射手座の冬の旅
射手座の季節をどっぷり体験している。12月はお師匠さんでも走る師走というけれど、本当に毎日がスピードを増しビュンビュン過ぎていく。新しく学びたいことのインプットや自分の棚卸し、来年へ向けての計画や、毎日のやるべき仕事や社交、来年の旅行の計画や準備、細々した伝達事項などでスケジュールがあっという間に埋めつくされる。考えてみると思考も日々の予定も忙しく暇な日がないのだ。
昨日は1週間出遅れ、やっと毎年恒例のクリスマスツリーの飾り付けをした。例年は11月の最終週の週末にはガーデンセンターに行き、もみの木を選んで買ってくることから我が家の12月は始まるのだった。日本でいうお正月のしめ飾りのような感覚だろうか?
もうすでに12月に入り1週間経つし、家の改築でゴタゴタしていたし、物はげんなりするほど散乱しているのだから、いっそ今年はクリスマスツリーはなし?と頭をよぎったが…、イギリス人夫にDon’t be miserable と一蹴された。
結果、やっぱりクリスマスツリーを飾って良かった。昨日は外出予定はキャンセルし、一日かけて家中の大掃除をし片付けた。クリスマスツリーを置く空間を創るために家を丁寧に整えたのだ。そして、犬が興味深そうに横に張り付いて見守る中、毎年少しずつ集めてきた思い出のあるオーナメントを、ひとつずつ心を込めて、クリスマスツリーに飾り付けた。
ビュンビュン疾走していた12月。一日走るのを止めて、ゆっくり光やあたたかさや思い出や自己に向き合ったら、なんだか射手座の自由とは本当はこういうことかと腑に落ちたのだ。
劣等感の克服
クリスマスツリーを飾った後、youtubeに上がっていたエドガーケイシーでおなじみの光田秀先生の対談動画を視聴した。劣等感について語られていた。
人間を苦しめる感情。人によっては怒りで出ることもあるし、不安や、嫉妬とか憎しみと出ることもあるけど、それらの裏には実は糸を引いている元凶というものがあり、それは劣等感であることが多い。
劣等感は手強い。なかなか気がつけない。それは、本当は劣等感が動機なのに、表層的にはいいことをしている場合が多いから。一見いいことをしている自分の中に実は劣等感が潜んでいる。
「私はこんなにいいことをしているよ!」というカモフラージュの根底にあるのは実際は劣等感だったりする。
これに目ざとく気がついて、それらをひとつひとつ抜いていかなければいけない。そうでないと私たちは永遠に不自由なのだ。どんなにいいことをしていても、最終的には劣等感にやらされているのだから。
どれだけやっても心がモヤモヤしたり、わだかまりが晴れなかったり、自分の中に深い満足がない場合、それは劣等感が背後で糸を引いてるということに気が付かなければいけない。劣等感に牛耳られた人生を送っているのだから、それでは本当は自由な人生にはなっていない。劣等感なしに純粋に喜びの発想で物事をやると自由であるし、他者の成功なども心から祝福できる。
「私にはもう劣等感は無いかな、全部探し切ったと思ってます。だって私は自由だもん。自分で言うのもなんですけどね。」とニコニコ笑う光田先生。精神的自由を手に入れた人特有の人徳と品格、優しさと器が感じられ憧れる。
そんな光田先生は12月生まれの射手座だった。これには同じ射手座としてはハッとさせられた。射手座はその矢の如く、自由に疾走していきたい永遠のワンダラーのイメージの星座だけど、自由の本当の意味は「自分の中の劣等感からの解放」ではないかと気がついたのだ。
世間のしがらみなどからの自由を求めたいのではなく、幸せや成長を妨げるあくまで自分の中の悪しき癖から解放されたい!それが本来射手座の求める自由なのかと気づき、目から鱗が何千枚も剥がれ落ちるような感動を覚えた。
12月に入り、日々の忙しさにせきたてられるようにして、ガンガンやる気の炎をくべていたけれど。来年に向けいろいろな計画を立てようと思うその動機に、「少しでも劣等感が潜んでないか?」その指針をいつでも大事にしながら、どっしりと自分にも他人にも優しい眼差しを向け望む方向へと旅路を進めていきたいなと思う。
薄暗い曇り空の下でイギリスは今日もまた新しい朝を迎えた。早朝6時、漆黒の夜がほんの少し明けていく。リビングルームではクリスマスツリーが幻想的な立佇まいで発光し、賢者のような存在感を際立たせていた。