呪怨と無常(「呪怨 the live」と『中国の死神』感想)
日本の幽霊と中国の死神について。
1.呪怨
もう終わってしまいましたが、8月12日-20日まで東京新宿で「呪怨 the live」という舞台がやっていました。
ちょうど東京に旅行に行っていたので、8/12の初日講演(15:00開演の部)を観劇することにしました。
講演自体は程よく怖く、楽しかったのです(とても大がかりな回転装置?を用いていて、幽霊が席の近くまで来てくれる「サービス」もありました)。
一番怖かったのは、講演が終わりビルから出た瞬間に急に、「後頭部から耳、肩に至る部分」に激痛が走ったことでしょうか。
おそらく、「ビル内の涼しい環境」から「外の暑い環境」に移動したことによる急激な温度変化に起因して生じたものだと思うのですが(そう信じています)、舞台の内容が内容なだけに少し不安を覚えたのも事実です。
舞台終了後に300円で売りつけられた「塩」をとりあえず該当部位に塗すと痛みが和らいだので、「買っといてよかった」と思いました。
旅行中だったので「ホテルの玄関に塩を撒く」とかももちろん出来ず、「帰宅した家の玄関に塩を撒く」のもなんか違うなと思ったので、処分に困っています(捨てるのも祟られそう)。
2.無常
日本における「幽霊」は、中国では「鬼[グィ]」に当たるようです。
おどろおどろしい表紙で話題になっていた『中国の死神』(大谷亨)では、中国の民間信仰においていまだ強い影響力を有する「無常」について、その発展史が語られていました。面白かったので、感想をまとめておきます。
無常とは、中国(漢民族)の民間信仰における神の一種らしいです。
鬼界の神(使者の霊魂を管轄する「冥界神」)ですが、「実務」担当の下っ端役人なので、それほど偉くはないようです。
(冥界神にもヒエラルキーがあり、東獄大帝→城隍神→土地神…と続き、無常は「死者の霊魂を冥界に輸送する」という任務を東獄大帝以下から与えられているという設定が漢民族の世界観。)
また、人界(生者の世界)に危害を加えてくる「悪魂(孤魂野鬼[ここんやき])を処罰する」という役回りもあり(良い魂が「祖先」である)、転じて「生きた悪人を処罰する」という公安的イメージも持たれているようです。
地域によっていろいろなバリエーションの無常が存在し、それを無常の発展史として読み替えていくのがこの本の筋でした。
(浙江省付近で誕生したとされ、福建省や台湾、マレーシア・シンガポールで今も人気ということも鑑みると、割と沿岸部と相性が良いのかもしれないなと思いました)。
この本の特徴としてたくさんの無常(やその他の神々)の写真が掲載されているという点が挙げられます。文章を読まなくてもそれを眺めているだけで、面白かったです。
以下興味深かった箇所を列挙しておきます。
①p.63
冥界神に入れられる前の無常
→むしろ「鬼」に近い。謝范伝承(「黒無常と白無常」の双子伝承。勧善懲悪的)は後々に無常を権威付けするために作られたもので、むしろ古層の無常はアナーキー、チンピラ的(倫理的な尺度とは関係なく不条理な存在)。
→神と鬼の峻別がなされていない。古代的世界観。
→なぜか「デスノート」のリュークを思い出した
②p.73
中沢新一「シンデレラの脱げた片方の靴」
→ユーラシア各地の伝承では、「跛行[歩行障害]・片方の足が裸足・一本足」といった特徴の人物の話が点在し、往々にしてそうした人物はあの世とこの世を仲介する境界者として、人々に富を贈与するらしい
→片足素足の吉大哥や、一本足の山魈[さんしょう]など、無常的存在も該当する。
③p.114
霊験と権威について
→霊験に応じた「権威」が必要。そのための「形式的儀礼」や「勧善懲悪的(正統的)伝承」の創造が必要とされた(野良無常ではダメ)
→東南アジアでも無常信仰が盛んで、タンキーが無常を下ろしてお悩み相談をするほど(「霊験」にあった「権威」をもつ無常)
→実質的には(霊験的には)、「白無常(謝必安)」一人で迎福も攘災も可能なので、攘災のみの「黒無常(范無救)」は必要ないが、権威づけのためのコンビとして作り出された。
→ある種のコンビ論だな。
④結論、無常には大きく分けて「officialな冥界神としての無常(有権威)」と「神になる以前のチンピラ無常(野良無常)」の二つの系統が存在するようである。(正確には3つの系統らしいが。171項の図参照)
→ヤンキーが更生して警察官になるみたいなノリだろうか?