を転じます。「寒うございました」とのまひろの返事に「あ、ああ…」と漏らした道長、その一言で越前での苦労を察します。為時に宋との難しい交渉を任せきりにしていることは、手紙を代筆してきたまひろならよく知るところ。そのまひろ代筆の嘆願に色好い対応をしてやれなかった苦い事実も思い浮かんだことでしょう。素直に「越前守には苦労をかけておる」と一礼します。
しかし、当時は「左大臣としたことがずいぶん頼りのないものでございますね」と失望したまひろも、近くで為時の苦労を見て助けてきた経験から「国司でさえ大変ですのに、朝廷の政の頂に立つ道長さまはどれほど大変か…そのことが越前にいってよくわかりました」と逆に道長の苦労を労います。それは、かつての自分が道長にどれほどの無謀な約束をしたのかという自戒もあるのでしょう。試してはいないけれど、無理はさせているのですよね。
興味深いのは、このまひろの台詞、カメラは道長を追っていることです。道長はまひろの言葉に「ふ…」と声にならない笑みを浮かべます。この笑みは複雑なものがあると思われます。まず、自分の苦労を一番わかってほしかったまひろからの理解を得た喜び、そしてまひろに労われるほど成果をあげていない自身への自虐、まずは、その二つがあるでしょう。さらに、まひろから本音らしきことを聞けたことへの安堵も窺えるのではないでしょうか。
その安心が、「あ、海を見たか?」と問う響きにも窺えます。まひろは「海を渡ってきた宋人から宋の言葉を習いました」と答えると、早速、宋の言葉で挨拶をしてみせます。聞きなれぬ発音をすらすらと紡ぐ彼女に驚いた道長は、傍の木の袂の石に座り込むと「はあ~…昔から賢いと思っておったが、宋の言葉まで覚えたか…」と感心と寂しさの入り混じったように独り言ちます。なんだか自分だけが置いていかれているような気分なのでしょうね。このあたりは、宣孝が周明と話すまひろを見て抱いた焦りと似たところがあるでしょう。
道長の反応を大袈裟と見て「挨拶なら誰でも覚えられます」と訝るまひろは、相変わらず、こうした男の胸中に鈍いですね(笑)「もっと話してみよ」と請われたまひろは、何事かを宋語で語ります。意味を問うと、まひろは「越前には美しい紙があります。私もいつかあんな美しい紙に歌や物語を書いてみたいですと」と、道長の隣に座り、彼を覗き込むようにしながら、訳します。
隣に座る娘のこの言葉こそが、昔から物語好きで好奇心旺盛なこの娘の本音だとわかる道長は「うん」と満足気にすると、彼女を見つめてしまいます。まひろが、話の流れとは言え、そっと道長の隣に座ったことは、何げないやり取りの中で気持ちが寄り添ってきていることを象徴しています。
それだけに道長にとって、この会話は印象深いものとして深く刻まれたでしょう。後の「源氏物語」の執筆では、道長からの十分な紙の供給があったと言われます(因みに「蜻蛉日記」は、兼家が寧子に十分な紙を提供したから書けたのです)。となると、本作でも道長は、この会話を覚えていて、まひろのために高価な越前和紙を取り寄せることになるのでしょうね。そして、まひろはまひろで、その和紙からこの日の記憶を思い出しながら「源氏物語」を書くのです…おそらくはその一編「藤壺」も。
ただ、彼女の相変わらずの好奇心は、今の道長には安心と同時に不安でもあるようです。「巧みに宋の言葉を操って、そのまま越前におったら宋の国に行ってしまったやもしれんな」と本音が漏れます。ここも宣孝と共通していますね(苦笑)道長のこの言葉が、まひろが遠い存在になることを恐れてのものであることは、鈍いまひろにもわかります。つい「されど都に戻って参りました」と安心させるように答えます。
思えば、一連の流れで、まひろのこの言葉が最も不用意でした。道長はまひろをじっと見返すと「戻ってきて良かった」と言います。まひろの言葉は、道長がまひろへ伝えたかった「お前を待っていた」という真摯な想いを呼び込んでしまったのですね。自分の言葉、そして応じた道長の言葉、その意味の複雑さに気づき、はっとしたまひろですが、もう手遅れです。
道長の言葉はまひろに「誰を思い、都に戻ってきたのか」を改めて突きつけます。まひろ自身、越前から帰る船の中で「誰を思って都に帰るのであろう」(第25回)と物思いに耽っていましたが、結局、この答えを自分の中で出す前に宣孝に婚姻まで釣り込まれてしまっています。ですから、道長の想いに答える言葉がありません。まひろは、現実的な幸せをくれる宣孝と「忘れえぬ人」道長の間で揺れたまま…中途半端に人妻となり、宣孝の浮気に嫉妬する…そんな彼女は、本心ではどんなに道長を想っていても「あなたのために帰ってきた」とは言えません。
また、道長の真摯な想いは、「わたしは宣孝と結婚して幸せなのか」ということもまひろに問いかけてきます。あのとき、道長はその若さもあってまひろを妻にすることも、二人で幸せになることもできませんでした。一方で彼女への思い、そして彼女自身の道長への思いが変わらぬことを、越前に旅立つ前に確認しています。にもかかわらず、他の男と結ばれて私は幸せなのだろうか、そう考えてしまうのです。
実際、宣孝とは絶賛喧嘩中で、彼の足が遠のき、苦しい思いを抱えているまひろです。というか、そもそも石山寺に来たのはそれが原因です。ですから、答えようがありません。自分の本心はどこにあるのか、自分の婚姻とは何なのか、自分の生きる道とは何なのか…何一つ解決しない自分を巡るさまざまにまひろは狼狽えます。
因みに道長のほうは「妻が二人おりますが、心は違う女を求めております」(第23回)と詮子に告白したほどですから、苦しい思いを内心は抱えています。まあ、その割には上手くやっていて、妻らを都合よく扱っていますから、この点はしっぺ返しが来ると思われますが(苦笑)
カメラは、自分の思いを見つめなおしながらも、答えを見出せず言葉を失うまひろへと徐々にフォーカスし、クローズアップしていきます。石山寺で経文を読むより、かつての寧子との思い出以上に、忘れえぬ想い人道長の「お前を待っていた」という言葉のほうが、彼女に突き刺さったようです。その事実は、まひろの想いが人妻になってなお、道長にあることを自覚させるには十分でしょう。
ただ、カメラがまひろへフォーカスする中、ボヤけてフレームアウトする道長が先に目を逸らしているのが確認できます。彼もまた、目を見開き言葉を失うまひろを見て、自分の想いの重さに改めて気づいたようです。道長の動揺から察するに「戻ってきて良かった」は、意図せず思わず本心を言ってしまったというところでしょう。その言葉が、人妻となったまひろの言葉を封じてしまいました。その後のカットでは、横目でまひろを窺いながらも直視できません。本心を悟られたくないのか、まひろを追い詰めたかとが後ろめたいのか、はたまた、まひろからの本心を聞くのが怖くなってきたのか…道長も自分の想いを持て余すことになったと察せられますね。
そして、自分の想いに戸惑い、相手の想いが気になり、視線を合わせられないまま隣り合う二人を、カメラはロングショットで切り取ります。二人の近くて遠い気まずい雰囲気が伝わりますね。
結局、耐えかねたまひろは道長の「戻ってきてよかった」に応じることは止め、「供の者たちと参りましたので、もう戻らねばなりませぬ」と話題を転じて逃げます。動揺した道長も、それ以上は問えず「うん、引き留めてすまなかった」と素直に応じます。とはいえ、「いえ、お目にかかれて嬉しゅうございました、お健やかに」とまひろに別れを告げられた瞬間、道長は聞きそびれてしまったことを後悔するため息を漏らした上で「お前もな」と返すのが印象的ですね。後ろ髪を引かれているのがあからさまです。
それは、まひろも同様で去っていく道長を背中に感じながら、軽くため息が漏れます。道長への想いを告げなかった後悔があるのでしょう。ただただ、彼を諦めるため、道長を振り返らないよう堪えています。そんなまひろの後ろ姿を一度だけ認めた道長は、それでも振り切るように階段を駆け上がります。
そして、道長の足音が消えたのを感じた後、まひろは放心したように自分もまたいとらの元へ戻ろうと振り返ります。すると、再び、階段を急いで駆け下りてくる足音が響きます。はっとして凝視するまひろの目線の先に表れたのは、思い詰めた表情で息を切らす道長です。その後、まひろをナメる形で奥にいる道長を捉えるロングショットが挿入されますが、これが今の現実の二人の距離を象徴しています。が、これすらも超えてしまう激情が二人にはあります。
思えば、このシーンでのやり取りは、要するにお互いの本心を知りたくて他愛のない会話をし、昔を思い出し、そして少し本心に触れ安堵するといったものでした。しかし、それは積もり積もり、想い焦がれた恋心を満足させるものではありませんでした。不用意な言葉に導かれた、都に「戻ってきて良かったか?」の問いによって二人は、自分自身の本心を覗き見てしまいました。想いは溢れるばかりです。
こうなっては何をどう取り繕おうと想いは止められません。駆け下りてきた道長は、泣きそうな万感の表情のまま、まひろへと進み出ます。以前のnote記事でも触れましたが、道長が涙目を見せるのはまひろだけです。ですから、その表情を見てしまえば、まひろは驚きながらも、心は自然と道長へ応じ、身体は道長へと走り出してしまいます。
堰き止められた想い、耐えていた鬱屈、そのすべてを吐き出し、すべてを投げ出すまひろは泣いています。顎を突き出すように走る道長のまひろを求めてやまない表情も泣きそうに見えますね。二人が自分たちの間にある隔たりを越え、駆け寄る中で、想いもまた重ねられていくさまを、スローモーションで印象的に捉えていきます。
こうして、二人は、固く強く抱きしめ合い、自分と互いの想いを確かめます。一度、離すと道長は、まひろの顔をまじまじと眺め、指を添え確かめるように愛おしんでから口づけをかわします。最初の夜の思いの丈をぶつけるようなそれからは、随分と大人な道長ですが、それは成長や経験とはやや違うでしょう。遠くにいながらもまひろを想い。約束を果たそうとしてきたことで、まひろへの気持ちがより深化しているのだと思われます。まひろが、道長を素直に受け入れ、肌を重ねていくのは、道長の想いの深化ゆえの優しさを感じとれたからでしょう。
とはいえ、二人は決定的な不義、パートナーと持つ身としては最低の過ちを犯すことになりました。事が成された後、臥所でまひろの手を握る道長は、事ここに至った以上は「今一度…俺の傍で生きることを考えぬか?」と申し出ます。勿論、妾としてということになりますが、今の左大臣道長なれば生活の面倒は難なく見られますし、これほどの年月を貫いた想いは確かなもので気兼ねなく逢瀬を重ねられるだけでもメリットは大きいでしょう。ですから、この申し出は、二人の気持ちを確認した上での、道長なりの誠意と言えます。
しかし、まひろは「気持ちうれしゅうございます。でも…」とそれとなく断ります。ここには様々な思いがあるように思われます。一つは、妾になったことで彼も自分も新たな苦しみや面倒を抱えるであろうという不安です。政の頂点に立つ道長の足を引っ張ることになっては本末転倒です。また、漠として感じていた妾の不安も今は現実として実感しています。想いの深い道長との関係となれば何が起こるかわかりません。躊躇には十分でしょう。また、夫婦になってしまったとき、今のこの強い結びつきはなくなってしまうかもしれないという恐れもあるかもしれません。二人の関係は、まひろにとってあまりにも大切すぎるのです。
そして、もう一つは、宣孝への感謝と思いです。宣孝は勝手でデリカシーのないところがあり、こうして疎遠の原因となっていますが、一方でまひろがこれまでに感じたことのなかった幸せをくれた人です。ただ愛でられるということ、朗らかな笑いと気楽さ、経済的な安心…宣孝なりに愛情を傾けてくれることが心地よい。だからこそ、彼女は他の若い女の存在に嫉妬もするのです。
その宣孝への想いと感謝、1年ほどの婚姻生活という現実は、彼女の既に一部です。それを裏切ることはできないでしょう。それもまた道長への想いと同様に彼女の真実なのです。ただ、道長への想いは激しく感情的なものであることに対して、宣孝への想いは良心や良識といった理性が働いているという点が違うため、こうした不義は起きたのでしょう。
まひろの答えを皆まで聞かずとも拒否と取った道長は「俺はまた振られたのか…」と独り言ちます。そういうことではないのですが、道長の心中を察すると何も言えません。それならばと、今宵だけの幸せに浸ろうと道長は、まひろを再び強く抱き寄せます。
まひろの意向を常に尊重し、その願いを叶えようとする道長は、まひろのためならば何でもする無欲で利他的な人物です。誰もがパートナーに何も言わずとも自分のことをわかってほしいと思いますし、また自分のことを常に尊重してほしいと願います。そういう点において、道長の心映えは最適ですし、またその思い遣りと強引に進めない優しさが彼の美徳です。
しかし、この美徳は、時によりけりです。人は勝手なものです。自分を尊重して、優先してほしいと思いつつ、それを物足りない、頼りないと感じるものです。彼が、現在、政において苦慮しているのはそのためです。彼の優しさと良心が結果的に裏目に出たことは、これまでの施政、特に帝の暴走に表れています。そして、それは恋愛についても同様です。
結局、相手を慮るあまり、強引に事を進めなかったために、まひろと道長は夫婦として結ばれなかったことも事実です。どんなに利己的で狡猾であったとしても、宣孝がまひろの夫になったというのは、恋愛と結婚の現実を証明していますね。相手に譲る優しさ、他人を傷つけない良心は、ときに大切なものを決定的に失う要因ともなります。強引さ、自己中も必要なときはあるのです。
此度にしても、まひろの「でも…」で道長は自虐的に引いてしまいましたが、左大臣の道長であれば、この事実をもとに強引にどこかの邸宅へ引き取ってしまうこともできたはずでしょう。そして、それをまひろが本心で拒めるかというと、彼への想いの強さから流され、拒まない可能性もありました(当然、逃げられないよう道長は策を弄することになるでしょうが)。
というのも、今回、二人の臥所のシーン。二人の素足が夜具から覗いているのですが、断る言葉とは裏腹にまひろの足は、自ら道長の足へと絡みついていることは注目です、言葉と良心はともかく、まひろの本心の本心は、道長と共にいることを望み、片時も離れたくないと願っていることが、その素足から窺えるのですね。優しさゆえに、そうした彼女の無意識下の望みに応えられない弱さが、道長にはあるのです。
勿論、その道長の優しさをまひろは愛しているのですが。ときには強引なほど愛されたいという思いもあるでしょう。だから、宣孝からの愛にもまひろは惹かれてしまったのではないでしょうか。それは道長にはない頼もしさでもあるのです。
結局、まひろは道長との甘い陶酔の一夜を胸に秘め、その幸せを心の糧にして、宣孝との現実の幸せに帰っていきます。
(2)まひろを持ち上げる宣孝、受け入れるまひろ
夜這いした道綱といい道長とまひろといい、石山寺を何だと思っているのかわかりませんが、ともかく2月の石山寺の熱い夜からしばらくした春…久々に宣孝がまひろの元を訪れます。まひろを訪ねる前に、いとに「久しぶりだの、まひろのご機嫌はどうじゃ」と機嫌が直ったかを確認するあたりに、宣孝がまひろの怒りが鎮まるのをひたすら待っていたことが窺えます。
まあ、この人のことですから、まひろのことを考えながらも、同時に他の女性のもとでよろしくやっていたようには思われますが。彼の恋愛観は、俗にいうところの「フォルダー分け型」というやつですね。〇▽さん、×◇さん、◇●ちゃん…と過去から現在までの女性についてそれぞれのフォルダーがあり、序列はあっても、そのどれをも大切にしているという人です。気が多い反面、いつまでも大事にしていますから、相手の危機には必ず駆けつける優しさがあります。
因みにその逆は「上書き型」、過去の恋人は新しい恋人に上書きされ消去されるというものです。このタイプは、過去に未練がありませんから、昔の相手の危機もまったく心が動きません。まあ、どちらも極端ではありますね(苦笑)
さて、宣孝の質問に対して、いとは心得たもので「おさみしそうにされておりましたよ」と口添えします。いとは誰よりも、宣孝とまひろの夫婦関係が上手くいくことを願っていますからね。別れる辛さを彼女には味わってほしくないというのが、母代わりとなっていた彼女の親心でしょう。
いとの言葉に「そうか、そうか」と満足気に足早にまひろのもとへ向かう宣孝。現金な反面、こうして逢えるときを楽しみにしていたことが窺え、かわいいところがありますね。
やってきた宣孝は、目測を誤り、烏帽子を梁にぶつけますが、それは、嫡妻を含めた裕福な家でしばらく過ごしていたからです。宣孝の妻のうち、貧しい家に住むのは、まひろだけということです。このことは、一瞬の描写ですが、貧しいまひろのもとを訪れる宣孝が、トロフィーワイフの要素はあるものの、ただただ彼女そのものを愛おしく思っていることが、ほのめかされていますね。
宣孝は、根の部分ではまひろを好いて妻にしたのであり、それ以上の他意や利害を意識していないということです。まひろには、まひろ自身の価値しかないのですから。
さて、宣孝は「喜べ。11月に行われる加茂の臨時祭にて、神楽の人長をつとめることとなった」「その後、宇佐八幡宮への奉幣使として豊前にも参る」と重要な役目を仰せつかった自慢話を高らかに話します。奉幣使とは、重要な神社へ捧げ物をするために送られる勅使です。彼が派遣される宇佐神宮は、本来、和気氏が遣わされる習わしでしたから、大抜擢と言えなくもないのかもしれません。
「11月はお忙しくなりますね、重いお役目を二つも」と素直に喜ぶまひろに、宣孝は「それもこれも、左大臣様のお計らいじゃ」とさらりと言ってのけます。驚くまひろに「まひろのおかげで俺も大事にされておるのだよ、あははははは」と朗らかに高笑いをします。宣孝がそれに触れた意図を思いあぐねて、まひろは戸惑います。勿論、宣孝は、まひろの反応を窺うために道長の話を出しています。しかし、それは先にまひろを怒らせた卑しいものではないようです。
前回、まひろを怒らせたのは、「お前のそういうかわいげのないところに、左大臣様は嫌気がさしたのではないか」の一言でした。ですから、左大臣は嫌気などさしておらず、今でもお前を大切に思っているようだと伝えたのです。さすがはまひろと褒め、おかげで自分もお役目を得ているのだと、彼女を持ち上げているのですね。
そもそも、お役目を命じられた自慢話を切り出したのは、まひろのご機嫌取りだということです。ただ、まひろは、道長の愛情は既に石山寺にて刻み込んでいますから、こういう持ち上げの意図がピンと来ていないのです。飛んだ道化になってしまった宣孝です。
因みに宣孝は、道長がまひろと自分の婚姻に横槍を入れないよう徹底的に追い詰め、祝いの品までせしめました。その手段を選ばない遣り口は、道長とまひろの二人を深く傷つけましたし、また左大臣の女を勝ち取ったという下卑た満足感と優越感もあったのも事実です。しかし、一方であくまでまひろを妻にすること、それによって不利益を被らないことだけが目的で、それ以上、かかわりが出るとは思ってはいなかったでしょう。要は諦めてもらえればよかったのです。それで彼の自尊心は十分満足ですから。
しかし、道長は構わず、彼を適材適所に登用しました。これは、まひろのためだけではなく、宣孝を使える男と見たからでしょう。ただし、宣孝の側からすれば、それはまひろへの変わらぬ深い愛情を持っていることに感じられ、また恋敵を重要な役目に登用できるその政治家としての度量にも感心させられたのではないでしょうか。
「人生、何が幸いするかわからんところが面白いの…おーほほほほ」と、まひろにおどけて見せるのも、そんな驚きの裏返しと思われます。そして、道長のまひろへの想いを自身の重用という形で既に知っていたからこそ、後のまひろの告白にもさして驚かなかったのでしょう。あそこまで完膚なきまで打ち据えてなおつながりが切れないのですから。
さりとて、宣孝とて、まひろへの想いは道長に負けるつもりはありません。自分は道長よりも年寄りで、身分も高くはありませんが、傍にいて楽しませ、喜ばせるのは夫たる自分にしかできないことです。ですから、早速にいつものプレゼント攻勢です。今日の土産は、大和の墨と伊勢の紅です。前回、note記事で触れたように、好きな女には綺麗でいてほしいというのが宣孝の願望ですから、後者の贈り物が彼のメインです。紅を渡すときの嬉しそうな表情にもそれが表れていますが、それよりも先にまひろが喜ぶ大和の墨という文房具を差し出したあたりにまひろへの気遣いがありますね。
まひろは素直に喜びつつも「そのようにあれこれと…」と目を白黒させます。宣孝は「どこへ行ってもお前のことを思うておったゆえ、あっちでもこっちでも土産を買うてしまった」と冗談めかしながら見え透いた自己アピールをします。当然、耳半分で聞く話なのですが、今日のまひろは素直に「もったいないことでございます」と恐縮します。
「たまには殊勝なことを申すのだな…」と軽く驚く宣孝に「ええ、心を入れ替えましたの」とまひろ。この言葉には、まず石山寺で自らが犯した不義理に対する後ろめたさも少なからず作用しているでしょう。そして、道長の心惹かれる申し出を断ったからには、「己を貫くばかりでは、誰とも寄り添えない」という、いとからのアドバイスが重要になってきます。宣孝への後ろめたさと夫婦生活にかける覚悟が「心を入れ替える」などという台詞になったのでしょう。
らしくないまひろに「憎まれ口を叩かぬまひろは、何やら恐ろしいのう(笑)」と軽口を叩く宣孝ですが、「またそのような…」と呆れつつも、まひろは「久しぶりに殿の笑い声が聞けて嬉しゅうございます」と笑顔を見せます。彼の朗らかさに救われたまひろが、それを失いしばらくの味気なく過ごしたのも事実。ですから、この笑顔は本心からものものです。
意外な甘えの言葉に「あまり人並みになるなよ」と警戒するのは、宣孝を驚かせる彼女の魅力が失われてほしくないからですが、まひろはすかさず「では…時々、人並みになります」と口の減らない言葉を返します。いつものまひろに安堵した宣孝もまた「憎まれ口も時々がよい、ははははは」などと売り言葉に買い言葉で返し、ようやく二人の間に通い合うものが生まれ、仲直りが成立します。
その夜、まひろは、おそらくは贈り物の墨をさっそく磨って「殿の癖…」と呟くと「いつも顎を上げて話す」「お酒を飲んで寝ると、ときどき息が止まる」と綴り、幸せを噛みしめます。やはり、道長からの誘いを断ってよかったのだ。経緯はともあれ、宣孝を夫にすると決めたのは自分です。今はその夫婦生活がすべて。その選択を後悔しないよう過ごすのが一番ではないのか、と思えたのかもしれません。
ただ、それも道長に愛されているという確信があればこそかもしれないのです…まひろに自覚はありませんが、そこが彼女のずるいところだと言えるでしょう。彼女はある意味選ぶことなく、二人の男の寵を受けているのですから。
因みに「お酒を飲んで寝ると、ときどき息が止まる」は、今でいう睡眠時無呼吸症候群ですよね。この症状は脳梗塞や狭心症の原因にもなるもの。となると、彼の死が近づいていることがほのめかされているのかもしれませんね。
(3)不実の夫婦ゆえの誠実
さて、仲直りもつかの間、新緑の季節に発覚したまひろの懐妊により事は一変します。つわりに苦しむ妊婦には辛いことですが、懐妊そのものは喜ばしいことです。まひろ自身、父為時に「子どもも産んでみたい」と言っていましたからね(第24回)。
しかし問題は、子を授かった時期が宣孝の足が遠のいた時期だったということです。そうなれば、石山寺詣でのとき、溢れる気持ちに抗えぬまま道長と身体を重ねたあの日以外ありません。つまりは、まひろは愛する道長との子を宿したことになります。「殿さまのお足が遠のいたころのご懐妊でございますか?」と確認するいとの言葉に、「ああ、あの時だ」と息を飲み確信するまひろの表情がクローズアップされます。勿論、いとも息を飲みます。
せっかく仲直りし、夫婦としてこれからというときにこうなってしまうとは、タイミングが悪いとしか言えませんが、一方で、宣孝を夫としながらも、未だ道長のことを深く想い続ける中途半端な気持ち、そのくせ心のまま生きることを望む奔放さ。まひろの二つの悪癖が招いた自業自得でもあり、同情の余地はないでしょう。
当然、まひろが不義の子を宿したとなれば、宣孝が激怒し、場合によっては離縁ということもあり得ます。そうなっては仲直りも水の泡。まひろの幸せを案じるいとは「このことは殿さまには黙っておきましょう。黙ったまま、いけるところまでいくのでございますよ。その先は、そのときそのときで考えましょう」と覚悟を決めるよう助言します。「いけるところまでいく」間に二人の関係が離れられないものにまでなれば、というところでしょうか。
まひろもまた突然の予想外の事態に呆然としています。先々、そして夫のことを思えば、困惑と戸惑いがあるのは当然なのですが、その反面、どこかで嬉しいような笑みが入り混じってしまう絶妙な表情をしていることは見逃せません。たぶん、無意識のものでしょう。どういう経緯で宣孝と夫婦になったにせよ、それが純愛であったとしても、まひろのしたことは不貞の誹りも免れず、その子は生まれながら不義の罪を背負わされます。それゆえに、現実問題としては、夫婦の危機どころか生活の危機にもなる状況にあります。
にもかかわらず、不謹慎にも、無意識のうちに笑みがわずかに浮かんでしまうのは、愛する道長との子を宿したからです。まひろは、さまざまな事情から道長とは、妾という形でも夫婦になることを諦めています。その諦めは、道長との間に子を成すことも含みます。しかし、それはどこかでまひろの心に暗い影を落としていたと思われます。
かつて、まひろは、倫子の遊びにきてほしいとの申し出にも応じず、経済的状況を見越して土御門殿で女房になる依頼も断りました。まひろと道長の関係を何も知らない倫子に他意はなく、罪はありません。それでも、まひろは、道長が別の女性と子を成し、幸せな家庭を築いているところは見たくなかったのでしょう。その嫉妬こそ、まひろが本心では道長といかに結ばれたかったかを端的に表していますね。
そういう気持ちをどこかで秘めるなか、絶対自分には訪れないはずだった幸せをまひろは手に入れたのです。したがって、現実問題は現実問題としても、嬉しくならないはずがないのですね。まひろにとって、この不実な懐妊は凶事にして慶事と言えるでしょう。
とはいえ、その喜びは、自分を無条件で愛でる宣孝への後ろめたさと隣り合わせです。宣孝が持参した好物の旬の鮎を食べられないのは、つわりだけが原因ではありません。懐妊を告げること、そしてそれが不貞の結果であると知られること、その恐れが箸を進ません。
訝る宣孝に、まひろは意を決し「子が出来ました」と懐妊を告げると、宣孝は「なんと、この年でまた子が産まれると」と驚き、当たり前のように「いつ産まれるのじゃ?」と聞きます。今年の暮れだと予定日を伝えますが、なにも気づかないふうに宣孝は嬉しげに、奉幣使として豊前にいるため何もできないが「良い子を産めよ」と体を気遣ってくれます。
その夜、まひろは、何事もなく振る舞い、横で相変わらず時々、無呼吸になりながら眠る夫の横で「よく気の回るこの人が、気づいていないはずはない…」と、彼の素知らぬ様子が振りに過ぎないことを察します。
まだわずかな間とはいえ、夫婦生活を営んできました。そもそも、二人は家族的とはいえ、付き合い自体も長いのです。また、勝手な話ですが、道長が不動の一位であるにせよ、まひろは宣孝へも愛情を寄せています。その程度の相手の腹の内はわかってしまうのですね。そもそも、宣孝からは、まひろはすぐ思ったことが顔に出ると言われています。今回ほどの動揺を隠しおおせるはずがないでしょう。
起き上がったまひろは外で半月を見ながら、「気づいていて敢えて黙っている夫にこの子は貴方の子ではないと言うのは無礼すぎる」と、自分の不義に触れようとせず、許そうとする夫の心を思わずにはいられません。それは、嘘をつかざるを得ないまひろへの憐れみなのか、宣孝自身の自尊心なのか、この時点での彼女にはよくわかりません。
ただ「さりとて、このまま黙っているのもさらに罪深い」と、夫の寛容に甘えて騙し続けることへ良心が咎めるばかりです。石山寺のあの夜、再び道長と結ばれたこと、こうして懐妊してしまったこと自体には後悔はないでしょう。それはどこかでまひろがずっと望んでいたことですから。ただ、宣孝の寛容につけ込み、その我儘と身勝手に突き合わせることは、人して許されないと考えたのではないのでしょうか。
閨に戻ると、睡眠時無呼吸症候群ゆえの息苦しさからか、宣孝が起きてしまったところでした。寝ていないまひろを見た宣孝は、自分のことはさておき、つわりがひどいと察し、眠るのが一番だと諭し「わしが背中をさすってやる」と気遣います。こんな夜半であろうと、不貞の妻と自分の子ではないとわかっているお腹の子を気遣う夫の姿に感じ入るまひろは「もったいないことにございます」と恐縮してしまいます。
まひろの意外な反応に「もったいないことはなかろう。俺たちは夫婦だぞ」と慰める宣孝。どこまでも夫婦として寛容に、優しく振る舞う彼の姿に居たたまれなくなったまひろは、居住まいを正すと遂に「殿…お別れをしとうございます」と切り出します。
「このような夜更けにそのような話はよせ」と真顔になった宣孝に「この子は私一人で育てます」とまひろもまた思い詰めた表情で答えます。「私一人で」というところに、宣孝を裏切ったまひろなりの誠意が窺えます。それは宣孝との離縁だけを指していません。不貞の相手である道長の世話にもならない、道長と結ばることはしないとも明言しているのです。元より、道長の迷惑になることを嫌い、身を引いたまひろですから、当然そうするのですが、そこに宣孝への義理立ても加わるということです。どこまでも寛容な宣孝の心にまひろが向き合うには、これ以外なかったのだろうと思われます。
現代的な感覚から言えば、孕ませたのは道長ですから、道長が責任を取れよという話なのですが、平安期は懐妊は女性の側の事情というのが一般的な捉え方でしょう。ですから、どんなに苦労することになろうとも、自分一人で育てることが、二人の男の温情に報いることだと、まひろが思い詰めるのも致し方ないでしょう。
すると、まひろの覚悟に宣孝は「何を申すか、そなたの産む子は誰の子でもわしの子だ」と返します。やはり宣孝は、お腹の子が自分の子でないことを知っていました。当然、相手が道長であることまでセットでわかっています。しかし、そもそもそれを察して切り出した離縁話ですから、まひろが目を見開いて驚くのは、そこではありません。宣孝の言葉は、「まひろの産む子だから尊い」ということです。つまり、事ここに至っても「まひろを愛している」と告白してくれたのです。
宣孝は「一緒に育てよう。それでよいではないか」と諭すように言葉を紡ぎます。夫婦として共にその子を慈しむ、家庭を築こうという申し出です。家族としてこれから過ごす…その事実のが大きい。だから、その父が誰であっても関係ない…つまり、まひろの不貞も水に流せるというのですね。
罵倒や揶揄ではなく、思いがけず向けられた真摯な想いに息を飲むまひろは、言葉がありません。宣孝の寛容の深さと真意は、彼女の想像以上のものだったからです。黙り込むまひろに「わしと育てるのは嫌なのか?」と少し情けない問いを返してしまうのは、この寛容な申し出が、何がなんでもまひろを失いたくないという宣孝のすがる気持ちも含まれているからですね。
我に返ったまひろが「いえ、そのような…」と首を振ったまひろに、宣孝は安堵すると「わしのそなたへの思いは、そのようなことで揺るぎはせん。何が起きようとも、お前を失うよりはよい」と宣い、すべてはわしに任せておけと微笑みます。
「お前を失うよりはよい」には、宣孝の恋愛観、夫婦観が集約されているように思われます。宣孝にとって、相手と心を通じ合うことは二の次です。まずは、物理的に傍に寄り添い、共に生活をするという現実が大切なのでしょう。その営みのなかで、相手を思い遣る気持ちも育まれていく…現実主義の宣孝らしい考え方ではないでしょうか。魂が響き合い結びつくまひろ×道長との純愛とは対照的ですね。
そして、だからこそ、宣孝は、どんな汚い手を使ってでも、それがまひろの意に添わぬことであっても、まひろを婚姻へ追い込むこと、彼女の妻として勝ち取ることにこだわったのだと察せられます。彼にはまひろと共に時間を過ごし、彼女を慈しめば、きっと二人の間に通い合うものが生まれると、長年の経験から信じていたのでしょう。
想いがあって結ばれるのか、結ばれたから想いが育まれるのか。それは、卵が先か、ニワトリが先かという禅問答のようなもので明確な答えはありません(因みに進化論では卵が先です)。恋愛至上主義の2020年代では前者に軸があるようです。さぶ×まひ(道×まひ)の純愛を応援する勢の気持ちも、近いものがあるように思われます。一方、お見合い結婚が当たり前だった1960年前後までの日本であれば後者の理屈も当たり前の一つだったことも間違いないのです。まして、平安期なれば尚更かもしれませんね。
どちらの愛し方が幸せか、強い絆か、当のまひろにもわからぬまま、選ぶことができなかったのでしょう。その結果、二人の父を持つ娘が生まれるというのが興味深いところですね。どんな愛し方が、相手を救うのか、それはケースバイケースとしか言えない。まひろの場合、極めてずるいことに、決められず二人の男の愛情を受けた先に束の間の幸せが訪れるのです。
さて、道長との愛しか知らなかったまひろは、ようやく宣孝の寛容と真心を知ります。宣孝は、まひろが自身に対して強い後ろめたさを抱いていることは察しています。元来、真面目な彼女ですから思い詰めるところがあります。その結果、この先、彼女らしさが消えてしまっては元も子もありません。彼女らしい彼女を宣孝は好いたのですから、自分への遠慮でそれが失われてはつまらない(それにしても、道長も宣孝もまひろの奔放で激しい性格を好むのが面白いですね)。
ですから、彼はまひろのお腹をさすると「この子を慈しんで育てれば、左大臣さまはますますわしを大事にしてくださろう」と、わざと打算的な話をします。この台詞から宣孝が野心と出世のためにまひろを利用しようとしていると考える方もいらっしゃるかもしれませんが、それは穿ちすぎでしょう。そもそも、左大臣の女を奪うのはリスクしかないですし、野心があるならまひろを娶るのは回り道が過ぎますから。
愛おしむように「この子はわしに福を呼ぶ子やも知れん」と撫で「持ちつ持たれつじゃ」と続く方便のほうに比重があります。つまり、お前が不実を働いて、好いた男の子を成したとしても、それはわしの出世につながるのだから、気にすることはないと言うのです。あくまで、別れ話を切り出すまで苦しんだまひろの心の負担を軽くしようという宣孝得意の軽口なのです。
一通り軽口を叩くと、居住まいを正した宣孝は、まひろと向き合い、彼女の手を優しく包むように取ると「一緒になるとき、お前は言った。私は不実な女であると。お互いさまゆえそれでよいとわしは答えた。それはこういうことでもあったのだ」と、今度は真摯に思いを告げます。
先にも述べたように宣孝の恋愛観は「勝ち取る」というマッチョイズムが抜けないため、どんな汚い手を使うことも厭いません。したがって、彼のなかでは、ある種の自己中と愛情は分かち難く矛盾もせずに存在しています。ただ、彼が卑しい自己中ではないことは、自身が汚い手を使った以上は、まひろの裏切りなどその反動も引き受ける覚悟もしていたことに表れているでしょう。真の自己中なら自分を棚にあげ、まひろの不義理を責め立てたはずです。往々にしてこういう見苦しいバカな自信家の男はいるものですが、宣孝はそうした野卑な男ではありません。
勿論、手をこまねく宣孝ではありませんから、そうした反動を受けないために、婚姻前にまひろの想いも道長の想いも徹底的に牽制する、芽を摘み取るといったことはしてきました。にもかかわらず、彼らの想いは潰されることなく、燃え上がりました。いや、宣孝がこうして無理に断ち切ったから、二人の気持ちは余計に抑えがたく懐妊に至ったとすれば因果応報でしょう。
こうなっては、それも運命と引き受ける…結果を引き受ける強さが、宣孝のまひろへの愛情にはあるのです。言い換えるならば、道長にはない割り切りと強さがあればこそ、宣孝はまひろと夫婦になれたのですね。
さて、まひろは、宣孝の寛容とその裏にある真心に触れ「殿…」と嬉し泣きをしてしまいます。初めてまひろは、彼の真意を理解したのですね。ようやく心の荷がほどけたようなまひろの様子に安心した宣孝も「別れるなぞと二度と申すな」と念を押します。頷き、笑うまひろの表情に迷いはもうありません。宣孝の想いを本当の意味で受け入れるのです。
因みにこの一連のシーン、まひろが宣孝の寛容に真摯に向き合おうとして別れを切り出したからこそ、宣孝の真心、深い愛情の言葉が自然と引き出された点が重要ですね。前回、いとが言った「己を貫くばかりでは、誰とも寄り添えない」について、先の仲直りでは、まだ形ばかりの要素が多分にありましたが、この場面では、まひろが真の意味でそれを理解したものとしてそれが描かれています。二人はようやく真に夫婦になれたのですね。
まひろと宣孝の初夜の会話(第25回)から、note記事では「不実」で結ばれた夫婦関係は、不義の子を身籠る伏線としましたが、実際の本編はそれにとどまらず、その「不実」の裏にある愛情と真心を炙り出し、最終的に、夫婦に必要な許しと譲り合いへ昇華するまでの経緯へと昇華していきました。
宣孝の愛し方は身勝手なものでした。一方で、まひろを思い遣りながらまひろの心の底の願いを叶えられない道長の愛もどこか独り善がりです。そして、二人の愛を享受するまひろの勝手は問題外というか一番ずるい。つまり、「愛する」とは、どこまでも独善的で身勝手なものなのです。どんな愛し方が相手を救うのかわからない…だからこそ、絡み合う愛情の奇縁が描かれたのかもしれませんね。ただし、許し合いと譲りあい…これが必要であることは決して外していません。思い遣りは必須です。
2.愛に彷徨する一条帝
(1)定子の幸せはどこに?
春先、定子の懐妊を知った一条帝が喜び勇んで、定子のもとへ訪れます。わざわざ立ち上がり出迎える定子ですが、その表情は憂いを帯びており、思い詰めたものになっています。そんな定子帝は開口一番「何故、懐妊のことを朕に告げなかったのだ?」と笑顔で問います。しかし、定子は畏れ多いとばかりに「申し訳ございません」と崩折れます。既にこの一幕だけで、この夫婦の産まれてくる御子に対する考え方に違いがあることが窺えます。
修子内親王の懐妊は、出家より前の睦み合いの結果ですから内外に言い訳の立つことでした。実家はないも同然、道長にすがってようやく何とかなったぐらいですから、批判も最小限で済みました。しかし、今回の懐妊は、先例と禁忌を破り、内裏の批判が高まる中での確信犯的なものです。皇子であっても皇女であっても、帝への批判は高まるでしょう。帝の立場が悪くなれば、自分たちの生きる術もなくなります。加えて、兄、伊周が戻ってきた今、政争の具となる可能性も考えられます。どう考えても、朝廷の混乱が起こる未来しかありません。悲観的になるのは、よく政が見えているということです。
一方、崩折れる定子を支えるように帝は「今度こそ皇子が生まれる。朕には見えるぞ。定子に似た目の美しい聡明な皇子の姿が…」と希望を語ります。彼にとって、皇子の誕生は自分の血統を残す役割を果たしたことになります。愛する定子との間にそれを成せたのであれば、国母となる定子の立場を改めて俎上にあげる機会も出てくるでしょう。それは、結果的に自身の政治的な立場も確かなものにするだろと見立てていると思われます。定子とは対照的な近視眼的な希望的観測をする楽観論を持っているであろうことは、その無邪気なまでの笑顔からも察せられます。
帝の希望に満ちた言葉を聞いても、定子の怯えたような挙動不審な様子は止みません。彼女は「そのようにお喜びくださるとは思えませんでした」と明かします。彼女が悲観的であることは、政への冷静な眼差しもありますが、あっという間に転落していった中関白家の運命を体感していることも作用していると思われます。
いつ、またあの地獄の日々が戻ってくるかはわかりません。何故なら、定子の言うとおり「子を産むことなど許されぬ身」だからです。これを口実に逆に追放の憂き目になることすら考えたのではないでしょうか。定子の憔悴した顔つきからは、さまざまな考えを巡らせたことが窺えます。
定子は、帝をただ一人の殿御として慕っています。長きに渡る関係からそれは深いものでしょう。ただし、その人が帝である以上、その政の足を引っ張ることは常に心苦しく思っていたでしょう。一方で、後ろ盾が何もない彼女は自立して生きていくこともできません。帝の情けにすがる以外の生き方がありません。帝の立場を危うくしたくない、でも帝の立場を危うくする形でしか生きていけない。そもそも、ジレンマが定子にはあります。
また定子に帝がのめり込んだことで多くの民の命が失われた現実も定子には堪えたでしょう。苦しい表情で辞任を訴えた左大臣の真摯な思いを目の当たりにして、自分の罪深さを余計に実感したはずです。帝に愛でられることは嬉しい。でもそれは政が疎かになることと引き換えだったのです。
こうした経緯を考えると、帝の思うままになるしかなく、それを望む一方で、常に心苦しく、晴れない気持ちと不安を抱き続けていると思われます。実は、職御曹司に着て以降、彼女は登華殿で帝と過ごしたときよりも明らかに笑顔が減っています。
つまり、今の微妙な立場にある彼女にとって、帝との関係はどんなに愛し合っていても決して安心を得られるものではなく、幸せであるとは言えない状態なのです。秘かに抱えた負の感情が、この懐妊で一気に彼女のなかで表面化したのでしょう。それが、冒頭から彼女が浮かべている、思い詰めた顔つきなのでしょう。
パートナーが不安を抱えたときは、まずその気持ちを吐き出させ、頷いてやることが、相手を落ち着かせるには得策です。具体的に不安を拭うのは、その後です。しかし、若い帝は、皇子が産まれるかもしれないということに気持ちが逸っていて、そこまでは気が回りません。
ですから、「全てうまくいく、朕を信じて安心してよい子を産め」との励ましは心強いものではあっても、定子の不安を拭うまでには至りません。所詮は、自分の希望的観測と期待を定子に押し付けているにすぎないからです。とはいえ、「お上…」と彼を見つめる定子には、そんな彼にすがるしかないのですね。
このように一見、過酷な運命に二人で立ち向かう若いカップルのように見える一条帝と定子は、その思考はどこかですれ違っているように感じられます。寧ろ、定子の不安を受け止めない帝の一方的な愛が、かえって定子を不安にさせているようにすら見えます。帝の定子への執着とは何なのか、それは後述する母詮子との言い争いのなかで、はっきりしてきます。
さて、それから約半年後の11月、彰子の入内の6日後、定子は、無事に皇子、敦康親王を生みます。劇中では、彰子入内の日に産まれたことを嘆く道長の様子が描かれていますが、彼女の側も決して恵まれた出産ではありませんでした。ナレーションにて、平生昌(たいらのなりまさ)の屋敷で出産したことが言及されていますね。本来、臨月を迎えれば、お付の女房共々、出産のため実家へ宿下がりをするのが通例です。
しかし、定子の場合、実家の二条邸は火事で焼失しています。加えて、凋落した中関白家は、彼女の後ろ盾になる者はいません。今は左大臣道長の御代。誰もが彼の顔色を窺う中、定子に屋敷を提供する上流貴族は誰もいなかったのです。
提供してくれたのは、変わらず定子の味方でいた平生昌だったというわけです。ただし、彼は中宮の出産を迎えられるような身分でなかったため、屋敷は最低限の粗末なもの。中宮を迎えるための御成門に改築するなど、多くの苦労があったようです。そもことは、笑い話と共に「枕草子」では生き生きと描かれています。
つまり、帝は、何らかの根回しを行成などに依頼したかもしれませんが、貴族たちはそのことに逡巡しただろうと思われます。「朕を信じて安心してよい子を産め」とは言ったものの、結局、何もできなかったということです。彼にできたのは、無事、皇子が産まれたとの報告を行成から聞き、「定子、よくやった」と遠くから寿ぎ、祝いの品を贈ることだけです。しかも、皇子の存在は新たな政争の元です。笑顔の一条帝は、我が子に課せられた苛酷さを理解できているのか、怪しく思えますね。
定子の出産で象徴的な場面は、出産を終えた定子を清少納言が抱きかかえ、頑張りましたと労うようにその御身をやさしくさすっているシーンです。その様は、娘を抱きかかえる母のようにも見えます。そして、少納言の胸に顔を置く定子の心からほっとした安堵の表情が印象的です。前の場面で帝と懐妊について語り合ったときには、決して見せなかった表情です。
これは、帝がどんなに愛の言葉を紡ごうと定子の心を救うことができないことを暗示しています。また、実母貴子が、自分を置いて伊周と行こうとしたことは、何げに彼女の心の傷となっていると思われます。少納言の母のごとき様子は、彼女が貴子の代わりにもなっていたことをほのめかしているでしょう。
思えば、定子は少納言の「枕草子」に心を救われ、命をつないでもらって以降、少納言に対する眼差しが明らかに変わりました。常に何か通じ合うように見つめ合うこともしばしばで、そんなアイコンタクトをするとき、彼女は澄ました顔をしていても幸せそうです。また、前回、少納言が伊周をやり込めたときも、実に朗らかに笑い声を立て、伊周を怯ませます。
つまり、定子が安心して心を開き、彼女本来の笑顔になれる相手は、愛する帝でもなければ、血を分けた兄弟でもない。彼女の心を救った清少納言との姉妹のような関係だけなのですね。
皇子を出産してすぐ、伊周は「これで左大臣も俺たちは無下にはできまい。皇子様が東宮になられれば、再び我らの世となる」と早速、野心を剥き出しにします。産後の定子を思い遣る気持ちがまったく欠けているあたりに、彼の人となりの欠陥が何も変わっていないことを窺わせます。
まだ体調の回復しない定子は臥所に身を置きながら「あんまりお急ぎにならないで、兄上」と優しく窘めます。出産を無事終えた満足と少納言が脇に控えているからこそ、そうした言葉が言えるのでしょう。また、前の帝とのやり取りを見てもわかるとおり、定子は皇子が産まれることで難しいことになるだろうことも察しています。性急に動くべきではないということは、冷静な政治的判断でもあるのです。
そんな定子に同調するように伊周を窘めるのが、弟の隆家です。彼は「生まれた皇子様が東宮になられるということは、帝がご退位されるということですよ。帝が退位あそばせば姉上の力も弱まる…焦るとよい目は出ないと思うがなあ」と、伊周の理屈の穴を突いて、その浅はかさを揶揄します。
彼は既に道長の側への接近を強めています。それは、今は左大臣道長の時代であり、その勢いは当分、変わらないと読んでいるからです。皇子が産まれたぐらいで揺らぐものではないというのが、隆家の見立てです。だから、今は時代の流れに乗って、道長の御代で確実に生きる手立てを考えるべきだと暗に言っているのです。
血気盛んなところもある隆家ですが、時代を読む頭の回転の速さ、柔軟さと、極めて優秀であることが改めて感じられますね。
それに比べ、少し弟に論破されたぐらいで「なんだと…」と怒りを滲ませる伊周の器は相変わらずで、傍に控える少納言も呆れ顔です。当然、こうしう兄の反応に慣れている隆家は知らん顔です。一人浮きかける伊周を「喧嘩しないで」と定子は頼みます。何だかんだ言っても、定子の身内は、兄上と隆家しかいません。彼女が願うのは、生まれてきた皇子、そして長女である修子内親王、そして清少納言と二人の兄弟…なんとか政争に巻き込まれずに彼らと穏やかに暮らしたい、そのことだけでしょう。
(2)母子のすれ違いが招く詮子の絶望
敦康親王誕生の報に、詮子が帝のもとへ祝いの言葉を述べに来ます。定子が産んだとはいえ、円融帝の男系の血統が生まれたことは、詮子にとっても肩の荷が下りるような安堵する出来事でした。少なくともこれで、この先、円融帝の血統を帝にする流れは確保されたからです。ですから、宿願成就を寿ぐ彼女が「皇子さまはいずれ東宮となられる身。お上のように優れた男子に育っていただかねばなりませぬ」と述べたのは、ごく当たり前の挨拶の一部だったでしょう。
しかし、詮子の「お上のように優れた男子」という文言に帝は過剰反応を示します。自虐的に笑うと「朕は、皇子が朕のようになることを望みませぬ」と穏やかですが刺すような物言いをします。訝るように面を上げた詮子に「朕は己を優れた帝だとも思ってはおりませぬ」と投げつけます。これは本心であると同時に、自分をこのように育てた母への当てつけです。
息子の皮肉に気づかない詮子は、自信を失っているのであろうと思ったのか「なんと…私が手塩にかけてお育てしたお上です。優れた帝でないはずがございません」と心を込めて励ましますが、これは逆効果。「朕は中宮一人幸せには出来んのですよ」と返されます。先にも述べたとおり、実家が焼け、後ろ盾のない定子の出産を引き受けたのは、下級貴族の平生昌しかいなかったことを見ても、皇子の出産にすら彼は何もできない忸怩たる思いがあったことが窺えます。まして、民のことなど荷が勝ちすぎると弱音を吐いているのです。
詮子は「それは…そもそもあちらの家が…」と、現在の定子の境遇は中関白家の専横の反動の結果であると言いかけますが、そのお決まりの台詞を封じるように「朕は、母上の仰せのまま生きてまいりました。そして今は、公卿たちに後ろ指さされる帝になっております」と、母の言うとおりに生きた結果、暗愚の君と成り果てたと返します。
要は、先の詮子の言葉、「私が手塩にかけてお育てしたお上です。優れた帝でないはずがございません」を、綺麗に反転させた皮肉です。漢詩の対句のような言いように、一条帝の聡明さが窺えるのですが、それだけに現在の帝の心中が病み切っていることも察せられます。中宮にのめり込む自分を止めることもできず、一方でそれゆえに政を疎かにし、道長ら公卿らに物申せず中宮を助けられないという悪循環…すべては自分の不甲斐なさです。
しかし、詮子は、そうした一条帝の抱える自身へのジレンマと懊悩を理解できません。帝の自信喪失は、中宮への執着が過ぎるからだという理解に留まっています。だから、「それは伊周らが悪いのです。中宮もお上のご寵愛を傘にきていい気になりすぎたのです。決してお上のせいではございませぬ」と長徳の変から今日に至る中関白家の凋落は、彼ら自身の問題であり、帝の政や資質の問題ではないと片付けます。
これがさらなる悪手であったことは言うまでもありません。帝の懊悩は心の病です。ですから、今の彼に必要なことは、彼の悩みに真正面から受け止め、それに共感し慰めることです。十二分に彼の心を肯定し、慰撫してやることが処方箋です。ところが政の論理に生きた詮子には、帝の発言がナイーブさから来ていることに気づくことすらできません。そもそも父にも、円融帝にも愛されなかった彼女は、人をどう愛すればよいのかわからないのでしょう。だから、政治的な理屈のみで帝を諭そうとしてしまうのです。まして、帝の懊悩とジレンマの中心に定子がいる以上、定子自身を責める言葉など禁句でしょう。
自分の心をまるで理解しようとしない母の物言いに焦れた一条帝はさらに「こたびも、母上の仰せのまま左大臣の娘を女御といたしました。されど、朕が女御を愛おしおむことはありますまい」と苦し紛れに返します。暗愚ゆえに言いなりであるが、母の思い通りにはならないという意思表示です。加えて、入内してくる娘も不幸になるだけだから、無意味なことをなさいましたなと揶揄する気持ちも混じっているでしょう。
帝が彰子入内に応じたことは道長らに屈した面もありましたが、定子が推察したように政に邁進しようという意思の表われもあったでしょう。前向きな政治的判断でもあったのです。にもかかわらず、このような物言いをするのは、自分の気持ちを理解しない母親へのせめてもの抵抗です。つまり、この一連の物言いは、苦しさのあまり、母の愛情と救いを求め、すがりつく懇願の裏返しだと言えるでしょう。一条帝の本心は、母にすがりつき、甘えたいのです。
しかし、詮子は甘えようとする息子の気持ちを完全スルーし、呆れ果てます。帝の言葉尻だけを捉えた彼女には、中宮に執着するあまり、政をまた放り出そうとする我儘としか見えなかったのでしょう。「いい加減に、中宮に気をお遣いになるのはおよしなさいませ!」と苦しみに喘ぐ彼を叱りつけます。
勿論、詮子に定子を責めるニュアンスはまったくなく、「定子を理由に政を疎かにするな、帝としての自覚を持て」という彼自身の態度の悪さを叱責したのです。彼自身がしっかりしなければ、定子はおろか、せっかく産まれてきた皇子までが不幸になるからです。定子と皇子のためにも、あなたがしっかりしなさいと、母として苦言を呈したと言えるでしょう。
詮子の捉え方からすれば、実に真っ当な叱責ですが、そもそも帝の悩みと望みを理解できていない詮子の言葉は、帝に響かないばかりか、焦れた帝の逆鱗に触れてしまいます。カッとなった帝は「そういう母上から逃れたくて…」と怒りに震えると、「朕は中宮に救いを求め、のめり込んでいったのです。すべては貴女のせいなのですよ!」と言い放ってしまいます。
一条帝は幼いときより母、詮子が好きでした。定子が入内した折、彼は自分の好きなものの一つに「母上」と言っていたくらいです(第13回)。にもかかわらず、厳しく彼を育てた詮子は、彼を笑顔にできませんでした。それどころか、共に遊びたいと慕う帝を皇太后という立場ゆえに跳ねのけ、彼をしょげさせたこともありました(第13回)。思えば、そのときから、母の代わりを務めていたのが定子です。しかも「せいぜい遊んで差し上げておくれ」と頼んだのは、詮子自身でした。
母が好きであるがゆえに、彼女を喜ばせようと厳しい教育にも、その期待にも応えようとしてきました。その聡明な様は、詮子を満足させるには十分、彼は優等生だったのです。しかし、そ子に至る道は辛く、時にはぐずる、逃げ出そうとしたこともありました。それでも、彼は母に思う存分甘えることが許されませんでした。
いつしか母は敬愛しつつも、畏れる存在になっていきます。それは、大人になってからも同様です。登華殿サロンを楽しんでいた折、詮子に叱責された彼は俯くだけで言い返せませんでした(第16回)。ここにも、帝にとって母が畏敬の存在になっていることが窺えます。
そんな複雑な母への思い、母からの愛の不在…その空隙をいつも埋めてくれたのが定子なのです。謂わば、帝にとって定子とは単なる中宮ではありません。恋人であり、姉であり、母である人なのです。つまり、彼の定子への執着とは、即ち母恋の裏返しなのですね。
こうなると定子が帝を愛し、帝にすがるしかない立場にありながらも、二人でいるときどことなく重苦しい思いを抱いている理由もささやかに透けてくるように思われます。帝が定子に向けてくる愛情は、詮子の分も含んでいるため、あまりにも重い。ただでさえ難しい立場、一度は病み尽くした心、そんな今の定子にとって、帝がひたすら真っ直ぐに向けてくる愛情は嬉しくあるものの、どこかで受け止めきれないものがあったのではないかと思われます。
帝にはそんな彼女の見せるやつれや不安を不憫に思い、なんとかしてやりたく思っていますが、そもそも彼のあまりにも一方的な愛情の強さが、定子を苦しめていることには気づいていません。奇しくも、詮子に吐き出した「母のせいでこうなった」の言葉は、彼の定子へ向けた身勝手な愛情を象徴しています。
しかし、そもそも、ここでの議論の根っこがズレてしまっている詮子には、帝の言葉の裏にある母の愛に飢えた甘えは気づきもしません。ただただ、詮子の存在が圧力となって帝を苦しめてきたという帝の言葉の刃だけが刺さり、呆然としてしまいます。聡明な息子だけは、母の辛さをわかり、答えてくれているのだと信じていた彼女の心を見事なまでに折ります。
ここで帝は立ち上がり、背を向けて去ろうとします。このことから、先に言葉は、秘めた思いであっても言うつもりのなかったことを捨て台詞として吐いたことが窺えます。自身の言葉の刃に呆然とした母の衝撃を敏感に察し、居たたまれなくなったのでしょう。言い出したことは止められませんし、また激高している今の彼はなおも母を傷つけようとすることは目に見えています。聡明ゆえにナイーブな彼らしい反応です。
大きな衝撃を受けた詮子は、「お上はそのように…この母を見ておられたのですか」と、嘘だと言ってほしい思いを込めて、その背にすがります。既に去りかけている帝の姿は、詮子からは御簾越しにしか見えない位置です。しかも、背中しか見えませんから、彼の表情は彼女からは窺い知れません。
しかし、帝からすれば放ってしまった思いは戻せません。詮子の問いに「はい」と答え、さらなる無情の刃を母に振るうのみです。愕然とした詮子が「私がどれだけ…どれだけ辛い思いで生きてきたか。私が…」と言いかけるのを「もうお帰りくださいませ」と被せたのは、彼なりの慈悲でしょう。これ以上、ここにいたらさらに決定的な何かを言ってしまう…溜まりに溜まった母への愛を求めるゆえの恨みは、抑えがたいものがあると察せられます。
息子から思わぬ罵倒を受けた詮子は、心ここに在らずといった状態のまま「私は父の操り人形で、政の道具で、それゆえ私は…」と自分の抱えた辛さを訴えかけます。「それゆえ私は…」の後に続くはずの言葉は、「お上が誰かの操り人形となり、道具とされないようお育て申し上げたのです」だったでしょう。円融帝が毒を盛られたとき、実家の恐ろしさを悟った彼女は、命がけで息子を守ることを誓ったのです。
そのため、息子を自分に甘えさせることより、揺るぎない教養と志を教え込むことに明け暮れ、自身は彼の立場を優位にするために政争に明け暮れたのです。彼女からすれば、息子との平穏な暮らしを犠牲にして、息子を育て上げた自負があるのです。
しかし、そんな母の思いこそが一条帝にとっては、大きなプレッシャーでした。そして、彼が欲しかったのは、帝になるための英才教育ではなく、彼と遊んでくれるような母の愛情でした。いかに彼が政治的に危うい位置にいたとしても、今となってはすべて余計なお世話であり、ただの言い訳にしか聞こえないのでしょう。ですから、詮子の言葉が呟かれるとき、カメラは詮子ではなく、それを聞き、ふつふつと怒りを湧かせる帝の背を映しているのです。
たまらず振り返った帝の目には、怒りと哀しみで涙が溜まっています。母の言い分など百も承知で、自分の想いを受け止めてもらえなかった。それゆえに今の自分の情けなささがある…何故、それをわかろうとしないのか。そんな思いなのではないでしょうか。
どこまでもわかってくれない母に、愛に飢えた息子は、冷酷な最後通告を告げます。聡明な彼は、母の「それゆえ私は…」の後に続く言い訳を察し、「朕も母上の操り人形でした」と、お前も同じことを自分にしたではないか、と叩きつけるのです。彼の母への思いが爆発しているのは、続く「父上から愛でられなかった母上の慰み者でございました」との一言でしょう。
息子を育て上げることに血道を上げたことは、先述したとおり息子を政治的に守るためでした。しかし、その裏側にあるには、円融帝への忘れえぬ想いがあることは、以前のnote記事で触れたとおりです。くすぶり続ける想いを息子の教育に注ぐことで慰めたのです。思い出されるのは、第25回、詮子の見舞いに現れた帝が訪れたとき、父となった息子を頼もしく見る場面です。その眼差しには一条帝に円融帝を重ねている面がありましたね。
それゆえ、一条帝の指摘は図星であり、母への鋭い刃となるのです。しかし、母の想いの裏側を指摘できるのは、帝が深く母を愛し、誰よりも理解しているからです。したがって、自身の愛が報われないがゆえに最悪の言葉を突きつけるこの行為そのものが、母への甘えであることは押さえておきたいところです。ある意味において、彼は未だ幼子なのです。
ゆえに、詮子の円融帝への気持ちは複雑で、自分を理解せず無下に遠ざけた恨みもあることまでは、気づけていないかもしれません。彼女が政を志向した背景には、円融帝と父を始めとする男たちへの怒りもあります。
詮子の心の底を見透かすような暴言に、政に生き、公ではポーカーフェイスを貫き続けた鉄の女であった女院は、ただの女性、母に戻り一筋の涙を流します。裏にさまざまな心情があったとはいえ、息子への愛情を疑ったことはなかったはずです。そして、息子もそれをわかっていると信じていました。それが崩れたとき、彼女のアイデンティティは政治家としても、母としても、人としても保ちようがありません。
「そのような…私は…」と雄弁な彼女をして、言いたいことが言葉にならないところに彼女の衝撃の大きさが察せられます。彼女の涙を流した次のカットが、彼女の眼差しの先にある帝のショットなのが上手いですね。帝は詮子に顔を向けているのですが、御簾が邪魔してその表情は詮子には見えません。
つまり、彼女に冷たい刃を叩きつけた帝の目に涙が溜まっていることに、詮子は気づいていないのです。帝の暴言の裏にある詮子を慕う甘えと叶わぬ慟哭…もっとも大事な気持ちが母に伝わらないままであることがほのめかされています。
ですから「女御の顔を見て参ります。母上のお顔を立てねばなりませぬゆえ」という最後の捨て台詞も、言葉どおりの意味だけが詮子の心を砕きます。彼女に残ったのは、息子の狂おしい母恋の情ではなく、手塩にかけ大切に育て上げた息子から、自分のこれまでの人生を全否定されたという事実のみです。人生は空しくなり、生きる意味を見失い、落胆した詮子は泣くに泣けません。結局、親の心子知らず、子の心親知らずのまま、この親子の愛情はそれぞれ一方通行のまま、すれ違ってしまいます。
そして、定子との関係、詮子との諍いから見えるのは、未だ一条帝が母の愛を求めて彷徨しているということです。一条帝が詮子にした仕打ちは、あまりにも酷いことで情けないのですが、その心の闇は深く、容易に解けるものではないようです。定子は、詮子の代償行為の対象であるため、かえってその役割が果たせません。彼の心の闇を祓うのは、晴明の予言どおり彰子なのかもしれません。しかし、それはまだずっと先のことになりそうですね。
3.おいてけぼりにされる彰子の心
(1)子の心母知らずの倫子の愛情
定子の出産にぶつけられる彰子の入内は、土御門殿で着々と進められています。もっとも重要なことは、入内に向けての彰子の教育です。自分のことながら、我関せずという態度の彰子は、小麻呂二世と戯れています。つまり、こ入内の準備は、彰子が主役であって主役になっていないことがほのめかされています。因みに、小麻呂がおとなしく、されるがままにされているということは、彰子の性情は穏やかで、他者に無理強いをしない人柄であるということでしょう。
教育を任されていた赤染衛門は「姫さまには書も和歌も一通りのことはお教えしました。これ以上お教えすることはございません」と、入内に相応しい教養は身に着けさせたと伝えます。しかし、倫子は「勉学はいらないわ」と大切なことは、教養の問題ではないとします。「何かこう…華やかな、艶が欲しいの。みんなが振り返るような明るさが」との言葉からは、彼女が彰子の地味でおとなしい性格に不安を覚えていることが窺えます。
とはいえ、倫子の要望はあまりにも漠然としていて「艶と明るさ?それは…難しゅうございますね」と衛門を困惑させます。倫子は珍しく「だから、衛門に頼んでいるのではないの!」と多少、声を荒げます。のんびり猫と過ごす彰子本人よりも、母である倫子のほうが明らかに焦っているのです。「入内して目立たなければ死んだも同然。みんなの注目を集める后でなければならないのよ」との指摘は間違っていません。定子が登華殿サロンをもって、若い貴族たちの注目を集めたように、雅やかさをもって後宮全体をまとめられることが、そのまま帝の興味を引くことになるからです。
ただ、倫子が「あの子が興味を持つようなことは何かないのかしら」と悩むように、彼女の興味関心が、母である倫子にもまったくわかりません。それがわからねば、艶と華やかさのきっかけがつかめないのです。もとより派手な、わかりやすい子であれば、アプローチの仕方はあるのですが、今のままでは、どうにもそれができそうにありません。「衛門、我が家の命運がかかっているの。力を貸しておくれ」と改めて協力を懇願すると、二人それぞれで、彰子になんとかプラスαを身に着けさえようとします。
衛門が「艶」と聞いて、思いついたのは、性教育…というよりも、男を夜の生活で悦ばせる閨房の技です。まずは、早速、男のその気にさせる色気の演出、「しなを作り方」です。「帝をお見上げ申し上げるときは、眼差しを下から上へ」としなを作る実演を混ぜて、手慣れた形で説明します。一通り説明すると「では、どうぞ」と言って彰子にやらせますが、これがなかなかおかしい。何をやっているかわからず、キョトンとしている彼女が作るしなは、腰の落とし方からカクカクしていてぎこちないものです。「よろしいですわ、姫さま」と衛門は褒めていますが、あれでは笑いは取れても使い物にはならないでしょう。そもそも、人を好くことすらわかっていなさそうな彰子にそれを教え込むのは、順序を間違えているようにも見えます。
倫子は、彰子の地味さはもっと根本的な問題だと思っています。感情をもっと表に出すことです。彰子を花畑に連れてきた倫子はごく自然に「まあ、きれい」と顔をほころばせます。しかし、隣にいる彰子は、表情をかえることなく無言で花を見つめています。おそらくこれでも彼女は花を愛でているのでしょう。
しかし、倫子は、彰子が何を考えているのかわからず、「彰子も声に出して、わーきれいと言ってちょうだいよ」と頼みます。彰子の驚いた顔が印象的ですね。ある意味、彼女が感情らしい感情を見せたのですが、おそらく彼女は何故、それをしなければいけないのかわからなかったのかもしれません。花を見て、想いを馳せる…それは自分の心の中だけのことです。一々、それを声に出さなくてもよいことと思っているのでないでしょうか。
とはいえ、母の頼みです。「わーきれい」と完全な棒読みをします。そして、母のそれを真似るように、ぎこちなく笑顔も作ってみせて、母の顔色を窺います。倫子は、少しだけじっと彰子を見つめた後、にっこり微笑みます。ただ。それはまだここまでが限界か、というこれから頑張りましょうというものでしょう。若い頃、人をよく見てあしらい、朗らかに笑うことで学びの会を回してきた倫子にしてみれば、彰子の反応はまだまだ物足りないものでしょう。
倫子は「どう?衛門のほうは」と艶と華やかさの教育の成果を問います。「閨房の心得は一通りお伝えいたしました」という衛門は「何度も頷いて聞いておられました。おとなしい姫さまですが、意外にご興味がおありだとお察しいたしました」と満足げですが、先のぎこちない実演を見れば、衛門の勘違いですね。彼女は、衛門が一生懸命教えてくれるので、なんとか頑張って真似してみせただけと思われます。何故、そうしたかと言えば、衛門がそれで喜ぶからです。
そして、それは母の前で「わーきれい」とぎこちなく笑顔を作ったことも同じです。敬愛する母が喜ぶからやってみたのだと思います。彼女は、自身の本心は口にせず、ただ相手が喜ぶことをそのようにやっただけなのです。
「閨房?」と不思議そうに問い返す倫子は「艶もだけれど、まずは声を出して笑うようにしてほしいのよ。声を出す、声を!」と言います。自分と同じく朗らかに笑えれば、人様を引きつけられるからです。しかし、閨房が頭から抜けない衛門は「閨房の心得としてのお声については…」と照れ気味になります。さすがにそれを教えるのは恥ずかしいというところでしょうか。衛門の勘違いに焦れた倫子は「そうではなくて、普段の声!」と声を荒げると「閨房はその先のことでしょう」と呆れ果てます。
それにしても、衛門のこの様子からは、男女の睦み合いの喘ぎ声というものが、女性の演技に過ぎないことをほのめかしていて笑えますね。ロブ・ライナー監督「恋人たちの予感」(1989)でメグ・ライアン演ずるサリーが、あんなの演技よ、とダイナーで声だけ実演してみせたことが思い出されます。男はアンポンタンなので、女性の感じたふりを自分の技だと思い込んでいる、その愚かさを揶揄した場面です。いつの時代も同じなのかもしれませんね。
さて、このように女二人して、どうにも彰子の入内前の教育は思うように進まないという実態がコミカルに描かれています。彼らはなんとか地味な彰子にプラスαを身に着けさせようとしているのですが、この方向性が実は間違っているように思われます。彼女の気持ちを無視して何かを身に着けさせようとしても無理です。仮に覚えて使えたとしても、彼女の心に響かない技術は、さして役には立たないものです。
だからこそ、彰子は二人が教え込もうとすることについて、二人が喜ぶようにしか振る舞わないのです。彼女にとっては、それを身に着けることよりも、二人の気持ちに反しないようにすることのが大切だからです。
倫子が「あの子が興味を持つようなことは何かないのかしら」とはそのとおりです。しかし、それを知るためには、まず彼女の人間性、何が好きなのか、その乏しい自己表現をじっくり観察しなければダメでしょう。彼女がわずかに見せる人間性、それを忍耐強く引き出してやることが肝要です。彼女に新しい魅力を付与するのではなく、彼女が元々持っている魅力を見つけて、引き出し、磨いてやること。それができて初めて、彼女の興味の持つことが見つかり、新しいことも覚えていけるのです。
倫子は、入内する娘を心配するあまり、ハリネズミのように武装させようと教育に躍起になっていますが、実はそれは彰子の心根に寄り添ってはいない。一方的な愛情になりかねない危険を孕んでいるのです。親心が深すぎるゆえに見えなくなることもあるのですね。
(2)政治性をさらに帯びていく彰子入内
① 屏風歌を巡る政治
彰子の入内に心を砕く倫子の心情の根底にあるのは、親心です。ただ、それは彰子の本心を置き去りにしたも独り善がりなものという懸念があります。一方、道長の側は、倫子のような親心とはまったく違う、あくまで政治的なものとして彰子の入内を扱っています。彼は晴明の予言どおり定子が皇子を産むことを前提に、彰子の入内をそれに負けないものに仕上げることを考えています。かわいい娘を犠牲にする以上は、最大限の政治効果にせねば、娘に申し訳が立たないという思いからです。
同じ親であっても、そのアプローチにも、心情にも大きな違いがあることは意識しておきたいところ。前回、一旦は収まった夫婦の価値観の齟齬は、またどこかで噴き出すようにも思われるからです。
さて、道長の彰子入内に対する政治的な動きは9月に起こります。既に晴明の占いによって、11月1日を入内の日として奏上済みです。後2か月というなか、入内のための調度品は揃えられてはいくものの、彰子の入内を華やかなものとして盛り上げるための決め手にはどこかかけています。そこが道長×倫子夫婦の悩みどころです。彰子の入内に失敗は許されない…その認識だけは夫婦に共通しています。
道長は入内のときに彰子に持たせる屏風を前にふと「あ、ここに公卿たちの歌を貼ったらどうであろう。公卿たちが名入りの歌を献じたことを示せば帝も彰子に一目置かれるであろう」と思いつきます。それは、彰子の入内が公卿らの総意であることを示すものです。それだけで、帝に対して一定のプレッシャーになります。それを下賤な圧力ではなく、雅やかにやるところが左大臣家の格というものです。ですから、公卿らの歌を帝も好む、行成の美しい書で彩らせるよう念を入れることにします。この案には「さぞや見事な屏風になりましょう」と微笑む倫子も乗り気です。
早速、公卿らから歌が献じられてきます。これは道長の人望もあるでしょうが、それ以上にこの先の左大臣の権勢にあやかりたいという欲の面が大きいでしょう。その面があからさまなのが、斉信です(笑)直接、道長に渡し、「これはいい出来だぞ」とこれ見よがしに言うあたりに恩を売る気満々の彼の様子が窺えますね。
因みに彼が自信満々に渡した和歌は、「千載集」にも残されている「ふえ竹のよふかきこゑそきこゆなる きしの松かせふきやそふらん(意訳:夜更けにふと耳をこらすと、竹の枝が風にすり合う音は笛のようで、山からは松風が伴奏しているようだ)」というものです。
一方、なかなか出さなかった公任は「下手な歌を呼んだら名折れだからな」とうそぶきながら、行成に渡しています。当代随一の風流人を目指す公任は、出世欲ではなく、己の風流人としてのプライドをかけて挑んできました。錚々たる公卿の名が並び、帝も愛でるとなれば気合が入ろうというものです。
そんな公任の和歌は「拾遺集」にも収められている「紫の雲とぞ見ゆる藤の花 いかなる宿のしるしなるらむ(意訳:紫の雲が流れていくように咲き誇る藤の花は、どれほどめでたい家の前兆なのであろうか)」です。件の屏風に描かれた藤の花に合わせた一首ですが、藤原とかけてのものでしょう。まさに彰子の入内を寿ぐように詠んでいるのですね。
極めて政治的な意味を持つ屏風に対する公卿、それぞれのアプローチが興味深いですが、「歌は詠まん」とそもそも載せることを拒んだのが実資です。道長の意を受けた交渉上手の俊賢は「学才並ぶものなき中納言さまのお歌を…左大臣さまは切にお望みでございます」と実資を持ち上げるのですが、実資は「公卿が屏風歌を詠むなどありえぬ。先例もない」とバッサリ、「左大臣さまは公と私を混同されておられる」と寧ろ、批判します。実資には、道長の屏風歌は、娘の入内に浮足立っているように見えたのでしょう。それゆえに苦言を呈したのです。
実資ほどの教養人から歌をもらえなかったことは、画竜点睛を欠く気もしますが、道長は「実資どのらしい」と真摯に受け止めます。そこへ、どういう風の吹き回しか、思いがけず花山院から「吹く風の枝もならさぬこのころは花もしつかに匂ふなるべし(意訳:吹く風が枝も鳴らさないような穏やかなこのごろ、花もしずかに美しく咲いています)」との和歌が届けられます。
俊賢は「左大臣さまへの阿りでありましょう」と揶揄していますが、これはうがちすぎでしょう。出家後の花山院は風流に生きています。公卿らの和歌が集まると聞いて、そんな面白いことがあるのかと興が乗ったというのが本当のところでしょう。変わり者の目立ちたがりは変わっていないようです。
扇を足でホレホレと行儀の悪い芸を見せていた本郷奏多くんの姿が思い出されます(笑)道長は、「思惑はどうあれ、ありがたく頂戴いたそう」と受け入れます。なんといっても院の和歌であれば、箔がつきます。断る道理はありません。
いよいよ、屏風が完成し、満足げな道長のもとへ実資がやってきます。用件を問うとなんだかばつが悪そうに「次の陣定に諮る新嘗祭のことで…お忙しそうなので出直して参ります」とそそくさと去ろうとします。断りはしたものの、皆の和歌が集まること自体には興味があったのだろうと察した道長は、実資を呼び寄せ、「中納言どのにお歌をいただけなかったのは残念でありましたがなんとか仕上がりました」と屏風を披露します。しげしげと見つめる実資が、真っ先に公任の歌を「さすがでありますな」と誉めそやすのは、優れた和歌に対する興味には勝てなかったことを示しています。
すると道長、さりげなく「花山院のお歌もこちらに」と、この屏風の一番の価値は花山院の支持を取り付けたことだと示します。「え?」と軽く驚いた実資…花山院の名を認めると「お…おお」とさすがに狼狽えます。先例を盾に断った屏風歌ですが、自身が思った以上の力を持つものとなったことを実感したのです。
道長が兼家ゆずりの巧妙さを見せるのはこの後です。彼は「大納言始め、大勢にお歌を頂戴いたしました」と言うと、わざわざ和歌を載せ、屏風歌に賛同した公卿らの一覧を実資に見せます。歴々の名が連ねられた紙の束は、今の道長の権勢がどの程度かを示すものですから、実資は圧倒され目を白黒させるより他ありません。
実資の動揺を誘ったところで道長は「中納言どのが歌は書かぬと仰せられたときも、自らの信念を曲げず筋を通されるお姿、感じ入りました」と誉めそやすように、実資の痛いところを突きます。恐縮する実資に「これからも忌憚なくこの道長に意見を賜りたくお願いいたす」と一礼します。
道長の発言の意図は、二つあります。一つは、この度、屏風歌に参加されなかったことについては特に気にされる必要はないし、今後も忌憚ない意見を期待しているということです。もう一つは、その代わり、肝心なときは、これだけの力を持っている左大臣の私の顔を立ててくれという牽制です。要は時と場合を考えて、意見してくれということですね。
違う意見を阿ることなく言う実資のような人材は得難いものです。彼は、実資を大切にしたく思っているのです。しかし、このたびの入内は、朝廷にはびこる悪い空気、帝の邪念を取り払うためのもの。公卿の総意をもって当たらねば、帝を諫めることはできません。ですから、大事なときに反対されては困るのですね。野心や反対勢力を潰したいというような邪な気持ちからの牽制ではないのです。
とはいえ、言われた実資のほうは、たまったものではありません。「いやいや、院までもか。これはこれは…」と冷や汗しきりです。道長も随分と腹芸の出来る人になりましたね。
② さらなる謀略へ進まざるを得ない道長
しかし、ここまで入念な準備を施しても、神ならざる道長は天の配剤には及びません。彰子の女御宣下が、定子の皇子出産の日とブッキングしてしまったのです。運が悪いとしか言いようがありません。内裏の関心はともかく、何より肝心の帝の関心が定子と皇子へと向かってしまいます。
皇子誕生を残念がる東宮、居貞親王の反応がそれを如実に示していますね。彼からすれば、自分の即位時に息子、敦明親王を東宮にする芽が摘まれる可能性が出てきましたから、厄介な話でしかありません。彼はそのノリで「叔父上の姫が入内したそうだが、これでは意味がない」とはっきりしたことも道長に口にします。しかし、道長は「意味はございます。皇子のご誕生でますます中宮さまに傾かれる帝をお留め申すには私の娘が欠かせません」と、こういうときだからこそ、入内の目的を見失わないようにしています。
その夜、女御宣下を受けた彰子と道長始め公卿一同の居並ぶところへ一条帝が渡ってきます。詮子に言い捨てた「女御の顔を見て参ります。母上のお顔を立てねばなりませぬゆえ」です。元より一条帝には、今後一切、彰子に構う気はありません。帝は公卿らの歌が並ぶ屏風歌を一瞥すると「そなたのような幼き姫に、このような年よりですまぬな」と涼やか顔で言葉をかけます。
入内した彰子は数えで12歳、いくら赤染衛門から閨房を仕込まれたところで、男盛りの帝の相手などできるものではありません。実際、彼と彰子が結ばれるまでには、さらに7年の時を要します。ですから、この言葉そのものに偽りはないのですが、真意は他にあります。年齢を盾に「お前を愛でることはないから、そのつもりでいろ」、そのことです。
当然、そのあとに続く「楽しく暮らしてくれれば、朕も嬉しい」も、気遣いなどではなく、「私と睦み合う以外の楽しいことを見つけて、好きなように暮らせ。かかわりなきが私の望みである」という辛辣にして冷たい拒絶なのです。先刻の詮子との諍いがなければ、もう少しやんわりとした文言となったかもしれませんが、どのみち同じことです。皇子が生まれた一条帝は、どこまでも強気なのです。
しかし、帝の渾身の拒絶も、彰子はただ「はい…」とだけ答えるだけで、それ以上は、何も言いません。わかったのかわかっていないのか、それすらわかりません。あまりに無反応な様子にさすがの帝も拍子抜け、戸惑ってしまいます。暖簾に腕押しでは会話は続かないのは道理。その様子に後ろに控えていた、道長の顔は渋いものとなります。おそらく、今の彰子に任せるままでは、二人の関係は埒が明かないと判断したのでしょうね。
最低限の言葉しか発しない彰子が、帝の言葉をどう聞いたかはわかりません。しかし。コミュニケーションを得意としない幼い彼女が、帝の腹芸を読める可能性は低いでしょう。皇子が生まれ強気になり、彰子を拒絶する帝に、それもわからず黙りこくる娘…道長には、入内計画は早々に頓挫してしまったようにしか見えません。
こうなっては、晴明のもとに駆け込むしかありません。道長が興味深いのは、祈祷や儀式の必要なとき以外は、安易に晴明を呼びよせ、使おうとしないことです。まずは己の力でやれるところまでやり、行き詰ったときに晴明を頼るのです。晴明を謀の相棒としていた兼家とも、安易に呼びつける道隆とも違うアプローチをしているのです。それは、おそらく、政を成すのは人…道長が、そう信じているからでしょう。そして、実は晴明もそれには同意見です。
道長は空を見上げながら「よりにもよって女御宣下の日に皇子が産まれるとは…我が運も傾きかけておる」と放心したように言います。すかさず、晴明「傾いてはおりませぬ。何の障りもございません」と応じます。天運が道長にある以上、定子に皇子が生まれたぐらいでは何ともならないというのは、今回の隆家の見立てですが、本職の晴明も同じことを言うのですね。
しかし道長は「この頃、体調も良くないのだ」と答え、やはり運気は傾いていると言います。まあ、倫子にもまひろにも「痩せた」と言われる彼は普段から激務で疲弊しています。その上、本意ではない入内を成功させようと奔走し、上手くいかなかったのです。疲れ果てています。弱気になった彼は、晴明に弱音を吐いているのです。
晴明は弱気にとりあわず「ならば、女御さまを中宮になさいませ」といきなり具体策を提示します。つまり、現状、彰子が帝の心を捉えることが難しいのであれば、まずは物理的に地位を高めることで無視できなくするのが良いと言うのです。帝への心理的な圧力も期待されます。その提案に「は?」と素っ頓狂な声を道長があげるのは当然です。既に定子が中宮であるなか、どうして彰子を中宮にできるのか…理屈が通らないからです。
すると、晴明、小石を拾うと扇の上で並べて、「太皇太后昌子さまがお隠れになりましたゆえ、皇后遵子さま(中村静香さんが演じていた円融帝の中宮)を皇太后に祭り上げれば、皇后の座があきます。そこに、中宮の定子さまを入れ奉り、そして彰子様が中宮になられればみながひれ伏すでしょう」と、懇切丁寧にその理屈を教えます。
しかし、道長「一人の天皇に二人の后などあり得ん」と突っぱねます。原理原則を曲げれば、大きな反発を招きます。強引に物事を進める兼家のやり方を嫌う道長は、彰子の入内のときの同じく、同じ道を進むことを嫌います。しかし、晴明は「やってしまえばよいのです」と、その青臭さをあっさりと否定してのけます。晴明からすれば、自身が強引な為政者と評判を落とすことなど、国家安寧のためならば小さいことです。得られる実利が最大限であることのが重要です。
晴明は「国家安寧のために貴方は彰子さまを差し出された」と、既に貴方は娘を犠牲にする、手を汚すことを覚えたと言います。毒食わば皿まで…この上、何を迷うことがあるか、というのですね。それよりも、彰子という供物が、最大限の力が発揮できるよう状況を整えなければ、より多くの政の犠牲者が出てしまいます。そんな犠牲を出さないことのが肝要です。
晴明は道長を安心させるため「一帝二后は、彰子さまの力をより強めましょう、左大臣様の御体も回復されます」と請け負います。晴明が確信をもって、そう言いきれるのは、二つの理由があります。一つは、既に二后自体が先例破りで、それを定着させたものだからです。そもそも、中宮とは皇后のことを指しました。ですから、本来は皇太后と中宮(皇后)の二人しかないないのです。それを無理やり、皇后と中宮は別物としたのが定子の中宮立后でした。
もう一つは、皇太后昌子、皇后遵子、中宮定子、このすべてが出家しており、皇后が担うべき神事が完全に滞っていたということです。つまり、皇太后が崩御した今、一刻も早く神事を行う皇后格の人を昇格させることが急務になっています。この二つをもってすれば、一帝二后は大義名分が立つのですね。計算なき提案では、ないのです。後はそれを押し通す勇気だけなのです。そして、政が正常化されれば、道長を悩ます気の病も治るのは当然です。
ただ、この謀は、ますまず彰子の意向を無視し、彼女を政治の道具としていくことになります。そこには親としての彰子への情を挟む余地がありません。果たして道長の優しい心はそれに耐えられるのか。そんな道長にどこまでも親目線の倫子はついていけるでしょうか。「一帝二后…」と呟く道長の先行きは決して明るいものではありません。
おわりに
「愛する」とは、相手がいて初めて成立する感情ですが、にもかかわらず、極めて身勝手なものです。それが、相手を思い遣るものであってもです。相手の心に届くもの、相手の望むものでなければ、どんな思い遣りも迷惑なものでしかないからです。
人は自分の善意を信じている節があります。しかし、それは疑うべきものです。何故なら、人の愛し方はさまざまだからです。また、どう愛されたいかというもさまざまだです。そこには正解がありません。そのことを忘れてしまうと、自分の愛を絶対視し、それを相手に押し付ける独り善がりになってしまいます。結果、多くのすれ違いと不幸が生まれるのでしょう。
今回の「光る君へ」は、そうした愛することの身勝手さ、そこから見えるさまざまな愛し方の形が描かれたように思われます。興味深いのは、それがとても誠実なものであっても悲劇を生むことがあり、逆に倫理的にどうかと思うそれが何か噛み合って解決に向かうこともあるという皮肉な軌跡でしょう。
たとえば、悲劇は詮子でしょう。彼女の信念と愛情は、間違っていたときもありましたが、息子を守り抜くという一貫した言動は、あの状況下ではあれしかなかったでしょう。にもかかわらず、息子の欲する愛に答えなかったばかりに、彼女は理不尽な絶望の憂き目にあいます。勿論、息子の思いが見えなかったという問題はあるにせよ、完璧な親はいません、それを責めるのは酷ではないでしょうか。もっとも、子は常に親を裏切るものです。こうした愛ゆえの悲劇は、親子では珍しくないのかもしれません。
一方、まひろにとって幸福な形で収まったまひろ×道長×宣孝の三角関係は奇縁という他ありません。石山寺のまひろと道長は、どんなに純愛を叫ぼうがダブル不倫で間違いありません。現代であれば、ほぼ間違いなく袋叩き、慰謝料も取られる案件です。しかし、二人は己の人生を支える魂の響き合いを必要としていました。結果、不義の子が産まれます。しかし、そのことが、モラハラ夫のように見えた宣孝の愛し方の裏側にある真心をまひろに気づかせ、宣孝もまた自分の不実の反動を受け入れ、二人は真に夫婦となります。そして、不義の子は、一人の母と二人の父を得ます。それは、普通では卑怯とも言える、女が二人の男の愛を享受できてしまった結果です。ただ、その宿縁がどんな顛末を巡るのか、幸か不幸かはまだわかりません。
愛することは独善的な行為であり、そこに善悪も優劣もないのだとすれば、この先のドラマも予測不能ということになるでしょうね。