「光る君へ」第48回 「物語の先に」 時代の終わり、その先へ進む人々の選択
はじめに
選択するとはネガティブなことです。何故なら数多くある可能性から一つ選ぶことは、裏を返せば、可能性を潰すことに他ならないからです。選択には結果が伴います。その結果を引き受けた次の選択で示される選択肢は、前の選択のときよりも数が減っているものです。つまり、選択の度に可能性を潰し、あり得たかもしれない未来を諦め、選択の幅を狭めていくのが人生です。
そして、ある日、無限にあった可能性と選択肢がほとんど無くなっていることにはたと気づきます。それが老いる…ということかもしれません。因果応報とは、数多くの選択をし、それを積み重ねて、結果を引き受け、最終的に選択肢が無くなった状態を指すのでしょう。
ただ、因果応報の結末が、人生の終焉とは限りません。都合よく、人生がプツリと切れて、ぽっくり大往生なんてことはなく、先が見えているけれど、なおを生き長らえるというのがほとんどではないでしょうか。因果応報の果てで終わるのはフィクションの世界の定番であって、多くの人は因果応報の果てで、さらに人生の選択を迫られます。よく言われる「人生は選択の連続だ」とは、死ぬまで選択は終わらないということなのでしょう。
「光る君へ」は道長の死をもって終局を迎えます。しかし、道長の死後も、まひろたち残された人々の人生は続くのです。そこで、今回は因果応報の果てにある、それぞれの人生に思いを馳せてみましょう。
1.すべてが反転するまひろと倫子
(1)嫡妻としての余裕と傲慢
懐かしい昔話からの「それで貴女と殿はいつからなの?」という唐突な倫子な問い…前回でもなされたそれを、今回はカメラが向かい合う二人をロングショットで捉えています。この様子からも、倫子は上座から物を言うような詰問をまひろにしようとはしていないと察せられます。とはいえ、まひろからすれば、前振りもなく核心を突かれて泡を食っているところへ「私が気づいていないとでも思っていた?」とお見通しと言わんばかりの言葉を畳み込まれているのですから、蛇に睨まれた蛙の心境でしょうが(苦笑)
倫子は「貴女が屋敷に来てから、殿のご様子が何となく変わってしまって…」と続けます。「貴女が屋敷に来てから」が、どれを指すのかは明言されませんでしたが、これまでのことからすれば、彰子が敦成親王出産のために土御門殿へ宿下がりしたことでしょう。彰子の女房としてとはいえ、同じ屋根の下で日常的に顔を合わせるようになり、仕事を理由に内裏と同様にまひろの局を訪ねているのですから、道長は、心のときめきを隠せなくなっていたのでしょう。
そもそも、彼にとって、まひろを藤壺へ出仕させることは、ビジネスパートナーを名目に「惚れた女」を自分の手元へと呼び寄せる意味あいがありました。一条帝から「その女にまた会ってみたいものだ」(第32回)との言質を取った途端に喜び勇んでまひろ宅を訪れ、色好い返事がないにもかかわらず、推し進めたものです。最初から浮足立っていたとは言えますね(苦笑)
ここでカメラは倫子のバストアップになりますが、彼女の表情は穏やかで称えた笑みには余裕すら見えます。「貴女を見る目も誰が見てもわかるほど揺らいでしまって…」と、あれで気づかない方がおかしいわと浮気夫の迂闊さを笑う言葉にも、道長への情が窺えます。五十日の儀では、二人の阿吽の呼吸のごとき和歌の応答に機嫌を損ねたこと(第36回)もありましたが、そのとき抱いた嫉妬心もある程度、自分のなかで収めてこの場に臨んでいるのでしょう。若き日に妾妻である明子女王に対しても女心を覗かせたときも、道長に妻たち以外に本命がいると悟ったときも、倫子はいつも道長の政を物心両面支えることで、己を慰めてきました。言い換えるならば、「嫡妻であること」、このことが、今も昔も倫子を支えているということです。
まひろのほうは、指摘される道長の迂闊さが、我が身の迂闊さのように感じられていることでしょう。彼女自身は、出仕して後は「物語」執筆に邁進していたこと、芽生えた彰子への忠心もあって、道長に対しての言動は極めて抑制的でした。無暗に道長が局に訪れるのは彼女の責任ではありませんし、その会話も表向きは政のものです。
それでも、道長の度重なる訪問は、良からぬ噂を生みます。赤染衛門から「お方さまだけは傷つけないでくださいね」(第37回)と釘を刺されたのも、五十日の宴の直後でした。心ある衛門は、まひろは決して非難せず、苦言を呈す程度にしてくれました。それだけに、あの助言からもっと気を配るべきだった…そんな悔いもあるかもしれません。
そもそも、女房としての抑制的な言動は、出仕したときから決して道長との過去は知られてはならぬということだったでしょう。それは道長に迷惑が掛かりますし、衛門に言われるまでもなく倫子を傷つけたくはありません。また、自分が藤壺(当時)にいるのは道長との過去ではなく、あくまで己の才覚との自負がありました。
しかし、一切、肉体関係がなかったからといって、道長への情、あるいは二人の関係が深まらなかったかと言えば、それは逆でしょう。例えば、下賜された扇に込められた道長の想い(第33回noteその2に詳しく書きました)にまひろが思わずそれを押し抱いたとき、彼への愛情は深まったでしょう。道長にしても、出仕して後、才能を開花させるまひろが彰子の心を開いていくのを目の当たりにして微笑みました(第34回)。彼女に惚れ直したことは請け合いです。月を共に見た夜もありました、謀は胸襟を開きました…そうした流れが、川辺に誓い(第42回)へとなったのです。やましい点は多々あるのです。自身に油断がなかったとは到底思えないでしょう。
ですから、まひろは、倫子の指摘に目を白黒させながらフリーズしてしまうのです。倫子の「貴女が旅に出たら出家までしてしまったんだもの…」と呆れたような言葉はトドメの一撃だったでしょう。大宰府で隆家から出家を聞かされたときは、まひろも心底驚きました。道長の心身の病を心配する一方で、彼をそうさせたのは自分ではないのかとい疑いも抱いたのではないでしょうか。そのささやかな傲慢は、倫子の言葉で罪の意識と変わっていきます。
もっとも、まひろの反応、お構いなしに話す倫子のほうはまったく違う事情で話しています。道長に出家を告げられ、倫子が「藤式部がいなくなったからですの?」(第45回)と問い質したとき、彼女は精神的に追い詰められていました。にもかかわらず、道長は追いすがる彼女を置き去りにしました。剃髪のとき、倫子の流した涙に悔しさが混じってはいなかったとは言えないでしょう。その筆舌に尽くしがたい想いを、夫の呆れた行動という笑い話にして語る…これだけで、倫子は倫子で何らかの相応の覚悟をもって、話を切り出していることが察せられます。まひろを追い詰める、責めることに主眼はないのです。
果たして、倫子はここで居住まいを正すと、まひろへ礼を尽くすように「まひろさん、殿の妾になっていただけない?そしたら殿も少しは力がお付きになると思うのよ」と依頼、提案をします。第46回、月を愛でる出家後の落ち着いた道長を見た倫子は「殿のご出家は強くお止めいたしましたけど、今のご様子を拝見いたしますと、これで良かったと思います」と声をかけました。諦めにも似たこの言葉の真意が、最終回にしてようやく明らかになりましたね。
彼女は、とりあえず出家のみで現世に留まった夫に安堵すると同時にこれ以上はあの世へは行かせまいと決意して、あの言葉を道長に告げたのでしょう。その裏には「いいわ、そこまで好きならまひろさんを貴方の傍に置いてあげる。その代わり決して死なせないわ」と、まひろを妾妻として迎える覚悟も既に含まれていたのかもしれませんね。
道長のためでもなく、まひろのためでもなく、まして二人の愛を成就させようというはずもなく、倫子自身の道長をつなぎとめるという願いのために彼女は、自分に出来る最大限の譲歩をするのです。冒頭、彼女とまひろの立ち位置が同列であることに触れましたが、それは倫子の妾妻の提案には、私が道長を支えるための同志になってほしいという意味合いがあるからでしょう。だから、嫡妻という優位からの言葉であるにせよ、倫子は「まひろさん」と昔の呼び方で彼女に声をかけ、「どうかしら?」とあくまで低姿勢で、強引に事を進めようとはしません。
詰問され、罵倒されても仕方がないと思っていたであろうまひろは、倫子の意外な提案、そして、その裏にある道長への深い情愛…自分に負けないほどの想いを感じたでしょう。呆然となります。また、この老境に至って道長の妾妻にという話が、再び来たことへの因果を感じざるを得ないでしょう。若き日の道長からの情熱的プロポーズ、壮年期に分別を忘れて結ばれたときの道長からの提案、都合、まひろは二度、妾妻の誘いを受けました。そして、理由は違いますが、どちらもまひろは断りました。遠くの国への逃避行も含めれば、まひろは3度も道長と共に生きる道を拒絶したのです。
そんな自分に再び、道長と共に生きる選択肢が与えられます。しかも、今度は道長の嫡妻である倫子からの依頼…これまでのなかで最も間違いがなく、嫡妻に認められ、道長の妾妻として正式に迎えられる。確実性の高い提案です。そして、何より、これが道長と共に過ごす選択肢が提示されるラストチャンスです。心揺れる提案です。同時に今まで断ってきたのは何故か、という自身の根底への問いかけもあるでしょう。逡巡からまひろは目を伏せます。
倫子も目を伏せますが、こちらは覚悟してまひろに妾になるよう要請しているとはいえ、愛する夫が惚れ抜いた女性へのわだかまりと逡巡が湧くことが止められないのでしょう。どうしてこの女を…その嫉妬心が、嫡妻として確認する義務という言い訳と結びついたとき、倫子は「いつ頃からそういう仲になったの?」と再度、二人の仲について聞いてしまいます。聞かずにおれなかったというべきでしょうか。男の浮気の理由など大抵ゴミのようなもの…世間一般のそれと同じようにうっちゃっておけば…倫子がこれ以上、傷つくことはなかったのですが。
倫子は、道長一筋ゆえに、まひろに妾妻を提案し、なおかつ聞かなくてもよいことを聞いてしまう不用意さを披露してしまいます。その裏にあるのは、浮気女への寛容…つまりは自分は嫡妻であるという慢心ですが、それを指摘してしまうのは酷ですね。彼女は30年以上、嫡妻として過不足なく、いや、それ以上によくやってきたのですから。
(2)焦燥感が炙り出す倫子の本性
一方のまひろにとっては、倫子からの問い質しはいつかはあるかもしれないとどこかで恐れていたことが現実になったことです。そして、意外な妾妻の話も道長と共に生きるか否かの最後通牒のようなものです。どちらにせよ、まひろには、逃げることもかわすことも誤魔化すこともできない状況…遂に観念したまひろは「ふうぅぅ」と太く息を吐くと「初めてお目にかかったのは9つのときでした」と、静かに語り始めます。最早、事ここに至って嘘をつくことはできない…全てを語り、その上で判断していただく他ないと、最初から話すのです。「道長さまは三郎と名乗っておられました」と倫子を前に「太閤さま」ではなく、名前呼びをし、本来の親密さをそこはかとなくまとわせています。
ただ、この語り始めは、倫子にとっては予想の斜め上…出会った年齢が9つという幼さも然ることながら「身分も違うのにどうやって…?」と、このことです。出会うはずのない二人が何故、出会うのか。箱入り娘の倫子にはまったく理解が及びません。「飼っていた鳥が逃げてしまい、追いかけて鴨川のほとりまで行きました。そこで」と、ありのままを語られても「家を出ることなぞ許されたの?」と絶句するだけです。
まひろは、「このような立派なお「家」ではありませんので…」と苦笑いしますが、この貧しさゆえの自由さが「道長との関係の深さ」の決定的な差を生んでいるのですから、皮肉なことです。倫子は、どんなに望もうと道長より早く会える可能性はなかったのですから。倫子は、驚きながらも徐々に焦りを感じ始めているかもしれませんね。
まひろの話は続きます「泣いていた私に三郎という男子がお菓子をくれました。優しくておおらかで背が高くて…」と、あの日を昨日のように懐かしむまひろの顔に浮かぶのは、幼き日の初恋が一目惚れに近しいものであったことが窺われます。家人以外で初めてあった男の子、三郎は、その年の子らしいやんちゃさはなく、まひろ姫の嘘に合わせてかしづく朗らかな子で、その優しさは今も変わりません。今の道長を彷彿とさせる微笑ましいことですが、倫子の顔は複雑で、何とも言えない表情です。まひろは、私の知らない殿を知っている…しかも、自分が届きようもない道長の根っこの部分を、です。倫子の心には、焦燥感だけが募ります。
「また会おうと言われましたが…」と言いかけたところで一瞬、戸惑ったのは、その先の話が彼女のトラウマだからです。しかし、このことも含めての道長の縁…隠し立てすることもできません。正直に、ただし淡々と「約束の日、母が殺されてしまい…会いにいくことが出来ませんでした」と事実のみを伝えます。「殺された…」と二の句が告げない倫子に、まひろは「母を殺した男はミチカネと呼ばれておりました」と付け足し、彼女を唖然とさせます。幼い頃に身分違いのまひろが、道長と出会っていただけでも、文字通りの箱入り娘の倫子には十分衝撃だったはずです。その上、道長の兄、道兼がまひろの母を殺していたという血生臭い話が来ては、明々後日の方向から大量の情報が流し込まれるようなものです。倫子の想像を超えたまひろの壮絶な半生に倫子は圧倒されるしかありません。
ただ、「心惹かれた男子が、母の敵の弟だと知ったときは…心が乱れました…」と当時を思い返すように苦笑い混じりでまひろが語ると、倫子の心は、当時のまひろ以上に千々に乱れます。まひろが切々と話すその言葉に、彼女の道長への想いが感じ取れるからでしょう。
おそらく、まひろは道長にこのことを告白したときのこと(第5回)を、思い浮かべているでしょう。まひろを信じると言い「すまない。謝って済むことではない…が、一族の罪を詫びる」と謝罪したことも、三郎のことは恨まない。でも道兼のことは生涯呪う!」というまひろに「恨めばよい、呪えばよい」と彼女の思いを肯定してくれたことも。そして、「あの日、私が三郎に逢いたいと思わなければ、私が走り出さなければ、母は殺されなかった。母が死んだのは私のせい」と本心を明かし、泣き崩れるまひろを優しく抱きしめてくれたことも。この思い出は、辛く哀しいだけではなく、道長の優しさが心に沁みた思い出でもあるのです。
倫子は、詳細を聞かずとも、漂うものを察知し、少し間を置くと「…それなのに貴女たちは結ばれたのね。そうでしょ?」と問い詰めます。障害を乗り越えて結ばれた恋…道長とまひろの間にある絆の強さと深さを突きつけられた倫子は、二人が若き日から睦み合う関係であったと確信します。それは知りたくないことですが、確かめずにはいられません。倫子の追い詰められた心情が察せられますが、余裕のなさゆえに、まひろの道長との思い出が哀しみに彩られているという側面に気づくことが出来ません。
倫子の詰問に、まひろが涙を堪え、鼻啜るのは、彼女の質問に答えるには、直秀の理不尽な死について避けて通ることができないからです。「道長さまと私が親しくしていた散楽の者が殺されて、二人で葬って…」と簡潔に話していますが、記憶は留めようもなく溢れているでしょう。自分のせいだと泣きながら詫びる道長が愛おしくてたまらず、泣きながら抱き寄せたのはこのときでした(第9回)。そして、溢れる思いを整理するようにしながら、「道長さまも私も、哀しみを分かち合えるのはお互いしかいなかったのです」とまとめます。瑕を舐め合うようでもあった二人の関係は、幼くも致し方のないものだったということでしょう。
まひろの告白は真摯なものですが、倫子にとっては当時からのまひろの懊悩の深さよりも、過去の出来事の事実が一々癇に障るでしょう。直秀の話も「共通の友人がいるほどの浅からぬ関係」「二人で友人を弔うという思い出」と、どれもが倫子が体験したことのない、望んでも叶わぬものばかりです。悲痛なまでの重い思い出の積み重ねが、まひろと道長の関係を作っているのだとしたら…後から来た自分がつけ入る隙などあるはずがないのですね。
ここまで聞いた倫子は、沈鬱な表情ではたと思い当たり「あの漢詩の文は…貴女のものだったのね」と確認します。その目に涙が少し滲むのは、この一件(第13回)でまひろが、倫子に嘘をついたことがわかったことによるものです。倫子が「大切そうに文箱の中にかくしてあった」漢詩を見つけ、「女の字だと思うのよ」と言ったとき、まひろは「さあ?」と確かにはぐらかしましたから。あのときから、まひろは私は裏切っていたのだ…この思いが強くなったことでしょう。
悔しげにまひろに真実を問う倫子に、まひろは狼狽えます。嘘をついたまひろの真意は、道長と結ばれ幸せそうな倫子の様子に水を差したくないという友情です。しかも、倫子は、まひろの困窮を見かねて、土御門殿で働かないかと声を掛けてくれたときでした。嘘も方便と思った、その言動の因果が、ここで巡ってきました。どう言い訳をしようと、自らの嘘で、倫子を傷つけた事実に変わりはなく、まひろは観念し「…はい」とのみ、答えます。
因みに、第13回noteで触れましたが、実はまひろ、倫子のもとを退去する帰りの渡りで薄く嬉しそうにしています。道長が漢詩を今も大切にしていたことに女の幸せを秘かに感じていました。もしも、それを覚えていたら、この観念にはわずかに後ろめたさも含まれているかもしれませんね。
まひろの答えに伏し目がちにしていた倫子は、愕然とした様子で立ち上がります。膝元を映すアングルのため、前のめりに倒れるかのようにすら見え、倫子がまひろの告白から受けた衝撃が感じられます。倫子のまひろにやや背を向けるような姿勢で立つ姿は、対等に向き合っていた先ほどまでの態度とはまったく違うことを意味しています。当然、まひろへ妾妻を依頼した気分も吹き飛んでいます。
倫子は、昔、自分とも明子とも違う第三の女、しかも本命の存在を感じ取っていました。漢詩の一件、そして満足げな表情をして道長が朝帰りをしたとき(第16回)が、それに当たります。しかし、それがまひろだとは、今の今までまったく思ってはいませんでした。それは、まひろのような身分の低い女性が道長と遭遇することはないと思い込んでいたからでした。道長とまひろの関係は、自分たちの長い夫婦生活のなかで起きた現象。後からやってきたまひろに嫡妻たる自分が脅かされることはないという自負があるからこそ、道長の命が長らえるのであれば認めてみせましょうということだったのです。
が、現実は倫子が考えていた以上に残酷でした。まひろが、倫子と道長の間に割って入ってきた闖入者なのではなく、倫子こそが、まひろと道長の間に入った闖入者だったのです。無論、形式は倫子が嫡妻であり、そのことを形だけでなく言動と結果で証明し続けたのは倫子自身です。土御門殿という「家」あればこそであっても、それも含めて倫子の心映えと力です。道長の栄華も、我が「家」の栄華も倫子あってのものです。ただ、彼女の本心は、どこまでも道長の心を手にすることでした。だからこそ、道長の生き方を全肯定した上で「ですから、たまには私の方もご覧くださいませね」(第43回)と本音を覗かせてきたのです。
しかし、それは元より叶わぬものでした。そもそも、文もなく土御門殿へ忍んできた日、倫子が上気し心ときめかせた日、そのずっと前から道長の心を捉えていたのは、まひろただ一人だったのですから。しかも、聞けば、その始まりは幼少期からです。そして、さまざまな苦難を乗り越え、心の底から響き合い、結ばれた…その深い関係は余人の入る余地はありません。その強い絆は、時を経るにしたがって、霞むどころか強くなっています。
倫子は、二人の関係も知らないまま、夫としての道長を信じ、彼に入れあげ、30年間、嫡妻としてやれるだけのことをやってきました。そうやって地道に築き上げた夫婦関係をもってしても、まひろと道長の間にわずかな亀裂を入れることも叶いません。二人の心の深い結びつきにおいて、倫子の存在は障害にすらなっていません。だから、彼は相談もなく、そして触れる手を振り払い、あっさり出家したのです。
こうして倫子は、まひろの告白によって、嫡妻であることは、まひろに対して何の優位でもないことを、思い知らされます。にもかかわらず、嫡妻の寛容をもって、妾妻を提案してしまった倫子。哀れを通り越して、滑稽としか言いようがありません。倫子が、わざわざそんなことをしなくとも、二人は強く結ばれています。寧ろ、嫡妻である自分が、二人の関係の脇にある添え物に過ぎない。その添え物が、二人の関係をすくい上げるなど本末転倒です。自らの滑稽さを自覚したことで、倫子は、嫡妻という立場の持つ自負と自尊心が粉々にされてしまいます。
勿論、まひろは倫子を貶めようとはまったく思っていません。この告白も、倫子の善意に対して、真摯にならざるを得なかったまひろの覚悟です。そもそも、藤壺への出仕を決めたときから、まひろは、あくまで道長のビジネスパートナーとして抑制的に振る舞ってきました。それは、左大臣の立場を穢さず、嫡妻の倫子の気持ちを思えばこそです。仕事のなかで道長からはさまざまな温情を賜りますが、それすらも、十分過ぎるほどに報いてもらったと申し訳なく思っています(第45回)。しかし、裏を返せば、そのように耐えられるのは、道長からの自分への愛情を信じ、自身もまた道長を深く愛しているからです。ですから、こうしたまひろの慎ましやかさも、倫子から見れば、道長の心を手にしているからこその余裕の態度、嫡妻という立場を歯牙にもかけていない傲慢な態度としか映らないでしょう。
嫡妻としての自負を打ち砕かれ、その優位が揺らいでしまった倫子は、己を保ち、律することが出来なくなっていきます。ふつふつと湧いてくるのは、夫との関係に対する嫉妬だけではありません。かつて強く傷ついたにもかかわらず、土御門殿の女主人として押し隠した母としての敗北感が蘇ります。
かつて、彰子の宿下がりに際して、倫子はまひろのために藤壺と同じように局を用意しました(第36回)。そのとき、「母として私は何もしてやれなかったが…そなたが中宮さまを救ってくれた」と自嘲気味に礼を述べました。それは素直な感謝でもあったのですが、まひろに負けたという引け目もあったと思われます。土御門殿の女主人として、大過なく何事もこなし、道長の嫡妻として、すべてをつつがなく処理してきた倫子。その手腕は、政治に長けた女院、詮子すら怯ませるものでしたが、そんな挫折知らずの彼女にとって、入内した愛娘を救えなかったことは慚愧の念が深かったことでしょう。
その敗北感は、五十日の宴の一件で、道長のまひろへの愛を確信した後、増幅してしまいます。彰子が、初めて自分の意思で帝へ献上する「物語」を作ると言ったとき、自分たちが提供した紙をあっさりまひろへ下賜する彰子を見たとき、倫子の顔は寂しく、哀しく翳りました(第37回)。彰子は、もうまひろ先生に夢中なのですね。それを見た倫子は、愛する夫ばかりか、娘まで奪うのか…そう感じたのでしょうね。ただ、それはまひろに罪がなく、彼女の職務に忠実な心尽くしの結果だと信じればこそ、耐えて引き下がったのです。
しかし、道長との愛情を育みながら、彰子の取り入ったとすれば、そこには土御門殿を心理的に乗っ取る邪心があったのでは…と疑いたくなるのです。ですから、「彰子は知っているの?」と切り出します。思わぬ問いに「え?」と戸惑うまひろへ「貴方はどういう気持ちであの娘の傍にいたの?」と追及の手を強めます。あり得ないことに絶句するまひろへ、それが答えかと決めつけた倫子は「何も知らず、あの娘は貴女に心を開いていたのね。貴女は本心を隠したまま、あの娘の心に分け入り…私からあの子を奪っていったのね」と、詰ります。
倫子の指摘は、お門違いです。そもそも、倫子が入内した彰子の心を救うに至らなかったのは、あくまで倫子と彰子の問題ですし、逆にまひろが彰子の心の襞をすくい取ったのは、まひろと彰子の関係で起きたことでしかありません。実際は両者には因果関係はありません。苦労知らずの倫子は、その大らかさでほっとさせる一方で相手に合わせることを知りませんから、彰子のような恐ろしく引っ込み思案の子の気持ちに寄り添うことは難しかったでしょう。だから、彼女は彰子の好きな色が青であることも知らなかったのです。
一方、陰気でウジウジしたまひろは空気が読めず、人を怒らせることがありますが、その代わり、自分と似た気質の彰子の心とは波長が合わせられました。また「物語」書きの観察眼と繊細さが、彰子の心を見つけられた原因です。まひろと倫子は、才覚の質が違い、また我が子であろうと相性の問題はどうにもならなかっただけです。それに、彰子は大らかな母の心に安堵し、自分を理解するまひろの心に感謝するというふうに、両方に深く愛情を持っていたはずです。この点は、しょーもない夫、道長とはまったく違います。
結局、倫子は、まひろへの嫉妬が今更のように膨れ上がり、過去の記憶と思いをより捻じ曲げた挙句、嫡妻の権威を振りかざして、彼女を責め立てているだけです。彼女にわずかでも冷静さが残っていたら、彼女自身が思い出話でしたように偏継で空気の読めないことをしたコミュ障のまひろが、そんな大それた野心を持ち、謀を張り巡らせられるはずがないと気づこうというものです。「まひろさまは根がお暗い」(第38回)というききょうの言葉どおり、まひろは陰気な文学少女というのが、本質です。
にもかかわらず、「私たち、貴女の掌の上で転がされていたのかしら?」と、貴女はどこまで私たちを嘲笑っていたのかと、かつての親友へ最悪の言葉を投げつけます。因みに倫子がこうもまひろを理解できないことの一端は、嫉妬心の他に倫子が恵まれた環境にあり、想像力が働かないということも大きいでしょう。
道長への一途な想いだけで、嫡妻を務めあげる。それだけですべてが回る裕福な家庭に生まれついた倫子は、愛一筋に生きることが許されず、出仕し働かねばならない女性の心情は、それを間近で見ていても理解できないでしょう。当然、それは「物語」を書くというまひろの仕事、そして、それを成し得る心の機微に思いを馳せることはありません。こうなると、二人は決定的にすれ違うしかないでしょう。
倫子のあまりの言葉に「そのような…」と狼狽えるまひろですが、振り返った倫子の厳しい表情を見て、口を噤みます。嫉妬と怒りに囚われた今の倫子に何を言っても、ただの言い訳にしかならないと悟ったのでしょう。また、まひろのことですから、倫子を悲しませたのは、自分が長いこと隠し事をした不誠実のせいだと引け目を感じてもいるでしょう。すべては自分が招いた結果だという諦めと申し訳なさ。それも口を噤んだ理由と思われます。まひろの頭のよさが悪いほうに働く不器用さは、年齢を重ねても変わりませんね。
黙ったまひろを見下すように、倫子は「それですべて?もう隠し事はないかしら?」ときつく問い質します。気圧されたまひろは、とっさに肯定し、道長との隠し子である賢子のことを伏せます。母としての直感が、娘を守らせたというところでしょうか。最後の最後で倫子に不実を重ねますが、これは防衛本能。致し方ないでしょう。
そして、倫子は傲岸な眼差しを向けたまま「このことは死ぬまで胸にしまって生きていてください」と、嫡妻の権限で言い渡します。字面は他言無用ということですが、これは言外に今後、一切、道長への愛を口にするなと、彼女と道長の絆を否定し、まひろの道長への愛情を封じようとするニュアンスを匂わせています。倫子を呆然と見上げるまひろは「…はい…」と答える以外に許されていません。
結局、嫡妻としての立場を揺るがされた倫子は、まひろと道長の深い絆を見せつけられた結果、皮肉にもなお嫡妻という立場にしがみつくしかなく、その権威を振りかざすしかなくなってしまいました。押し隠してきた、倫子の「女」としての情念の目覚めは、最も醜い形で発露し、倫子自身を縛りつけていくようです。こうして、かつての親友は決定的に決裂します。
(3)まひろと倫子、それぞれの選択
倫子の前から下がったまひろは、呆然とした顔で力なく渡りを歩いています。虚脱したその表情には、道長との関係は勿論、これまでの出仕のすべてが、思わぬ形ですべて終わってしまったことへの心許なさが窺えます。自分のしてきたことは何だったのか、無駄なことだったのか。倫子という旧友を失い、太皇太后彰子という敬愛する主からも離れざるを得なくなった現実。しかも、「書くこと」がすべてなのに、何も書くことができない自分。喪失感が再び去来しているでしょう。ただ、すべて終わったというよりも、自らのかつての言動によって、自分が終わらせてしまったのだという自覚のがより強いかもしれません。自らが「物語」で綴ってきた無常と因果応報が、自らにこうして襲い掛かってくるとは皮肉なものです。
すると、向こうから仕事中の賢子がやってきます。まひろのただならぬ様子に「どうしたのですか?そんなに浮かない顔をなさって」と賢子は、心配します。倫子の命がなくとも、先の話は賢子に出来るものではありません。空元気の笑いを浮かべて「何でもないわ…貴方はどうなの?」と話題を逸らします。心配性の母に「太閤さまに太皇太后さまにもよくしていただいているから安心してください」と答える賢子からは、しばらく宮仕えをするなかで自信もついてきたように見えます。そう、賢子はこれからなのです。
その笑顔を見たまひろは、先ほど「もう隠し事はないかしら?」と倫子に問い詰められて、とっさに賢子のことを伏せてしまった自身の不誠実を間違っていなかったと思ったのではないでしょうか。今やまひろに残されたのは、道長との一粒種である賢子だけです。将来有望な彼女が、太皇太后のもとで己の才覚をもって自分の未来を切り開けるようでなければ、なりません。
ここで自分が身を引き、二度と道長に会わぬようであれば、何も知らない太皇太后と道長は彼女を大切にするでしょうし、嫉妬からまひろを遠ざけた倫子も娘にまでは何もしないでしょう。倫子は元来、穏やかな人ですから、自ら陥れる人ではありません。「私の母としては、なっていなかった」(第47回)と言われたまひろは、母として娘のためにきっぱり身を引くきっかけを得たのが、この渡りでの母子の会話なのでしょう。
一方、まひろを遠ざけた倫子は、これまでは時折、仄めかすに留めていた、道長を自分のものにしたいという「女」の独占欲が露わになってしまいました。今まで抑制的であっただけに、一度自覚してしまうと、まひろへの対抗意識も手伝い止められなくなっているように思われます。一人、囲碁を嗜む道長のもとへ現れます。「藤式部と…何を話しておったのだ?」という早速、聞いてくる道長に「何ということもございませんわ、とりとめもない昔話…」と笑顔で答えます。たしかにまひろならば、自分の告白を「とりとめもない昔話」と言うでしょう。しかし、倫子にとって衝撃だったものでした。それだけに「とりとめもない昔話」としておかないと、嫡妻としての自尊心が保てません。
そして、倫子は「嬉子のことですけれど…」と末娘について切り出すと「嬉子はもう裳着を終わっておりますゆえいつでも東宮さまに奉れます。頼通にお話しくださいませ」と、早々に東宮妃として入内させるよう提案します。娘との時間を大切にするでもなく、性急過ぎる話をする倫子に「どうしたのだ?様子がおかしいぞ?」とかえって道長は不審そうにします。倫子は「次の帝も我が家の孫ですけれど、その次の帝もそのまた次の帝も我が家からお出ししましょう」と事もなげに言うと、ピシリと碁石を置きます。長年のビジネスパートナーとして、我が「家」の栄華を確かにしましょうという言葉に、道長は「ふーん」と納得します。以前、倫子から、そのことについて感謝されたこと(第43回)が頭をよぎったかもしれません。
しかし、この言葉は字面どおりの意味だけではないでしょう。倫子は、まひろの告白によって、嫡妻の優位性をすっかり揺るがされてしまいました。まひろと道長の絆の深さは、そんなもので覆せはしません。しかし、皮肉にも、だからこそ彼女は嫡妻という立場に固執します。まひろを遠ざける強権的言動も、娘の入内に関する意見も、まさに嫡妻ゆえのものです。ただ、これで道長の心が手に入るわけではありません。
にもかかわらず、嬉子の入内を急ぐのは、体調思わしくない道長の余生を独占するためです。かつて、彼女は道長へ老後について「殿。子供たちのお相手を早めに決めて、そのあとは殿とゆっくり過ごしとうございます。二人っきりで」(第38回)と述べています。もう誰にも道長を渡したくない…嬉子入内を急ぐ倫子の真意はそこにあるでしょう。彼女は、道長のただ一人の女でありたいがゆえに、躊躇なく娘を政治の道具にしていきます。
このように、まひろと倫子は、その対峙後の選択によって明暗がはっきり分かれることとになります。母を恋しがる娘を置いて藤壺に出仕し、「物語」執筆に夢中になり、とことん自分のやりたい仕事のために生きたまひろが、ここに来て自分が身を引き、娘の賢子を守りました。さまざまなものが削がれていくことになった終盤、結局、残ったのは愛する人との間の愛娘だったのですね。一方、劇中でも屈指の良妻賢母として、道長を支え続けた倫子は、まひろの告白で嫡妻の立場を揺るがされ、焦燥感に駆られた結果、「女」として生きることを選び、末娘の嬉子を捨てるのです。
まひろと倫子は互いにないものを持っていて好対照でした。もっとも政治に遠かった倫子が、我が「家」の権勢のために政治的になり、政に関わりたかったまひろが、そこから離れていくことになることも皮肉でした。しかし、それ以上に自分本位だったまひろが母であることを選び、母であることに喜びを感じていた倫子が女であることを選ぶ…この価値観の反転ぶりこそが、この世の無常というものかもしれませんね。
因みに二人のこの選択は、早速、辻褄がついていきます。1025年、倫子の娘、嬉子は親仁親王を産むものも産後に肥立ちが悪く2日後に亡くなり、道長夫妻は悲嘆に暮れます。一方、賢子は、その同じ1025年、高貴な姫を差し置いて、嬉子の遺児、親仁親王の御乳母に任命され、運命が拓けることになります。この任命に、道長の意向があったのか、あるいはまひろ贔屓の彰子の意向があったのかは、わかりません。2年後、親仁親王を放り投げるようにあやす大胆な養育に、彰子が目を細めているのを見ると、彰子の意向も強くあったようにも見えます。
あまりに大胆に親仁を扱うので、道長が怪我をしないか危惧しますが、賢子は「私は御乳母を2年も務めております。お任せください」と悪びれません。わずかな出仕の間に彼女は、女房として逞しく成長したようですし、まひろよりも上手くやっているようです。彰子も、「越後弁は藤式部の娘ゆえ万事はっきりしておるのだ」と笑い、賢子の向こうにまひろも見て楽しそうにしています。まひろの選択は、賢子に上手く働いたと言えるでしょう。
因みに賢子は、恋愛においては、道長の息子、頼宗を始め、定頼とも朝任と複数の上流貴族を翻弄するなど、男を手玉に取っています…って、本作では頼宗と賢子は異母兄妹になりますが大丈夫ですかね(苦笑?何にせよ、賢子は、この後、最終的には高階成章の嫡妻に収まり、また親仁親王が後冷泉帝として践祚の際に、従三位に昇叙。80歳ほどの長命を生きます。こうして、母たちの選択は、娘たちの命運を分けていくのです。
2.文学の価値とは
賢子の将来のために身を引いたまひろが、どう過ごしていたのか。何年も経ったある日、まひろの家では見知らぬ少女が、まひろを前に第41帖「幻」を読み聞かせています。ちぐさと呼ばれるこの少女が、後に「更級日記」を書く藤原孝標の娘であることがナレーションで言及されます。「光る君へ」では、石山寺で「蜻蛉日記」の藤原道綱母、寧子とまひろが邂逅。「書くことで哀しみを癒す」という、女性の思いが伝えられたこと、寧子に伝えられたそれがまひろを通してききょうへと伝わり、皇后定子一人を癒すために「枕草子」が生まれたことに代表されるような、女性たちのつながりが、「書くこと」「読むこと」の意味へ昇華してきました。
まひろが「物語」を生む瞬間は、その集大成でした。「物語」は、彰子を名君に変え、娘賢子へも人生観として伝わりました。そして、今、まひろが見知らぬ読者にして未来の女流作家へと、女たちの思いと「書くこと」「読むこと」は伝わらんとしています。
「幻」を読み聞かせたちぐさは、「こんなところで終わってしまうなんておかしくありません?」と、光源氏の死が描かれることなく幕を引いた結末を妙ではないかと問います。彼の誕生から始まるならば、彼の死で終わるという構成としてはわかりやすいですからね。この疑問は現代的かもしれません(笑)そして、ちぐさは、目の前に座る老女が「源氏の物語」の作者だと気づいていません。
「そうかしら?」と惚けるまひろに「光る君の最後を書かなかったのは、何故だとお思いになります?」と、ちぐさはニヤニヤして問います。あー、これは痛い…オタクが語りたくて仕方がない持論を勿体ぶるという前振りじゃないですか、これ(爆笑)
「さあ?」と曖昧に笑うまひろの返事を呼び水に、ちぐさは立ち上がり、前のめりになると「この作者の狙いは男の欲望を描くことですわよ、きっと!」と言い切ります。「え?」と驚くまひろを尻目にちぐさは、部屋を歩きながら「それゆえ男たちの心も惹き付けたのです。男たちに好評でなければ、これほど世に広まりませんもの」と、自分の解釈をうっとり滔々と語ります。
オタクしぐさ全開で、見ているほうが恥ずかしくなってくるちぐさですが、作家の意図はともかく、需要論としてはなかなかに的を得ています。曲水の宴(第34回)では、俊賢が光る君に父、高明を見、斉信は自分が光る君と思い込む…そんな話をまひろは彼らから直接聞いています。そして、男たちは誰が光る君かという話題で持ちきりになりました。まひろが、ちぐさの熱い講釈に「なるほど」「へー」と感心するのは、ちぐさはそうしたことを「物語」の組み立てから読み解いているからです。
調子に乗ったちぐさは、「それと、読み手の女たちが作中の誰かに己を重ね合わせられるようさまざまな女を描き出したのでしょう」とも連ねます。たしかに…劇中では彰子が、若紫の境遇に我が身を重ね、それがやがて一条帝への求愛へとつながりましたね。
そして「そのために女たらしの君が、次から次へと女の間を渡り歩くことにしたのです」と分析…まひろを振り返ると「つまり、光る君は女を照らし出す光だったのです!」と結論づけます。これまた構造主義的な「源氏物語」の見方としては一理あります。以前も触れた気がしますが、「源氏物語」の構成は、言うなれば、「徹子の部屋」。ホストは黒柳徹子さんですが、スポットが当たるのはゲストです。この構造は初代「ウルトラマン」も同様です。
客観的に「源氏の物語」を分析してみせるちぐさの聡明さに、まひろの笑顔も弾けます。まひろは殊更、作者の意図を語ることはしません。それどころか、どう読んでもらっても構わないと言っています。
作品とは結果です。作家が意図どおり書けた面もあれば、思うように書けていないこともある。また、意図せず書いてしまった、書けてしまったことも出てきます。作品は世に発表された段階で作家の手を離れ、独立する。ちぐさのように、論理的かつ自由に読み、作者すら気づかぬ作品の魅力を語ることは、作品の世界を魅力を広げることなのですね。作品は作家のもの、作者の意図どおりに読め、という原理主義的な方も少なくありませんが、「光る君へ」においてはこうした作家第一主義については、ちょくちょく否定していますね。ちぐさの自由な解釈が、女たちの意思、「書くこと」の意味を深め、やがて「更級日記」となり、更に次の時代へとつながっていくのでしょう。
持論を熱く語り満足したちぐさと入れ替わるようにやってきたのはききょうです。当たり前のように嬉しそうに迎え入れるまひろの様子から、二人はもう随分前に交流を復活させたようです。今日の訪問も、度々遊びに来るうちの一つというところでしょう。かつての文学の同士であった二人の決裂、藤壺での清少納言の啖呵(第41回)に心を痛めた多くの視聴者にとって、ほっとするような何気なさであるのがよいですね。
ききょうとの会話で、ちぐさとは偶然の出会いで、「源氏の物語」の講釈をしによく訪れていることが説明されます。作者に向かって小娘が偉そうに講釈を垂れていると聞いたききょうは「何たることでございましょう。私こそが作者だとおっしゃらないの?」と呆れますが、まひろは「言わないほうが面白うございましょう」と茶目っ気たっぷり。実際、遠慮のない若い意見を聞くことは、まひろにとって刺激的で、自分の作品に気づきを与え、勉強になっていると思われます。まひろにとって、文学談義は心の栄養なのでしょう。まひろの答えに「相変わらずもの好きなお方」と笑うききょう。老いてなお、こうして意外性で驚かせてくれるまひろが、ききょうは好きなのですね。
とはいえ、「この頃、膝がもう…」「私も同じです」とすぐに健康の話になるのが、老人の証拠です(苦笑)それにしてもファーストサマーウイカさんの老け芝居、そのしゃがれた声といい、もっさりした話し方といい、なかなからしいですね(笑)「修子さまは?お健やかにおわしますか?」と近況を聞くまひろに「ご不自由なくお過ごしでございます。道長さまが左大臣の頃に散々酷い目にあったことを思えば、今は夢のようでございます」とカラカラ話します。やはり、毒の一つでもないとききょうではありません。その毒で元気と知るまひろは「それは何よりでございました」と笑顔で応じます。道長のことが笑い話のネタになるところに二人の雪解けを感じます。
隆家が大宰府に立つ折、ききょうは「この先は脩子内親王のご成長を楽しみに、しずかに生きて参りますので」と、しおらしく言ったものですが、その穏やかな暮らしは心休まるもののどこか物足りないものだったのではないでしょうか。機知に富むききょうにとっては、雅やかだけでなく刺激的であることも大切。挑発的な物言い、機転の利かせ方にそれは表れています。そうした自分の本分が満たされない…そう思ったとき、自分の知的好奇心を満足させてくれるのは、今も昔もまひろしかいないことに気づいたと思われます。
折しもまひろが個人的事情から出仕しなくなっていたことも結果的に良かったでしょう。もう互いに権力争いの渦中になく、そのしがらみもなくなり、気兼ねが要りません。道長をネタにするとは、そういうことです。おそらくは、ききょうのほうから「まひろさま、お久しぶり」としれっと現れ、まひろが素直に驚き、喜んだというのが二人の再会だった気がします。
小娘の相手をしていると聞いたききょうは「何だかお暇そうだけれど、もうお書きにならないの?」と何気なく聞きます。まひろは逆に「ききょうさまは?」と同好の士の意見を聞き返します。「私はもう書く気はございません。亡き皇后さまのように私の心を掻き立てる方はおられませぬし、あの頃のような熱意もありません」と、書くためのモチベーション、彼女の場合はときめきが無くなったとあっさり答えます。
未練なさげなのは、ききょうはもう書き切った満足があるからでしょう。まひろが「そうですか」と寂しく笑うのは、彼女のほうはどうしたら書く気になれるのか、諦めきれない燻りがあるからです。ききょうの言葉は慰め程度にしかならないでしょう。
「されど、思えば「枕草子」も「源氏の物語」も一条帝のお心を揺り動かし、政さえも動かしました。まひろさまも私も大したことを成したと思いません?」と、ききょうはお互いを称えましょうと言います。たとえ今は書かずとも、自分たちは出来ることを、誰よりも…そう男たち以上にやってみせたというわけです。
思えば、一条帝の御心に分け入ることは、道長、伊周を始め男性陣には誰も出来ませんでした。皇后定子を失った傷心と自らの不甲斐なさへの嘆きに寄り添えはしなかった。「枕草子」だけが定子への鎮魂を慰撫したのです。しかし、これだけでは一条帝は過去に囚われるだけです。ここにまひろの「源氏の物語」が入り込み、やがて帝は前向きになっていきます。「源氏の物語」にそれが出来たのは、一条帝が擦りきれるほど「枕草子」を読み十二分に慰められていたからです。
つまり、「枕草子」が一条帝を慰め、「源氏の物語」が一条帝の心を解き放ったことで、一条帝の御代は再び輝いたのです。単なる政治の道具ではなく、彼女たちが書物に込めた思いが、時代を、政を作ったのだと言えます。政は所詮、人間のすること。理屈や駆け引きは二の次。まず政をする人間の心身が充実していなければなりません。
だからこそ、まひろは「ええ、米や水のように書物もなくてはならぬものですわ」と笑うのです。ききょうは感嘆の表情を浮かべ「真に!」と、我が意を得たりとなります。ここで「このような自慢話…誰かに聞かれたら一大事ですわ」と述べ、私たち大人物ですからと冗談まで言うのが良いですね。その余裕ぶりに、ききょうは「まあ」と破顔します。二人の生きた時代の文学の役割を総括するやり取りは、楽しさと共にまだ続きそうです。
まひろは、道長の愛だけに生きる一生だったわけではありません。まひろの傍らにはいつも文学がありました。それを「読むこと」「書くこと」で己を癒すこともあれば、それが人の縁を生みもします。だからこそ、こうして文学談義に花を咲かせ、生きていけます。人はパンのみにて生きるに非ずとは、このことです。文学とは、ままならぬ人生を堪え忍ぶ力でもあるのですね。
3.道長入滅、そして…
(1)隆家の訪問
1027年秋、まひろは縁側で漢籍を読んでいます。彼女が読んでいるのは、玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋とその後の顛末を描いた白楽天「長恨歌」です。「源氏物語」の桐壺帝と桐壺更衣の悲恋には、この「長恨歌」が織り込まれ、教養深いところになっています。まひろが、今なお、男女の永遠の愛とそれゆえの悲劇に目を通すのは、道長のことをどこかで思うからでしょうか。
因みに「長恨歌」の先には「婦人苦」の題目が見えます。「婦人苦」も白楽天の作で、こちらは男女差別と格差を嘆き、女性の苦労を述べることで男性に反省を促すもの…男女格差と身分差に悩み続けたまひろのもう一つの側面を象徴しています。まひろは「物語」を書き終え、出仕をしなくなってもなお、自分の若い頃からの人生の命題、悩みに向き合い、自分に問いかけ続けているのでしょうね。漢籍に一枚の紅葉が落ち、まひろの憂いを彩ります。
さて、そんなまひろの元を、唐突に隆家が訪ねてきます。思わず「帥さま…」と呼んでしまうまひろ。あれから10年のときを経ても、大宰権帥としての闊達さが印象深く、またさまざまに心を砕いてくれたことへの感謝を忘れていないのでしょう。ですから、「帥さま」呼びには敬愛と親しみがあります。
「もう帥ではない」と言う隆家は、何もかもが慎ましやかなまひろ宅を見回すと「なかなかに…風情のある住まいだな」と、にっと笑います。中関白家に生まれた隆家は、当然、最高峰の貴族の生活を経験しています。一方で登華殿で見せた様子からして、見せかけだけの雅や華やかさには関心がありませんでした。また、「むくつけき」武者たちとの胸襟を開き合う付き合い方からは、隆家は貴賤で人を見ないことが窺えるでしょう。したがって、素朴なまひろの家も着飾らないまひろの人間性と見て、彼は「風情のある」と評したのでしょう。ユーモアと気遣いと本音が込められた粋な言葉に、隆家の懐の深さが感じられますね。
隆家は遠慮なく縁側に座ると「太閤さまのお加減が悪いそうだ」と、いよいよ道長が危ないと報せます。この年の11月には、道長は危篤状態、土御門殿に隣接されている法成寺内にあります。今は廃寺ですが、当時は絢爛な伽藍。京極御堂の別称が、道長を御堂と呼ぶ由縁です。さて、隆家は「そなたもお世話になったのであろう?大宰府へお前が来るゆえ面倒を見よと仰せになるのは余程のことだ」と、わざわざそれを報せに来た理由も伝えます。
隆家は、道長の命だけではなく、道長の出家を知ったときの激しい動揺も見ています(第46回)。周明でなくとも二人がただならぬ関係であることは気づいたでしょう。それゆえに現在は出仕していないまひろのもとへ報せたのです。
おそらく大宰府で酌み交わしたとき、隆家と武者との関係性に目を輝かすまひろを見て、隆家もまたまひろの人柄を気に入ったのでしょう。そして、刀伊の入寇の地獄を生き延び、それを知る数少ない都人がまひろです。同志的な心情もあって、まひろへ同情したと思われます。何にせよ、身分違いゆえに看取ることは叶わずとも、大切な人を人知れず失うことは辛かろうと察する隆家の心映えがさすがです。
それでも「娘も取り立てていただきましたので…」とまひろが取り繕うのは、倣い性と倫子から二人の関係は他言無用と言い渡されているからでしょう。しかし「…そんなに悪いのでございますか?」と乗り出してしまうのが本音です。「嬉子さまと妍子さまを立て続けになくされ、すっかり気落ちされたのであろう」と道長の心情を正確に見立てる一方で「我が子を道具のように使うた因果だ」と、ばっさり斬り捨て同情しません。因みに、道長と三条帝の駆け引きの犠牲となって出家した顕信も、この年に亡くなり、道長の悲嘆と体調を崩した原因とされます。
まひろは、隆家の容赦ない言葉に何とも言えません。隆家の言うとおり、道長は娘たちを生贄にしてきました。人を踏みにじる強引な遣り口も見てきました。またまひろ自身も彰子の指南役という形で、間接的に片棒を担いだとも言えます。返す言葉はありません。一方で優しい道長にとって、それが苦渋の選択で、彼自身を傷つけることであったことも知っています。言い訳できないにせよ、あまりと言えばあまりの運命。やはり、まひろは言葉になりません。
ただ隆家は、特別、道長を批判しているつもりはないでしょう。彼は姉定子を道具にすることで権勢を得た中関白家の末路を見てきた実感があるのです。そもそも、隆家は、外戚関係による権勢について、中関白家が絶頂期の頃から、冷ややかでした。妬みによる放火と思われる事件に「父上も姉上も兄上も、ようやく妬まれる立場になられたのですから」結構なことだとうそぶいたほどです(第16回)。こういう彼ですから、定子とその皇子を利用した権勢に固執し続け、狂い死にしていった兄の様子も居たたまれなかったでしょう。大宰府に左遷された伊周はそのとき考え方を変えていれば、隆家がそうであったように人生を謳歌したかもしれないからです。
このように身近に無惨な因果応報を見てきたからこそ、理由はどうあれ、娘を道具にした因果は等しく訪れると達観するのです。ただ、道長が卑しい野心家ではなく、国家安寧に力を尽くそうとしていたことも隆家はよくわかっているでしょう。隆家が道長に阿り、政に関わりたいと思い、忠勤にはげんだのも、道長のような公明正大な為政者であれば、実力次第で自分にもチャンスが訪れると考えたからでしょう。
そんな道長すら権勢を磐石にするには、娘たちを次々と入内させるしかなく、その因果の罠にはまらざるを得なかったという事実は感慨深く「ああいう姿を見ると、俺は偉くならなくて真に良かったと思う」としみじみ言うのです。
これに対して、まひろは「大宰府では大層なお働きでしたのに、都の者はそれを知らないのでございますね…」と、その政の才覚を惜しみます。その言葉には、今の政が、貴族社会が、政治システムが、隆家のような真っ当な才覚を活かせていない現実への憂いがあります。道長と自分たちの思いは何だったのか、そんな気持ちもうっすらよぎったかもしれません。
その憂いを含む言葉に、ふっと笑った隆家は「俺は先ごろ中納言も返上した」と、内裏が自分を捨てたのではなく、自分からくだらない内裏を捨ててやったと言います。大宰府から帰って以来、隆家は、武者の立場の改善など、さまざまな政の改革のために献策をしたのでしょう。しかし、道長のいなくなった陣定は、志もなく旧態依然だけが残っていたのでしょう。ボケ顕光は、その象徴であることは、今回の序盤でも示されていましたね。
隆家は散々な努力の末、きっぱり諦めたのでしょう。これ以上成すには、道長と同じ娘を…あるいは修子内親王を道具とする思案が必要になる。その結果は今の病んだ道長…健やかに生きるにはどうすべきかは火を見るより明らかです。「内裏の虚しい話し合いなぞに出ずによくなっただけでも…清々した(笑)」と茶目っ気たっぷりの隆家に、まひろも「隆家さまらしいお言葉ですこと」と笑います。人生の達人の姿が、そこにあるからです。大事なときに、何かを捨てられる…その決断は、道長にもまひろにもなかなか出来なかったものです。
(2)物語の力
しばらくして、泣きそうな百舌彦をとおして、道長を諦め切れない倫子から、まひろを呼び出す言伝てが届きます。7年前、暗に絶縁を言い渡されたまひろ…今さら自分を呼び出す倫子の意図を計りかね、またそれだけ切羽詰まった状況だとも察せられます。顔を見合わせた為時の後押しを受け、まひろは法成寺へ向かいます。
再び向かい合う道長の嫡妻と道長の想い人…倫子は「殿はもう祈祷は要らぬ。生きることはもうよい、と仰せなの…」と、道長が生きる意思を失っていること、それを倫子ではどうにでもできないことが伝えられます。「道長さまも生きてくださいませ」…宇治の川辺でかわされた約束…道長がそれを忘れるはずがありません。にもかかわらず、浄土を願うのは末期的です。目を見開いたまま呆然とするまひろ…娘を守る致し方ない判断とはいえ、会わなかった年月はやはり悔やまれるでしょう。
「私が殿に最期に出来ることは何かと考えていたら、貴女の顔が浮かんだのよ」と淡々と語る倫子ですが、万策尽きたとはいえ複雑な思いだったでしょう。道長を一途に慕うゆえにまひろを遠ざけ、道長の傷心を深め、結局、その女以外に道長が救われる方法がないと気づく皮肉…これもまた因果応報かもしれません。それでも、倫子は、道長を救いたい一心で、その因果を引き受けます。道長への真心だけには、嘘がつけない倫子です。こうした倫子の達観に、まひろは驚くばかりです。二度と倫子に会うことも、道長に会うこともないと思い極めていたはずですから。
そして、倫子は「殿に会ってやっておくれ。殿と貴女は長い長いご縁でしょ。頼みます」と、あくまで嫡妻としての毅然を貫きつつも、一礼し「どうか、殿の魂をつなぎ止めておくれ…」と懇願します。深い礼にあるのは、7年前に言い放った悪口雑言への詫びもあるでしょう。流石に言い過ぎであることは、今の倫子にもわかっているでしょうし、今はプライドを捨てるときだということです。倫子の様子に切羽詰まったものを感じるまひろは、道長を思い、悲痛な様子で頷きます。こうして、まひろと道長の最後の蜜月が始まります。
早速、道長が病臥にある部屋の御簾を潜ると、病み衰え、痩せこけた道長が静かに眠っています。人目で分かる変わり果てた姿に、まひろは息を飲みます。10年以上前に宇治でも病の彼を見舞い、その憔悴ぶりにまひろは涙しましたが、此度はその比ではないのです。そこには死の陰が漂っているのでしょう。倫子から聞いた話以上に事は深刻です。こちらを振り向いた道長は「誰だ?」と問います。死期の迫る道長は既に視力も失っているようです。ただ、物音や気配から倫子や百舌彦ではないことだけ察したのでしょう。
問われたまひろは「まひろにございます」と微笑します。藤式部ではなく、まひろの名で道長と言葉を交わし合うのは、いつ以来なのでしょうか…それは身分も、肩書きもなく、ただ素のまひろとして道長と向き合う瞬間。彼女自身にも込み上げる感情があったでしょう。
唐突に想い人が現れたことに唖然とする道長。この一瞬の表情…おそらく道長は一日たりともまひろを忘れず、同時に二度と会えぬものと思い極めるという二律背反を抱えて、この瞬間を焦がれる7年だったでしょう。しかし、想いと言葉は裏腹…道長は、まひろから顔を逸らすと、絞り出すように「か…帰れ…」と言ってしまいます。心身供に弱ってしまった自分を愛しい人に見せたくないというなけなしの意地、生きることを諦め「生きる」という川辺の約束を捨てようとしている後ろめたさ…そして、死からまひろを遠ざけたい気持ち…それらか、逢えた喜びとない交ぜになってしまったのでしょう。意地を張り、弱さを見せる道長もまた愛おしいまひろは、ありのままの彼を受け入れ「お方さまのお許しが出ましたゆえご安心くださいませ」と、もう何も取り繕わなくてよい、楽になってよいのだと伝えます。
まひろは「すべてお話しました。御心の大きなお方であられます」と、ありのまま気兼ねすることなく二人で過ごせることへの感謝を口にします。先にも述べたように、倫子は、道長を一途に思うがゆえに、まひろと道長の深い縁を許し、頼るより他なかったというのが実際のところでしょう。とはいえ、あくまで我を通し、道長を独占することを由とせず、不本意でもまひろに委ねたことは、懐の深さと言えるかもしれません。そして、それは嫡妻としてのプライドでもあるでしょう。
また、7年前にの問い質しの際、正直に答えた(賢子のことは伏せましたか)からこそ、倫子が許す気になったということはあるかもしれません。何にせよ、最後の最後にこういう時間を与えられた…このことだけでまひろは倫子には感謝しかないのです。発端が倫子のエゴからの発露か否かは、まひろにとっては然したる問題ではないということでしょうか。
「道長さま」と愛しい人の名前を久々に口にしたまひろは、7年分の想いを込めて「お目にかかりとうございました」と目を潤ませます。聞きたかった言葉に振り向いた道長は、夜具から我が手を放り出します。優しくまひろへ手を伸ばしたいところですが、力のない道長にはそれが精一杯の愛情表現なのでしょう。病により震えが止まらない細腕を、まひろの老いた両手が包み込むようにしっかりとつかみます。二人が手を触れ合うのは、まひろが道長の手を外して大宰府へ旅立ったあの日以来のこと…今度こそまひろからは手を離すことはありません。
道長の痩せ衰えた手には、まひろの肌の温もり、そして握ってくれる手の力に彼女の想いがじんわりと伝わるのでしょう。ずっと待っていたまひろの感触に「はぁ~」と息を漏らすと、自然と涙があふれそうになる道長。そして、見えぬ目で愛しい人を見つめ「先に…逝くぞ…」と告げます。「まひろは道長より先に死なない。道長が生き続ける限りまひろも生き続ける」…二人が宇治で結び直した川辺の誓いも、これまでだということです。その言葉は、「道長様が生きておられれば、私も生きていかれます」(第42回)と、自分と道長は一心同体だと言ってくれたまひろを置いていく詫びも込められているでしょう。自分が死ぬとしても、なおまひろには生きて欲しい…道長はわがままでもそう願っています。
道長の詫びを聞いたまひろは、一度は頷き、そして首を横に振り、嗚咽しながら「光る君が…死ぬ姿を書かなかったのは…幻がいつまでも続いてほしいと願ったゆえにございます」と告白します。まひろ自身、書きたいものを書く機会を与えてくれたことだけでも、自分の生きる意味を見出したことになり、大いなる喜びでした。しかし、自分の書く「物語」が愛しい道長の役に立つ…このことは、また別の喜びがあります。性差と身分で決して交わることのなかった自分の人生が、道長の政に関わる。己の才覚で道長と同じ志を夢見ていける…それは夢のようなことでした。
いつか、夢は叶えられてほしい…その一方で叶わないでほしいと相反することも思ったでしょう。夢の実現は、夢の終焉…道長と同じ志を見ることも、道長の役に立つこともなくなりますから。
「物語」が終わること…これも避けられないことです。世の中には、数十年経っても終わらない物語がいくつもありますが、それは時間やら作者の体調などさまざまな問題の結果で、物語そのものは、たとえ牛歩であっても着実に終焉に向かっています。しかし、まひろは終わりたくなかった。終わらせることは、道長と見る夢の終わりだから。それゆえに、光る君の死を棚上げにして、わずかにでも終わりを先送り…あるいは続きを書けるように「物語」を閉じたのだというのです。
完成、完結した今となっては、ちぐさのような見事な解釈も可能ですが、作った当初の作者の気持ちは極めて個人的な感情とプライベートを優先した結果だったのですね。
思えば、完成してのち「雲隠」と書いて遁走したのも、「望月の歌」を道長が詠み、二人の約束が叶えられたことに嬉しくも哀しい涙を称えたのも、「宇治十帖」を書き上げ自分のなかに何もなくなってしまったことも、周明に向かって「これ以上、あの人の役に立つことは何もないし、都には私の居場所もないの。今は…何かを書く気力も湧かない。私はもう終わってしまったの」と叫んだことも…すべては道長と夢を見続けたかったから。つながっていたということですね。
いつまでも夢を見続けたいまひろにとって、道長の死は完全にその夢が終わることです。まひろの言葉に呆気に取られている道長へ「私が知らないところで道長さまがお亡くなりになってしまったら、私は幻を追い続けて…」と、ここで言葉を詰まらせた後、「狂っていたやも知れませぬ」と、もっともっと道長に生きていて欲しいというわがままを遂に吐き出します。
想い人がずっとずっと秘めてきた本音を今更知った道長は、「晴明に寿命を10年やった…やらねば良かったぁ…」と、俺もお前と共にいたかったと万感を吐き出します。二人の愛情の告白に、雨乞いの儀式の一件のやり取りを持ち出すとは…清明、あの世で「今更それ言う?」と苦笑いしているかもしれませんね(笑)
「幾度も悔やんだ…」とまで漏らした道長の気持ちは本音ですが、やがて…「いや、そうではない…俺の寿命はここまでなのだ」ときっぱりと言います。万策尽きて、清明に雨乞いを依頼したとき、この国のため自分の寿命などどうでもよい…そう思ったのは確かです。まひろとの約束、民のための政のため、すべてを捧げる。その選択が、今の自分です。だとすれば、これが「俺の寿命」であり、後悔すべきではないと思い至ったのでしょう。
隆家が、「我が子を道具のように使うた因果だ」と、道長について述べましたが、道長自身はそれ以上に自分のしてきたことには自覚的でその因果をよく理解していると思われます。道長が凡百の政治屋ではなかった証と言えましょう。こうなっては、まひろもこれ以上のワガママは口にできません。道長にそういう道を選ばせた一端は、自分にあるのですから。
自力では何も出来なくなっている道長を甲斐甲斐しく介護しているうちに夜も更けてきました。まひろに抱き抱えられ、なすがままの道長は気持ちが緩んだのでしょう。「この世は何も変わっていない…俺は一体、何をやってきたのであろうか」と弱音を吐き、自分の人生は無意味だったと嘆きます。こんなことは、倫子にも、頼通にも、公任ら友人にも言えません。彼らにとっては、道長はどこまでも彼らの理想だからです。人に弱味を見せるわけにいかなかったからこそ、道長は疲れ果てたのでしょう。
自分の弱さを見せてきたまひろにだけに本音を漏らせたのは救いでしょう。これに対して、まひろは「戦のない太平の世を守られました。見事なご治世でありました」と応じ、誰にでも出来たことではないことを志を貫いてやり遂げたと労います。強引な遣り口、娘を犠牲にしたこと、それに苦しんだことも含めての言葉でしょう。因みに二人の約束は一代で叶うものではなかったことは、既に話しています(第44回)から、問題ではありません。
「それに「源氏の物語」は、貴方さま無しでは生まれませんでした」と付け加え、道長は納得した顔になります。寧ろ、道長はこのことのが嬉しかったでしょう。
思い返されるのは、まひろの「物語」が帝に届かないかもと道長がまひろに告げたときです(第32回)。そのとき、彼女は「帝にお読みいただくために書き始めたものにございますが、最早、それはどうでもよくなりました(中略)今は書きたいものを書こうと思っております。その心を掻き立ててくださった道長様に心から深く感謝いたしております」と、答えています。道長の目的からすれば、これでは不味いはずでしたが、道長は「それが、お前がお前であるがための道か」と問います。まひろの「さようでございます」という晴れやかな顔を見た瞬間、道長は破顔します。道長は、この瞬間、政を忘れ、「惚れた女」のことだけで胸を熱くしました。まひろの役に立てたのなら、道長の人生の意味はあるのです。
その嬉しさもあってか、道長は「あ…もう物語は書かんのか?」と問います。「書いておりません」と言う彼女に、珍しく道長から「はぁ…新しい物語があればそれを楽しみに生きられるやも知れんな」とせがみます。少し生きる力が湧いてきたように見え、まひろは愛する男のおねだりに「ふ…では今日から考えますゆえ」と応じながら「道長さまは生きて、私の物語を世に広めてくださいませ」と、自分のほうがより難しいおねだりを道長にします。
恋人らしい会話ですが、相変わらず上手をいくまひろに「お前は…いつも俺に厳しいな…」と息も絶え絶えになりながら笑い、幸せな顔をします。「お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる」(第42回)と言うように、道長はまひろとの約束に命をかけ、それが生きる糧であり、希望でした。だから嬉しげなのです。
かなり夜も更けていたのでしょう。御簾の外から、「そろそろ…」との倫子の声がかかります。倫子に聞こえぬよう「明日また参ります」と道長に囁くと、その場を後にします。倫子は、二人を邪魔せぬよう遠くにいたはずですが、内心はジリジリと焦燥感を募らせていたのでしょう。「ご苦労様」と一礼するのは、嫡妻としてのプライドと鋼の自制心と察せられます。
翌日、かつて道長より下賜された扇を広げます。二人だけの思い出の日…それを材にして、まひろは静かに「昔、あるところに三郎という男子がおりました」と、道長のためだけの物語を語り始めます。自分のことかと目を丸くする道長ですが、「兄が二人おりましたが、貧しい暮らしに耐えられず、家を飛び出してしまいました」と、この三郎は道長とは少し違います。あの日、道長は貴族の身分を伏せ、下々の民の子として、まひろと出会いました。どうやららまひろの語る「三郎の物語」は、本当に三郎が庶民の子であったなら…という話のようです。主人公は、道長(三郎)がなりたくてもなれなかったもう一人の三郎。
まひろは、彼の家庭環境について更に「父は既に死んでおり、母一人、子一人で暮らしておりました」とも付け加えます。実際の道長の家庭は、この真逆で実母、時姫だけが早くに亡くなっています(劇中でも第1回に登場したのみ)。この貧しい家庭環境という現実からの改変は、道長にとって不幸ではありません。幼少期に彼を苛めた次兄、年が離れていて縁薄い長兄がいないのは気楽です。また、父が既にないことは、この三郎は「家」のしきたりや野心とは無縁ということです。
もう一人の自分は、貧しいけれど、母の愛を受け自由なのです。あったかもしれないもう一人の自分の人生…道長の心に先を知りたいというささやかな気持ちが湧いたでしょうか…まひろはここで「続きはまた明日」と話を切り上げます。
また、ある日は、直秀らしき散楽の人々との出会いの話でした。まひろは、彼らのためにシナリオを書き、それが皆を楽しませるのを見て嬉しくなったもの。物語を書く作家としての自分の原体験を、三郎に加えてやり「三郎はこれまでに味わったことのない喜びを感じていました。散楽の者たちは都を出ることに決めました」と語ります。この話では直秀たちは盗賊ではないようです。三郎と意気投合し、その後、前向きに都を去るのではないでしょうか。もう一人の三郎は、泣きながら散楽の者たちを埋葬しなくてもよいかもしれない…救われた気持ちになれたのではなれそうです。そして、気になるところで、まひろは「続きはまた明日」と囁きます。
まひろが物語を書けば、それを楽しみに生きられるかもしれない…道長のその言葉に、まひろは少しずつ物語を紡ぐことで…まさに物語の力で道長の生きる意思を命をいくばくかつなごうとしています。「続きはまた明日」とは、そのためのマジックワードです。この様子に「千夜一夜物語」(アラビアンナイト)を重ねた視聴者もいたでしょう。女性不信から一夜を過ごした女性の首をはねる悪習を持つ暴虐の王のもとに行くことになったシェヘラザード。彼女は妹と共に毎夜、興味深い話をすることで自分の命をつないでいく…それが「千夜一夜物語」の枠です。話が佳境になったところで「続きは、また明日」「明日はもっと面白い」と引き、続きを知りたい王はシェヘラザードを生かし、やがて改心していきます(王の改心は原典にはないそうですが)。
まひろの「三郎の物語」も、同じ方法です。ただ違うのは、シェヘラザードが物語を紡ぐのは、自分の命をつなぐためですが、まひろは王(=道長)の命をつなぐためのものということ。つまり、姫から王への愛を囁くのが「三郎の物語」なのですね。その愛が、道長の命をささやかにつなぐ…物語の力とは愛の力かもしれません。「枕草子」が、清少納言の愛で皇后定子の命をつないだことを見ても、「物語=愛」は、「光る君へ」のテーマだったように思われます。
しかし、臨終間近の道長の肉体は、まひろの思いすら受け付けなくなっていくようです。ある寒い日、道長は遂に「生きることは…もうよい…」と呟きます。死病が蝕む身体の苦しさ、辛さは耐え難く、道長の心も削がれていきます。人間は死にだけは抗えません。どうにもできないのです。
ただ、倫子にも言ったらしい「生きることはもうよい」とは少しニュアンスが違うかもしれません。「三郎の物語」にわずかに心を救われたから、もう大丈夫だという意味。また、早くまひろをこの荷から解放してやりたいという情。道長の混濁した意識では、さまざまな思いがない交ぜになっているように思われます。
もっとも、まひろは自分の無力に涙を溜め、憔悴しきった道長にどうしてよいかわからず…それでも「川のほとりで出会った娘は名を名乗らずに去っていきました」ととっておきのネタ、「三郎の物語」にまひろを登場させ、続きのために名前を伏せます。三郎が庶民になったように、この娘はあのときの嘘どおり、高貴な家の御落胤、まひろ姫かもしれません。この話に、道長は生きる意思が宿ったか目を開きます。
話はその後も「三郎がそっと手を差し出すと、なんとその鳥が掌に乗ってきたのです」と続きます。現実の道長は、四半世紀後、扇のなかの小鳥の絵として、鳥籠から逃げた小鳥を返してくれました(第33回)が、三郎はその心根だけで小鳥を取り戻したようです。しかし、道長は死んでいるかのように眠っています。不安にかられたまひろは、いつものマジックワード「続きはまた明日…」を囁くと、道長はまた目を開き、まひろは安堵します。しかし、まひろの物語の力も道長の意思もここまででした。物語が紡ぐまひろと道長の短く濃密な日々にかけられた魔法も時間切れとなりました。
(3)倫子の情念の行方
翌朝、倫子が道長の部屋を訪れると、道長は布団から手を伸ばしたまま、絶命していました。政の頂点に君臨すること四半世紀以上、後に御堂流と呼ばれる一門の権勢を磐石とした絶対権力者、藤原道長は、最後は独りでこと切れました。
為政者の孤独を体現する道長の死に様を見て思い出されるのは、父兼家の最期です。我が「家」の繁栄を第一に、徹底して権力の頂を目指した兼家は、息子や娘を含め多くの人の恨みを買いながら、目的を果たしました。そんな兼家の晩年は、痴呆に罹り、愛する妾妻に看取られ平穏に閉じられるのかと思われました。ところが、その業深さは、兼家を正気に引き戻し、見上げた月が血に染まるのを見せます。彼は、己の罪と報いを引き受け、翌朝、庭で一人、果てます(第14回)。裏では明子が凄まじい呪詛を行っており、兼家が多くの者の恨みを買っていたことが象徴的に描かれています。人々に憎まれ逝ったかのようにすら見えます。
因みに第一発見者は、皮肉にも、父の生き方に一定の敬意を示しながら、最も反発していた道長でした。道長は穢れも恐れず、兼家を抱き抱え嗚咽を漏らしたものです。第14回noteその1でも触れましたが、極楽往生を遂げられなかったことが仄めかされたその死を見た道長は、権力者の死がいかなるものかを目の当たりにしたはずです。あれから30年以上が経ち、道長は己がいかなる形にせよ、兼家と同じく孤独な死を迎えることを覚悟していたのではないでしょうか。それでも倫子の計らいで、まひろとのささやかな幸せを得た道長は、今際の際にまひろを求めて、手を伸ばし、見えぬ眼にまひろを見て逝ったのでしょう…
権力者の孤独を描いたような道長の最期ですが、「光る君へ」で道長の死をこのように描いた焦点は道長にはないようです。道長の死を前に、倫子はその伸ばされた手を愛おしげに手に取ると、そっと布団のなかへと仕舞います。道長への愛情に満ちた自然な行為は、死の乱れを整えてやったようにすら見えるでしょう。
しかし、よく考えてみましょう。倫子は、道長のその手がまひろを求めていたことを理解していたはずです。にもかかわらず、自分がその手を取ります。道長のためと生前、堪えてまひろに死に水を取らせましたが、意思のない死人となれば、夫は己のもの。わざわざまひろを呼んで、その手を取らせることはしませんし、彼女へ最期までまひろを求めていたと伝えることはしないでしょう。そこまでしては、嫡妻としても、道長を慕う己の心情としても、居たたまれないものがあるからです。夫の死でようやく得られた平穏…それは倫子が真に夫を自分のものにした瞬間でもあるのですね。
加えて、道長が最期まで想い人を求めるほど、一途に恋心に突っ走ったロマンチストであったことを知る者は倫子だけです。ですから、その伸ばされた手を布団に仕舞うことは、道長のロマンチストの痕跡を消すことを意味しています。倫子は、道長を恋に生きた男ではなく、政の頂点に立ち、世を導いてきた立派な太閤としての死を与えたのですね。倫子と共に手を携え、御堂流の権勢を磐石にした輝ける為政者として。倫子の嫡妻としての自尊心も再び担保されるでしょう。
無論、道長の手を取り仕舞う一連の動作は無意識のものでしょう。しかし、無意識でそこまでやれてしまうところに、打毬のときに見初め、一途に道長を想って、想って、想い続けたのに、見向きもされず報われなかった倫子の積もりに積もった「女」の情念の凄絶さが窺えるのではないでしょうか。
少なくとも、倫子の行為によって、道長と紫式部が恋人だったなどという話は、歴史から抹消され、今に残りません。メタ的に言えば、「光る君へ」のようなフィクションの語る戯言となりました。さらに倫子の発案で始まった道長の輝しき一生を語る「栄花物語」で、赤染衛門はさぞ道長の死を一代の英傑の死として飾り立てくれるはずです。「果たして私が書いたものは「枕草子」や「源氏の物語」のように広く世に受け入れられましょうか」と我が身の才を疑う衛門に「自信を持ちなさい。見事にやってくれています」「貴女は私の誇りだわ」と、誉めそやす裏には、まひろへの対抗意識もあると思われます。ここまで言えば、衛門は必ずや応えるとの確信があるでしょう。
紫式部の才覚に対する赤染衛門の敬意は深く、「栄花物語」は「源氏物語」の影響は強く、また彰子の出産は「紫式部日記」が引用されてもいます。同じ文学に生きる者として正しくリスペクトしているでしょう。ただ、その一方で、本作の衛門は、道長とまひろの関係に気づいている一人であり、そのことで倫子が傷つくことを恐れていた人でもあります(倫子は知りませんが)。したがって、彼女は敬愛する倫子のためにも、かなで書かれた史書である本書に二人の恋愛にあたるものは極力排除するでしょう。歴史を編むとは、都合の悪いことは削るということでもあるからです。
こうして「栄花物語」では、最終巻を丸々使って、道長の死について詳細に綴っています。その死を釈迦入滅に匹敵するとまで語り、道長という為政者が世をあまねく照らす光であったかのように描いています。衛門はパトロンである倫子のためだけに、その意向に沿って、道長を称賛します。それは結果的に、公的な道長からまひろの愛情の痕跡を消したいという倫子の気持ちも叶えるのですね。
ただ、まひろは倫子がこうした意向であったとしても異論はなかったでしょう。第48回終盤、まひろは、後に「紫式部集」と呼ばれる自選和歌集を賢子に託しますが、そこには道長との関係を匂わせるものはありません。それは、道長と最後の一時を用意してくれた倫子への義理立てだったのかもしれません。
それにしても、道長を巡るまひろと倫子の顛末は興味深いですね。嫡妻倫子から夫の心を奪い続けたまひろが略奪者なのか、それとも魂の伴侶である二人を引き剥がし、割って入ってまひろの存在を消した倫子が略奪者なのか…その答えは永遠にわからないのではないでしょうか。
ただ一つ、道長、お前が全面的に悪い…とは言えるとは思います。まひろと倫子の対峙で蚊帳の外に置かれている明子のことも含めて(苦笑)
(4)道長の死の先へ~それぞれの選択~
道長が亡くなった朝は折から寒さで雪が降りしきっていました。厠から帰るなか行成は、渡りでその雪を眺めます。前年、道長と四納言らとの気の置けない宴で「近頃はめっきり酒に弱くなりました…」と衰えに苦笑いしていた行成は、既に体調は芳しくなく、彼も既に病に臥せっていたのです。それでも行成が雪の寒さを通して思うのは、会うことも叶わぬ道長のことだったのではないでしょうか。既に死の報せがあり感慨にあるのか、未だ知らず、ただ道長を思ったのか、遠い目をした後、病を押してゆっくりと渡りを歩き出す行成。しかし、すぐに柱に寄りかかると、崩折れます…そして、そのまま行成は道長を追うように帰らぬ人となります。
二人の死は、実資の日記「小右記」に記されています。道長の死を筆に執った実資は、長らく政を導いてきた巨星の死に人知れず涙します。気高く、公明正大な道長のような政治家は、すっかり代替わりし頼通らの時代になった今の公卿らにはいません。ぽっかりと空いた胸中に寂寥の風が吹いたのかもしれませんね。彼を追うように逝った側近行成の死には何を思ったでしょうか…いずれにせよ、道長の死に、実資は不甲斐ない内裏を支えるため老骨に鞭打つ決意をしたのでしょう。彼は90歳まで朝廷に尽力します。
後日、いきなり幼馴染みを二人も失った公任と斉信は、道長と行成を偲び、酒を酌み交わします。公任は「道長と同じ日に逝くなんて、行成は心底、道長に惚れていたんだなぁ…」としみじみと行成の想いを思い遣ります。前回の道長とのやり取りから見るに公任も道長には憧憬を抱いていたと思われますが、公任のそれがvery likeとするなら、行成のそれはやはりloveとしか言えないでしょう。遠く及ばぬ行成の気持ちの強さに感じ入ります。斉信は「あいつは真に道長によく尽くしたよ」と、報われぬ恋に生きた旧友を、これまた心から労います。
既に出家し風雅に生きる公任は、「見し人の亡くなりゆくを聞くままにいとど深山ぞさびしかりける(意訳:親しかった人が亡くなってくのを聞くたびに、深い山にいるように寂しさを感じる)」と、旧友を偲ぶ思いが自然とついて出ます。これには斉信も「消え残る頭の雪を払ひつつさびしき山を思いやるかな(意訳:残った雪のような白髪を払いながら、寂しい山の景色に思いを馳せる」と応じ、先に逝った旧友らに献盃します。
公任と斉信の和歌は共に旧友らの死を偲ぶものですが、微妙に二人の立ち位置の差が窺えるのが興味深いですね。公任がしみじみと友を失った悲しみと侘しさを詠んだのに対して、斉信は目の前の公任も詠んでいます。白髪が残る自分に対して、出家した公任には髪がない…「さびしき山」とは友たちが逝き、知る人も少なくなった内裏と公任の禿頭の二つを指しています。
件の宴では、歳を取り、陣定の最中に厠に立つのが体裁が悪いと零した斉信は、公任と道長から出家を勧められますが、「俺、坊主似合うかな?」と笑いを取り、お茶を濁しました。出世のために手段を選ばなかった斉信の権勢欲はまだ旺盛…友のいない陣定がいかに侘しくとも、更なる出世のため現役にしがみつく意思があるのですね。道長の死を偲ぶ二人…公任は風雅に生きるなかで旧友の菩提を弔い、斉信は大臣を窺い、公卿を続けます。実資が長生きし過ぎて、大臣になれぬまま力尽きるのは、また別のお話…
ところで、直接には道長と行成を偲んだ二人の和歌ですが、そこにはもう一人の納言、源俊賢のこともささやかに偲ぶ気持ちが含まれていたでしょう。件の宴で爺むさいことを言う道長ら4人に対して「皆さま、私よりお若いのに情けないことですなぁ…私はまだまだやりますぞ!」と元気一杯に振る舞っていま俊賢は、道長より半年ほど前にあっさり逝きます。彼は、既に公卿を退く一方で、出家した道長の秘書的な役割をしていました。老いてなお健在をアピールし、「頼もしいことだ!」と道長の喝采を浴びるのもさもありなんだったのですが。
父高明の無実の罪の失脚によって若き日は苦しい日々を送った俊賢ですが、妹明子が道長の妾になったことを機に、道長の懐刀として邁進。公卿として時代の一翼を担うに至りました。高松殿で明子の息子たちが、それぞれに出世したことに感じ入る俊賢は、自分がやるべきことを成した満足はあったでしょう。気性の激しい明子が、兄への辛辣さは変わらぬものの、やや穏やかになったことにも安堵したと思われます。あっさり逝ったものの、それなりに満足のいく人生と言えそうです。彼のことですから、道長や行成のためにあの世で露払いをしていそうです。
こうして、一条帝の御代から政を牽引してきた道長と四納言は、その数を半数以上減らし、残った公任と斉信が時代の終焉に立ち合い、先に逝った者たちを悼みます。その一方で公任は風雅に、斉信は出世に、とそれぞれの道を新たに選び、残りの人生を有意義に進んでいくのです。
さて、道長の死は、当然、子どもたちにも強い印象を残します。彰子のもとに集う頼通ら弟たちは、それぞれにその死を悼みますが、長子たる彰子が目に涙を溜めながらも決意を新たにしているかのようであることが印象的です。これからは、自分が我が「家」を支えねばならぬ。そういうことでしょう。
明けて1028年。前年に詮子に続く女院宣下を受けた彰子は、まだ頼りない息子、後一条帝を強力にサポートして行きます。目下の問題は、後一条帝に皇子がおらぬこと。頼通は、新たに女房を迎えるよう進言しますが、彰子は「ならぬ」と速攻で却下します。
「他家を外戚としてはならぬ」と宣う彰子の物言いには、入内した頃の儚さは微塵もありません。「入内出来る姫となれば、高貴な家の出である。もしその姫が皇子を産めばどうなる?我が家を凌ぐ家が出てくるやも知れん」と力強く、我が「家」の繁栄が磐石であってこそ、よき政が出来ると説きます。その理屈は、まさに生前の道長そのもの。頼通は、己の浅慮に恐縮するしかありません。
彰子は更に「お上の后も我らが妹、東宮の亡き后も我が妹、東宮には皇子がおられる。それで十分なはず」と付け加えます。この言葉からは、彼女が権勢欲で他家の女房を拒否したのではないことを窺わせます。一つは、頼通や倫子の意向で意に染まない後一条帝への入内をさせられた威子への配慮です。後から来た者に皇子を先に生まれては立つ瀬がありません。既に妍子、嬉子と妹たちが相次いで、政の犠牲の果てに早死にしています。せめて、威子だけは守ってやりたいというのは、姉としての情でしょう。
また彰子は、皇位を巡って、道長と政敵がやり合う様を散々見てきました。愛する一条帝が失意のうちに薨去したこと、大切に慈しみ育てた敦康親王を守れなかったことが、彰子にとっての政の原体験です。醜い皇統の争いなど、傷つく者と悲劇を増やすだけです。それは、政を単なる権利争いのみにしてしまうことでもあります。
更に言えば、この問題は、常に入内した女たちの犠牲の上にあります。何故、政に関わられぬ女たちが、これほど犠牲を強いられるのか…かつて彰子は「おなごの心をお考えになったことはあるか」(第44回)と強く道長へ詰問したものです。ですから、政の犠牲になる女たちは自分たちだけでよい…その思いが「それで十分なはず」との言葉には滲むのでしょう。
彰子が「お上、今まで二つであった皇統が、今は一条帝の皇統のみとなっております。それを守り抜くことが、お上の御ためであり、頼通のためでもございます」と後一条帝を諭すのも、無意味で悲劇を生む争いと犠牲になる女性を増やしたくないからではないでしょうか。こうして道長の優しさと政治を引き継ぎ、まひろの指南を受けた彰子は、女院として政に関わり、一族を帝をリードしていく決意をしたと思われます。彼女もまた道長とまひろの志の子なのですね。
(5)まひろの新たなる旅立ち
道長の死を前に時代の終焉を見た人々は、新たな時代に生きる選択をそれぞれにしています。それはまひろもまた同じです。道長が亡くなり、しばらく経ったある日、まひろは自宅に40年以上、吊るしたままの空の鳥籠を思いきって外そうと試みます。以前のnoteでも触れましたが、母ちやはの「一度飼われた鳥は外では生きられない」という言葉と共にあったこの鳥籠は、まひろを縛る男性優位な社会のしきたり、常識、身分制度などを象徴しています。道長との身分違いの恋、どんなに学問を修めようと意味をなさない女性の立場…まひろの夢が挫かれ、願いが弾かれ、悩み、葛藤するとき…まひろの現在地を思い知らせるように鳥籠は画面に挿入されました。
あの日、籠から逃げた小鳥はどうなったか、籠に囲われた鳥は幸せなのか。その命題がまひろのなかで問われ続けたであろうことは、「源氏の物語」や「宇治十帖」に描かれた数多くの女性たちの懊悩と決して幸福とは言えない顛末からも察せられるでしょう。鳥籠は、まひろの人生を阻むものであり、それだけに「物語」など人生の材にもなってきました。散々、思案し続けたからこそ、そして残りの余生を思うゆえに、自分を陰日向に縛ってきた鳥籠を破棄し、自由になろうと決意したと思われます。
ところが、まひろが鳥籠を外そうとしたそのとき…鳥籠は自壊して足下へ落ちてしまいました。鳥籠は長い年月の間に既に朽ち果てていたのです。それは、つまり、まひろが自分を縛っていると思っていたさまざまなもの(社会常識、しきたり、法、人の縁)は当に壊れ、彼女を既に縛ってはいなかったということを意味すると思われます。
思えば、まひろは挫折したばかりではありません。多くの女性たちとの縁のなかで「物語」を生み、人の心を動かし、ときに関われるはずのない政にも影響を与えました。為時が、まひろの出仕に際して「おなごで良かった」と評しましたが、まひろは女性だからこそ、多くの縁のもと、彼女を縛るさまざまな軛(くびき)を壊し、越えることもあった…彼女の人生とはそういうものだったのでしょう。
では、何がこれまで彼女を縛っていたのか…鳥籠のもう一つの意味がクローズアップされてきます。第48回冒頭でまひろ自身が倫子に語ったように、この鳥籠から小鳥が逃げたからまひろは道長と出会いました。つまり、鳥籠とは、道長とまひろを結ぶ縁、約束、響き合う心、そして、まひろの道長への深まり続けた愛情そのものでもあったのです。どこへ行こうと結局は都へ帰って来たのは何故か、何故、まひろはここに居続けたのか…それは、ここに道長がいたから。言い換えるならば、まひろを縛っていた鳥籠とは、彼女自身の心の有り様だったのでしょう。
その道長ももういません。道長に物語を語り、わずかばかりに生き長らえさせ、甲斐甲斐しく世話をしたささやかな数日…倫子が提供してくれたこの時間の満ち足りた気持ちが、道長への愛情にケリをつけ、卒業させたと思われます。だから、鳥籠が朽ち果てたことに未練はなく、「どうなさったのでございますか?!」と慌てる乙丸へ「私が鳥になって、見知らぬところへ羽ばたいて行こうかと思って」と屈託なく笑うのです。
すると、乙丸は「姫さま!私を置いていかないでくださいませ!」と申し出ます。このしばらく前のシーン、ちぐさがまひろの元を訪れた場面で、乙丸はちやはの仏像をお手本に木の仏を一心に彫っていました。既に愛妻きぬの姿はありません。彼女は若くして世を去ったのです。だから、彼は彼女を弔う木仏…いや、きぬを彫り出していたのでしょう。
こうなると、乙丸がこの世に生きる理由は、大切な姫さまの世話をすることだけです。しかし、幼き日より彼女を支えてくれた乙丸もすっかり老いました。同じく老いが進む乳母のいとは痴呆が始まっています。ですから、「乙丸に遠出は無理よ。ここにいなさい」と気遣うのですが、乙丸は「私を私を置いていかないでください!どこまでも…どこまでもお供しとうございます。どこまでも…」と追いすがります。頑固なまひろの従者だけあって、乙丸もこうなるとテコでも動くものではありません。それにまひろの生き方はまひろが決めるように、乙丸の生きる道は乙丸が決めるのが筋。まひろは、己の当てのない旅に乙丸を伴うことにします。
痴呆の始まったいとは気がかりですが、出家してなお壮健で今も学問に勤しむ為時に任せておけそうです。賢子は、親仁親王の御乳母として重鎮となり、光る女君として恋愛も強かに逞しく生きています。最早、引退したまひろの手助けも心配も不要です。まとめておいた自選和歌集を賢子に託すことで、過去のプライベートへの思いにも一区切り…
今度こそまひろは、すべての縁を断ち切り、新しい世界へ晴れやかに旅立つ選択をしたのです。おそらく、まひろに生きてほしい道長も許してくれるでしょう。
おわりに
乙丸と旅立ったまひろの旅路は、バックに流れる曲調と相まって穏やかで軽やかなものです。途中、筆を執るまひろが何を書いているかはわかりませんが、何も書けなくなっていた時期を思えば、彼女が自分を縛るものから解放されていることが窺えます。思うまま、思いついたことを書き付けているのでしょう。
しかし、その穏やかな旅は、後ろから馬蹄を轟かせる武者の一団によって打ち破られます。彼らに通を譲り、一礼したまひろの元を一騎の武者が駆け戻って来ます。それは雄々しい一角の武者へ成長した双寿丸でした。肥前に行き、宣言どおり手柄を立て、頭角を表したのでしょう。都にほど近いところにいるということは、更なる出世を目指して為賢の元を離れ、独立したのかもしれません。
しばらくぶりの奇遇に驚く双方、互いにこんなところで何を?といった体になります。まひろの答えは「何も縛られずに行きたいと」。大宰府までのこのこやって来るまひろですから、双寿丸は相変わらずだと思ったかもしれません。最後に会ったときは、周明の死から立ち直れない頃でしたから、元気そうで安堵したかもしれません。
対する、双寿丸の返答は「東国で戦がはじまった。これからおれたちは朝廷の討伐軍に加わるんだ」とのこと。この東国の戦とは、平忠常の乱です。安房の国守殺害などから始まる平将門以来の東国最大の騒乱は、この後、3年続きます。地方の武者たちが確実に力をつけていることを象徴する出来事ですが、朝廷の追討の命で乱を納めるのもまた武者たち。この戦で名を上げる源頼信、その末裔たちが鎌倉幕府を築くことになります。まひろは、言わば時代の結節点を見ているのです。
互いの無事を祈り、別れた二人。まひろは去っていく双寿丸を見つめながら、ふと風が強くなったことに気づきます。そして、「道長さま…嵐が来るわ…」と、道長が辛うじて守りきった泰平が去り、長い戦乱の世の幕か上がったことをまひろは予感し、今は心のなかに生きるばかりの愛しき同士に声をかけます。まひろは、道長と同じ志を夢見、よりよき政を「物語」を通して思い描いてきました。そして奇しくも、「刀伊の入寇」に巻き込まれたことで戦の現実と武者の時代を垣間見ています。こういう体験をしてきたまひろだからこそ、時代をよく観察し、その変化に鋭敏なのでしょう。
ところで、まひろの「嵐が来るわ…」を聞き、第1回の冒頭の安倍晴明を思い出した方もいたのではないでしょうか。思えば、「光る君へ」は初回から不穏でした。「紫微垣の天蓬の星がいつになく強い光を放っている!」と晴明が、天文の変異に警句を発する晴明の言葉から物語は幕を開けます。都の凶事の予兆かという問いに晴明は「今宵がその始まりだ。雨が降るな。雨だ。大雨だ」と、言い放ったものです。おそらくは短期的な凶事の話ですが、作品の冒頭に置かれることで「凶事」は作品全体を支配するかのように機能する。この点が構成として秀逸です。陰陽師安倍晴明の名は、そこに説得力を持たせます。
本作の晴明は、この国の未来を憂い、国家安寧に力を尽くすことを陰陽師の使命と全うする人物でした。彼は、そのために見込みのある若者、道長を見初め、導き、未来を託しました。道長は、見事、その期待に答え、まひろが言ったように「戦のない太平の世を守」ったのです。言わば、道長という強い光をもって、晴明が感じた「凶事」から世を守るというのが、「光る君へ」という作品の一側面だったと言えるでしょう。
しかし、その道長は、もういません。「武力による力争いを許しては…瞬く間に戦乱の世となってしまう」(第33回)と乱世を危惧し、それを避けようとした為政者道長は逝きました。同じ危機意識から、道長とは違い朝廷も武力を持つべきと唱えた隆家は内裏を去りました。二人の思いを薄く理解出来ている実資は、なにかを成すには老いすぎました。この国の将来に対するビジョンを持たない頼通らの考えが大勢を占めていくなかで、平忠常の乱は起こるのです。
「嵐が来る」というまひろの言葉は、貴族の世は終焉やむ無く、武者の時代の到来を示唆しています。晴明の「大雨だ」という始まりと、まひろの「嵐がくる」という終わりが、響き合うとき、「光る君へ」が、歴史の大きな動きを描く大河ドラマであることが思い起こされる…そういう作りになっているのが巧いですね。
このように血で血を洗う戦乱…不穏をまとう歴史のうねりのなか、大河ドラマ「光る君へ」は幕を閉じます。しかし、嵐の来るその世界へ進み出すまひろの顔に悲壮感はなく、微笑んですらいます。そこに未来へ踏み出すまひろの強い意思が感じられるのではないでしょうか。おそらくまひろは、命尽きるその日まで自らの好奇心の赴くまま、何にも縛られず、時代を、人を見聞きし、書き留めていくのでしょう。戦乱の東国も行くかもしれません。女性は強いのです。まひろは、作り手や視聴者の手を離れ、あらゆる軛から解かれて、今、「光る君へ」という物語の先へと歩み出したのです。