見出し画像

日本神話は記紀だけじゃない。風土記に残る神話世界【書籍レビュー】

日本神話を深く知るのは難しい。

日本神話=記紀……で済めば簡単だったんですけど、現実ははるかに複雑です。
例えば、最寄りの神社の祭神を確認してみてください。記紀に一言言及されていれば良い方で、掲載すらされていないことも多いんですよね。
日本神話を構成するはずの神々。記紀にないなら、その神話はどこにあったんでしょうか?


日本神話を眺める。

どこもそんなものかも知れませんが、日本神話は「故意に作り上げた」神話と「仏教や道教と合体した」神話、そして「各地で伝承されてきた」神話がごった煮になっているので非常に複雑だなぁと思っています。

一番目はいわゆる『記紀』――『古事記』と『日本書紀』に編纂された、大和朝廷中心の神話です。中央集権化がひと段落した奈良時代、大王あらため天皇家の威信を高めるために作られたと考えられています。
その割に前半部分の記述はなぜか大半が出雲神話であり、奈良を拠点とする天皇の先祖は途中からの登場。不思議な構成です。
さらに『古事記』は編纂後、長い間存在すら秘匿されており、一般に広く知られるようになったのは江戸時代、本居宣長が「古事記サイコー!」と研究に邁進したあたりからでした。
そんな背景もあって、記紀は民間の神話と言うにはアカデミックすぎる感

二番目は色々な意味で厄介。まず、インド発中国経由の仏教を日本神話に取り込もうとして生まれた本地垂迹説により、天照大神は大日如来に、大国主命は大黒天になりました。
仏教と連動して西暦571年に顕現したと伝わる八幡神は、応神天皇と同一視され、さらに奈良の大仏の完成式典の際に出家し(?)八幡大菩薩に。
その他、陰陽師が平安時代に取り入れた牛頭天王を祀る祇園社が、明治維新の神仏分離政策で素戔嗚スサノオを祀る八坂神社に統廃合されたり、大変にカオス
何でも崇めちゃう日本人ならではの宗教観でしょうか。

二番目と並んで三番目からも民衆の中に根付いていた神々の物語をたどることが出来ます。各地方の伝承を色濃く受け継ぎ、様々な要素が混ざりに混ざった昔語りは豊かな世界の記録です。
が、そうした市井のことに関する記録って少ないんですよね。長い間、政治文化の中心に居る官僚や貴族は市井の物事を野蛮なもの認定していたため、きちんとした観察記録がほとんどないのです。現代人からすると残念の極み。

そんななか、珍しく官命で編纂されたのが『風土記』――奈良時代の地方伝承の集積です。面白そう。

とはいえ、最初から古文バリバリの原文を読むのは初心者には危険すぎるので(万葉集で懲りた)、まずは風土記の解説ブックから始めてみました。
そうして読んだ中に面白い本があったのでレビュー記事にしてみます。


書誌情報

『風土記 日本人の感覚を読む』
著者:橋本雅之   出版社 ‏ : ‎ KADOKAWA
発売日 ‏ : ‎ 2016/10    四六判 208ページ
ISBN-13 ‏ : ‎ 9784047035829

こちらの角川選書の一冊はたいへん明快な文章で読みやすく、難しい内容がするすると入って来ました。以下で各章の感想をつらつら語ります。
なお、第七回古代歴史文化賞の優秀作品賞受賞作だそうです。


第一章 「風土記」とはなにか

文字通り、風土記という文書はいつ・誰が・どのように・何のために作成したのか、現在の定説を分かりやすく説明してくれます。

ここでさっそく衝撃。
私は風土記イコール「各地方の神話・昔話を集めた奈良時代の本」だと思っていたのですが、本書によると「日本各地の地理、風俗、伝承、産物などを記録した地誌の総称」で、奈良時代713年に朝廷の命令で編纂開始。目的は地域ごとの文化や自然環境(特に畑への適正)を詳述し、国家運営に役立てること、だそうで

つまり神話の本じゃなくて土地カタログだったんですよ!

行政文書だから当然と言えば当然なんですが、びっくり。

風土記のメインは地域ごとの詳細な地理情報――山川、原野、道路などの地理的特徴を具体的に記録し、その地域がどのような場所であるかを明確に示したもの、とのこと。また、農産物や特産物についても豊富に含まれています。マジで地理調査書です。

そんなお堅い行政文書になぜ神話が大量に含まれるかと言えば、地名の由来を詳述する際に参照したため。古い地名は神話や伝説を伴うものが多く、自然と地域に伝わる神話や伝説、風習や慣習についての情報が風土記に入り込んだんですね。
お陰で当時の日本各地の文化や信仰、社会生活についての情報が現在まで残ってくれたのでした。民話はつい100年前ですら柳田国男その他が蒐集しなければ失われていたくらいですし、1300年前のものがよく残ったもんです。いかに貴重な記録か分かります。

残念ながら、当時60巻以上編纂された風土記のうち、現代まで伝来したのは五ヶ国ぶんのみ。その他は部分的に他の古文書に引用されて伝わるものが二十ヶ国強、つまり風土記の半分は失われたか未発見の状態なのです。
写本として現存するのは『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態。
他の国のも発見されて欲しい…鎌倉時代まではけっこう残っていたとのことで、遺失の犯人は戦国時代の動乱ですね

著者いわく、風土記は日本の地域文化や歴史を理解するための重要な資料であり、特に記紀には含まれない多様な物語が当時の日本に存在したことの貴重な証言だと指摘します。
従来の日本神話研究においては、あくまでも参考資料・外伝として低く見られていた『風土記』。しかしそこに描かれた世界は大和朝廷とは別個の価値観を持つ神話として尊重すべきである、というのがこの本で主張されていることのようです。


第二章 「風土記」の時間

お次は風土記の時間感覚についてのチャプター。
日本神話を記紀中心に眺めると、歴史は神代から人代へ流れたというのが定説です。従来の研究では記紀を中心に据えるのが常識でしたので、当然風土記もそのように解釈されてました。

しかし、風土記は記紀と別個の神話軸から記述されたと捉える作者の見解は異なります。具体的には、風土記の時間認識は「古」「昔」「今」の三つに大別され、そのうち「今」が主役だと言うのです。
神話的に歴史を記述する目的の記紀と違い、風土記は元々現在の土壌の良し悪しを調べるためのものですから、メインの視点が今現在に置かれていても何ら不思議はありませんが、改めて言われるとなるほど感。

風土記の「古」は神々の闊歩する時代、「昔」は過去の天皇が各地を巡った時代を意味するようですが、両者に明確な区分はなく、今か今でない昔のことかで分けている様子。
文字を持たない民衆の感覚としては至極納得です。

その状況を踏まえ、昔語りに現れるイメージと実際に過去起こったであろうことを想像で結んでいきます。
例えば、大国主命の別称とされるオオナムチ神の神話からは、大陸から伝来した農業・耕作のイメージと婚姻による氏族融和政策の痕跡が見えてきます。

天皇が各地を巡業し、地方の有力者の姫君を妃にした伝承も多数存在。面白いのはその「天皇」が景行天皇など数名に集中していることですね。そうした天皇は伝説上の存在ですが、漠然と大和朝廷との融和が進行した過去の記憶を表したものなのでしょう。
『常陸国風土記』ではヤマトタケルが大活躍。しかし称号はなぜか皇子ではなく天皇! どうしてそんなことになったのか。奈良から貴族が訪れたのを、地元の人が拡大解釈して後世に天皇にしてしまった疑惑もあるとか。昔から話を大きくしちゃう人っているんだな…

さらに『播磨国風土記』に顕著ですが、とにかく渡来人の痕跡が多い!
百済に新羅に高句麗に、果ては中国まで。時代もさまざまな渡来人たち。考古学や遺伝子科学からも渡来人が大勢日本に来ていたことは確かで、古代史は我々が思うよりはるかにダイナミックみたいです。



第三章 「風土記」の空間

時間ときたら次は空間です。
読んで面白かったのは、「」をめぐる解釈。風土記にはしばしば天下る神と天上回帰する神が登場します。従来はこの天=高天原と理解されてきたのですが、「そうとも限らなくない?」というのが著者の主張。言われてみれば、高天原は九州の上空にあるという設定(※有力な説)ですから、各地方では異なる天国があってもおかしくないんですよね。
風土記で降臨する様々な神々を無理にイザナギ・イザナミや天孫に当てはめる必要はなく、土地ごとに天下った神がいても良いんじゃない?との指摘、しごくもっともな気がします。

空間の話で外せないのは交通の要衝を巡る土地の取り合いですね。
実際、風土記には複数勢力が土地を争った痕跡が神話の形で見られるそうで、それらの例を挙げて解説してくれているのですが、なるほど、昔の人も大変そう…

章の後半は風土記の編纂に果たした各地の「里」の役割について。風土記のエピソードを取りまとめ、文書化したのは当時の里長たちだったのではないか、という視点から記述を眺めていきます。
また、日本書紀との類似点の解釈についても言及。これ、けっこう難しい話だそうで、当時の人々が日本書紀的な世界観をどこまで理解していたか考えるうえで重要なんだそうです。
著者的には全国津々浦々までは日本書紀的考えは浸透していなかったと解釈していますが、他の論者の意見も聞いてみたいところ。


第四章 「風土記」からみた日本文化~終章 「風土記史観」でみた古代の日本

四章は趣を変えて、日本文化論のコーナー。
『常陸国風土記』に記された『童子女の松』伝説と、各種風土記に残る天女羽衣伝説を読み解きながら、マイノリティを排斥するムラ社会の価値観と、そうして去っていった者への哀悼の眼差しを論じています。

議論の内容は納得するところも、「ほんとかなぁ」と思うところもありますが、なかなか面白い視点でした。


まとめ

日本神話というと記紀にばかり目が行きがちですが、風土記の世界も違った魅力に満ちていて、非常に面白いことが分かりました。
いきなり原文に挑むのはハードルが高い自分のような人間にオススメの一冊。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?